4月2日 晴れ。日向はポカポカ陽気。
若干の風があるが、外は冬服では暑い程の陽気になった。昼食前に、薫が観音を乳母車に乗せて日光浴させていた。乳母車の中は風も無く心地よいようだ。帽子だけを被ってご機嫌の観音である。
午後から薫は乳母車を押して、郵便局と石材店へ。丁度、桜が開き、観音は春爛漫のうららかな散歩で
実に愉快そうに出掛けていた。
4月29日 朝方はくもり、のち雨。
先日来より、一家で体調を崩し外回りの仕事は随分遅れ気味である。空気が潤いを持ち今日は降るのが確実な様子。有難い!墓地の華がらの焼却が必要だったのだ。小雨が降り始めるのを合図に火を付ける。
体調を崩した話だが、16日に観音を診察して頂きに病院を訪れて、待合室で風邪を拾って来てしまったのだ。しきりに咳き込んでいる人がいたのだが、順番を待って居る身で、その場を逃れるわけにも行かずにいた。診察が終わったとて、自宅のように着替えや入浴が出来るわけではない。観音は空腹を訴え始めるしで、昼食を取ったりしている間に、例の待合室でのことなど忘れてしまった。
すると、3日目から観音はくしゃみを始め、終日ご機嫌が悪い。夜に成って若干の熱を出した。そうこうしている間に親の方も
くしゃみが出て、鼻水が出て、ティッシュの箱を抱えて歩く有り様。花粉症の再来かと思っていたのだが、続いて喉が激しく痛み始める。熱が無いのに、身体が異様に重たい。とうとうダウンした。20日から25日まで、薫と交互に寝込んだ。
その後の風邪の経過は、気管へと下がって来た感じがし、やがて快方へと向かった。体調がちょっと戻りかけた所で、草取りをしに外へ出た薫は
治りが遅く未だに尾を引いて、時々咳き込んでいる。観音の症状は、ほぼ無くなった。幸い、彼女が一番
症状も軽く、治りも早かった。
全く、病院ほど危ない所は無い!待合室などは、病気の陳列館そのものだ。くわばら、クワバラ。皆様も人の集まる場所では、充分
ご注意召され。
5月1日曇りのち雨。
玄関脇のツゲの木の横にある石が真っ黒に変色?近づくと大量の羽アリが石の表面を覆い尽くしているのだ。何処からやってきたのだろう?良く見ると何とツゲの木の中から続々出て来ている。どうも枝が部分的に枯れると思っていたのだが、事もあろうに生木に羽アリが巣食っていたらしい。これには驚いた。建材を餌にすると言うのは良く聞いていたが、まさか生木にまで巣食うとは・・・絶句。ツゲ以外の場所でも発見!寺の護持の為、急ぎ殺虫剤にて出来る限りの駆除。殺虫剤を大量使用したため、風向きを見ながら観音を抱えて逃げ回る羽目になる。その後屋内でも、観音は薬品の流入する部屋から非難して、台所の隅でのお昼寝。暫くは戻れそうに無い。
5月2日 雨。
もう直ぐ、端午の節句。先月末から玄関に華と一緒に生けられているミニ鯉のぼりを持ち出し、季節感のある記念写真を撮ることにした。この鯉のぼりは、薫が昨年作ったもので、1年間きれいに保管されていたのだがそれも後数日の運命のようだ。観音が興味津々なので、薫は生けなおしながら「お節句が終わったらね。」と観音と約束をしていた。
5月10日 晴れ。
屋外から入って来ると観音の声がする。達磨さんの前に座り込む観音を薫が見守っていた。観音は達磨さんに興味が湧いたらしく、しきりに語りかけている。
どうやら人の顔を表したものと、そうで無いものの区別がついているようだ。赤ちゃんと子供、そして大人の区分もあるようで、赤ちゃんの写った写真などは声を上げて喜んでいる。
実は、頭がピンクでチューリップの形をしたぬいぐるみをハウス・テンボスのお土産なのだと観音にくださった方があるのだが、その人形は怖くて泣き言をいい出す。別の経路で頂いた「カエルの皮を被った熊」の姿をした奇妙なぬいぐるみでは、他の遊び道具では見られない乱暴な行動を取るのだ。引っ掴んで床に打ち付け、捕まえて叩いている。その様子を見ていると、このカエル(いや熊かな?)は情操教育に非常に悪いのでは無かろうかとさえ思う。
5月28日 晴れ。気温も上がり汗ばむ陽気。
今月の半ばから口内炎で、食が細くなっていた観音だがやっと食べれるように成った。自分から少しづつ、口へ入れている。
午後、方丈が「久しぶりに」と観音の顔を見に来て下さる。お茶を頂き、その後は
爽やかな五月の風を受けて、観音の視点で しばしの時を過ごした。
少し前から、観音は「ノー」と言う意思表示として
首を左右に振るように成った。別に教えたつもりは無いので彼女が自分で観察して学んだのか、或いは自然発生的にそのように動かした事で通じたので
会得したのかは定かでは無い。とにかく、幽雪も薫も教えていないことだけは、確かだ。彼女が「ノー」を表現するよう成ったのを機に、薫は
以前のように物を指し示す事を止めて、観音に言葉だけで構成した質問をするように成った。それに対して、やはり「ノー」か「ノーでない。」かを伝えようとしている。どうやら、いつの間にかしっかりとした概念を構築しているようだ。言葉だけでなく、仕草やマナー、生活スタイルと言ったものもかなり吸収しているに違いない。
5月30日 雨。
観音は「ノー」の表現を始めてから急に又新しい行動を取るように成った。その1つとして「頂きます。」の合掌を自分でしている。ついこの間まで、彼女の両手を持って手を合わせるようにさせていたのだが、食卓に着席させると自分で左右の手を胸の前に持って来ている。
今日の夕食では、観音が座って少し間を空けて薫がテーブルについた。薫が座りながら「観音、頂きますした?」と尋ねると、首を振って「ノー」と伝える。「アラ、頂きますしてよ。」と言われると、薫に合わせるように観音も自分で手を寄せている。指先を伸ばした状態には成らないが、「頂きます」の合掌と言う動作は確実に理解しているようだ。
6月6日 雨のち晴れ。観音1歳の誕生日。
幽雪の母が、昨日より観音の顔を見に来てくれている。「誕生日には一升餅を背負わすのだ」と大きな餅を作って来た。母の努力に敬意を表して、観音はその餅の風呂敷包みを背負う事に成った。思いもよらぬ出来事に、本人は不安そうな表情を浮かべていたが文化的行事であると理解したのか、途中から真剣な表情で、這い始めた。おばあさまは「泣くかと思ったけど、強い強い。」と、向かってくる観音に大喜び。
「亀の腕立て伏せになるんじゃない。」と眉を寄せた薫だが、グングン前進する観音の姿に静かなエールを送って見守っていた。無事、1歳の祝いの行事を終えた。頑張ったな、観音。お前は母である薫の願い通りの、「芯の丈夫な子」に育っているね。
6月22日 曇り
梅雨らしい天候が続く中、今日はどうにか雨が落ちないでいる。薫は、やっと得た
洗濯物が干せる日なのでそれに付き切りだった。夕方が近づくと観音はもう限界と言わんばかりで、収拾が付かなく成って来た。ここの所、雨の為にこもってばかりで、退屈でたまらなくなったのだ。
その様子に薫が「今から、ウサギを見に行こうよ。」と言い出した。時計は4時を回っている一体
今から何処へウサギを見に行くと言うのだ。「大久野島よ!今から、洗濯物を取り込んで、畑からキャベツを採って来るから
その外側の葉を洗って持って行くの。」 なるほど、5時のフェリーで行けば、島を出る最終便6時20分まで1時間位の猶予がある。ウサギにエサをやるだけなら可能だろう。とは言え何時降り出すか分からない梅雨の最中の外出、しかも観音は初めての乗船と成る。島もウサギも初めてなのだから・・・。薫は支度に走り回った、港の駐車場に車を入れて切符売り場へ「間に合った!」
観音を喜ばそうと、フェリーの甲板から眺めさせるが、浮かない顔をしている。どうやら、風がきつ過ぎ寒かったようだ。到着後、シャトルバスで国民宿舎前まで行く事にした。「港の辺りのウサギは、仕事を終えた調理のおばさんが船に乗る前に餌を与えたところで寄って来ないだろう」とシャトルバスの運転手さんが教えてくれたからだ。
宿舎前のウサギは良く慣れている。キャベツの外葉を持っていると分かると後ろから付いて来る。観音を抱いてベンチに腰掛けてキャベツを取り出すと入れ替わり立ち代り受け取って行く。ある程度行き渡ると、もっと美味しそうな物を探すように袋に手を掛けて来た。とカメラを向けていた薫が「ア〜ッ観音の足!」と声を上げる。見ると餌と迷ったか観音の足を、かじろうとしているではないか。コラッ!「靴持って来なかったのよ・・・失敗ね。」と薫。
そこで切り上げて最終便が出る裏手の港へ移動し、その近くで残りの餌をやる。最終便の出る港は、日に2便しか利用されていないから、ウサギもあまり餌を貰わないようで
多くは集まって来なかった。丁度良いくらいである。
帰りの便は小さな客船で、国民宿舎の従業員や工事関係者の他、収穫物のサザエの入ったバケツを持った地元の人と我々だけだった。夕凪の中を小船は、気持良く忠海港へ入る。「その気に成れば、結構近かったね。又、行こっか。今度は観音の靴も持って!」