1/1 元日。晴れ。穏やかな日和。
未明、少林窟での年越し坐禅から帰山、薫と新年の挨拶を交わす。
秦野市から武ご夫妻がお見えに成る。奥様は薫と同大学の卒業生で、ホームページに時折登場する畑を見るために車を飛ばして来て下さったらしい。
午前中に少林窟のメンバー全員が上山され、本堂、お薬師堂で年頭法要を挙げて下さる。その後、会食。数あるメニューの中で一番人気は、薫が育てた大根の刺身。最後は
ぜんざいと雑煮のチョイスで 半数は両方を 楽しんだ。
十楽先生、奥様、教子さんが お寄り下さった。1時間ほど お話ししてお帰りになる。
その後、閑山さん薫と共に 急いで 勝運寺さんへ お年始にうかがう。方丈始め少林窟道場常駐の
諸師は既にお見えになっていた。ゆっくり ご馳走になって 帰山。薫は ベテランの奥様に
おせち料理のコツなど アドバイスを頂いていたようだ。
1/2 曇り。
方丈の年賀状の追加印刷の為 少林窟道場へ。
薫は早々に頂いた賀状への返信書き、昨日の片付け等をしていた。
午後、盛口浩さんご一家が お年始のご挨拶にお見え下さった。
1/3 晴れ。結婚1周年記念日。
1/4 晴れ。昨夏、幽雪が卒業した高校の同窓会が開かれた。お盆の時期だったので、出席は出来なかった。今日、その事務局から同窓会名簿が届いた。高校を卒業して20年。それぞれ職場を持ち、家庭を持ち、世を支える中堅となっている。そんな中で、既に故人と成ってしまった友もいた。感無量。20年の時を経て、それぞれの道を歩む友と出会え、いよいよ懐かしく思われる。そして高校時代の自分自身に出会ったような気もする。
1/5 晴れ後、曇り後、雨。昼食を少林窟の皆様とご一緒する。
同窓会名簿を見て、あまりにも懐かしくなったので数人の旧友に便りを書いた。
1/6 曇り。閑山さん渡米。
方丈が角塔婆を書きに来られるとのことだったので、その準備していたら、ぎっくり腰になった。方丈が整体して下さり
薫も色々してくれたが、徐々に重くなって夜には自力で 体を垂直に起こす事もできなくなった。おとなしく寝ているしかない。
1/7 晴れ。
終日、横になっていたら、腰は快方に向った。薫も頭が痛いらしく、本日は二人揃ってダウン。
1/8 晴れ。お薬師講と法事が重なる。お薬師講のおばあちゃんたちは遠慮されてしまい、早々に引き上げてしまわれた。しかし、久々に方丈と顔を合わせられたので、満足していただけたようだ。
午後、方丈と薫は法事のため、名古屋へ向った。
1/9 曇り後雨。
山内の片付け。
薫は名古屋で法事に列席。夜遅く、方丈と共に無事帰山。
1/10 成人の日。晴れ。
午前中、法事一件。
午後、勝運寺さんへ。
1/11 曇り時々晴れ。
鏡開き。
薫はまな板を新調していた。「切った野菜などがこぼれ落ち無いので良い」 と
素麺箱を改造して、特製まな板を作っている。これは慧照禅尼が 愛用してきた物を参考にしているそうだ。確かに
素麺箱をそのまま廃棄してしまうのは 勿体無いし、まな板に囲いがついているのは
便利である。
ホームページの更新。
1/12 雨時々曇り。
レオーネのアクセルワイヤーが引っ掛かる等々の不都合があり、何時もお世話に成る
モータースへ。その場で クラッチのタイミングとアクセルワイヤーの動き等を見て下さった。バッテリーもそろそろ寿命が
来ているのでは無いかと言う話になった。乗せ替えも考えた方が良さそうである。
午後、少林窟道場へ 届け物に行く。
薫は 先般の名古屋での法事でアクシデントにあってしまった着物の 手入れをしていた。あくまでもアクシデントであり
誰も悪気のあった話では無いのだが 相手が着物だけに一寸辛い所である。「悪気が無いのが一番悪いって誰かが言ってたよ。」と
言いながら 色々やっていました。見た目には 分らなくなったし良かったじゃないか。「カビ生えて来ないと良いんだけど・・・。」
1/13 曇り。今にも降り出しそうな1日。
天候の影響か 2人揃って体調不信。こんな日は 肩の力を抜いて ゆっくりするに限る。
1/14 晴れ時々曇り。
ゴミ・ステーションの掃除当番。今日は不燃ゴミの日であった。薫が掃除に出かけた。今日はビンが割れたりしていて、少々散らかっていたそうだ。
須弥壇の荘厳をしまい、掃除。薫は季節の花に刺激されたように 華を生けている。水仙、山茶花、寒あやめ・・・。
レオーネのバッテリーを乗せ替えた。規格は少し違うのだが、問題は無いと言う事で
中古品で間に合わせた。又、暫くは 大丈夫だろう。
1/15 晴れ時々曇り。
熊本にお住まいの薫の 知人達から 次々に連絡があり、昨夜は送られてきた会報から
HPを覗いたりしながら 薫が熊本話をした。
午前中、墓経。天候も良く、お参りに来られたお2人の足取りも 軽やかであった。方丈の1文が載る
禅の友をお持ち帰り頂いた。
午後、法戦式の準備。
薫は 畑の恵を抱えて 喜んで帰って来た。昼前、夕方と盛んに通っている。昼食に出て来た
しゃもじ菜は緑の濃さが大根の葉をしのぐほどであった。「これね、上だけ切って来たからもう少しすると
又収穫できるよ。」と 薫なりの工夫があるようだ。『絹さや』の 初物も頂くことが出来た。自然の恵みは
人も元気にするようだ。
1/16 雨時々曇り。
夕方、大徹師がお越しくださった。
1/17 晴れ。
迫 美澄枝さんが亡くなられる。枕経、お通夜の為に方丈、廣州師 と共に福山へ向う。方丈の車を薫が運転して向った。
往路は本郷へ向い山陽自動車道を 利用した。復路では、2号線とバイパスを利用。結果は
15分以下の差しか無く、高速道路へ上がる価値は余り無さそうだ。
1/18 晴れ。温暖な1日。
慧照禅尼の御命日。迫さんの葬儀。
本日は、道育師 祖玄師も加わり 2台で向う。お二人共 始めてなので 合流した所で、祖玄師の車に乗り込んだ。
昨日の経験を生かして、薫は2号線を走った。
帰りは別々になった。薫は 2度目の走行となり スイスイと車を走らせた。我々は所々
うつらうつらしたようで、実際には 昨日より時間が掛かっていたが 感覚的には半分ほどであった。帰山後
薫は「静かで走り易かったよ。」と言い残し、電話に向った。迫さんのお宅に
無事到着の旨を連絡したのだ。 ご心配下さる迫さんのお気持ちがありがたく、ご心配下さっている事に
応える薫の行動が 嬉しかった。
1/19 晴れ時々曇り。冷え込んで来た。
冷え込んで来ると知り薫は 「大根が凍るかも知れない。」と気にし始め、本寺さんに今
無いようなら凍らない内に お持ちしようと思ったようだ。お電話をしていたが、お忙しいご様子でそれどころでは無い
お返事だったようである。「仕方ないね、凍みちゃう・・・。」と一寸 寂しそうだ。
1/20 曇り時々雪が舞う。厳しい冷え込み。
暦通りの大寒となった。薫は昨日の事があり、大根が気になる様だ。
広島の松本良香大姉が結婚祝いを少林窟までご持参下さる。すぐに薫と共に少林窟へ参上。
お薬師講のおばあちゃんの1人のご主人が亡くなり、夕方、方丈と共にお悔やみにお参りする。
1/21 曇り時々雪。僅かに日がさす1瞬もあった。
道育師が手作りみかんジュースをお持ち下さる。1,5L作ろうと思うとかなりの手間と時間が掛かるだろう。「つぶつぶミカンで美味しいね。」と薫と2人で頂いた。道育師のお話しでは、竜泉寺のお庭は薄っすらとではあるが
雪が積もったそうです。
午後、税制説明会に参加。
薫は洗濯、畑などの活動をしていたようだ。目まぐるしく変わる天候の中をぬって、出たり入ったりしたそうだ。積もらないのだが、舞うように降る雪は大寒をしっかりと感じさせてくれる。
1/22 晴れ時々曇りのち雨。
非公開。
1/23 雨のち曇り時々雨。気温は低くないが薄暗い1日。
非公開。
1/24 曇り、夜半より雨。
この3日間の内容を公開することにより、特定の人物等の名誉を著しく傷付ける可能性がある為に公開を断念致します。
2人で話し合いましたが 事実と異なった記述を行う事は 我々の主義に反すると結論し、致し方なく部分的に内容を落とす事を選択いたしました。ご愛読いただいている方には大変
申し訳ありませんが、どうぞ ご理解賜り平にお許し下さい。尚 この件に関しましては
Eメール、Fax、電話等の直接の お問い合わせにも、お答え出来ませんので
ご了承下さい。合掌。
1/25 曇りのち雨のち曇り時々雨。気温は次第に下がって来た。
薫は洗濯をしていたが、天候が優れず室内に持ち込むことを決断したようだ。万国旗の再来である。
昼前に 少林窟道場へ郵便物等を 届けに行く。午後、寒中見舞いを書き 郵便局へ。
気温が下がって来たので、夕刻からは ストーブを炊いて乾燥室を作った。
1/26 曇り後雪。
お昼をはさんで勝運寺さんのお手伝い。
帰山して 遅目の昼食を取り、出発準備。母を訪ねて夢前へ車を走らせる。
天候は優れなかったが 高速道路に入ると雪がちらつき始めた。時間と共に雪は強くなり、視界まで悪くなるほど吹雪くこともあった。今年は
雪の中を想定していなかったので 未だノーマルタイヤのままだ。
路面の様子に気を配りながらの走行で 大幅に時間がかかった。晩くなるほど路面が凍結する可能性があると思い
吉備のSAには立ち寄らない事に決めた。竜野西SAで 一旦休憩し、母にも連絡を入れる事にした。姫路でも
前が見えない程に雪が降っていると言うので 心配しながら出発した。薫が ハンドルを握りここから後を走る。出発してみると何と言う事か
雪は止んでしまった。姫路西ICを下りても 依然として雪の気配は無い。「一旦どうなってんの?」と
言いながら 順調に走り午後8時 無事到着。
始めて出会う 犬のハッピーに 早速吠えられた。猫のチャトランの方は 一段と大きくなって、ハッピーよりも大きい。
1/27 曇り。
お昼前に 外で作業をなさっていた田崎さんと お会いするといつものように 「上がって下さいよ。」と誘って下さり
薫と2人上がり込んでお話を伺う。お部屋の様子も 数ある作品も変わっていた。暫く
お話を伺って 香寺民俗資料館の島津館長が
社会文化功労賞を受賞された事を知った。新しい 美術館が姫路に出来た事も知り、「行って見ませんか?」と誘って下さった。田崎さんの竹筆、竹紙も
そこで展示販売されているのだそうだ。今日は母と「ゆっくり過そう」と 話していたので、明日
お連れ頂く事にする。
午後、薫がチャトランとハッピーを洗う。1度に2匹は無理だからと 捕獲が容易そうなハッピーを後回しにして
チャトランと共に 風呂場へ消える。間無しに田崎さんが お尋ね下さり、上がって頂いた。そんな事は全く知らない薫が
びしょ濡れのチャトランを 抱えながら 「チャトランを受けとって、ハッピーを連れて来て!」と
風呂場から叫んでいる。知らないんだから仕方が無い・・・。
結局、びしょびしょのチャトランも お客様とご一緒する事となる。ハッピーも暫くして
洗い上がった。薫が 上がって来て間無しに 田崎さんはお帰りに成られた。
1/28 曇り。
田崎さんに「川のほとりの美術館」へお連れ頂いた。お昼を回るころ
美術館を出発し 丹南へ向った。
今日は成田佐和子先生を お尋ねする約束に成っているのだ。道は未だ 隅に雪を残していたが
車線には残っていない。風が冷たいのは 車中からも分った。途中から お電話をして道を確認し
進んで行くと 道沿いに車が1台止まっている。山から 現れたように 階段を下りて
成田先生自身が出迎えて下さった。
お宅自体は階段の90段ほど上がった先であった。建物を 下から眺める形で上がって行ったので
薫は覗き込みながら 「凄い!柱2本で支えられている。」と叫ぶ、「高速道路みたいでしょう。」と成田先生。直径1mはあるだろうコンクリート柱2本で
家全体が支えられている。大胆な造りだと思ったが、お宅へお邪魔して更に・・・・。大きな透明ガラスの外には
板張りのテラスでつくばいに氷が張っている。5時近くまでお邪魔して 失礼した。成田先生は道沿いまで出て
見送って下さった。
母の所へ帰る途中、何度か通った山越えの道を通ろうとしたのだが・・・何故か以前
呼ばれたように訪れてしまった八葉寺に迷い込んでしまった。日もとっぷりと暮れており
理由を探さないと結論を出した薫を車に残して、公衆お手洗いをお借りして お寺を後にした。
帰って見ると 美術館でお会いした方が ご自分の作品を届けて下さっていた。お近くにお住まいで母とも面識があり
家もご存知であった。「作品を貰って頂きたいので お母さんの所に 又何時か
お届けしておきますよ。」とおっしゃっていたのだが、お昼過ぎに届けて下さったと言うのだ。驚いてしまった。大小沢山の
大変個性的な焼き物が届いていた。
1/29 晴れ。帰山。
お昼前に薫は 散歩に出かけた。風は冷たいが 日差しは温かそうである。少々時間がかかり過ぎではないかと思い
様子を見に行くと 丁度 「飾磨郡と姫路市の境まで 行って来た!」と 帰って来た。路肩の日陰には
霜が残っていたそうだ。
午後、母と買い物に出掛け 田崎さんの所へ竹紙を分けて頂きにお寄りして 夢前を後にした。
SAごとに休憩を入れながら、快調に帰山。
1/30 曇り一時小雨。
少林窟道場へ留守中の 連絡事項等々に出かけた。
薫は 婚約して沖縄に移り住むと言う友人の 出発前にお祝いするのだと 会の予定を立てる為に連絡をとっていた。町内の定例行事の中に人生の区切りにお祝いするシステムがあり、薫は初老に当たり
これの為にも連絡等など 活発な活動をしていた。
午後から 静かな薫の様子を覗くと母に長〜い手紙を書いていた。発送は明日に成りそうだ。
1/31 晴れ時々曇り。空気は冷たい。朝方、快晴の空から雪がチラチラ舞っていた。
庭の草取り、掃除。薫は洗濯に精を出していた。
少林窟道場へ 信徒さんがお持ち下さった お米、野菜を届ける。