田崎さんとのご縁


H10年に竹筆に添えた文より

  ごあいさつ

静かに雨が降り大地を潤す時節、皆様方におかれましては、ご健祥のこととお慶び申し上げます。
時の移ろいは速やかにして、振り返りますと満開の桜の下で入院し、散る桜と共に逝ってしまいました父昌平儀
相光院雲竟昌平居士、この度、大練忌を無事終えることができました。
葬儀に際しましては、ご鄭重なるご弔辞、ご香資を賜りまして、誠にありがとうございました。
思い返しますと、今年の初めに父に会いました時には、老衰が激しくなっているように感じられ、少し心配しておりました。入院しました時は、ついに来る時が来たかと思いました。肺炎ということでしたが、耐えに耐えた揚げ句の入院でしたので、ほとんど危篤状態だったようです。しかし、肺炎くらいならその内には回復するものと思っていました。ところが、肺炎の方に免疫機能が集中したため、以前からあった肺ガンの抑制が緩んで一気に肺全体に広がり、あっと言う間に最期を迎えてしまいました。肺ガンは苦しいと聞いておりましたが、わずかな苦しみだけで、静かに眠るような末期でした。人生の終わり方として見事でありました。
父は祖父の代からの雑貨商を継ぎ、山奥の町で小さな小売店を経営して生業としておりました。小生から見てもあまり商売の才があるとは思えず、十数年前にその町からも退くことになりました。そして夢前の町で母と共に心機一転して暮らしておりました。友を大切にし、人と人の関わりをとても大切にする人でした。
無宗教を任じておりましたが、信仰心は篤く、折々に小生の人生の岐路に際して黙って祈り続けてくれていたことを後に知りました。どうしろこうしろということは一切言わず、常に信じて只祈っていてくれていた父であればこそ、今の小生があるのだと、改めて有り難く感謝しております。
さて、法友諸兄のお志に対しまして一般的な粗品をお贈りしても意味がないと思い、ごあいさつだけで済ませてしまおうかとも思いました。ところが縁ありまして、ここに竹筆を添えて御礼とさせて頂くことに致しました。
この竹筆は実家の隣に住まわれている田崎博和氏の製作になるものです。小生はこれまで、このお隣の田崎氏がどういう方なのか全く知りませんでした。両親がここに移り住んでからは時折、帰省するだけで、近所の人々のことなど何も知らなかったのです。ところが葬儀の後、色々な手続きのためしばらく居残っていた時、門先で石臼の中に何かを入れてトントン叩いておられる田崎氏に出会ったので、ご挨拶がてら「何をなさっているのですか」とお聞きしたところ、「竹の紙を作っているのです」とのこと。「そういえば、水上勉も竹の紙を作っていますね」と言うと、「私は水上先生のアシスタントをしているんです」。「エ〜ッ!」ということになり、そのままお宅に上がり込んで色々な作品を見せて頂き、活動のご様子をお聞きしました。
水上先生は竹紙に竹筆で書いた書画の個展を年十回程も開かれているそうですが、その竹紙、竹筆の製作、竹紙を使った表装等を田崎氏が黒子としてすべてやっておられるそうです。
田崎氏の書斎は、普通の竹紙以外にも、竹の皮で作った紙、葦の紙、竹紙を草木染めした紙、大小様々な竹筆、カヤを再利用して柿渋で染めて作ったバッグ、竹紙で作ったランプシェード等々おびただしい作品で埋め尽くされていました。
竹筆は新しく出て葉が出揃った頃の竹を六月から七月頃に取り、その根元だけを使って作るそうです。したがって、一本の竹から一本の竹筆しか作れないのです。切って来た竹の根元を裂き、叩いてほぐし肉の部分を落とします。そして日光に当てて乾かしながら粉になって残っている肉質を丁寧に徐々に落として行きます。そうやって完成するのは九月頃とのことでした。
一本一本、それ自体が素晴らしい作品です。
ご使用になる時には、できれば前日から、少なくとも二、三時間前から穂先を塩水に浸して置いて下さいとのことでした。墨の含みが良くなり、穂先が傷むことも防げるようです。使用後は、必ず水洗いして良く乾かして下さい。
大練忌法要の前日、田崎氏はわざわざ山へ行かれ、笹百合を一輪、採って来てお供えして下さいました。強い芳香を放ち、艶やかな立ち姿の野の百合でした。
父の縁で出会った田崎氏の作品を記念品として法友諸兄に贈ることができますことは無上の悦びです。
では、どうぞ皆様、ご法体ご自愛下さい。
           
合掌  
  平成十年六月
           
浅田幽雪 拝


 法友諸兄
    大坐下