3/1 晴れ。うららかな1日。
「薫へ
今日は午前中、不動産屋さんに綾の町を案内してもらった。見せてもらった土地(と言うか、山)は、全く検討するに値しなかったけれど、彼が手がけた物件をいくつか案内してくれ、(彼はかなりのやり手と見える)不動産から見た綾の様子を教えてくれた。お年寄りたちは、バブル期に提示された金額が頭にあるから、どうしても高い値段で売ろうとしてしまうそうだ。今でも綾なら2〜300万円の物件であれば、広告を出すとすぐに売れてしまうらしい。
彼も、竹野は良い所だ、と言っていた。一番自然が残っているし、水、電気等の問題も無い。それに今後、開発されて行くこともないだろう、とのことだ。
綾・竹野の空家午後、もう一度、竹野の空家を見に行った。これだけ崩れるのは、そう簡単じゃないだろうと思う程の崩れようだね。屋根の角はひどく傷んでいるが、中央部分はまだしっかりしているようにも見える。部屋も台所も無茶苦茶な傷みよう、汚れようで、すべてを直さないと、とてもではないが、入って見る気にもならないような状態だ。床は全部やり直しだ。内外の側面は、トタンやベニヤを張れば、きれいになると思う。トイレは汲み取り式のようだったが、不思議なことに汲み取り口が見当たらなかった。近くに今風のプラスチックの便槽が投げてあった。納屋は、屋根が一部落ちているが、手を加えれば立派な禅堂になりそうだ。庭もあるし、畑もあるし、目の前は開けているし、これ以上の場所は無いようにも思うんだがなあ。
その後、黒木さんを再訪した。今日は、奥様もおられた。とてもさばさばした人だ。彼らは、5年前に、会社を辞めて、綾へ仮住まいで引っ越して来て、半年かけて探したそうだ。当初は、こんな山の中にするつもりはなかったが、たまたまこの家に元居た老夫婦と出会い、即座に購入することに決めたのだそうだ。とても丁寧に住んでおられたそうだ。色々な人が、僕たちのように引越し先を探して黒木さんを訪ねて来られるそうだが、あの空家を紹介すると、その崩れように二の足を踏むとのことだ。黒木さんの仲間たちには、まだ売れない陶芸家のような人たちもいるらしく、そういう仲間で、あの家をギャラリーに出来たら、と話し合っているそうだ。ただ、なかなか時間も取れなくて、その話は進んでいない、とのこと。
色々と話をしている内に、ニワトリに餌を与える時間になったので、連れて行ってもらった。菜っ葉くずと、くず米などの穀物が餌だそうだ。菜っ葉を与えないと玉子の黄味が白くなってしまうそうだ。一般的には、輸入トウモロコシを与えているらしい。一年ほど玉子を生ませたら、食肉に回すそうだ。おいしいらしい。この南九州辺りは、鶏肉をとても好む地域だそうだ。
郷田さん宅をお訪ねたが、あいにくちょうどお留守だった。
その時、たまたま隣のセブンイレブンで、トロッコの高屋さんがコピーを取っておられた。あちらが気が付いて、声を掛けて下さった。実は今日お店に行ってみたのだが、休業日だったのだ。
今日は、日中は暑いくらいだった。この町は静かだ。薫とのんびりドライブできれば最高なんだがな。では、お元気で。
              幽雪 合掌 」 

3/2 晴れ。
「薫へ
郷田前町長さんは、一昨日まで一週間ほど出かけておられ、明日からまたどこかへ出かけられるのだそうです。とても取り込んでいて、忙しいばかりでちっとも仕事が進まず、すごく焦っている、とのことでした。それでも電話で、少しだけお話してくださいました。
綾・竹野の空家竹野の空家の話をしたのですが、忙しいとおっしゃりながらも、即 真剣に考えて下さいました。さすがに切れの良い人です。そして「その家であれば傷みがひどく、柱の中まで虫が入っていて、すぐに折れるような状態ではないかと思う。」 というご意見を頂きました。おそらくその家はつぶして新しく建て直さなければ住む事は出来ないのではないか、ということです。
その後、屋久杉のお店へ行きました。昨年、僕たちが訪れた直後くらいに熊本の人が来て、店にある品物をすべて買い上げて行かれたそうです。端切れに至るまで持って行った、というのですから、徹底しています。まだ若いから仕事をやめる訳にもいかないので、また一から作品を買い集めて、裏の倉庫にしていた所を新しい展示場にしたそうです。
今回もご夫妻で親切に応対して下さいましたよ。何も情報はありませんでしたがね。
トロッコでピザを頂きました。美味しかったよ。そして、今日、九州電力の人が持って来た、というパンフレットを頂きました。新しく建設を予定している送電線の理解を求めるものでした。綾を横断するのですが、尾立と竹野の間を通るようです。反対運動もあるようで、九電も綾の為だけのパンフレットも作ったようです。まあ、忠海には既に巨大な鉄塔があるから、僕などはあまり気にもなりませんが・・・。まあ、このパンフレットはとても良い情報源になります。今日トロッコに寄って良かったと思います。
もう一度、竹野へ行ってあの空家をしげしげと眺めてみました。やっぱりこれをどうにかするのは無理があるねえ。やるとしたら、やはり建て直すしかないだろうな、と思います。隣の竹野さんの家からは遠いな、と思ったら、境になっている藪の向こうは牛小屋でした。竹野さんの家はその向こうにあるようです。
では、明日、10時40分広島着です。どうぞ宜しく。
                       幽雪 合掌」

玄関に飾られた木目込みの雛人形・手作りひなあられ3/3 晴れ。ひな祭り。
午前中、広島空港着。薫に出迎えてもらう。
午後、ファックスの修理に来て頂く。修理自体は鏡を掃除すると言う余りにも単純な話であったが、蓋を開ける為には専用のドライバーが必要で通常の物ではネジを外す事が出来ない。また、それを外したとしても 基盤を外す手順を1つ間違うと壊れてしまうように細工がされていた。これでは、メーカーの人でないと駄目だと 販売店が言うのも分る。薫は、決して手際が良いと言えないその作業状況にかなりの不満があったようで 「次回はあの手順で自分でやる!」と言っている。
夕方、少林窟道場へ。

3/4 雨。久し振りの潤いだ。
天候の影響か 来客も 電話もなくいたって静かな1日であった。留守中の分まで 薫とゆっくり過せた。
午後、少林窟道場へ上がり、方丈と暫し会談。
カウンターが2200に乗っていた。

3/5 曇り。
勝運寺さんのお手伝い。
夜、方丈からPCの調子がおかしい、との連絡があり、緊急出動。単に電源を入れる順番の問題だったが、メールの処理をしたり、現在執筆中の教育論の話を読んで聞かせて頂いたりして、かなり遅くなった。

水耕栽培したネギの切り株を定植。3/6 晴れ。すっかり春の陽気である。日差しも強く成って来た。
信徒さんに頂いたネギを食した後、切り株を水耕栽培していたのだが、そろそろ 焼却炉の横の空き地に植える事にした。薫は途中で 「交替!」 と言って作業を投げ出して 屋内へ引っ込んでしまったと思ったら・・・カメラを持って帰って来た。作業が終わらない内から 30cmX60cmほどの小さな菜園場を 嬉しそうに撮影していた。掘り出されたミミズをファインダー越しに見つけ、土に埋めて又 撮影をするシーンもあった。引き続き焼却炉の灰の処分もした。
午後、少林窟道場へ立ち寄ってから、広島へ整体を受けに行く。

3/7 快晴。暖かい。風強し。
明日はお薬師さんなので、準備を進める。
吉信さんと十楽さんがお見えになる。お二人でしまなみ海道へ行かれる前に少し立ち寄られたのだ。

3/8 曇り後晴れ。少し冷え込みが戻る。
お薬師講。お墓の話になり、「山の上にあるお墓でも若い頃は見晴らしが良い、と喜んでいたけれど、今のように杖をつきながら苦労して上ることになるとは思いもしなかった。」とおっしゃっていた。

3/9 晴れ。
河野先生がお見え下さった。
遅い昼食を取っていると、お隣さんが助けを求めて来られた。一昨日 急な腹痛で 苦しまれ、昨日のお薬師講もお休みなさったのに 「今日、お世話に成っている先生の所にご不幸があり どうしても気に成るので その先生のお宅まで行きたので 車で連れて行ってはもらえないだろうか?」と言うのである。昼食を急いで済ませ お連れした。
帰山すると 廣州師が 本山拝登を終えられて お見え下さっていた。暫し 本山の様子などのお話を伺った。
夕方、薫は 種蒔きして来ると畑に出掛けた。暗くて見えなくなったのではないのかと思う頃、大根や たか菜を収穫して帰って来た。「今日のは本当に 大根だったから 収穫の途中で折れちゃった。」と 自慢そうに窓越しに見せている。所で種蒔きは?「暗くなっちゃって 途中で諦めたの。だって、見えないと何処で大事な野菜を踏み潰すか分んないんだもん。危なっかしくて・・・」と笑っていた。

3/10 曇り時々晴れ。
所用で三原へ出掛けた。丁度、お昼にかかり昼食をスーパーマーケットの一角に設けられたオープンスペースで摂ることにした。100人程 座れるように テーブルとイスが用意されたスペースを囲むように 3、4軒の お店が 軒を連ねている。うどん、ラーメン、お好み焼き、ハンバーガー等を扱っており、セルフサービスで営業している。オープンスペースを利用する人は 食事をとる人だけではなく 単に休憩する人も利用している。意外だったのは 想像以上に高齢者が多いことだ。お一人で おみえになって食事をしている おじいちゃんが あちこちに見受けられた。買い物を終えて 昼食をとる人よりも そうした高齢者が多いのに驚きましたが、1日を人気のない自宅で過すよりも こうした場所へ出掛けて来る方が良いと感じる気持ちも分るような気がする。子供連れで お見えの方もあり 次に使う方が気持ち良く使えるように、エプロン姿の方が テーブルを下の食べこぼしを掃き取ったり テーブルに残された物を片付けたりなさっている。システムを理解できず ゴミ箱の上に 食器を置いて去ってしまう人や くつを履いたままイスの上をかけ回ってしまうお子様など 彼女の仕事は尽きない。お昼のわずかな時間ではあったが 人間模様を観察して帰る事となった。

3/11 曇りのち雨。
10時ころから雨が降り始め 終日続いた。時折 薫が 「勿体無いね。こんなに水が上から落ちてくるのに これで水車を回せば だいぶ発電できそうだよ。」と呟いていた。実にそうなのだが、余りにシミジミそう言うので 何だか笑いがこぼれてしまった。薫は 何時も「人が作ったシステムなんて大きいと思っても小さいよね。自然のシステムは凄いよ。」と感心し切って言う。今日も 「この雨水はすっごく遠い所で蒸発して 遥かな旅をして 高〜い所から降りて来る。グル〜と回って来るんだもん。この壮大なシステムを 皆で活用すれば良いのに・・・。」 と独り言のような、語り掛けているような調子で 外を眺めていた。早く 世の中が そんな風に成ると良いね!
法戦式の法問がようやくまとまった。やれやれ4ヵ月もかかってしまった。

3/12 曇りのち雨のち晴れ。
雨上がりの爽やかな朝にはならなかった。向いの森である 八幡神社の朝のお勤めの音や拍手が 非常に近く聞こえるのは 空中の水分量が多いからだろうか?お昼過ぎからは再び春を呼ぶ雨となった。
ティシュペーパーとトイレットペーパーとどちらが経済的か、ということが話題になった。薫は 水溶性でないティシュの方が通常の使用には 絶対良い!と主張、2割位は経済的でもあると思い込んでいる。少林窟道場ではティシュペーパーは 勿体無いと言う事で トイレットペーパーの芯を抜いて使っている。長さを調節する事で 自由な大きさで使えると言う点でも 有利だろうし、第1あの幅が丁度 ティシュの半分折りの大きさ位で 使い勝手が良いと言えると主張しておいた。多分、トイレットペーパーの方が遥かに経済的だろうと思い ちょっと試算してみた。ところが驚いた事に0.2%以下の違いしかなく、どちらでも単位面積当りの価格は変わらなかった。そうなると使用目的に適した方を 無駄なく使った方が良い。通常のティッシュペーパーでは大き過ぎて無駄になることもあるのではないかと言う話になった 。薫は 早速、新しいティッシュペーパーを持ち出して来て 包丁で一刀両断にしてしまった。中身を半分取り出して、箱を左右から組み合せて ハーフサイズの特製ティシュペーパーを用意。「これなら 無駄も無くて 使い良い幅で、しかも片手で取り出せ 水気にも強いから 経済性でも利便性でも劣らない!」と多いに満足そうだ。それぞれが 勝手に思っていたイメージは 実際とは 違い、それをハッキリ把握したお陰で 真の節約ができる事となった。意外な展開ではあったが 試算してみて 良かった!
春の味覚 ふきのとう・天ぷらの材料夕方から雨は上がり 薫は種蒔きの続きや 食材探しに出掛けて行った。駆け帰って来た薫は 「見て見て!」と 手を差し出して ふきのとうを見せ、再び 収穫に出発。結局、ヨモギや 雪ノ下 菜の花 明日葉 烏のエンドウなどが 天ぷらの材料用に持ち帰られた。夕食には 春の味覚満点の天ぷらを 大根おろしで頂く。二人して 「苦しい!」と言いながら 満喫した。

3/13 晴れ。一時、風強し。
お彼岸が近づいた。今日は少し風が強くなったがお墓のドラム缶に溜まった華ガラを燃やして回った。しばらくすると、消防署の広報車が町を回り始めた。「乾燥注意報発令中です。どちら様も火の元の取り扱いにご注意下さい。」気のせいかもしれないが、海蔵寺でお墓のドラム缶を燃やし始めると即座にこの広報車が回って来るように思う。多分、気のせいなんだろう。
少林窟道場へ上がり、法戦式法問や義光老師・大智老尼の法要の件で打ち合わせ。法問については「後は体験だけじゃな。」と、文面の修正はされなかった。もっとも、禅問答はどんな風にも言えるから手を加えていたら切りが無いし、間違いということも言い難いものではある。
薫は、洗濯・掃除・畑と忙しく動き回っていた。

3/14 晴れのち曇り。
義光老師・大智老尼の法要の引き出物の打ち合わせに 少林窟道場へ上山するも方丈はお忙しい。
午後、確定申告と 先般のファックスの修理費の支払いに 出掛けた。
夕方再度少林窟道場へ 今回も方丈はお忙しいご様子で駄目である。結局 明日に持ち越すことにした。
薫は「雨の恵みを極力逃がさないように!」と 落ち葉を履き集めて 畑に運んだようだ。生ゴミを埋めるために 掘りかえした所は 土が出て 乾燥しているのだそうだ。その後 久しぶりにホームページカーペンターをしていたようである。根を詰めてやっていなかったので 今回は発熱の心配はなさそうだ。

3/15 晴れ。夜になって雨が降り始めた。
お彼岸が近づくので終日 墓地所の掃除や華入れ。薫も庭の草取り。
それを知ってか知らずかは 分らないが お隣の方が お昼も夕方もおかずを 下さった。きんぴらごぼう、サラダ、たまごトーフ そして夕飯のシチュー・・・ご馳走様でした。合掌。

3/16 曇りのち晴れのち雨。
お昼前に少林窟道場へ上山。
午後、薫を連れて 横村先生をお尋ねした。最近の鼻の不調は腰からである事が判明。
その後 遅れ馳せのホワイトディーで 食事と買い物をした。確認はしてなかったのだが、最近オープンしたベーカリーの バゲットが丁度 薫の好みの外がカリカリに仕上げたもので 大いに喜ばせる事が出来た。
帰山して薫は 「良く食べたと思ったら、今日 出掛ける前より1.2kgも増えてた。」と言っていた。給水量も多いからなぁ〜。しかし本人は 帰りがけには 「干乾びるから、今度出かける時には 水筒持って来る事にする。」と言っていた。
晴れ上がると暑いほどの日差しだったのに 虹を伴なって降りだし冷たい雨となった。

3/17 晴れ
勝運寺さんのお手伝い。
お華の入れ替え。薫は 掃除がてら落ち葉を集めて畑に運んでいた。「植物だけでなく色々な生物とバランスを取り、どれ位の手を加え どれ位の恵を得るかを見極めるのが難しい。」と薫は言う。だが、色々な状況で それを求めて上手く見つけた人達がいるようだ。最近、合鴨を利用した米作りや 不耕起の田んぼで浮き草やおたまじゃくしから鯉まで 生息させて育てていたりと 大きな自然の流れに乗った農業も始まっている。誰かが色々やりながら それを見つけたんだから、薫だって色々やって見れば良いさ!

3/18 快晴。
お彼岸の棚経に回る。大半は中日以降に回るのだが、お薬師講のおばあちゃんたちの中に今日来てほしいという希望があったので、数軒だけお伺いした。
薫はボツボツと 来月のお花祭りの準備を始めたようである。花御堂を全体を生花飾るのは 相当の労力か経済力が必要で海蔵寺では不可能なので ティッシュペーパー等で造花を作って飾っている。今年の花を作っていた。
車のエアコンの臭いが強いので、先日、防臭スプレーを買って来た。アメリカ製で強力そうだった。今日は天気も良いので、お昼に使用してみた。確かに強力で、気分が悪くなってしまった。細菌が死滅するくらいだから、人間だって只では清まないのだろう。薫は驚いて本堂の端まで飛んで逃げてしまった。車をガレージに入れたまま使用したのが間違いで、屋内までスプレーの臭いが入り込んでしまったのだ。しばらくしてから車は庭に出して、屋内の換気をした。当分は、薫は車には乗れないかもしれない。最近は抗菌とか除菌とかという宣伝文句が目に付くが、人間にだけは安全なのだろうか。大きな循環を見逃してはならないだろう。
法戦式法問の形を整えた原稿ができた。夕方、少林窟道場へ上がり、プリントアウトさせてもらった。方丈の許可を取ったので、他の人達にも見て頂き、ご意見を賜ろうと思う。
少林窟から帰ってみると、薫は庭の草取りをコツコツしていた。一緒にコツコツ始める。日が沈み少し冷気を感じる頃、終わりにした。
薫に法問を見せると直ぐその気になって 問答を始めた。結局、薫 相手に台所で芝居がかった問答が展開された。

3/19 雨。
朝、薫は起き出すなり「作者は、平常心是れ道。乞う尊意。」と問答をしかけて来た。なかなか気に入ってくれたようだ。
明け方から降り出したらしい雨に気が付くのが遅れ 線香立て等を少し濡らしてしまった。
龍昌寺様、桂光院様、田崎さんにお便りを書く。薫は花祭りの造花作りをしたり、案内葉書を書いていた。
檀家さんが遠方の親戚の方も伴なって お墓参りに来られ、お立ち寄り下さった。お茶を ご一緒しながら 暫しお話している内に 「学生時代 心理学を専攻しており 大智老尼にロールシャッハテストを受けて頂いた事があるのだ。」と おっしゃった。そんな事があったと言う話だけは聞いていたが、目の前にいるこの方が当の本人とは・・・。逆に『坐禅はこうするのだ』の話で登場した居士の1人が 私であったと知って 「そうですか!」と おっしゃっておられた。本屋では『続・坐禅はこうするのだ』が中々手に入らず とうとう地湧社から 直接お求めになられたそうだ。そして『禅僧、地球を歩く』を 購入してお帰りになられた。

3/20 快晴。春分の日。
お彼岸の中日。午前中は勝運寺さんのお手伝い。薫は洗濯をしたり、畑へ通ったりと 恵まれた天候を生かして活動していたようだ。
午後、今日のご希望の檀家さんのお宅へ棚経に行く。その間に薫は おかきを揚げていた。今日 晴れたら 川崎居士が お尋ね下さるとおっしゃっていたからだ。
3時頃、川崎居士と横田居士が お見え下さった。お二人共、誠に久し振りにお目にかかった。それぞれに身辺に変化があり、時の流れを感じる。いずれにせよ、お元気そうで何よりであった。4時前、方丈と打ち合わせたい事もあったので 少林窟道場へ お2人をお送りしながら上山した。
帰山すると 薫は畑で 水菜、高菜、大根等を収穫していた。畑にいる 薫は 実に幸せそうだ。

3/21 晴れ。
朝方、気温が若干下がったが 昼間は春霞の出る好天であった。終日、お彼岸の棚経に歩いた。
薫は 洗濯等の他に ガスレンジの掃除をしたり、畑へ行ったりしていたようである。
午後から棚経の途中で 不可解な状況に遭遇した。木の横に タタミ1畳程の草地が 広がった場所が 道から1段下がった所にあり、そこに小学校低学年位の 男の子が朽ちかけた竹竿のような物を 持って何やらやったいた。『どうしたのだろうか。』と思い 脚を止めたら 向こうもこちらを見て 「ボールが入ってしまって取れないんです。」と説明してくれた。ふと覗くと 草地に 白い軟球が見える 「それじゃないのか?ほら、そこ!」と 言うと 「そうなんだけど・・・取れないんです。」と 相変わらず竹で突付いている。『はて?直ぐそこに見えているのにどうした事だろう』 と思い 衣姿にもかかわらず 道から下へ下りてみた。小さいとは言え 少年でも1歩 踏み出せば 難無く届きそうなのだが・・・もしや 金網か 有刺鉄線でもあるのだろうか?注意深く覗き 草履ばきの脚をゆっくりと踏み入れ 衣の袂を気にしながらそっと手を伸ばした。でも そこには何も無く ただ雑草が生えているだけだった。「取れたよ。」と 彼にボールを手渡すと 「ありがとうございました。」と 受け取った。結局、その男の子は 草地へ 入る事が怖かったようだ。草地と言っても 薮漕ぎをしなければならないような深さではない。そもそも タタミ1畳に満たない所なのだ。
帰山後、薫に 少年の事を話したら 「春休みで、お彼岸で、都会っ子が おばあちゃん家にでも来てたんじゃないのかな?」と指摘。そう言えば、広島弁では無かった気もするし 何より応対の仕方が妙に 子供らしくない感じを受けた。それにしても 誰かが草地は怖いと 洗脳しなければあんな事には ならないだろうに・・・。蛇が出るとでも言われてるのかな?と 言うと 「もしそうなら・・・その竹竿で 草を叩いて出てこない事を確かめて 素早く取るって手段を使うと思うけどね。アスファルトの上しか歩いた事が無いんじゃないの?自分が草の中に入る事自体が 彼には論外なんじゃない?」と言い出した。いくらなんでも そんな事は・・・と思いたいが 如何せん あの男の子の行動は理解しがたく、何かが間違ってしまっている気がしてならない。人間も 自然が無ければ 生きられない事を 見失わずにいたいものだ。

3/22 晴れ。春霞。
道育師が法問の 出来ばえを見に来て下さった。お茶を ご一緒しながら 暫しお話をした。現在、竜泉寺の参道が工事中なので 途中から車を下りて歩いていらっしゃるとの事で 「健康に成りますよ。」と笑わせて下さる。薫がお昼を お誘いしていたが 「頂きものの残りもあって 食べなくてはいけないし、午後から しておかなければならない作業もあるので 今日は失礼しますよ。」と おっしゃり お昼寸前にお帰りになられた。「じゃ、サラダだけでも。」と 薫は 海蔵寺の畑で取れた 大根、人参などのサラダを パックに詰めて お持ち頂いていた。
花を開き始めた 白木蓮。庭に咲いた白木蓮を切る薫午後から 薫が 花を採りたいと言うので 手伝いながら 庭の春を撮影した。沈丁花、木蓮、すずらん水仙、ふきのとう 畑を覗けば 菜の花、絹さや、スナップえんどう 等など 春満開と言った感じだ。
その後 義光老師、大智老尼の法事の記念品の準備で 少林窟道場と海蔵寺を 2往復。続いて、郵便局へ。薫は 華を生けかえていた。
夕方、ご近所の方が お魚等をお持ち下さって 暫し 人生相談をしてお帰りに成られた。相談と言っても お話をお聞きして差し上げる位の事しか お役に立てない話しだったが 「聞いてもろうたら 気持ちが楽に成った!」と にこやかにお帰りに成られた。精神的な疲労からか 突発性の難聴に成って病院通いまで なさっている毎日との事・・・早く解決する事をお祈りしながら、薫と2人で 見送った。

3/23 曇りのち雨。
午前中に回覧板お持ち下さったお隣さんが 「今日から明日にかけて かなり強い雨になるよ。」と教えて下さった通り 午後から本格的な雨となった。デスクワーク。
薫は月番のお隣さんを お手伝いして町内の配り物を配って歩いた。その後、郵便局経由で買い物をして来ると 出掛けて行った。12、3才から使いつづけている レインシューズを履き 大き目の傘を差して 元気良く出て行ったのに、帰って来る時は トボトボと しょぼくれて帰って来た。久々に 本格的な雨の中を 歩き レインシューズのもろくなった接着部分から 次第に水がしみ込んで 帰りつくまでには ビチャビチャに 濡れてしまったらしく うなだれていた。濡れるからと思い スーパーのビニール袋に 買ったものを入れて帰る予定にしたのが 更にマズかったようで、途中から ビニール袋が 手に痛かったのだそうだ。登り口に置いて 一旦帰って来ようかと思ったらしいが、天候が悪く 置くところも無かったので 傘の柄に引っ掛けて 抱えるようにしながら 坂を上がって来たと言う。そんな事なら迎えに行ったのに と言うと 更に元気が無くなってしまい その内に眠ってしまった。
暫くして起き出して 夕食の仕度を始めた・・・その後は 何時もの 調子に戻ったようだ。夜には ゴミを分別し 空き缶、ビン、ビニール・ゴミを ゴミステーションまで 2人で出しに行った。

3/24 晴れ。
午前中は黄砂の影響らしく景色が白けている。風も強く ビュービュー音を立て、物が吹き飛ばされていた。
昨日、雨の降り始めを 聞き逃し 濡らしてしまった 無縁塔の お賽銭箱の お手入れをした。薫は余りの風の強さに 洗濯物を干すのを 断念したようだ。
お昼前に 「方丈の誕生日のお祝いを言いたい!」と 薫が 植木鉢を抱えていた。薫を乗せて 少林窟道場へ上山し 暫し歓談。鉢植えの花と一緒に 持参した アラメの煮物を 早速 開けて 味を見ておられた。方丈は いたく気に入り 「こういうのは いくらあっても 良いなぁ〜。」と おっしゃった。薫も嬉しそうに 「1袋 全部戻して炊いたから、まだありますよ。」と 報告、 中身を 移しておいておかわりを・・・と言う事になった。戒尺が鳴ったところで 空の器と 一緒に失礼した。
午後、風は 若干弱まって スッキリと青い空が出た。夜には 又 強風となった。

3/25 晴れ。
風は昨日ほどではない。薫は 洗濯をいそしみ 続いて 風呂の保温用に 蓋の上に乗せている カバーの修理をしていた。
桂光院様からの e-mail に返事を書き 送ろうとしたのだが どうしても送れない。これは どうにもおかしいと思い 電話の子機で確認すると やはりおかしい。電話の異変を探して歩く姿を 見つけて 薫が 「アッ!ご免なさい。多分、犯人は私だ! 黒電話のカバーを洗ったの・・・」 現在ではダイヤルする事も出来なくなった 黒いパルス式の電話に掛けていたカバーを 外しこれも洗濯したらしい。電話であることさえ 忘れ去られたような存在だ・・・しかし、この電話機は 呼出音が響くので 電話がかかった事を 入浴中に知るための呼鈴代わりに いまだ存在しているのである。見に行くと 受話器の角度がズレて 話中状態になっていた。
そこへ、お隣さんが 「こんにちわ!電話を 何度もかけたんだけど ず〜と話中なので 幾らなんでもこんな長電話・・・と 思って来て見たのよ。」と 現れた。ついでに おかずも1つ作って来たからと 肉じゃがを 差し入れて下さった。
土筆午後、止まってしまった時計等の電池を 購入しがてら 薫 念願の 土筆採りに出掛ける。エデンラインは 春のエメラルドグリーンの海に彩られて 最高の景色だった。目的の品を 入手し、いざ土筆採りに!一寸 時期が早かったかな?と思いながら 昨年のコースを回る。「良く見えないよ。止めて、降りて見ようよう。」と薫が 言い出した箇所で 駐車した。下までおりて 土筆を採る薫。半分、諦め気分で フラフラと見て歩いていると チラホラ出ていた。少しだけどあるよ と言っている内に 薫は 水辺まで下りて行き 「結構あるよ。日当りの良い角度のは 伸びてるよ!」と 夢中で収穫を始めた。同じような 角度のもう少し山手に 上がって見ると やはり出ていた。2人は 暫く無言で 距離を開けながら 春の日差しを背に土筆採りを した。薫は 例によって しっかり集めていた。スーパーのビニール袋に しっかり入っていた。「こんだけ採れた。やっぱり来て良かった!」と 大喜びで帰途に着いた。
本日収穫した 土筆の袴。何時もなら もっとのんびり 日が傾くまで 色々収穫するのだが、今日は 来客があるかも知れないので タイムリミットがあったのだ。しかし、丁度良かったと 言う感じがする。収穫物は大概 調理するまでに 大いに手が掛かり 日が傾いてから 帰ると 口に入る頃には 空腹と共に 疲れ果ててしまうのだ。今日は 土筆の袴取りも そこそこの時間に終了し、てんぷら と油いための 2品に なって 食卓を 盛り上げた。収穫の時期も 遅すぎなかったので胞子の 緑色が鮮やかで旬を味わう事が出来た。
薫が 後に成って 「シマッタ!写さないで 食べちゃった。」と 残念がり、 今日収穫した土筆の袴だけでも 写して欲しい言うので 撮影する事となった。

3/26 晴れ。
昨夜半、薫の「雨みたい!」の声に 飛び出し無縁塔の線香立てを 回収。今回は 降り始めたところでした。
庭掃除、掲示物の張り替え。薫は洗濯、繕いもの、リサイクル用の紙類の整理等をしていた。
夕方に薫は畑に 食材を求めに行き 「アスパラガスの初物3本が収穫できた。」と 教えてくれた。そう言えば、片栗と姫龍金花が 「今年もちゃんと出て来たよ。」と 数日前に言っていた。また、そんな季節が巡って来たのだ。
昨日の事だが、土筆の袴を取りながら 薫とお彼岸の少年の話になった。と言うのも 薫は昨日 「ここから歩く。」と言うので、帰山途中の道で下車し コースとしては車よりよっぽどショートカットして帰って来たのだ。その途中に 例の草地があったのである。薫が 「ねぇ、この間言ってた草地って XXの所だよね?」と再度確認を入れたので 「そうだよ。T字路 横の崖下。駐車場に面した所。」と更に限定して答えた。すると どうしても信じられないように 怪訝な顔をしながら 「私が帰る時曲がった こっち側だよね。」と 右手で床を指して聞く 「そうだよ。段差になってただろ。」と返答。目を丸くしながら 長めの土筆を1本 突き出して 「だってあそこの草って これ位の長さだよ。草地って言うより 公園の芝が伸びちゃった位じゃん?」と まだ信じられない様子だ。「だから、道端の草くらいって言ったじゃん。薫の畑の方がよっぽど大草だろ。」との言葉に うなずきながら 呆れかえった様子で 再び 袴取りを続けた薫である。それもその筈、薫の畑の草丈は膝下まあで悠にあり バッタに、ミミズに、テントウムシ、ナメクジ、カマキリ、鳩や雀は当たり前で、トカゲや蛇、カブトムシや蝉の幼虫、最近では目白まで 来ていると言うのだから・・・。繰り返しになるが 幾ら農業のスタイルが変わった、食生活が変わったと言っても 人は自然の営みなしには 決して生きていられない事を 忘れないでいたいものだ。

3/27 晴れ。黄砂の飛散量が多いようで 島が煙ってしまっている。
庭掃除。方丈もお見えになり お塔婆やお位牌を 用意された。薫も お霊膳の準備をして、始めてお見えになる方々を待った。。今日は大阪で1人暮しをなさっていた檀家さんの納骨を行ったのだ。微かなご縁をお持ちの方が 遺骨を持って 上山された。「2度だけお会いした。」とか 「お便りを1度頂いた事があったんだ。」などと おっしゃりながら集まられた ご縁の遠い方々ばかり3人の手によって無事埋葬。ご本人が生前にご用意なさった お墓に納まる事が出来 一同ホッとした安堵感が伝わる法要となった。
方丈は 別の方を空港でお迎えするために 早々に行ってしまわれる予定が、搭乗前にハプニングがあり 1便遅れる事になったとの連絡が入り 時間的な余裕も充分に出来た。皆さん 本当に充実した晴れやかなお顔で お立ちになられた。
3時すぎから ゴミの焼却、苗の移植、塵取りの修理。薫は 畑に生ゴミ埋め、種蒔き、収穫のついでに 草なぎをしていた。時間が掛かっているので 大手越しに 畑を覗いて見た。すると薫は 草取りでも 草刈でも なく、種蒔きに使った園芸ごてを ナタ代わりにして 草をなぎ倒して進んでいた。中々どうして 園芸ごてでも バッサ、バッサと 刈り倒しているではないか。昔、方丈が 幼い薫に竹みつを 作ってくれたので 草原で我流のヤットウの稽古を 積んだらしいが こんな所でも 三つ子の魂が出るようだ。
21日を 読まれた読者から メールが 届いた。親と言う立場から 私達より深刻に 密接に感じておられた。

3/28 雨。
次第に雨足が激しくなって 2時過ぎには雷が 鳴り始め 夕方からは風も強くなっている。春の嵐と言ったところだ。
あんまり鼻の調子が良くないないので、耳鼻科で診てもらう事にした。いきなり洗浄され 「ウ〜ッ」と言っていると看護婦さんが「ハイこれで拭いて!」とティシュを渡され、続いてファイバースコープを鼻に突っ込まれた。頭部レントゲン写真を撮られ、結果は 「腫瘍のような悪いものはありませんね。しいて言えば軽い副鼻腔炎ってところですね。一応 薬を出しとくから呑んでみて、薬が切れたら又来てみて。」との事で 「取り敢えず、吸入して帰って。」と言われた。
薫に 「結果には原因がある訳で、何にもなければそういう事にならないんだから 何が原因なのか聞いて見れば良かったのに。」と半分イヤミを言われた。耳鼻科の先生が この副鼻腔炎は腰からですねなんて言うわけないだろ!それにしても病院と言う所は投薬料で成り立っているのかな?診察と処置を合わせたよりも 投薬の方が高くついているではないか。手元には 飲み方と使い方のみ説明された3種類の 目的の曖昧な薬の束が横たわっている。
病院の帰りに 大型スーパーに立ち寄った。薫が クレープをご馳走してくれた。実は 薫が手作りのクレープを作ってくれた事があるのだが、クレープを作って出しているお店には縁がなく 本物のクレープがどんな物か知らなかったのだ。だから、薫に 「結構、上手く出来るでしょ?」と聞かれた時に 「本物を知らないからね。」と言ったのだ。かくして どうやって薫は 相手の話を聞きとって返事をしているのだろうかと 思うような早口の店員がいる オープンスペースにカウンターを出すお店に 立ち寄る事となった。後で 薫に聞いて見た所、「あの人達が 聞きたい事は決まってるので 別にフランス語でもロシア語でも あんまり関係ないと思うよ。相手のリズムで こう言う事だなと 思って返事したり行動したりしてるだけだもん。」との答えであった。そう言えば、薫がイタリアにいた 十楽教子さんに 「JULYをお願いします。」「分りました。」「ありがとう。」「さようなら。」と言うイタリア語を調べただけで 電話をかけたと聞いた。しかも、その時 彼女は留守で 英語も日本語も出来ない大家さんと 話をして 飛んだ事に すっかり大家さんを 騙してしまったと言うのだ。「替わるね。」か「いないよ。」なら1言の筈だから「ありがとう。」だし、何か言い始めたら何時頃帰るとかだから 「分った、ありがとう、さようなら。」と言うまでと 言うのだ・・・帰って来た教子さんに大家さんは 「イタリア語の話せる友人から電話があった」と伝えたそうだ。「まさか、信じられない。何かの間違いじゃないのか?」と聞き返すと 「だって私の話が 理解できて 分ったわ、ありがとうって言ったのよ!」と大家さんは言ったそうだ。

3/29 曇り時々雨。
風は強い。どんよりと雲が垂れ込め、雨が降ったり止んだりの 1日であった。
朝、薫と本堂の前から 庭を見ると 白木蓮が嵐にもめげず 咲いていた。薫は 「木蓮 全然散らなかったんだね。!」と言うが・・・むしろ散って飛んで行ったと言うべきだ、庭の隅に3枚ほど花びらが 残っていた。あの風で 木の下に散って留まっては いまい。しかし、予想外に多くの花が木にしっかりと残っていた。
薫が 昨日から読み始めたエッセイが 結構面白いからと 朗読して聞かせてくれた。表紙が絵本のような柄だし、題名は 『嫌われものほど美しい』と 余り知的とは思えないので 開きもしなかったのだが・・・まともなエッセイだった。薫が 面白がるのが分る 確かにユニークかつ的確な視点で書かれている。草思社発行、ナタリー・アンジェ著 薫朗読の 『嫌われものほど美しい』 を お茶を飲みながら 暫し聞いた。
デスクワークと決めて 不調で止めてしまっていたヴィア・ヴォイスを 入れた。入れることは 入れたのだが・・・起動させると マイクの認識が行われない。暫くやっている間に フリーズしてしまった。強制終了をかけている途中で それも固まった。
途中で通信機器のセールスマンが現れる。ペラペラのカタログを1枚出して 「今ならとってもお徳なんですよ。」と 説明していたが、余りに 素人っぽいので薫が 「その説明とっても心許ないね。」とハッキリ言っていた。薫の質問に何度か 上司に電話で教えを乞い 「奥さんの方が詳しかったです。」と言い残して帰って行かれた。「頑張って下さいね。」と 薫が励ましながら玄関で見送っていた。今年の新入社員なのだろう。
一旦中断し 少林窟道場へ 郵便物を届けて方丈と少し話をして帰山した。
その後、再インストールもしてみた。だが、どうしてもおかしいのだ。薫は 「全部消しちゃえば?又、別の ものもおかしく成っちゃうかもよ。」と 前回のハードディスクの損傷の件を示唆した。結局、本日は 振り出しに戻る事となった。

3/30 晴れ。
薫は好天に恵まれ 大いに活動。洗濯に続き 畑に ひまわり と カボチャ の種を蒔きに行った。飛び回っていたので 黙って布団を干しておいた。この好天ならコンピューターも ご機嫌が良いかも知れない!ヴィア・ヴォイスを再度入れてみた。しかし、宜しくない。
その間に勝運寺のおばあちゃんから 電話が何度も掛かった。ご様子から 何度もお掛けになっている事を 忘れてしまわれているようだ。畑から 「日差しが暑いくらいだよ。干乾びた!」と帰って来た薫に その事を伝えると ちょっと悲しそうに 「木の芽立ちにはって昔から言うものね。」と1言。間なしに もう1度お電話が掛かる。薫が折り返しで勝運寺さんにご様子をお聞きするお電話をした。一昨日 お子さん達が訪ねて来られ、半日一緒に過されたのだそうだ。お出かけに誘われた時に 「足が弱ってきた。」「手がしびれるようになって、ボタンが上手く止められなくなった。」など ちょっと不調気味のように おっしゃったので お出かけは取りやめに成り ご兄弟の所へ回って帰ると お立ちになられてしまったそうなのだ。本当は ちょっと甘えて 不調だとおっしゃり、皆さんに かまって欲しかったのではないだろうかと 若奥様が推測してお教え下さったそうだ。昨日のお昼には 皆が行ってしまったと 泣き出してお食事をしないと言い出し 奥様を悩ませたのだとも 教えて下さった。薫が 「おばさんも 参ってるみたいだし・・・寂しいだけなら、気分が変われば それで落ち付・・・」と言っている時 又、電話が鳴った。今度は 「寂しい!気が落ち込んでしまって・・・。」と 余りに悲しげなお声で 薫は「分ったわ。じゃ、今から会いに行くからね。」となった。
少林窟道場への 届け物もあったので 2人で行く事にする。届け物を終えて 勝運寺さんへ上がると 何だか騒々しくしていらした。薫が 「おばあちゃん、お出かけのつもりで仕度を始めてて・・・」と 言うので 「じゃ、ちょとドライブでも してあげる?」と ドライブがてら お買い物に出る事にした。スーパーの中を カートを押して散歩する、「何か 食べたい物ない?」と薫が 聞くと「私は好き嫌いが全くないの。何でも食べるし、何でも美味しいのよ。」とおっしゃる。「でも、お店ごと買って行く訳には行かないから 何か決めなきゃ。」と 全ての通路を 見て歩いた。結局 一時間がかりで 惣菜パン、お茶、ヨーグルト、ポップコーン、ワインを購入。気分転換だからと 帰り道で誰もいない海水浴場へ 立ち寄り、ビニール風呂敷を広げて 海を眺めながら 惣菜パンを かじる事にした。1口召し上がった おばあちゃん 「私は腹が減らん性質で、でも食べると 美味しいからきっとお腹が空いたのだ!」と おっしゃる。「そう、じゃ何かもっと食べる?」と尋ねた薫の 言葉に 「じゃ、もうこれはしまっておいた方が良いね。食事が入らんくなるから。」との 反応が帰って来た。そこから 家までの間に 工場があり その向いにレストランが ある事はある。結局、初めて入るレストランで 食事を摂る事にした。「思わんご馳走になるねぇ。」とおっしゃりながら 召し上がっていらしたが、本当に思わぬ展開だったので おばあちゃんには お肉もネギも皆 固くって噛み切れないご様子。薫は ティッシュペーパーを 手渡し、そこへ出してもらう事と なった。明日か、明後日には 脚と顎が筋肉痛になられるかも知れない。
お送りすると 「コーヒーでも」と奥様がお誘いくださり、お茶を頂いて 真っ暗になってから帰山した。薫は 「味付けがとっても濃かった。」と しきりに水分を摂っている。

3/31 曇り時々雨。
目が覚めると 喉が乾いている。やはり、昨日の食事は我々には 濃すぎたようだ。朝の 緑茶が事の他 しみいる感じだ。
薫の 「雨じゃない!」と言う声に 外を見ると 降り出していた。良く気が付いたね?それにしても 最近 薫が種を蒔くと 翌日、雨が降る。
もう1度、ヴィア・ヴォイスに挑む。コンピューターの方の不調としか考えられなくなり、スキャンディスクまでやってみたが、異常は見つからなかった。もう、お手上げだ。「PCドックに入れるしかないのかな?」と薫にこぼした。薫も 「きっとThinkPad は、ヴィア・ヴォイスが嫌いなんだよ。」と 諦めている。
カスタマーサービスセンターへの電話は通じたためしがないので 期待しないでダイヤルする。と、今日は 1度で 繋がった。内容を説明すると、これ又 驚いた事に直ぐに 反応して下さった。「エクスプローラーのお気に入りの件数がどれ位ありますか?」と おっしゃる、「30件以上あります。」 「それのバックアップありますか?」「はい、さっき取りました。」「じゃ、そのお気に入りを消しちゃって下さい。」と 簡単におっしゃった。これが 何とアッと言う間の解決で驚いたとしか言いようがない。嬉しくもあり 薫に話すと 「良かったね。それにしても IBMの方でも 今日みたいな 年度末にヴィア・ヴォイスのインストールなんかやってる人がいるんだって感心してるんじゃない?今日の最初で最後の相談・・・。」と笑っていた。
薫が 21日の少年の話に 下さったメールを序文に UPした。