澤田さんが下駄を仕上て下さっているところ10月12日晴れ。
澤田さんに観音の初下駄をプレゼントして頂いた。観音の足に合わせて鼻緒を挿げて下さった。観音も興味津々で身を乗り出しては、澤田さんの作業を覗き込む。観音の足は、まだまだその下駄には小さい。それでも、薫がとっさに「下駄の足」と足の親指と人差し指の間を広げて鼻緒を入れる事を教えたら本人も「下駄の足」をしようと努力している。下駄の足に挑戦中の観音仕上がった下駄を眺める観音と薫歩き始めの頃は、鼻緒と鼻緒の間を結び踵に紐かゴムが掛かるようにしてやると、下駄がスッポ抜けないので歩き易いのだと教わった。今はまだ、下駄に足を入れる事ですら容易では無い。暫くは単に「下駄の足」の練習が必要そうだ。

10月18日晴れ。
観音の棚卸の出来る場所も、つかまり立ちの上達と共に増えて来た。最初の内は途方に暮れていた薫だが、最近は観音の満足を見計らって共存の道を探っている。不思議な位、最初から知的満足を得る事が出来た場所には観音は執着しない。ほんの少しでも、彼女が邪魔をされていると感じるような阻止をするとその棚は何度も何度も棚卸の対象に成る。
遊び道具と、そうでない物を分けてサッと取り上げてしまうと言うのが 通常薦められる乳幼児との関係のようだが、今までの観察から それだけでは不十分な気がしている。物を確めたいと感じている時と遊び道具としている時には違いがあるように見える。又、抗議の意味を持ってあえてやっているのではないだろうかと思われる節も少なくない。そうした区別が出来ないと結論付けるのは やや軽率な気がすると、薫はあえて見守る努力をしている。ある物を確めている時は、その物の説明をしてやり、それから それを彼女の遊び道具として渡せない理由も説明する。観音は、こうして充分にその物への理解をしたと思われるものに対して無謀な扱いを殆どしない。但し、こちらが彼女の要求を無視するような状況に成ると、あえてそうした物を取り出す傾向にある。多分彼女なりの抗議の姿勢なのではなかろうかと判断している。例えば、薫のメガネである。最初に、薫はメガネを観音に充分に観察、確認させた。その後、それが母にとって必要で大切な物だと教えて、返却するように求めたのだ。すると観音は、すんなり返却し、母親のメガネを通常、乱暴には扱わない。但し、不快な時間が 少し続くとメガネで遊ぶ、更に時間が経過するとメガネを取り上げる事が困難に成る。
ところが、悪い事に幽雪のメガネに最初に手を伸ばした時にサッと取り上げてしまった。その為か、観音は幽雪のメガネが置いてあるのを見ると さほど意味もないのに、一応 玩んでからでないと放さない。放しても取り戻そうとすると反転して戻って来て更に遊ぼうとするのである。扱いも薫のメガネと比べると乱暴な気がする。
「分別を教える前に、物に対する理解がある程度必要だ。そうで無ければ、自らが判断を下す力をそぐ事に成る」と薫が考えて居るのも理解できる。只、薫自身も 何時 何処から 次の段階を教えるのかを判断できるかどうか 依然として不安なようだ。しかし、今は 危険と直結していない限り、決して取り上げたり、脅して押さえ込む事は正解ではないと 薫は床上1mが崩壊したような台所と居間で頑張っている。現在、薫の目標は観音より賢くなる事だそうだ。

クマをリュックに入れておんぶする観音10月20日 晴れ。
千津子さんが観音にと送って下さったリュックを観察していた観音に、「大事な物を入れて背負って歩けるね。」と薫が言ったら、観音はそれに縫いぐるみのクマを入れたそうだ。その後、おんぶ紐を指し示し、自分がリュックを何とか背に回そうと紐に頭を入れよう試み、薫の助力を求める。クマを背負って読書中の観音背負わせて貰ったら、ずっと担いで回っていた。午後、洗濯物をたたむ手伝いも、夕食後の読書もクマをおんぶしたまま頑張っている。おぶって居る事も忘れているのだろうと思っていたが、リュックに手をかけると 即、「下ろさない!」と抗議の姿勢だ。入浴と睡眠を除いては、ずっとクマをおんぶしていた。

10月21日 雨。
昨日の様子から観音は、これから何処へ行くにもクマをおぶって居ないと気が済まないのではないかと案じていたのだが、充分に背負って納得しようで今日は昨日の執着はない。只、クマはリュックに詰め込まれたままで出してはいけないようだ。

10月27日 曇りのち雨。
勝運寺晋山式のお手伝い。入寺式が夕刻より行われる。
明日行われる閑山さんの法戦式を見学しようと、母と甥が来る事に成っている。幽雪は書記を務める為、全く世話が出来ない。
日も落ちてから、連絡を取ると忠海駅到着後、甥が母とはぐれてしまい 母と薫は観音を乳母車に乗せて捜索したそうだ。甥は途中から道を間違えて進んだらしい。母と薫が戻って来た時には、自力で何とか海蔵寺下の広場まで来て、町内の人と談話をしていたとの事。人見知りする事の無い甥で、兎に角 誰にでも語りかけてしまうのだとの母の話で、その日も町内在住のお子さん達よりずっと愉快そうにご近所さん達と話し込んでいたと言う。本人は全く困った様子も無かったので、ひたすら母が気の毒だったそうだ。結局、薫は到着早々、甥にお説教をしてしまったのだと報告してくれた。

10月28日 雨、後 雨時々曇り。
残念な事に雨天に見舞われ、稚児行列が中止された。とは言え、100名を超えるお稚児さん達は、バスで到着 山門をくぐって本堂へと上がってくる。何とも愛らしい姿に 法堂は華やいだ。
雨の為か檀信徒の参列者は予想以上に少なかった。が、法戦式を目当てに集まって下さった方々が、閑山首座の後ろには一杯に成っていた。総勢50人を上回っていた。
法戦式は、迫力で遂行された。静かな閑山さんの進退、荘厳な雰囲気での三拝、シッペイを掲げ 静寂を打ち破る 法戦の始まりだ。第1問目を仕掛けるのは、勝運寺の若・祐堂くん。上々の出来、 間髪入れず、堂内若手僧侶が方々から次々問いを入れる。珍重、万歳。終わりに近づく頃、「作者は、What is the meaning of "Emptiness, no holiness" ?」 道育師だ!英語の一戦と成った。珍重、万歳。珍重、万歳。そして、閑山さんの声に堂内は又、静寂へと引き込まれいく。三拝、祝拝。薫によると 終わった途端、観音も含め 堂内 皆が緊張していた事が伝わったと言う。全員がホッと呼吸をした気がしたそうだ。
雨で予定が繰り上がったので、急いで 支度をして駆けつけた薫達は カメラを海蔵寺に忘れて来て1枚も記録が無いと嘆いていた。月祥居士、十楽教子さん他 数台のカメラが光っていたから 記録はあるさ。
式は続くが、観音を連れて薫たちは引き上げた。法要に続き祝宴と成る。幽雪も祝宴の途中で失礼させて頂き、海蔵寺へ。母と甥を駅まで送った。
忙しくて買い物にも行けず、何の持て成しも出来なかった上、終始 甥にお説教してしまったと 薫はしょげていた。大丈夫だよ、2人とも喜んでたから。

10月30日 晴れ。
What's up の Whaaa をする観音最近の観音は我々のやる事を、何でもやりたがる。先般の式以来、仏さんの前へ行って合掌礼拝。薫のシステム手帳を引っ張り出し、電話を持ちながら 何やら独り言。障子を開けて出て、閉めたりもするように成った。
今日は、掃除機を掛けたがる観音に薫は パイプを外して短くして譲る。観音は 喜んで、掃除機がけをしていた。
その後も、洗い上げた湯飲みを 接客用の棚に収めようと行った薫を 嬉しそうに追いかけ 茶碗を1つづつ手渡していた。
もう1つ最近頻繁にする事があった。おじ上が教えてくれた What's up? と 大きな口を開ける仕草を、親愛の表現に取り入れている。嬉しそうに這い這いして近づいて来る途中でニッと笑顔を作り、到着後 「Whaaa」と口を開けている。「この吸収力、面白いような、怖いような」と言うのは薫の反応。どうやらあのニッは、目が合うと笑顔を返す薫の真似らしい。

アライグマと語らう観音11月23日 晴れ。温かい日差し。
観音の空想・想像力が膨らんでいるのが良く分かる出来事があった。佐和子先生に頂いたアライグマの湯たんぽ(中身は湯たんぽからタオルに入れ替えてある)を座らせると、その前に行って語りかけ、戯れる。実に楽しそうである。観音には友人の登場なのであろう。

野菜の整理を手伝う観音。11月25日 
冷たい風の中、来客をもてなそうと薫が ネギや大根を収穫して外の流しで整理していた。観音は手伝いたくて、とうとう外套を着込み帽子を被って、乳母車で手伝う事に成った。
ネギの整理を嬉々として手伝っていたが、次の水洗いされた大根に入ると、手も冷え切って、もう笑顔をする余裕などない状況だ。それでも今は、脳がこの新しい回路の構築を続ける事を強く求めているようで、決して止めようとはしない。結局、最後まで薫を手伝った。

懐紙を引っ張り出している観音12月6日 
人が足で立つ事、これは大きな刺激を脳に与えているのが良く分かった。茶たくを磨く観音つかまり立ちから歩行に至ったこの秋から冬にかけての観音の脳のネットワークの広がりは目覚しい。観察力、洞察力、注意力、忍耐力、何もかもが相互に作用し合い、我々の気がつかない我々の姿をそこに映し出してくれる。
一歳半に成った今日は、お茶の道具があるところへ行けば、茶碗を引っ張り出し、懐紙をどうぞと差し出し、茶たくを拭き、全く感心するほど我々のやる事を見て、覚えて、やろうとしている。

12月23日 天皇誕生日。曇りのち晴。日中は気温が上がる。
掃き掃除に挑戦中の観音年末の掃除に追われる我々の行動を反映するように、観音は清掃作業に関心を持ち、手伝おうとする。道具を奪われると仕事に成らないと薫が、観音用の雑巾、箒、塵取り、ハタキなどを用意。彼女なりの年末大掃除を展開中。
草取りを始めた観音・見守る幽雪午後、ポールに絡んだ国旗を直しに出る幽雪について外へ出た観音は、早速ポール付近の草取りを始めた。足元がまだまだ妖しく、草を抜き取ってはこけている。しかし、止めない「中に入るぞ!」と説得しても応じる気配も動ずる気配もなし。とうとう幽雪が上がってしまっても一人で暫しやっていた。薫に救いを求めて来た時には、膝もお尻も砂が付き、帽子や背中にも草が乗って、手の皮もささくれていたようだ。薫に抱えられてお風呂場へ直行、着替えさせられていた。

若松を生ける薫とその側で過ごす観音12月31日 晴
あちこち、手が回らないままではあるが、今年も残す所僅かと成った。薫は「お正月が来ないよ〜」と悪あがきをしながら、正月準備に駆け回っている。
午後、外の流しで正月用の華を生ける薫に付いて観音も出ている。半纏の上からエプロンを掛け、リュックを背負っている。華を生ける観音。リュックから顔を出しているのは、羽根を痛めた天使の人形である。この青い目の天使の経緯を話すと長くなるので止めにする。兎に角、観音は自分が置かれている状況をこの人形で再現し、自分は薫のように支度をして居るのだ。まだまだ、尻餅をついてはこちらをヒヤヒヤさせるのに、本人は人形を背負って外で作業に従事しようと言うのだから参ってしまう。エプロン姿で人形を背負って生け花をする観音しかし、背負われながらも母の様子を観察し、再現しうるところまで成長したのだから喜ばしく思うべきなのだろう。
そして、その観察力と間を掴む技も向上して来た。薫がちょっとその場を離れた途端に、切り外されていた若松の小枝を持って生けに行く。完成させたつもりの薫が、戻って唖然としたのは言うまでも無い。その後も、共同作品をと望む観音に、薫は空き箱と小さな鉢、そして菊と松の小枝を用意して進呈。観音も真剣な眼差しで、生けかえ生けかえしていた。
夕食は年越し蕎麦。薫はお正月が来ないとジタバタしている割には他人の事まで気にしている。1人暮らしのお隣の老婦人の蕎麦の心配だ。薫の電話に「何か忘れてる忘れてると思って買い物から帰ったけど、蕎麦だったわね、今日は。」との事。お汁に、ネギに、蕎麦にと持って薫は駆け出していった。そう言えば、昼間は数の子や黒豆等を重箱のミニチュアに詰めて届けていた。薫らしいと言うべきか・・。
年越しの一坐を少林窟道場へ。帰って見ると 薫の悪あがきは続いていた。「年越しの瞬間は眠っている観音と一緒に居たよ。」と言い訳しながら、まだやっていた。オイオイ、何時までやる気だ?「もう寝るよ!お休み!」