2/1 曇り時々晴れ。
堂内清掃、華の活け替え等など。

リサイクル品で製作された ジュエリーケース2/2 晴れ。
竹原へ買い物。今日は未華ちゃんの10歳の誕生日である。夕方、薫と2人お祝いに出かけた。薫が準備したプレゼントは 空き箱とトイレットペーパーの芯に リサイクルの布で飾った ジュエリーケースである。
でき上がりだけを見ると 材料が 何処にでもありそうなもののリサイクルだとは思えない。この箱に 子供時代に出会えた 未華ちゃんも 色んな発想を出来るように成ってくれると良いと 薫は望んでいる。

2/3 晴れ。節分。
3月の陽気との事、洗濯日和である。
信徒さんが届けて下さったお華を無縁塔、お地蔵さんに活ける。
豆まき。薫は福の詰まった豆を拾っては 口に入れていたが、その後お茶を飲んで 「お腹が一杯に成った!」と 季節の行事を満喫していた。豆自体も 今年 この地で育った大豆である。大いに春を呼びそうだ。

2/4 立春。晴れ。
清水さんが少林窟参禅を終えられたので、お目にかかりたくて上山。忠海駅まで送らせて頂いた。駅に着くと薫もお見送りをするため歩いて来ていた。今回の参禅をとても喜んで下さっていて、本当に良かったと思う。これを一時の体験に留めずに、日常生活の中で練って行って頂きたい。きっと世の大切なリーダーとなられるに違いないと思う。
この駅でのエピソードを一つ。清水さんが切符を買われて小銭を財布に入れておられる時に「チャリーン」という音がした。彼は自分の足元を探すように見回っていた。しかし、音は彼から数メートル離れた改札口の方から聞こえたようであり、実際、そこでしゃがんで拾っている人がいた。そのことを彼に伝えると彼はご自分が落としたのではないことが分ったようだ。
この2秒間ほどの出来事について、実際のところは本人でなければ分らないが・・・。只、拾おうとしましたか、清水さん?
横村先生を訪問。風邪をひかれておられた。
カウンターが 『2000』 を超えているのを 発見し薫は 「こいつぁ〜春から縁起が良いわい〜ぃ。」

2/5 晴れ。
うららかな1日。堂内外のお華の入れ替え。
薫は友人の婚約祝いなのだと 休暇を要求して出かけた。婚約された方は 結婚を前に沖縄へ引っ越して行かれるのだそうだ。そう言えば、清水さん達も 10日には、沖縄に向けて姫路を出発されるとおっしゃっておられた。良い旅をし、石垣島での3ヶ月間を有意義に お過ごし頂きたいですね。

2/6 雨のち曇り。
昨夜半から雨が降り出した。薫が 逸早く気が付き夜中に 無縁塔の線香立て等を入れ、ゴミ焼き用のドラム缶に蓋をかけた。
今日は、町内会の親睦会である。方丈の代理で参加。
手紙を書いたり、洗濯をしたりしながら 雨の日を過していた薫には 町内から初老のお祝いとお膳が届けられた。本人 『初老』と言う表現には さすがに渋い顔を見せた。

2/7 曇り。時折日がさした。
勝運寺さんのお手伝い。
薫は町内会の月当番で 配り物に回る。
午後、レオーネのオイルとエレメントの交換。庭掃除。
薫は 運動がてら、郵便局から歯医者さんへ回り 方丈に郵便物も届けて来ると出かけた。その薫が 少林窟道場から電話をかけて来た。 「少林窟の畑の梅を 切っても良いって言ってもらったの、今 丁度花が咲いてるの。明日の お薬師さんに 集まった皆に見せて上げたいから 切りに来てよ。」と言うのだ。高枝切りバサミ等を 乗せて車で向う。薫は 歩き回るのに丁度良い服装だった為に 寒そうに小さくなっていた。余分に採るから 帰ってから 選べば良いと言う事で 薫を車に待たせて10本程の枝を 頂戴した。
後で思えば カメラも持って行けば良かった。今宵は 山内に白梅が香る。

2/8 曇り後雪。
日がさしたり、急に雪が舞ったりしながら 気温は下がっていった。
お薬師講。今日は 午前中にご都合が つかない方があり、午後からの集合にしますとの事で 1時過ぎにお見えになられた。「寒いですね。」と 皆さんおっしゃっておられたが、お茶を頂いている間に日がさしてきた。「傘が恥をかいちゃった。」と おっしゃっる 方もあったが 雪を挟んで次の晴れ間には 皆さんが 「降り出さない内に 失礼しよう。」と お帰りになられた。梅の花は 大好評であった。
寒気が入り、明日夕方まで 雪が平野部でも降るとの事である。 天気予報でも警報、注意報共に 風雪の警戒を呼びかけている。

雪景色になった海蔵寺の庭雪を被ったお地蔵さん雪を被った山茶花2/9 晴れ。
昨夜からの雪が薄っすらと積もって 温暖な瀬戸内の珍しい雪景色である。日が当たった所から ドンドン溶けて行ったが 風は1日冷たかった。
お昼前に 郵便物を届けながら 少林窟道場の畑の梅を撮影。冷ややかな風が 梅の香りを運んでいた。開花した 少林窟道場の梅
姿が無いと思ったら 薫は 洗濯干し場に上がったついでに、日向ぼっこまでしていた。寒くないの?と聞くと 「風の当たらない所があるんだ。」との答え。黒い作務衣が 日を浴びてポカポカになって、捲くった袖と裾から 手足を出して 屋根から溶け落ちた 雪の水音を満喫してきたそうだ。
午後 西谷啓拙居士が 訪れて下さった。長らくお目にかかっていなかったが お元気そうで 本当に良かった!
薫は 月曜日に続いて 歯医者さんまで 散歩。早かったので 治療せずに帰ったのかと思うほどだったが 「チャンと削ってくれたよ。歯が伸び過ぎてるんだって。」と 言っている。伸び過ぎ?「骨格上 顎にもう歯が出てくる余裕が無いんだって だから 下の歯が出ないままに成って 上の歯が伸びすぎるんだそうだよ。」と説明されたようだ。それで削ったの?「そう。げっ歯類じゃあるまいし、伸びるのかなぁ?」と首をひねっている。でも、伸びた部分を削ったりしたら 虫歯に成り易いのでは?「もっと伸びて来たら 外側が当たり始めるので いずれ抜く事に成るって言われたよ。」と 浮かない顔をしている。そう言えば、方丈も閑山さんも 斜めに伸びて来た親知らずを 抜いているらしいから 顎の形状に共通性があるのかも知れないね。

野焼きした庭の芝生2/10 晴れ。
野焼き。庭の芝生を 焼き春の新芽にそなえた。時折、冷たい強い風が吹いていた。
薫は 午後 勝運寺へ、明治生まれのおばあちゃんを訪問。昨日が おばあちゃんの 誕生日だったのだ。ケーキ代わりの クレープを作って 紅茶と共に持参したようだ。「2人でお茶して来たんだ。」と 5時前に帰山。
初物の菜の花。夕食用の 食材を採りに 畑に行った薫が 「見て見て!菜の花が咲いてたの。」と帰って来た。撮影すると 「これで 安心して食べれるぞ。」だそうな。
1時間後 大根、春菊と菜の花が食卓へ。薫はテーブル一杯の春に ご機嫌である。大根葉とちりめんじゃこを混ぜた麦飯、焼き塩鮭と大根おろし、春菊と削り節のミニお好み焼き(すりゴマ入り)、そして菜の花の蒸し焼き。
薫は 大根おろしの残り汁まで 「甘いよ。大根ジュースって感じ!」と喜んで飲んでいた。不耕起、無農薬の ほったらかし農法は 雑草と共存しながら 美味しい野菜を提供してくれてるね。自然の力に 敬服するよ。もう直ぐ 山野草も 出てくるし、これから ますます 自然が美味しい季節だね。

2/11 建国記念日。晴れ。
デスクワーク。
薫は 墓地所から裏山にかけて 様子見に出かけて行った。猪は益々活動範囲を広げて居るようだ。犬の足跡も数多く見たと言う。帰って来た時には 松かさを拾って持っていた。

2/12 快晴。
5年前くらいのクリーニングが戻って来た。慧照禅尼が出された品物らしい。配達されても薫に心当たりがなかったので 右往左往してしてしまった。結果は 元々勝運寺の大奥様の着物で それを慧照禅尼に贈られ、5年ほど前に ご使用になって クリーニングに出されたようだ。
庭掃除。

三光寺2/13 晴れ。
以前から 山口の三光寺というお寺を訪ねてみたいと思いながらどうしても機会が作れずにいた。急に思い立って、今日、行ってみることにした。なかなか場所が分らず、今まで訪れたどこよりも細い林道を 一人走り回って、ようやくたどり着いた。持っている地図には全く道路が記されていない山地だった。屋根や道路脇には溶け残った雪があった。勝運寺の山門程もありそうな大きな山門があったが境内は狭く、庫裏は台所だけが整備されていた。湿気が強いらしく換気扇が回りっぱなしになっていた。残念ながら、期待していたほどの所ではなかった。
虫の食べ残した 青菜パーグの材料。畑の恵。薫は うららかな陽気を利用する事にして、髪を洗ったり 洗濯をしたりしていたようだ。
自分も散歩に行ったそうだが、1ヶ月も風邪で 病院通いをなさったとおっしゃるご近所さんも 春日の散歩の途中で立ち寄られたそうだ。
帰山すると 畑の恵を嬉しそうに見せに来る。「これだけ大きく成ったら 少々虫に食われたって 私の食べる分は充分あるわ。」と 満足そうだ。根を残して 大きな葉だけ 切りとって来るのだから まだまだ次々食べれし、他の生物にも寛容でいられるね。この葉は 夕食に 青菜バーグになって出て来た。青菜、ゴマ、削り節等々に 小麦粉を混ぜて焼いてある。チーズを乗せた 特製も作ってくれた。今日の虫のおこぼれも美味しいね。

2/14 晴れ時々曇り。冷たい風が次第に出て来た。
明日から もう一度 綾町へ出かける予定、一人で行くので飛行機を使う方が有利だと判断した。その準備をする。
薫は朝から 鼻水と苦戦していた。風邪を引いてしまったのだろうか?本人は余り自覚は 無いようで、ツーと垂れてくる鼻水に 慌ててティシュペーパーに 向って走っていた。
それでも 午後から 「歯医者さんへ行ってこなくちゃ・・・。」と言い出した。こんな寒い日で無くても良いんじゃない?「それが 土曜日に詰めてもらった所の 一部が取れちゃったの。先生に月曜日って言ったから・・・、それに散歩した方が良いからさ。」と 歩いて出かけて行った。薫が出かけると風は出て来たが、雲は消え去って 晴れ渡って来た。このまま 晴れてくれると良いんだけど。
帰山して 「今日は 娘さんの先生が 手伝って治してくれたの。今度は大丈夫だよ。」と 益々頻繁に鼻水と格闘していた。完全に風邪引いたな。「そうなのかなぁ?」。
夜、前田居士から 久しぶりに連絡を頂いた。近況をお伺いしたり、当方の様子をお話した。震災後も 患者さん達に 慕われ、お元気で 大いに活躍なさっているようだ。

2/15 曇り。冷え込みが厳しい。朝方から強風が吹き荒れる。
薫の具合が思わしくないので綾へ行くことは断念する。未明には激しく咳き込んでいたのだが、午後には快方に向った。経過は順調。この分では明日にはまた元気に走り回っていることだろう。
午後、西谷居士が来山される。少林窟で2時間ほど坐って来られたらしい。少林窟での坐禅は久しぶりだったせいもあり構えてしまって少々苦労した、とおっしゃっていた。

2/16 曇り。時々雪がちらつく。
薫の風邪はかなり快方に向ったものの鼻のかみ過ぎで鼻の周りが痛くなって来たそうだ。
昼過ぎにパトカーが境内に上がって来た。二人の警察官の方が本堂でお弁当を食べさせて下さい、とのことだった。そのお一人は忠海に駐在されていた頃、方丈と親しくされていたそうだ。警察官の皆様の素顔を冗談交じりに面白おかしく話して下さった。警察官といえどもサラリーマンなんだなあ、と人間味を感じたが、もっと厳しく自己を律する集団であってほしいものだと思う。インターネットに対する関心も強く、少林窟道場にもホームページがあることをお教えすると、「帰ったら見てみます」とおっしゃっていた。
今日は咳をしながら 「耳がさぶい(寒い)。」と鼻声で言いながら ストーブにへばり付いていた薫だが、風が収まったのを見計らって畑へ出かけて行った。元気な菜っ葉と大根を収穫して来る。
薫は風に当たらないように中に入ったものだと思っていたのだが、庭を掃いていると・・・。冷たい風がまた強くなり始めたのに 「見て見て」と薄い氷を持って見せに来た。アロエ用のビニールハウスの上に溜まっていた雨水が凍って日中でも溶けずに残っていたのだ。喜んで 持って来たのだが 「ハックション!」と同時に薄氷は砕けて落下し・・・ションボリしながら 屋内へ消えて行った。

2/17 晴れ。
早朝、法光寺の総代長・宮野氏が逝去される。神石は雪に違いないから、レオーネのタイヤを急いでスタッドレスに交換してもらうように整備工場に持ち込む。すぐに対応して下さり、正午までに仕上げて頂いた。
昼食後、方丈、道育師と共に出発。薫も咳が止まらないのに、お世話になった宮野さんの最後だから、と同行する。途中から路面が雪に覆われている所が多くなったが、2時間余りで無事 宮野氏宅に到着。早速、枕経を一巻上げさせて頂く。おいとまする頃には雪が降り始めていた。
宮野氏宅から少し下った所にある食堂で暫し休息する。その間、外の景色が白くなるほど雪が降りしきっていた。「幽さんには只の雪かも知れないが、私にとっては何とも言えない風情だなあ。これも哲学仙人・宮野局長が最後にプレゼントしてくれたものなのかも知れないな。」と方丈。久しぶりに見る神石の雪を深い感慨を込めて見詰めておられた。

2/18 晴れ。
神石へ宮野氏の通夜に出向いた。薫は 咳の回数が減っているものの 息切れするのではないかと思うような咳込み方をするので 休ませたかった。昨日も帰路は 凍っていた。今日の方が 時刻が遅くなる上、道順はうる覚えなのでやはり不安は隠せない。本人は 「行くよ。」と言っている事もあり 最終的には 「そりゃ〜、薫が行けば安心だけど・・・。」と 答える。
通夜の後、昨日と同じ食堂で夕食を取る。たまたま居合せた方は 方丈に想い出があると声をかけてこられた。お連れの方は薫と同級生の親御さんだと言うので 田舎流人生論講座が始まった。方丈は 「こ〜りゃ、黙りなさい!私はここの大自然の静けさを求めて居るのだ。」と何度か 発言を繰り返すが・・・その効果は薄い。薫は 『お愛想』だけの相槌を打っていた。
帰路で 方丈が 「良い人達なんだが、かなわんなぁ〜」とおっしゃる。薫は 「集落の高齢化が進み 一番若い人が40代だと言ってたけど、人も動物も 単一化すると絶滅が近いって事よね。でも、単一化に あれほどの情熱を燃やすんだから・・・単一化に参加できない、絶滅に距離のある存在には堪らないよね。出て行って当然なんじゃないかな。」と言っていた。そうかな、関係ない者にとっては どうって事ないことなんじゃないのかな? 「君らが どんな風に接して行くか それが1つのモデルケースだ。」と言うのが、方丈の言葉だ。
帰りの路面はやはり凍っていた。一寸 ブレーキを踏んでも ツーっと滑って行く。昼間の気温が 昨日より高かったので 路面は昨日より手前から乾いて来た。途中で 猫でも、犬でもない小動物が2匹車の前を横切った。薫が 「マミンド!」と声を発した。どうやら 狸のようだ。彼らも 路肩で止まって振り返って 見送ってくれた。

ガラスに激突した鳥の跡2/19 曇り時々小雨。
本堂正面のガラスに汚れを発見し 拭き取ろうと触れたら それは外側からだと判明。何だ?と良く見直すと・・・鳩のような鳥がガラスに激突したらしい。見事な跡が残っていた。撮影には 努力の甲斐なく これが限界だった。実物は 羽根の1枚、1枚まで クッキリと跡が着いているのだ。頭から 足先まで 完全に ガラスに張りついたことになる。兎に角 見事なのだ!
方丈は総持寺の参禅会へ。
薫は疲れがたまって咳も続いているので、今日は終日充分な休養を取るよう勧めた。読書の日として ゆっくり過していた。
レオーネが泥だらけになっていたので、丸洗い。

2/20 曇り。
午前中、勝運寺さんのお手伝い。
薫は発熱したが、咳はかなりおさまってきた。大人しく寝ているので かえって安心だ。本人も 「熱が出れば、風邪菌より優勢に成るから 早く治るよ。」と言っている。微熱のままで 長く続くと体力ばかり奪うのでは・・・と言う心配も頭をかすめるが 快方へ向っていると本人が 信じる限り大丈夫だろう。
午後、外出する時も 薫は「大人しくしてるよ。」と 安心させるように 言ってくれた。じゃゆっくり寝ているんだよ。布団から首を伸ばしながら うなずいていた。早く元気になるんだよ!

2/21 雨のち晴れ。
今日は薫の誕生日。午前中は用心して休んでいたが、午後にはほぼ完治したようである。
午後、少林窟へ上がる。首座申請書の署名捺印、法戦式の法問の打ち合わせ等。また、今年は義光老師33回忌、大智老尼17回忌に当たるので、その法要の話も出た。今年は大きな節目の年だ。
夕方には方丈が薫の誕生祝にお見え下さり、暫し歓談。

2/22 曇り。
このところ野犬らしきものが庭で走り回る事件が続いている。庭の中で追いかけっこでもするらしい。今日も元気に暴れてくれていた。ほうき目を付け直す。
薫は、やはりまだどこか不調らしく、ゆっくりと洗濯等をしていた。

2/23 曇り。昨日に引き続き、春霞という感じである。気温はまだ低いが早春の気配が満ちている。
先週末、薫に届いた国際小包の内容物が一部消え去っていると言う事が判明。薫は配達局に 電話で相談していたが、今までも何度と無く発生した諸事故、手違いの際に担当して下さった局員の方が 「お伺いします。」とお見え下さった。局員の方は 大阪の税関の印が押され、JAPAN POSTのテープで再封された箱、税関の審査書、消え去った内容物が分る取り扱い説明書を 「預かりたい。」と 申し出てお持ちになられた。
帰局後 即 大阪へ遺失物として 残されていないかどうかを確認して下さり、お電話を下さったそうだ。ここでは、心当たりが無いとの事で 次の確認手続きを始めて下さるそうだ。「最終的に 発見できなければ、損害賠償を受けられるように 出来るだけの事をして下さると おしゃって下さった。」と 薫は苦笑い。そう言えば、局員の方も帰り際に 「本当にご迷惑かけますね。何故だか知らないけど、浅田さんの所ばかり色んな事が起きます。今回も 又、勉強に成りますよ。」と 苦笑いしていらした。局員の方も 薫も 共に事がある度に 実際に余分な仕事が増える立場であり、しかも 原因に直接関係が無い人物なのだ。お互いに 立場を理解し合えば、苦笑しながら 穏便に充分な協力が出来ると言う良い例かも知れない。お互いが 相手を充分に 評価している事は 見ていて良く分る。
少林窟道場へ 方丈を訪ねる。田崎氏の個展の案内葉書を 取り込むのに スキャナーを使わせていただいた。
帰山と入れ替わりで、薫は町内の月番で広報紙の配布と町内会費の集金に回る。薫が歩くと何かとご近所さんが食べ物を下さるようだ。今日も水菜、ワケギ、お餅等が届いた。月番で回っているからと 「夕食のおかずにシチューを 用意するので 帰っても おかずの心配をしなように伝えてくれ」と言う電話までかかって来た。薫が帰って暫くすると 「お鍋を 持っていらっしゃい。」と・・・シチューと きんぴらがテーブルに並んだ。有り難い事である。

2/24 晴れ、一時雨または雪。
広島へ整体を受けに行く。途中でスピード違反取締りに引っ掛かってしまった。片側二車線の直線コースで、今日はたまたま前後に車が無く、制限速度を超えてしまったらしい。そう言えば、この場所は、時々取り締まりがあると聞いていた。しばらく進むと今度は4kmの渋滞に巻き込まれた。結局、広島まで3時間かかってしまった。通常の二倍である。こんな日もあるんですな。

2/25 薄曇り。
大智老尼17回忌正当ご命日。午後、2人で少林窟道場へお参りに上がる。
薫は 洗濯と共に 昨日届いていた葉書、メール等の対応に時間をかけていた。夕方には先般お留守だった 数軒のお宅へ町内会費等の集金に出かけた。そして 「かき餅を揚げてあるから・・・。」と電話がかかる。

2/26 曇り一時小雨。
午後、少林窟道場で法要があり、列席する。
高田居士と久し振りにお目にかかる。薫は数ヵ月振りのことだ。薫と久々に活元をしましょうか、という話になり、海蔵寺にお見え下さる。総持寺の参禅会のことや方丈の教育論等の話をしながら 2人は活元をしていた。最後に 広い所へ出てして頂き 薫は「お腹からポカポカして来た。」と お礼を申し上げていた。波長が合うと言うのは こんなものなんですね。

2/27 晴れ一時雨または雪。
神石での法事に方丈と共に出向く。神石町にはまだ雪が残っており、日中は時々雪が降った。御仏壇の前で御経を上げた直後には外が白くなってしまうほど降りしきっていた。山の自然が荘厳してくれているかのようだった。その後、裏山を200メートル程登った所にあるお墓へ納骨に行く。御当家の方々が車を何台も準備して下さっていたが、方丈は「私は歩いて行くぞ」と宣言されて小雪が降る中をスタスタと歩き出された。すると先ず子供達が「私も歩いて行く」と言い出し駆け出して行った。そして結局お脚の不自由な方だけが車で登られ、ほとんど全員が歩いて登ることになった。方丈にとってはご自分の身体の為にこの程度の運動はしたいから歩き出されたようだが、皆さんも小雪が降りしきる中を一歩一歩歩いて上られ、良いご供養になったことと思う。
帰りには車の状況まで 「タイヤの空気圧が一寸下がっているようだから うちのコンプレッサーを用意しよう。」「ウォッシャー液の出具合が悪いようだ。」等など、事細かに御心配下さった。山奥に根付いた人々の暖かい真心が一杯満ち溢れた法事だった。
「ここでも雪がチラチラしたよ。」と 薫は心配しながら 帰りを待っていてくれた。
やはり 忠海は温かい、夕食のリゾットには 薫が今日収穫した畑の恵み 『菜の花』が 入っていた。

2/28 曇り一時強風。
今朝の強風で焼却炉の蓋にしていたトタンが 飛ばされて落ちた。大した事は何も無いが 色々起きていた。
明日から一人で綾へ行ってみることにしたので飛行機等の予約を入れる。
薫はフルフォード博士の『いのちの輝き』を読んで、健康に対する博士の見方・考え方に感銘を受けている。博士の言っておられることを元にして、心と身体の真の健康について、薫と様々な話し合いをする。話は転々と展開して至った結論は「不知最も親切」。

2/29 晴れ。
レオーネで空港まで行き、8時35分発の飛行機で宮崎に向う。車は薫に乗って帰って貰った。今回は1人なので 車を走らせるより飛行機とレンタカーを利用する方が有利と判断したからだ。
「薫へ
元気にしていますか?
こちらは快晴。ヴィッツで軽快にドライブしています。綾へ来る途中、国富町の不動産屋さんに寄ってお話を伺いました。希望するような物件は無い事は無いという話で、明日もう一度伺う事にしました。ただし、やはり資金はかなり必要なようで、かなり無理があるような気がします。
綾に到着してから先ず山水さんに顔を出しました。おかみさんが親切にいろいろお話下さいましたが、具体的な情報は無し。
その後、竹野へ行ってみました。公民館長さんとうまく出会う事が出来ました。そして、黒木さんに会ってみなさい、と勧められました。東京から四年前に越して来られ、ニワトリを飼っておられる人です。行ってみると、鬚を貯え、長髪の頭に手ぬぐいを巻いた人が親切に応対して下さいました。実に、しっかりした誠実な人でした。
「綾は名前だけが有名になっているが、実際はそれほどでもないから、よく自分の眼で実態を確かめた方が良い。ただ、確かに他の自治体と比べればマシだし、この竹野地区はどんどん過疎化して行っているから、この地域を護るためにも新しい人が来て下さるのはうれしい。」というようなお話をして下さいました。
綾・竹野の空き家そして、つい最近、空家になった家を紹介して下さいました。それが、添付した写真です。家主さんは、「住んでくれるなら只ででも貸してやる」とおっしゃっているらしいです。ただし、先祖伝来の土地だから、売るつもりは無い、ということです。見ての通り、屋根は朽ちて雨漏りはひどいし、床も抜けてしまっています。しかし、骨組はしっかりした良い材を使ってあり、家の骨格も大きいようです。家主さんはまだ引っ越した訳ではなく、行ったり来り、という状態のようです。家具はまだありましたし、飼い犬もいました。家の隣に納屋があり、庭を挟んで休耕田もあります。
難点の一つは、例の奇妙な色を塗った似つかわしくない家の隣だ、ということです。例の家は、別荘のようなものらしく、年に数回くらいしか来ない、とのことです。反対側の隣家は、竹野地区の長老で、公民館長さんの兄上とのことです。人格者でもあり、黒木さんも農業のやり方を教わっているそうです。
取り敢えず住むには持って来いの所だと思いますが、薫も検討してみて下さい。では、身体に気をつけて。
                    幽雪 合掌
PS 黒木さんの名刺はチラシの裏にスタンプを押したものでした。カレンダーの裏に印刷した私たちの名刺を大層気に入って下さいました。」