平成11年1月3日(日)
10時30分から墓参
海蔵寺裏手の山腹に広がる墓地の一角に作られた新しいお墓でお経をあげて頂きました。
この墓地からは瀬戸内海を見渡すことができます。
今春、開通予定の瀬戸内しまなみ海道(尾道と今治を結ぶ第3の本四連絡橋)の一つである多々羅大橋も望むことができます。
11時から大寛慧照禅尼三回忌法要が厳修されました。
導師は勝運寺大方丈様。
総勢百五十名にもなりましたので、小さな海蔵寺では、全員は入りきれず、大勢の人が庭から参拝されました。
雨が降ったら大変なことになっていたでしょうが、堂内にストーブも必要がないほどの暖かい快晴となりました。
しかし、この日は絶対に晴れると信じていました。
思い起こせば、2年前、慧照禅尼が亡くなった際の葬儀の日も、寒の最中だったにもかかわらず暖かい快晴でした。きっと守って下さっているに違いないと感じていました。
三回忌法要が終わると直ちに会場を設定し直し、仏式の結婚式が行われました。
式師は勝運寺大方丈様。ご媒酌は浄居寺方丈様御夫妻。
仏式の結婚式は、先ず式師様が本尊様に礼拝され、これから結婚式を執り行うことを宣言される啓白文(けいびゃくぶん)を奉読されます。そして、仏法僧の三宝に帰依する受戒の儀を行い、数珠等の交換、三三九度の盃、親族固めの盃、新郎新婦の誓いの言葉である誓約文の朗読、式師様からのお諭しである示訓(じくん)を頂く、という次第で行われます。
今回は式次第をかなり省略して、式師様の啓白文奉読、三帰礼文唱和の後、直ちに三三九度の盃を行いました。
祐堂君と知美ちゃんは照れながら緊張、見守るお父上こと勝運寺副住職も心配。
衣姿の祐堂君に視線が集まったのは皆の知るところでした。
示訓。
勝運寺大方丈様から新郎新婦へのお諭しである示訓を読み聞かせて頂きました。
会場の誰もが静かに心に刻みました。
百五十人が一度に記念写真を撮ろうと考えた結果 海蔵寺の庭から見下ろした旧郡役所の跡地に集まり「はい、ばんざい」。
カメラマンは十楽先生、本格的に6X6のブローニー版で腕を振るってくださいました。先生のお姿が写真に無いのが残念。
荘厳な式が終了した後、会食。
海蔵寺を思い、慧照禅尼を思い、新郎新婦を思い盛り上がる。
皆の思い想いが高田月祥居士の司会で一つになって大いに盛り上がる。
祝偈、詩吟、唄い、ピアノ、声楽、末はダンス?にカラオケの大合唱。
周りにつられてついつい着物でスッテップを踏んだのは明治生まれの新婦の祖母。嬉しそうでした。
忘れてならないもう一人の仕掛け人は嵩大徹居士、密かに用意していたのは何とウエディングドレスでした。
新郎の母上の介添えで戸惑いながら花嫁姿になった新婦。
酔っていたのは新郎だけではなさそうでしたよ。