1月1日 元日。晴れ。
無縁塔とお地蔵さんなど屋外の鏡餅は夜が明けてからお飾りする。今年も、アッと言う間に烏が飛来。年に一度なのだが、確実にその日のそれを頂きにやってくる。彼らの行動には最早 感心するよりほか無い。
今年は静かな元日と成った。例年の少林窟道場からのお年賀は、今年は無い。実は、昨年の暮れより悪性の風邪が道場内で猛威を振るい、山内厳戒態勢と成った為だ。と言うのも、悪寒と共に風邪が始まった方丈が、「これはインフルエンザだろう」と危惧されたからだ。インフルエンザから赤ちゃんが脳炎を起こすケースが近年増えており、昨年は40人の赤ちゃんが死亡し、治っても多くの赤ちゃんが脳に障害を残したと知人の小児科医よりお聞きした。本当にインフルエンザであったかどうかは定かでは無いが、道場では往診をお願いしたり、点滴に担ぎ込んだりと重症患者を出したのは確かであった。にも拘らず、山内外の方々の細心のご配慮により、海蔵寺へのウイルスの感染は免れている。感謝。合掌。
午後、こんなチャンスは滅多に無いので、我々の仲人であり、お隣のお寺でもある浄居寺様にお年賀のご挨拶に行かせて頂いた。
夕方、勝運寺様へお年賀に伺う。昨年は観音が寝てしまったので、2日にさせて頂いたのだが、今年はお元日に実現できた。とは言え、会食を共にとおっしゃって下さったのに、東堂様の到着を待つ間に観音は眠く成ってしまい失礼して帰山。本人もギリギリまで頑張っては居たようで、帰途に着くと間無しに眠ってしまった。海蔵寺へ着く頃には熟睡。

1月3日 晴。冷えている。
事始とばかりに、何度となく台風の被害に遭い、古くなって割れ、紐で括りつけて止めてあったスレートを新しいものと取り替える事にした。
午後から気温が急激に下がってくる。作業の途中で暖を取りに、脚立の上から降りて来た程だ。
構造上の欠点も今回直す事にした。結果は台風の後でなければ出ないが、かなり改善されたと思う。その作業に釣られるように、薫も念願の蛍光灯取り付け!外の流しの電灯が朽ちて機能に支障を来たしていた。予てより、使用していない蛍光灯を取り付けようと言っては居たが、実行に至っていなかったのだ。今日は、良い事始と成った。
夜は、早々に止水し、水道管の水を抜く。今夜は冷えるぞ!

海蔵寺境内を探検して回る観音1月5日 晴。
日向は心地良い。風の冷たさもものともせず、外で遊ぶ楽しみを覚えた観音は靴を履いて庭へ出たがる。おぉ、何だこれは?枯れ枝の観察をする手を引いているのか、引かれているのか、庭の探検だ。慣れた所は1人で行ってしまう。しかし、まだ尻餅を付く。まんが悪いと庭石の角だったりする。気を付けろ!気を抜くな!

1月6日 晴。
寒に入ったと言うが、温かい。
今朝から寒行。わらじを着けるのも久し振りだ。

1月8日 曇り時々雪。
雪も積もりこそしないが、気温が低くく風も強い。今年初の薬師講に町内のおばあちゃん達が集まる日ではあるが、今日ばかりはお見えに成るのは危険だと心配せざるを得ない。
薫は頭痛!痛い所に蒸しタオルを当てて手当てをしている。この母の見慣れない行動を観音が見逃すはずが無い!早速、台拭きを頭に載せようとする。薫が「母はキレイなタオルを出して来て使っているのよ!」と言うと、台拭きは置いてティッシュペーパーを取り出し頭に当てている。蒸しタオルを片手で押さえながら動き回る薫の後を、同じ格好で追う観音、母から子へと受け継がれるものは実に多岐に渡っているようだ。
突風に、外の流しの屋根を一部剥ぎ取られた。観音と本堂から外を眺めて居ると、スーパーの袋が何処からとも無く舞い上がって来て、更に山手へと舞って行った。水屋も移動してしまった。先般直した屋根は健在。

1月9日 晴。
昨日お見えにならずに、今日薬師講のメンバーが3人集まられた。お1人は、足が痛くて座れないからと折りたたみの椅子を持ってお見えに成られていたそうだ。それでも、年初めだからとお見え下さったのだとの事。
幽雪は、勝運寺様のお手伝いで、今治へ。忠海港からフェリーで大三島まで渡り、そこからしまなみ海道を行く。思いの外、早い!1時間足らずで今治だった。帰りは、大三島から出るフェリー待ちに1時間。成るほど、これならしまなみ海道を渡り切って、尾道を回ると言う人の選択も理解できる。まぁ良い、港まで来たフェリーを待って忠海へ渡ろう。
留守中のお薬師講はと言うと、今日に変更して下さり良かった。うららかな日差しを受け、コタツを囲んで、5人がゆっくりとお昼寸前までお話したそうだ。
観音もお茶の支度を手伝ったり、ご一緒にお茶を頂いたり楽しい一時を過ごし、「では、又 来月ね。観音ちゃん。」と声を掛けてもらってお別れしたようだ。楽しかったが、疲れもしたようで お昼もそこそこで眠ったらしい。
夕方、十楽教子さんが久し振りにお見え下さった。薫がお願いしていた編曲を済ませ、譜面を仕上げてお持ち下さる。最近、観音が出だしだけ覚えて歌っているお風呂の歌だ。何のかんの言いながら、教子さんのお力添えを頂いて、薫の作詞作曲も4曲が完成。その1つを観音が口ずさむに至ったのだから、見守った価値もあったと言うものだろう。
教子さんがお持ち下さったおでんと有り合わせに麦飯と汁。4人で食卓を囲む。教子さんもおじい様の入院など色々に感ずる所、思う所がお有りのようで、珍しく薫と話し込んで帰られた。

下駄で立つ観音下駄で歩く1月11日 晴。暖かい。
暖かい午後、観音に靴では無く下駄をと薫が持ち出してきた。この3ヶ月で、「下駄の足」も出来るように成った。観音も大喜びだ。歩けるかな?やはり、鼻緒を挟んで歩くのは無理のようで、歩み始めるとすっぽ抜ける。踵を紐で括ると何とか歩けた。が、バランスが崩れると足に力が入って足を縮めてしまう。すると括った紐から足が抜けて又、脱げてしまう。そうこうするうちに少し慣れて、何となく歩けるようには成ったが、一寸でも足元が危ない所では足を捻りそうだ。下駄履きで遊ぶ観音少し下駄に慣れた歩き回る事は、自分から断念したかのようで小枝を拾ったり、砂を掻き集めて撒いたりして遊ぶ。最初のような緊張感は薄れたようだが、自在と言えるまでには、まだまだ時間を要しそうだ。

1月14日。
早朝、先般も薬師講でお見えに成られたおばあちゃんのお一人が他界されたとのご連絡。ご家族が共に家に居ながら、気づかぬ程の静かなお参りだったそうだ。9日にお会いし、「一番お元気そうだったのに」と、薫も驚いていた。
他人事ではない!明日有りと構えて居る訳には行かない。
兎に角、今 亡きおばあちゃんに。焼香、合掌。

1月18日 晴。
大寛慧照禅尼のお命日。方丈もお見えに成り、本堂とお墓で法要を営む。
少林窟道場でも廣州師始め縁のあられた方々が、位牌を飾り、そっと上香三拝して下さったと後にお聞きし、薫がとても感謝していた。

伸びた髪を後で束ねた観音1月20日 曇りのち雨。
寒くなっても、観音はやはり外で過ごしたがる。今日も髪を括ってもらったら自分のカバンを持ってお出かけ。稲荷神社への道参道下の稲荷神社まで足を伸ばす。昨日は保育園より奥にあるお宅の、妙に痩せ型の大形犬を見に行った。日に日に体力も付いて来ているのだろう。兎に角、中に入りたがらない。
今日はお八つも、薬師堂の縁側で頂く。この月餅 で更にパワーアップ!とうとう庭箒を持ち出し、昼食に上がるまで、引き摺って回る。
昨年暮から1ヶ月近く更新できずにいたが、カウンターが上がっている事を薫がとても気に掛けていた。「楽しみにしております」と言ったメールも頂き、恐縮。一気には書けない事も多いが、断片的に綴る。
再三、同じ最終更新をご覧頂いた方々には、お詫びと感謝を申し上げたい。

1月22日 晴。時折、突風が吹く。
午後、大徹師が久し振りに、お見え下さった。
今回は、「青春18切符」を利用してお見えとの事で、3時半にはご出発なさった。
このJRの「青春18切符」と言うのは中々の愛用者数を誇るものらしい。今は以前と違い5枚綴りでの販売に成り、それに伴い「分け合おう青春18切符」と言うサイトが登場。愛用者が半端な数を便利に売り買いしているのだそうだ。大徹師のお話では、欲しいと書き込んで2時間もしない内に、大概入手の目処が立つとの事だった。販売する際も、残り2日!と言うものでも、若干の割引で直ぐに買い手が見つかり、数時間後には自分の手元を離れて行くとの事。薫と2人で「ホホーッ」と感心してお話を伺った。観音は羊羹に夢中。
しかして、この「青春18切符」とはどんなものかと言うと、JRの普通列車に使用当日乗り放題と言うものらしい。特急券等を必要とする列車への乗車は出来ない!(特急券を購入してもである。) 従って、その日の始発で出て、乗り継ぎながら終電まで乗っていても良いと言う訳だ。
お立ちになる大徹師に薫が「どれ位掛かりますか?」と訪ねた。「6時間位かな。乗り継ぎの具合で変わるんです。」とおっしゃる。時には、殺風景な駅のベンチで1時間と言う事もあるそうだ。又、時には、新快速などの良い連絡があり、早い事もあるとの事。
「良い修行に成りますね。」 互いに合掌、低頭。
突風にあおられて物干し場の屋根が一部めくれ上がる。戻すが、又めくれる。風がきつくて話に成らない。

1月26日 雨 時々曇り。
寒行に回っている間は、冬らしいどんよりとしたした空だったが、その後冷たい雨と成った。
観音の前髪が目に掛かり始めたので、薫が切る。以前よりも、ずっと状況を理解し協力的である。が、ジッとはしていてはくれない。「真っ直ぐに成らないよ!」と言いながら終わる。
最近、以前と違い薫が観音を叱る場面が出て来た。観音が理解していない、或いは気が付かなかった、単に興味を持ってやって見たと言った場合には叱る事は一切しない。注意を促したり、教えたりしている。が、しかし、すべきでないと分かっているのに敢えてすると、薫が叱る!
観音が単に、気持が落ち着かなかったり、眠かったりと生理的な不快の表現が上手く出来なかったような時は、そのまま観音を抱いてやっている。観音が半べそ顔のままでも、一向に気にしない。
とは別に観音が思うように成らなくて、もどかしくなって、器を跳ね飛ばしたりもする。そんな時は、叱っている。観音の欲求を先回りしてやってしまっていれば、叱る必要のある事は起きない。だがそれだけでは成長しないと、側で黙って見守っていた薫が限界を見抜けず、したい事が上手く行かなかった観音が苛立ってしまい、けしからぬ行動に出る。結果、叱らねば成らなくなるようだ。半べその観音は、その次に薫が自分のしたかった事を 「○○する?」と聞いてくれれば、それで気持は治まるようで、泣き出しはしない。本当は、叱らずに導いてやりたいのだが、上手く行かないと 浮かない顔になるのは薫の方だ。
小さくても確かに観音には観音の個性も感性もある。分身やコピーではない。彼女の限界や、感じ方を理解しようと思えば、1人の個として 大人のそれ以上に認めて、注意深く観察して行くしかないようだ。

1月28日 晴。
観音が突然に急須にハンカチを被せて、ハンカチごと急須の蓋を摘み上げて アレ?っと言う仕草で急須を覗き込む。何をしているのだろうと思いながら、「お茶だよ。」と言う。ガッカリしたような表情。もう一度蓋を戻し、繰り返す。と、薫が 「アレ?蓋がないね!」と言い出した。何を言ってるんだか?観音は嬉々として急須の中や周り、果ては食卓の下まで覗いて蓋を探す。薫も一緒に、「何処行っちゃたのかな?」と頭を動かしている。何をやってるんだ?と、観音が「ジャン」とハンカチの中から蓋を落とした。エッ?まさか、手品?乗りの悪い観客=幽雪は見捨てたとばかりに、観音は急須自体を持って薫の横まで移動してしまった。もう一度、ハンカチを被せて・・・「ジャン」、今度は運悪く蓋がポロリと自分の足の上に落ちてしまった。絶対に痛い筈なのだが、ここが見せ場とばかりに蓋を指し示す。やっぱり手品なのか!
予想だにしない出来事に幽雪の目は丸くなる。誰も教えていない!手品を見たことも無い!だが、確かに彼女は「消えた。」「出て来た。」と言う不思議さを作り出したかったのだ。彼女の脳は既に、それほどまでに複雑に成ったのか?親の認識の甘さが分かった出来事だった。
夕方、スーパーで買い物をする薫に付いて観音も入る。買い物を終え、「帰ろう。」と言っても納得しない。観音は「花!華!」と言っている。ならばと薫は、華の陳列された前に行き「観音、どれにする?」 本当に花が欲しかったらしい。ナデシコとカスミソウの1束を買ってもらうと、「花!華!」と振りながらサッサと帰途につく。何とも女の子らしいと言うより、この子の遺伝子は確かに女性なのだなぁ〜と感心せざる得ない。