8月1日 晴れ。
山内外の掃除。案内状の発送。
8月3日 晴れ時々曇り。
大瀬さんが、お塔婆を書きにお見え下さる。今年は少しゆっくりと今日から仕事始め。
8月4日 晴れ一時曇り。夕立あり。風強い。
浄居寺施餓鬼供養。方丈、廣州師もお見えになり、幽雪と共に浄居寺へ。
三好さんご一家がお訪ね下さる。「未華お姉ちゃん」、「麻友お姉ちゃん」に大喜びの観音。
夕方、夕立の後に虹が出た。大きく、はっきりとした虹は、多々良大橋の上を越えて島から山へと続く。
夕方、檀家さん達が集まってくださる。大掃除と、お施餓鬼の打ち合わせだ。今年から、平田さんが檀家になられ、嵩さんと共に少林窟メンバーが増える。
幽雪は、勝運寺さまのお手伝いで団地の新亡供養に。
8月5日 晴れ。
勝運寺さまに軽トラをお借りし、最終処分場へゴミを持って行く。帰りにお盆用のお華を購入する。
午後、薫は歯医者へ。親知らずの辺りがだいぶ痛んでいたようだ。週末は、我慢していた模様。薫の行きつけの歯医者の女医先生は、かなり無遠慮なのだが、薫とは相性が良いようである。「今日もかなりゴジゴジされた」と行く時より痛そうにして帰って来た。助士の方が「楽に成りましたか?」と訪ねると先生の方が、「今、相当やったから来た時より痛い筈よ。これで腫れが引く筈だけど、引かなかったら又来て!」とおっしゃったそうだ。薫は「多分、その内に痛くなくなるから・・・」と言っている。しかし、顔がゆがんでるよ。
8月6日 晴れ。原爆記念日。
大瀬さんがお塔婆書きに来られる。午前中のお茶の時、出したお菓子・梅酒ゼリーを観音も食べる。その後、顔が異様に赤くなり、目の周りまで赤くなっていた。どうしたのかと思ったが、どうやら梅酒ゼリーが原因だったようで、ほろ酔い気分になった様子。昼前に眠ってしまった。薫も呆然。
江尻博士より、先月の思い出一杯の手作り暑中見舞いカード、写真等が届く。その見事な作品に薫も観音も感激している。
夕方、観音と散歩で浄居寺さまに行く。黒っぽい縞のネコだけ残っていて、元気よく走り回っていた。
8月7日 晴れ。
観音が台所を大きなバッタが歩いているのを見つけて喜んで追いかける。特大サイズ。最近、「ハナ・カレタ」「オオセノ・オバアチャン・カエッタ」と言った発言が出来るようになっている。
観音が午睡で30分ほど眠ったところで、何かの行事を知らせる花火が上がり、びっくりして目を覚ます。夕方、薫と観音が箸袋の準備をしていると、再び花火が上がる。昼間に飛び起きた為か、怯えて薫にしがみついていたようだ。日が落ちる頃、裏山の方から炭鉱節が聞こえ始める。どうやら老人ホームで催される盆踊りを知らせる花火だったようだ。
8月8日 晴れ。
お薬師講のおばあちゃんたちは結局、だれもお見えにならず。
お墓の華入れ。華が、かなり不足する。夕方、方丈にお話しする。「近くで取ってみよう」と言われる。
観音は洗濯バサミが自由に使えるようになっていた。今日は、「2歳」のVサインが何とかできた。嬉しさのあまり笑い転げてテーブルの縁で頭をぶつてしまう。
8月9日 晴れ後曇り。夕方から夜にかけて小雨。
朝8時頃から、檀家さん方が、山内の大掃除におみえくださる。薫もカーテンや座布団カバーを洗い上げて、脱水雑巾を作ってスタンバイしていた。座布団カバーのアイロンがけや、カーテンの復旧、窓ガラス拭き、庭の剪定、隅々の庭の手入れ、畳の拭き上げまでベテラン主婦を中心とするパワーと技で仕上げて下さる。
猛暑の中、ありがとうございました。合掌。
8月10日 曇り後晴れ。
幽雪、竜泉寺施餓鬼供養。午後、初盆の供養などに出かける。
薫と観音は明日の準備に奔走。予定以上に進んで居ないと、薫は必死の追い上げ。観音も出来る事を一生懸命に手伝ってくれる。
8月11日 晴れ。
海蔵寺山門大施餓鬼。早朝より、皆様のご協力を得て、何とか終える。
方丈、風邪気味。法話にも、その後の点心にも、活気が無い。平田さんを始め皆さん随分ご心配下さる。
観音は平田さんのお嬢さん・桃子ちゃんや十楽教子さんと遊んでもらいながら、頑張る。法要後の点心の時、四方八方から当たる扇風機の風が嫌だったのか眠ってしまう。何とかと言うに相応しい状況だったのだと薫。実は、ひどい頭痛になって吐いたとの事。肩が凝って脳に血が回らなくなったらしい。教子さんが発見して、暫く肩を叩いて下さったら脳が呼吸をした感じがしたと言う。
当山が終了したところで、方丈が勝運寺の奥様とお約束していた勝運寺裏山の刈り込みが済んでいない事と方丈の風邪が心配になった薫は、教子さんがお手伝いくださっている間に、勝運寺の裏山の片付け飛んで行った。観音は、教子さんとお隣の浄居寺さまへ猫を見に出かけたり、草摘みをしたりして待っていた。
上法事、施餓鬼に引き続き、納骨の墓経と干からびながら飛び回った幽雪は、流石にダウン!明日からの事もあると皆にいたわられる。
8月12日 未明に激しい雷雨。日中は曇り時々雨。
雨が降り出した時、観音が起こしてくれて窓を閉めて回った。
廣州師にもお見え頂き、棚経の先を決める。
幽雪、終日棚経。薫と観音は昨日の片付けと、来客の応対。
8月13日 晴れ。
幽雪、夕方まで棚経。
夕方 幽雪が戻ると、観音はずっと浮き輪を持って楽しみにしていたが、水遊びに付き合っている時間も無くお盆を過ぎてからは海で泳ぐものではないと昔の人は言っていたから、これから連れて行ってやりたいと薫が言い出す。5時過ぎ、薫は観音を海に連れて行く。観音、初の浮き輪だ。潮はかなり引いている様だから、何処へ行こうかと悩みながら出て行った。
痩せているので、他の子よりずっと早く冷たくなってギブアップしたと帰ってきたが、観音に楽しかったかいと聞くと「海、行く!」と嬉々としていた。おそがけからだったけど、良かったじゃないか。持ち帰った小石はメダカの水槽の底に沈む。
8月14日 曇り後晴れ。。
数本あった朝顔もお盆の準備で、雑草よろしく処分されていた。木陰で生き残った1本に今朝3つの花が咲いているのを発見して、早速に観音と薫は記念撮影をしたそうだ。
お昼過ぎまで、勝運寺さまのお手伝い。
帰りにお寄りすると、方丈、夏風邪からお腹の調子も崩されたとの事。依然優れぬご様子。
昼食後、お約束のあった棚経の続き。
夕方、今日も薫が観音の海。今日は若干潮があるのでと近場へ行った。
2人とも、くずきりのような透明な生物に刺されて帰る。薫は、腕、手首、足首とあちこち刺されてようだ。腕のは、水面から持ち上げたので、思いっきりやられたようだと言っている。真っ赤に成ってかなり酷い。薫は「観音が刺されたのではなくて無くて良かった」と言っていたが、よく見ると観音もふくらはぎをやられていた。騒がなかったそうだから、大した事はなかったのだろう、これから痛みや痒み、腫れなどが出なければ良いが・・・。
お土産は、石、砂、海藻など、波打ち際で拾って来たようだ。観音の小さなバケツは一杯だ。石や砂の一部は昨日同様、メダカの水槽へ。
8月15日 晴れ。
朝から、薫が目を丸くして、メダカが産卵しているみたいと騒ぎ出す。透明の卵らしきものを、数個腹に付けて泳いでいるのが2匹いたと報告。「同じ水槽に雄と雌がいなければダメだよね。」と心配している。そうだろうね。「卵も稚魚も成魚が食べちゃうって聞いたけど・・・、教子さんは子メダカと卵は成魚の水槽から分けて救っていると言ってたわ。どうしよう?」と飛んだ騒ぎが始まった。ま、自然界ではそのままなんだから心配するのは止めたらどうだい。
幽雪、薬師寺さんの施餓鬼のお手伝い。
午後2時、薫の高校の先輩、松原氏がバイクで到着された。漫画家としても人生の上でもスランプなのだそうだ。そんなお話しに薫が、「帰って来たら?」と申し上げたそうで、結婚式に出席くださって以来の帰省と成られたようだ。
午後4時、山本敬子さん来山。幽雪、途中で帰山するが、再び勝運寺様の新亡供養のお手伝いに出向く。山本さんは、薫達と松原氏も交えて夕方までお話しされる、道場へはお盆だしご迷惑だろうから遠慮するとおっしゃたので、薫が方丈に電話を繋ぐ。方丈が、「遠慮はいらない、寄りなさい」と言われたと、道場へ向かわれた。
8月16日 晴れ。
今朝は、メダカのメスだろうと思われる3匹ともが産卵。薫、終に水槽代わりの海苔の瓶を3つに増やす。
薫の洗濯魔が始まる。「先輩!バイクで移動中に来ていた服が真っ黒でしょ!全部、洗濯に出す!!」と薫が松原氏を追いまわしていた。
午前中、松原氏がお盆でお忙しいとは伺っていたので、お手伝い出来る事があれば・・・とお申し出くださった。お手伝い頂き、フライヤーの移動、フライヤーの設置されていた場所のコンクリートに落ちていた油染みを落して下さる。
お昼から幽雪、勝運寺さまの施餓鬼のお手伝い。これで一連のお盆の行事は終了だ。
3時半過ぎ、十楽教子さんがお見えくださる。夕食をご一緒する。
8月18日 曇り。
庭にトンボがたくさん飛ぶようになった。観音、網を持って大喜びで追いまわす。
松原氏、網戸の張替えに挑戦してくださるとのお申し出、ありがたくお願いする。観音も、手伝いたくて仕方が無い。
使用中の道具を中々譲ってくれない母・薫とは違い、松原氏は観音が道具を奪っていくのを容認してくださるので、観音は上機嫌で真似ている。
夕方は、墓地所の華ガラ等の焼却処分をお手伝いくださる。大いに汗が出た。
8月19日 晴れ。
朝食の続きで、松原氏と薫が 摂取を必要としている状態と過剰な摂取をしていて不必要状態による味覚の変化について討論?論戦?観音と幽雪を気遣ってか、松原氏がやや遠慮がちで不利な攻勢。幽雪が観音を連れて、庭へ出る。再び、熱が入っていた。2人とも、正面切っての討論は嫌いで無いと言うだけあって、最終的には、落ち着くところに落ち着いた模様。松原氏「要するに、食生活を正せと言いたいのだろ?」と、薫の意図するところを突いたらしい。
お昼前から、松原氏外出。後でお聞きしたのだが、居候としては朝の一戦が「昔の状況じゃないのに、まずかった!」と感じ、居場所を失った気がしてお出かけに成られたのだそうだ。薫の方は何事も無かったように、いたってケロっとしていた。
午後、道育師がお見えくださる。実は、薫が先月カスピ海ヨーグルトの種を知人に頂き、育てており、自分で納得が出来る育て方が出来るようになったと言うので、ご連絡差し上げた。ご都合が色々とおありだったと言う事で、今日いらして下さった。
薫が初挑戦で作った自立できないババロアでご一緒にお茶を頂く。
8月20日 晴れ。
気温がぐんと下がる。秋の気配。
雌メダカ3匹は連日産卵しているようだ。半分に満たない数しか見つけられないので、しっかり食べてしまうのだろうとの事。
午後、皆天居士お見え下さる。ご長男、侃才くんのお写真をお持ち下さり、皆で拝見。半年遅れで生まれた観音の日常とあれこれ情報交換させて頂く。子供向けのビデオについて、どうしても静かにしていてもらわねばならない時
子守りをしながら教えてくれる番組として利用しているお話をお聞きした。ここでは、テレビも薫が取っ払ってしまったままなので、ビデオやテレビは観音の日常にはない。確かに、あの食い入るように画面に釘付けになる様子を思えば、利用するようになるのかもしれない。お話を伺い益々、ビデオのお世話に成らずに育てて行きたいと思う。
松原氏のお手伝いを頂き、畑の枯れた草焼き、夕方には鍬で耕す。網戸ももう一つ修理して下さる。
8月21日 晴れ。空気が澄んでいる。気温も湿度も下がっているようだ。
松原氏、色々思うところありで明日は発たれるとの事。
十楽教子さんが再びお訪ね下さる。「夕食をご一緒に」と薫が申し出ると、「是非」とお受けくださる。準備が始まったところで、松原氏が白滝山頂に上がった事が無いと分かり、「どうしても、あの場所へは行くべきですよ。」と教子女史。先生の創作意欲をUPさせるには必要と、教子女史が松原氏をご案内なさる。
戻られて、遅い夕食。風がひんやりとして来たので、水炊きともしゃぶしゃぶとも付かないような鍋は好評。幽雪と観音は先に退散。3人は、昔話を含め大いに語らったとの事。
8月22日 晴れのち曇り。
随分しのぎ良くなった。気温が下がり、空気も澄んでいる感じだ。
昼食後、松原氏出発の準備。観音も、禅語の冊子を持ち出したり、猫の絵を切り抜いたりして「先生、どうぞ」と差し上げる。「ありがとう。じゃ、これはお守り代わりにここに入れて行こう」と、タンクバックの上部の透明ポケットに猫の絵を納めて下さった。
線香を焚き、本堂で、ご挨拶をして、いよいよご出発。「乗らない人にはうるさい物ですよ。」とバイクの事をおっしゃっていらしただけあって、エンジンをかけずに下って行かれる。姿が見えなくなる頃、バウゥーとエンジン音がし始め遠くなって行った。観音も見送りながら「松原先生、帰っちゃった。」と一言。道中、どうぞお気を付けて!
いらっしゃる間は、女性の来客と違いあまり寄り付かなかったのに
お帰りに成ってしまうと「ここ、松原先生」「松原先生、お茶」「松原先生、茶碗」「松原先生、どうぞ」と延々「松原先生」が続く観音。時々、お泊り頂いていた部屋を覗きに行き
「松原先生、いない。」「松原先生、バイク、帰っちゃった。」と言っている。
薫、早速 シーツやブランケットなどを洗濯。「ありがとう。何だか気が抜けたね。」と一週間を振り返る薫。お盆中から続いてだったからね。お疲れ様。
観音、久しぶりに湯船に使って入浴する。
8月23日 曇り一時雨。涼しい。
松原氏より無事到着のご連絡あり。ここ1日、2日で急に気温が下がったったので案じていた。途中で、「後500キロ、やれやれ」とのメールを下さっていたが、観音のお守りが良かったのか?薫の食事が良かったのか?それとも薫の元気に当てられたのかな?と松原氏。「気が抜けるほどスンナリ走り切れてしまった。」との事で、夜中に到着されたようだ。
金槌を使ったら観音も使いたがる。薫が木っ端と釘を持ち出してガンガン打ち付けて見せ、観音にもさせる。結構正確に釘の頭を叩く。観音、お八つに茹でたトウモロコシを自分で持って齧る。
8月25日 晴れ。また暑さがぶり返す。
沖縄の人と成った薫の入院仲間・仲地さんよりご連絡があり。昨年ご出産された長女の「ゆめちゃん」を連れて帰省なさっているとのご連絡で、薫は観音を連れてお訪ねする。
幽雪、お盆の為に移動したままに成って未だに戻せずにいたものを、移動復旧。
観音は初めて自分より小さいお子さんと遊ぶ。要領を得ず、随分とおとなしかったそうだ。思えば、こちらからお訪ねする事も多くないので、その緊張もあったのだろう。帰る頃には、ボーロを食べさせて上げたり、一つのコップに両側からストローを入れてお茶を飲んだりと、少しずつお姉ちゃんらしいところを発揮したようだ。
仲地さんのお母様が、自家製の野菜などなど持たせて下さったと大荷物で帰ってきた。「急だったけど、出かけて良かった!」と薫の感想。
夜、元渓師からお電話有り。雪渓老師の話から、仏国寺さんの話、沖縄の話、ダンテス・ダイジの話など盛り沢山にお話し下さった。
8月27日 うす曇。蒸し暑い。
薫、観音のお昼寝を見計らって、先日お約束したからとカスピ海ヨーグルトをお届けに上がる。ついでにと別の方々にも便を利用してお届けして回ったとの事。お1人は、2ヶ月程前に、ご友人に「ピロロ菌にも効く、容易には手に入らないヨーグルト菌だから」と頂いたのだが、途中で取り扱いを失敗しダメにしてしまったのでお困りだったのだそうだ。「下さった方の説明から、凄く貴重で私が勝手に人に分け与えて良い様には思えなくて誰にも差し上げて無かったの。それがきっと良くなかったんだわ。」と後から入手した薫が差し上げたので、後ろめたそうになさっていたとの事。
「差し上げれば差し上げたで・・・、差し上げなかったと後で分かったらそれも又・・・、何だかヨーグルト絡みで人間関係に問題が出かねないわねー。」と帰って来てから溜息をこぼす薫。結構な代物かもしれないよとあるサイトを見せると、薫は「そんなに人気があるなら、お薬師講の日に配布しますって言おうか。段々お薬師講のメンバーも減っちゃたし・・・。」口では言い表せないような面倒で大変な作業だってそのサイトにも書いてあるよ。「じゃ、実費じゃなくて実労!草取りして、掃除して、さらにお薬師講に参加して、お茶する。すると、ヨーグルトが出てくるってのはどう?」と、言って大笑いしている薫。
サイトによるとカスピ海ヨーグルトの種を求める人が殺到して処理不能に陥ってしまうとの事。それは困る。薫に下さった方及び、差し上げた方々の一部のお名前はご迷惑が掛からぬように記載から外す事にした。急ぎデスクワーク。
8月28日 晴れ。
一ヶ月以上まともなホームページの更新が出来ないままに成っていたが、カウンターが9900を超えていた。200以上増えている事になる。
それと無く更新を求めるメールも頂いており、兎に角
更新する事にする。
8月29日 晴れ。
幽雪の母が体調不良が続いて入院したと昨日知らせがあり、幽雪、急遽見舞いに行く。夏風邪と蓄積疲労によるものだろうとの事。血液検査から感染症を示す値が高く出ているので、兎に角
抗生物質の点滴を施しているとの医師の説明を受ける。本人も「2、3日ここで静養する」と言っており、その辺りで話しが落ち着いているようだ。夕方、帰山。
薫は観音と一緒にできる作業を選んで、一日共同作業をしていたようだ。帰山すると、洗濯を始め、郵便物の製作・発送、枕の修理だの、ゆかりの粉砕、植物の世話、と観音も自慢そうに
本日の活動報告をしてくれた。
観音が 夜、花火をしたいと言い出し、幽雪と一緒にする。
本日、3匹のメダカの稚魚が孵ったとの事。10日ほどで孵ると聞いたけれど、幾つも卵が白く変色し消えていくので、実は無精卵なのでは無いかと薫が案じていたが、子メダカが泳ぎ始めた事で、心配が消えてようだ。ボウフラより小さいとの事。
8月31日 曇り一時雨。
台風の影響があるようで、時折突風。
薫曰く、子メダカが10匹に成ったとの事。この状況で良く数えられたものだ。稚魚が瓶の中を泳ぎ回る。
雨を生かして、薫が観音の服を作っている。「襟の形を、盗作」と言いながら作っていたが、何処で長さを合わせるのか分からないとの事。オイオイ大丈夫か?「盗作したけど、全然違うからこれから、写し取った事もわからないわ。」と笑わせる。一回、教科書に成るものに沿って作ってみたら分かるんじゃないのか?「そうかな?服の作り方って言うと、人がこれの通りにするとこれが出来ますって言うのを書いてるだけで、作りたい形に作るにはどうしたら良いかなんて書いてあるの見たこと無いよ。作りたくもない形の物作ったってしょうがないもん。」でも、作りたい形が作れないだろ?「そうだよ。」とふてくされている。でも、出来上がった作品は諸所に失敗はあるものの、全体のスタイルは思い通りに成った様でご機嫌になった。観音も大喜びで、モデル。「写真が終わったら、一回洗うからね。」と早くも洗濯魔登場である。
夕方、山本敬子さんがお見えになる。竹原の花火が県下でこの夏も最後の花火なのだとの事で、一度ご覧に成りたいと思っておられたのだそうだ。ご友人とお見えになる予定が、ご都合が合わずお一人に成られたと早目にお見えに成られた。ご夕食をご一緒する。
十楽教子さんも花火は見たいがお連れがいないとおしゃっておられたのでとお知らせすると、合流された。車は困るだろうと、お二人とも車を置いて6分間の電車の旅。
途中で、結構な勢いの通り雨。薫は、お2人ともずぶ濡れになられただろうと心配していた。終わりましたとメールを下さって暫くすると、薫は電車の時刻を知らせながら、ご様子を伺う電話をかけていた。丁度、屋台の屋根の下に居た瞬間に雨が来て難を逃れられたのだとお二人の強運振りを知り、薫は安心していた。
遅いからと、直接車へ向かわれたお二人から、後にそれぞれ「花火も良かった、話も楽しかった」とメールが届いた。来年のお約束も為さったご様子。