平成15年 1月1日 曇り。朝方の気温1度。
観音、9時頃に起き出すも具合が悪いらしく抱っこしていると眠ってしまう。そのまま昼前までストーブの前で寝る。風邪を引いたようだ。ちょうど体温が下がっている時は、ストーブの前で自ら睡眠を取って調節していたようだ。
正午、方丈と共に少林窟道場の皆様が、新年のお勤めにおいで下さる。本堂、薬師堂で読経の後、新年のご挨拶、続いて会食。例年の如く、薫の黒豆、なます、ぜんざい、雑煮、大根の刺身などなど。おとそもすすんだ。5時まで。
観音は後半は退屈したのか、タバコの煙が嫌になったのか、外へ出て遊ぶ。
5時から、すぐに準備して勝運寺さまへご挨拶に上がる。皆さんと会食。
観音はタバコの煙が嫌でしばしばオシッコがしたいと言って、抜け出す。その内、疲れもしたようで、終わり頃に薫に抱っこされて眠ってしまう。
帰山してもそのまま眠り続け、本寝かと思ったが夜中に目を覚ます。オシッコのためらしい。それから起き出して、夜中の1時頃から入浴させる事になった。ややぬるめのお湯にしたが、それが良かったのか、それから眉がきりっと上がって体調が良くなって来たようだ。すぐに寝た。
1月2日 晴れ。朝方の気温0.5度。
午後3時頃、閑山さんを少林窟道場へ送って行く。書庫を拝見する。「女人禅」を見つける。
夜、祖玄師が、CDの裏面の説明書きは本当にこれで良いのか、と問い合わせて来られたので、方丈にもう一度確認するために出向こうと思い
8時頃にお電話。今日は、伺わない事にする。
1月3日 雨。底冷えがする。朝方の気温2度。
午前中、町内の亡くなった方を見送る。葬儀もせず。浄居寺の奥様が心配されて電話して来られ、幽雪がお経一巻だけ読む。
午後、少林窟道場へ行き、方丈に「女人禅」をお見せする。
その間、観音はミィハンさんと「魔女の宅急便」を見ていた。薫は活動が出来て、大助かり。
観音、8時頃眠ってしまう。そのまま本寝。
幽雪、身体が芯から冷えてしまって、寒気が取れない。単に底冷えがするだけか。
夜、閑山さんが、荷物を取りに来られる。
1月4日晴れ。
朝方、芝生の上などに薄っすら雪が残っていた。日中も一時小雪がちらつく。寒風強い。
午前中、観音と共に少林窟道場へ。義光老師、大智老尼の履歴書等が入った重要文書の紙袋を紛失してしまっており、どこに忘れて来たのか分からなくなっていた。2日に少林窟道場の食堂か書庫で忘れたのではないかと思った。書庫を探したが無かった。ちょうど祖玄師が老尼のCDを作って持って来ておられた。
帰ってからも再度、海蔵寺内を探し回ったが見つからず。観音に尋ねたら「燃やしちゃった」と言う。仰天。薫に尋ねたところ、確かに同じ位の大きさの封筒が焼却されていた。が、その封筒は郵送された宛名シールが付いていたとの事で別ものと判明、脱力。
後で電話で確認を入れたところ、既に方丈の元に戻っていた。どうやら、道場の食堂で忘れていたらしい。安心した。
夕方、閑山さんお見えになる。実はミィハンさんと回転寿司を体験しに行こうという話になっていたので、観音は待ち切れないで、しばらくぐずる。昼寝をしていないので、眠いこともあったようだ。
6時過ぎから回転寿司を目指して行く、だが満員。しばらく待つ。観音は喜んで、コンベアから皿を取る。
観音、疲れたようで、帰りの車中で眠ってしまう。9時頃。そのまま本寝。
1月5日 曇り。
冷え込み厳しい。朝方の気温0.5度。バケツの水は厚い氷が張っていた。台所もストーブ一台だと室温12度程度にしかならない。
未明4時頃、観音は2度、水が飲みたい、と幽雪を起こす。
昼前からミィハンさんは出かける。夕食は少林窟で。結局、少林窟に泊まることになる。
昨夜から今朝にかけて、老尼のCDのチラシ製作を祖玄さんに依頼する。素案をファックスする。
幽雪の母から観音の黒の巾着と果物等が届く。お礼の電話する。
観音、今日は昼食後に入浴する。2日連続で入浴無しだったため。浴槽から出る時、観音が「1、2、3・・・10」と英語で数える。驚く。数日、ミィハンさんとご一緒して、自然に英語のリズムが掴めたのだろうか。
観音、幽雪と一緒に回覧版を届けに行った帰り、走り出して芝生で転んでしまう。勢い良くすっ転んだので、鼻の頭まで擦りむいてしまう。
夕方、観音と一緒に少林窟道場へ。法事の引き出物に箱庭最中をつけることになる。
帰りに少しドライブすると観音はすぐに眠ってしまう。そしてそのまま、5時頃から9時頃まで眠った。
夕食は豚肉の生姜焼き、レンコンのキンピラ。どれも美味しくて、観音も沢山食べる。
零下になることがはっきりしたので、寝る前に水道を止める。止める旨をミィハンさんにお伝え下さるようにお電話すると、そのまま道場泊との事。
1月6日 曇り時々晴れ。
朝方の気温マイナス2度。室温4度。台所にストーブを2台入れる。それでもようやく10度くらい。
今朝から寒行。8時頃出発。
ミィハンさんは、暫く少林窟道場の生活を体験すると言うことになる。
午前中、観音と庭の草取り。日陰のところはまだ凍てついていた。下の駐車場へ散歩に行く。車庫の幌の間に入り込んだりしていたが、草で頬にかすり傷が出来る。菊の花を取って来る。
午後、百瀬さんの奥様がお参りに来られる。お墓にも皆でお参りする。通路に鴨か雁のような鳥が落ちて死んでいた。庭に埋める。
夕方、方丈、閑山さん、ミィハンさんお見えになる。
夕食、少し遅くなる。観音は眠くて仕方なくなったようで、ストーブの前でゴロゴロしている。幽雪たちが食べ終わってからようやく食べ始める。牛肉と厚揚げのトロロ焼きみたいなもの。しっかり食べた。
何とか入浴したが、上がってからすぐに眠ってしまう。10時半頃か。
今夜も水道を止める。
1月7日 晴れ。
朝方の気温マイナス1.5度。室温5度。バケツの水は凍ってはいなかった。
寒行に出る。
昼前、観音と少林窟道場へ届け物に行く。
昼過ぎ、観音がネコに会いに行きたがる。浄居寺さままで散歩。ネコがちょうど山門の所に出て来てくれて、しばらく遊んで帰る。
昼食後、幽雪は猛烈に眠くて、20分ほど昼寝。
お薬師講の準備。庭の草取り。
幽雪が、外から回ってお薬師堂の回廊を拭いていたら、どうやら観音が本堂からやって来たらしいがお薬師堂のドアが開けられなくてミシンの部屋で立ち往生していたようだ。
夕食は七草粥。あまり観音は食べたがらない。
夕食後、観音が暗い居間に入って行ったと思ったら、激しく泣き出す。左のこめかみに幅3ミリ、長さ1センチくらいの陥没した痕が出来ていた。すぐに薫が愉気する。たんこぶが出来る。後で部屋の様子を見てみる。歌の本の表紙にぶつけたとしか考えられないが、どうやってそんなことになったのか、全く不思議。
1月8日 快晴。
朝方の気温マイナス1.5度。水道は止めていなかったが、竹のはしりの所は凍りかけで済んだ。バケツの水は凍っていなかった。日中はポカポカ陽気になる。
寒行に出る。
差定を書き出して方丈に相談する。方丈は会食の席順を決めておられた。
嵩さんがお墓の華入れを持って来て下さった。
山内外の掃除を閑山さんに委嘱することになる。
観音、早めに入浴。上がって歯磨きしているうちに眠ってしまう。
1月9日 晴れ。
朝方の気温マイナス2度。竹のはしりの水道は凍っていない。バケツの水も凍っていない。
午前中、閑山さんがミィハンさんと共にお見えになる。
少林窟道場の古参で、老尼に参ぜられていた方が初めて海蔵寺に、お見えになる。閑山さんがお連れし、昼食を少林窟道場で取られたのち、午後は掃除をお手伝って下さる。
昼頃から薫と観音は、ミィハンさんと一緒に車で広島へ。ミィハンさんは平和公園へ、薫と観音は横村先生をお訪ねする。夜8時前に帰山。
午後から少林窟道場より4、5人助っ人にお見え下さる。山内外の掃除をして下さる。方丈もお見えになる。
大体の会場設定は出来る。
1月10日 うす曇り
朝方の気温0.5度。室温7度。やや暖かい。
寒行に出る。
諸準備。華を用意したり、庭の掃除をしたり。
夕方から東方寺さま、廣州師、閑山さんと4人でならし。部分的に人員不足で、薫も入って流し、詰めをする。その後、東方寺さま、閑山さんと共に夕食。6人で鍋を囲んだ。。
カウンターが12500を超えていた。とうとう6週間以上更新出来ないままに成ってしまった。
1月11日 曇りのち時々雨。
幽雪寒行から帰り暫くすると、水口大知氏が到着。薫はお名前は良く存じ上げているので、お会いするのを楽しみしていた。お会いしていない割りにお話はお聞きしているので、お互いお会いしている気がすると言いつつお茶を頂く。
お芝居をしながら、色々な施設を訪ねて回って生計を立ててこられたと言う高齢の一人芝居役者の方が、おみえになる。海蔵寺に薫達が越して来てから3度目の訪問らしい。そう言えば、以前一度幽雪も出会っている気がする。薫は「つるのおんがえし」を子供の時に披露して頂いたそうだ。感想は?「あのつるのおんがえしは、物凄く××××××x×」(問題発言に付き自動的に字化けします)
方丈が、北海道からおみえになった親戚の方々とご一緒に帰山される。続いて、勝運寺方丈様が、どうしてもご都合が付かない奥様、お子様方がお参り下されるようにとお連れに成られて、お見え下さる。間もなく檀家の嵩さんが、打ち合わせにいらして下さった。ラッシュ・アワーさながら、慌しく全てが同時進行。
方丈、書き物が予定以上にずれ込み、少林窟道場のお昼までに終わらない。久しぶりに、こちらでご一緒に昼食。全員が慌しくそれぞれに動いていた為、水口氏が薫の昼食準備を補佐。そのまま、午後は自動的に水口氏も作務に加わって頂く。逮夜開始直前まで、大活躍下さる。追い込み時の救援だけに、薫も非常に感謝していた。
午後5時より逮夜法要。観音も被布・絡子姿で薫の隣に神妙に座る。電話等の所用で薫が立つ事があっても観音は一人ジッと座っていた。幽雪は点心に参加、薫と観音は留守番。
1月12日 晴れ
観音、仕度が出来上がらない内に得度式参列の皆様がお見えになり、少々うかれたようで思わぬ転倒。ダイレクトに頭部を打撲してしまい、大泣き。
9時より居士大姉得度式。続いて、出家得度式。ほぼ予定通りで大寛慧照禅尼7回忌法要を開始。得度式のずれ込みを懸念しての計画だったので、順調な得度式の進行により、思った以上に早く
墓参を終えた。
導師をお勤め下さった勝運寺東堂様、急に股関節が痛み出され墓地所からお顔を歪めて下ってみえる。
12時から会場をかえて会食。薫が会場で、ご挨拶に回っている間、横村先生や、名古屋からお見えに成った慧照禅尼の実のお姉さんが、観音に食事をさせて下さった。後半は、観音も薫と一緒に「こんにちは、今日はありがとうございました。」と会場中、ご挨拶して回る。どうにかお開きまで頑張っていた観音だが、お開きになり、名古屋へ帰られる方々をお送りしに玄関へ出ると幽雪に抱かれて寝てしまう。薫、被布のボタン(?)飾りになった紐で出来た留めが糸が切れて行方不明で、ションボリ。
観音の正装も今回は記念撮影が無かったので、写しておらず残念。どなたか写して下さっていたら、お分け下さい。
1月13日 晴れ。
昨年亡くなれた薬師講にお見えだったおばあちゃんの一周忌。幽雪、方丈と共にご当家に伺う。
少林窟道場のメンバーが、白滝山へ上がられたとの事で、方丈は後から合流なさる予定。方丈をお送りする便で、ミィハンさんと観音、薫は三景園へ行く計画にしたが、閑山さんが方丈と共に今日の夕方の便で立たれる大知氏もお連れすると言う事に成り、チャイルドシートを外して、ミィハンさんもご一緒に合流と言う事になった。観音は、お出かけがキャンセルになり、ミィハンさんもご一緒してしまったと言うので、その後
「おじ上、車乗ってちゃったねぇー。」「おじったまと、おじ上と、大知先生と、ミィハンお姉ちゃん行っちゃったねぇー」「おじ上、ミィハンお姉ちゃん連れてちゃったねぇー。」「観音は、ミィハンお姉ちゃんとお出かけしなかったねぇー」と言い続けていた。
1月14日
ミィハンさんと昨日の約束通り三景園へ行く予定。少林窟道場からも、今日出発なさる方があるので合流するとのお話が出る。昨夜車が入れ違って、道場の軽自動車がこちらにある。マイクロ一台で皆で行かないかとの話に、薫はチャイルドシートの事もあるのでとお断りする。更に、「観音は膝に抱いて行けばどうか?」と言われ終に
薫は「兎に角、車を返せー!」とご機嫌が悪い。
チャイルドシートに関しては、薫の考えは一貫している。都合で、使ったり、使わなかったりと言うのは、精神面でも観音の為にならないと言い切る。ずっとそうして来たので、観音も
車=チャイルドシートと言うのには、納得しているし、チャイルドシートに座らずに居たいとは言い出さない。とは言え、はたから見れば「タクシーだったら抱いて乗るんだろ?」となるので、何とも言い難い。保育園の送り迎えの方でもチャイルドシートを使用していない人もかなり見かけるし、チャイルドシートに座らせてもベルトを固定していない人もいる。チャイルドシートに着席し、ベルトを掛けている状態を不自由で苦痛と感じるか、別段の事は無いと感じるかの別れには、ある程度
本人の気持の持ちようがあるから、それを当たり前と受け止められるようにする事が、車が必要不可欠な社会において親が出来る最大の事だと言うのが薫の考えだ。「だれも事故を起こしたいなんて思って運転している人はいない。でも、事故は起きるんだから・・・」と言う。
閑山さんが、車を入れ替えて来て下さり、チャイルドシートを取り付けて出発。幽雪は留守番。少林窟道場からも乗用車で行かれた。
三景園内の時間は僅か30分足らずだったとか。観音も園内は一生懸命に歩いて、ついて行ったそうだ。園を出てからは、空港まで薫が抱えて急ぎ、立たれる方々とお別れをしたとの事。飛行機の離陸を見送ってからも、方丈、法水師と共に暫く空港で過ごしてからお別れしたようだ。観音と薫は更に、空港ビル内にある本屋さんに寄ってから帰って来た。
薫が、空港で11時から、セスナとヘリの特殊な訓練が始まったのだと報告。忠海上空もその訓練機が舞っている。
夕方にはミィハンさんも帰国してしまわれ、一気に静かに成った。
方丈が、「道場も法水さんと2人だし、夕食は一緒にせぬか?」とお誘い下さり、幽雪と観音はご一緒する。薫は出国前に閑山さんが電話をしてくるかも知れないからと、海蔵寺で搭乗時間まで待ってから合流。
1月15日
午前中、方丈が引き出物の残りを発送分としてお届けくださった。お茶をご一緒しながら、北朝鮮問題が話題になる。緊迫しているようだ。
午後、佐和子先生がお訪ね下さる。薫、年末年始、法要と「流石に疲れてるね。」と指摘を受ける。
今日は、戦闘機のジェット音が頭上を往復していると薫が気にする。やはり、北朝鮮の攻撃に備えてなのだろうか。
記念品の荷造り、発送。観音も手伝う。
1月16日
薫、終日引き出物の荷造り。定休日のところをご無理を言って、最中の不足分を追加納入して頂く。地元の有り難さだ。
観音も薫の荷造りの手伝い。伝票貼り、テープ貼りなどが観音の担当。
幽雪は、発送その他を引き受ける。
今日は、昼間だけでなく夜も戦闘機の夜間飛行訓練が続行してる模様だ。ジェット音が行き来する。
1月17日
道育師、お寄り下さり、お茶をご一緒する。
お昼過ぎ、引き出物の最後の荷物を発送し終える。その脚で、薫と観音
食料の買出しをして帰って来た。
夕方、幽雪が最終的な記念品の残りや、報告など方丈にお届けに上がる。
1月18日 晴れ。
大寛慧照禅尼の命日。3人で、お墓参りをする。
帰り道、手すりを利用しながら飛び上がる見本を薫が見せる。観音も1度成功。何故か他の行動はするのだが、大地を蹴って飛び上がると言う感覚が掴めないでいた。薫が、手すりよりも高く飛ぶのを見ながら、飛ぶと言う感覚を構築しつつあるようだ。
夜、手放しで僅かに飛び上がった。踏み切りが片足で、両足が上がっているのは極々僅かだが、確かに飛べている。新しい感覚に観音自身も嬉しいようだ。
観音は、今日は殆ど一人で寝支度の着替えをする。シャツをくぐる際、まとめるところと、パジャマの片袖を通してから反対の袖を掴むところで薫が僅かに介助したとの事。又、できる事が増えたね。
1月19日
町内の親睦会。幽雪が参加。
十楽先生の奥様と教子さんがお訪ね下さる。いらして下さった時には、観音はお昼寝中だったそうだが、間無しに目を覚まし、お茶を頂いていたのだそうだ。幽雪も帰山し、ご一緒する。
実は、廣州師が、十楽先生が先般撮影なさったデジカメのデータ−をお分けくださるようにお願いしておられたのだが、十楽先生がお風邪を召されており、お届けに上がれないからと、奥様と教子さんがお出かけ下さったのだとの事。便に、こちらへもお立ち寄り下さったのだそうだ。夕方、道場へ向われた。
NHKで2月に放映される「人間悠々」と言う番組の眠りと言うテーマの4回シリーズの3回目が奥様のお勤めの本郷で行われている睡眠障害改善の講座とその講師であられる臨床心理学の先生を取り上げられると言う事で、明日撮影なさるそうだ。色々と興味深いお話もお聞かせ頂いた。
1月20日 曇り時々晴れ、のち一時小雨
午後、薫 意を決して、留めが無くなった被布を持って呉服屋さんへ。左右に付いているので、同じ物が入手できるかは不明だが、兎に角お願いして帰ってくる。大体は、仕立てる際に、一つ一つ合わせて作るのだとか。型番が分かればと言う既製品とは違うようで、「お預かりさせて頂きます。」と言う事だったらしい。
殆ど連日で固まるPCに薫が「我慢の限界!何とか成らないの?」と言い出し、「メモリーが小さいからだよ。」と説明したところ、メモリーの増強を要求し続けていた。今日、やっと地元の小さいながら専門的なパソコンショップへ行く事が出来256MBのメモリーを入手。「これなら、バルク品で行けますよ!」と単に袋に入っていると言うメモリーを持って店主が登場。「ロットによって相性が合う合わないがあったりしますから、合わなかったら持って来てください。取り替えますよ。」とあっさりおっしゃった。
取り付けの序にファンの周りの埃も除去。結果はと言うと、問題なく認識された。ウインドの開け閉めも早くなり、薫はご機嫌。「もう一枚のメモリーも
この大きいのにしたら、もっと速くなるんでしょ?」と言い出した。「かもしれんが、必要ないだろ?」と言うと、「・・・」 静かにしている。「欲しい物は我慢する、必要なものは即入手」が、薫が慧照禅尼から受け継いだ方針なのだ。
この作業中、働き者の観音が作業に参加する事を懸念し
薫が新しい皮剥きを取り出した。観音に皮剥きの説明をすると、早速
挑戦すると言い出し2人は調理台へ。人参の皮を剥き、ウサギの様にかじって、更にリンゴの皮も剥いて、薄切りリンゴを作っていた。無事作業を完了。実は、薫は途中からトイレに行きたくて少々努力を要していた模様。「出来たよ!」と言うと、「ワーイ!」と喜んでトイレ経由でPCの前に飛んで来た。観音は、新しい道具・皮剥きが気にいたようで、大事そうに水洗いし片付けている。
1月28日
寒さが厳しい。
観音しっかりと防寒して外に出ている。耳当て、コート、手袋、顎まで隠れそうに首元もしっかり囲って、長靴・・・ちょっとそのズボンは長くないかい?
1月29日
雪が降ったので、観音は大喜び。今日は、レインコートで雪遊びである。
アロエ、折鶴蘭などの霜に弱い植物の上にしている覆いの上にも雪が積もっている。簡単に集められるのが気に入ったのか、観音は暫くそこで遊んでいた。