2010年

1月1日 晴れ。風が強い。
今年は、風の強いお元日と成った。例年通り読経の後、方丈と炬燵を囲む。
午後に、本寺東堂様と奥さまをお訪ねして、高坂へ。ご挨拶して、お茶を頂く。
夕方、本寺さまへご挨拶に上がる。

1月2日 晴れ時々曇り。
穏やかな日和。午前中、福寿院様、三好さんご一家がお年始におみえ下さる。
一畳の凧午後、方丈が、「観音と凧を作る約束をしたのだ!」と障子紙を用意していらして下さる。
たたみ一畳分の大きさで、骨を組んで障子紙を貼る事にした。無地では寂しいからと、一筆入れる事に成り、「虎」と書き入れて下さる。折角だからと、朱も出して、落款のように入れようと言う話に成る。大作が完成。
尻尾も障子紙で作って、繋ぐ。
残念ながら本日は無風に近い状態。上がらないので、庭で記念撮影のみ。

1月3日 晴れ。
午後、十楽先生ご夫妻と教子さん、心晴ちゃん母子が、昨年11月に誕生された凪朝ちゃんをお連れ下さる。
夕方まで、凪朝ちゃんゆっくりと海蔵寺で過して行かれた。
教子さん、「2人目だと、気持にずっと余裕がある」とのお話。

1月6日 晴れ。
寒行開始。
午後、克秀さまがお立ち寄り下さる。お茶を入れて、ご活躍のご様子を伺う。

2月2日 晴れ。
マルタさん、一郎さん来山。マルタさんは「ただいま!」と出迎えた薫と抱き合っていた。今日明日ご滞在。
マルタさんは、明日、忠海西小学校の生徒さんと一緒にコラボレーション作品を製作予定。
午後、薫と一緒に、会場を見に行かれる。
4月の展示会の実行委員会の集まりの後、夜中まで二人で、意見交換しながら準備をしていた模様。

2月3日 晴れ。
節分。
マルタさんと薫は、午前中に忠海西小学校にて、全校生徒と体育館で大作を製作。
マルタさんの周りには、サインを求める子供達も集まり、予定時刻を大幅に越えて、昼食抜きで午後の予定へと駆け回っていた。
一郎さんも、車の中でネクタイを締めたり上着を着たりしながら、実行委員会の皆さんの待つ市役所へ向かったそうです。
幽雪も寒行、無事終わりました。
夜は、海蔵寺の豆まき。「福は内!鬼は外!」

2月5日 晴れ。
昨日から、薫の友人の船勢洋子さんがお見えに成っており、2人は京子女史に会いに出かける。
ご連絡を頂き本日の中国新聞地方ページに、マルタさんと2月3日の小学校での作品がカラー写真入りで紹介されている事を知る。

2月8日 曇り一時小雨。
墓地所の参道脇の急なげしで、松の直系30cm以上のものが立ち枯れているが、朽ちて倒れる前に切ることにして、電動のチェーンソーを借りてくる。
薫は、大きいチェーンソーを見て「この松はどう考えても、大きい方のでないと切れないんだけど、私には重いのよね」と渋い顔。
昨年も、伐採の際にアドバイスやお手伝いを下さった岡崎さんが、別のお仕事で、墓地所に来ておられるので、助言を頂きながら、ロープを掛けて切る。「倒れるぞー、あれ?倒れない!」
幽雪が掛矢で根元を払うが、思った以上に藤蔓が絡んでいて、思う方向に倒れない。建物の方へ絶対に倒さないようにする為にロープを増やして、宙釣り状態で、兎に角 固定。
周りの木と一緒に倒すべく、切るが中々思うようにはかどらない。本日は、宙釣りのまま日暮れて作業終了と成る。

2月9日 薄曇り時々晴れ。
雨の確率70%の予報に反して、晴れている。有難い。
午前中、更に周りの雑木や松を切って、蔓や枝を引張り、午後からは岡崎さんも見かねて 「どうも、ワシの仕事が乗らんわ」とおっしゃりながら、手伝って下さる。
観音も、学校から帰るなり、支度してロープを引き上げる手伝いをしに上がってくれた。
岡崎さんが、ワイヤーやロープの段取りをして下さり、薫が切って、4人掛りで引いたり、押したりして、何とか、日が落ちるまでに、大松を倒しこんで、急なげしから、切って上げる。
「あー腕が上がらない。肩が攣りそう」 足場の悪いところでの神経を使う力仕事、今日は、流石にヘトヘトになりました。
岡崎さんのご協力は、地獄に仏、感謝の2字に尽きます。
後は、大松に比べると安全に切れそうな、半分くらいの大きさの枯れ松2本と成りました。

2月12日 曇り。出産の日 ラケルと赤ちゃん
現地時間 2月11日午後5時56分、閑山さん・ラケルさんの第一子誕生。
方丈が命名:霊山(りょうぜん)
目出度き春なり。

2月13日 晴れ。
枯れ松の残り2本を切る。今日は、観音も学校が無いので物凄く張り切っていた。
一本目は、ロープを掛けて引張るようにしておいたのに、薫が一気に切ってしまったので、そのまま倒れてしまう。2段下がった空き地に向かって逆立ち状態に成った枯れ松を上と下から切って運ぶ。
二本目は、左右共に墓石がある。くれぐれも一気に切り離さないように薫に念押しして、ロープを引く。チェーンソーで、V カットを入れた後は、少し切っては様子を見ていた薫から、何度か目に「もう、良いよ!」の声。ロープを引くとゆっくりと幽雪の方に倒れて来た。予定通りのコースに倒し、枝を払って切る。
観音も喜んで、枝を切ったり、丸太を転がして下ろしたりしてくれた。
岡崎さん達は、今日は、ミキサー車からコンクリートを運搬車で運んで、塗っておられる。
お仕事が終わられてから、大きくて重たい丸太選んで運搬車で運びおろして下さった。有難い!感謝!

2月17日 晴れ時々曇り。
気温は低い。岡崎さんは、猫に歩き回られ足跡だらけにされたコンクリートの上に仕上げを為さっている。
薫は、お昼より4月の展示会の件で竹原の町並み保存地区へ。4時頃、アーティスト仲間の皆さんと一緒に帰山。詰め詰めで座り、皆で炬燵を囲む。
展示スペースの希望を出し合ったり、意見交換をしながら、マルタさんが気に入った海を望む景色を眺めながら、お茶をする。最後に、皆で記念撮影してお別れ。
夕刻より、積香寺さまへ。花田先生と薫は「昼間は、驚きました」と竹原でお会いしたお話に花が咲いていた。

3月4日 曇り。
1日から工事して下さっていた水屋が完成。作田さまの御喜捨をご縁に、バケツ置き場と掃除用具置き場が繋がった、水屋をアルミ製で新調して頂いた。
先週半ばから工事に入る予定だったが、あいにくの雨。週末も、バケツはまとめて積み上げられており、墓参に見えられた方々には、不便な思いをして頂いた。
1日も、工事に入ったものの、直ぐに雨、結局、材料を運び入れただけで作業に成らず。
予定より、1週間遅れての、完成。だが、今度は、棚板もアルミだし、高さも若干高くなったので、皆さんが喜んで下さることと我々も喜ぶ。感謝。

3月8日 曇り。
気温は低い。久しぶりに元久保さんがお見え下さり、薫とゆっくり語ってお帰りに成られた。
幽雪、墓地所参道で作業。
午後、嵩さんもいらっしゃる。香港での学会に参加される件の資料もお持ちで、薫が何やら、お手伝いさせて頂いた模様。
夕刻の光を利用して、薫が作品の撮影をする。

3月後半から展示会に向けて連続的に実行員会やインスタレーション作り等々入り、薫は一ヶ月近く展示会関連でそちらに大わらわだった。
観音は、随分薫の手伝いをしながら、学校の事もしていた。一年生を毎日迎えに行って登校班に集合するなど、4年生としてしっかり成長を見せている。
その他、宮床祭り、小学校の参観日や家庭訪問、春の遠足など例年通り。
幽雪は、お彼岸、降誕会、畑の支度等例年通りの春である。
降誕会には、今年も観音の同級生がお参り来て、甘茶を飲んで、庭で大いに遊んで帰った。

5月30日 快晴。
早いもので、黒崎先生の四十九日が来るとのことで、納骨。海蔵寺へは、奥さまは、お見えに成られなかった。日々どうしておいでなのだろうと思うものの、案ずるのみ。
西谷さんの一周忌。海蔵寺にて法事を為さる。黒崎家の皆様が居られる内に到着され、猛烈な日差しの中、外でお待ち下さっておられた。
丁度、観音の運動会と重なったので、朝、幽雪が小学校のテントの設営の手伝いに出て、帰山し薫と交替。薫は四年生の徒競走を応援したら飛んで帰って来たのだが、後から思えば、西谷家の皆様には、薬師堂に上がってお待ち頂けば良かったとバタバタの一日を反省していた。そうだね、思い付かなかったな。
法要墓参の後は、三原に移動しての点心、西谷さんの供養と幽雪もご一緒した。
薫は、終わり次第で、小学校へ飛んで行ったものの、観音は15分位は、皆が家族とお弁当を広げる中、1人自分の水筒のお茶を飲みながらぽつんと待っていた模様。さぞ、悲しかったろうと察するも、「お昼には来るって言ってたから信じて待ってたよ」と我が子ながら殊勝な事を言って居った。
薫も相当に慌てて行ったものとみえて、おにぎりも、持ち忘れ。取り皿も入れ忘れて、重箱だけ抱えて走ったのだそうだ。
それでも、2人切りだったので、充分だったと笑っていたが、午後はPTAの学年対抗競技に出場したり、観音の応援団や競技を応援しながら、間で小学校の地域子供会の役員会もしたようだ。テントの片付け等々を済ませて、帰宅した2人は「疲れた!」と揃って床に伸びて居た。
おつかれさま。
観音は、雲ひとつない、見事な五月晴れの日差しで、すっかり夏色の顔に成っている。
夕方、方丈が観音の心配をして下さってたからと、少林窟へ運動会の報告に出かけて行ったが、擦れ違ったと帰って来た。