11/1 曇り一時激しい雨。
昨夜半から激しい雨が降っていたが、朝には上がっていた。薫は夜中の激しい雨音に 1、2度目を覚ましたと言っていた。
午前中、桂光院様からお電話があった。来年六月に挙行される桂光院様の晋山式で首座を勤めさせて頂けることに決まった、とのご連絡だった。有り難いことである。これから準備が大変だ。
PCを修理に出すための準備。お昼前 少林窟道場へ届け物をして、PCを入院させに出発。
このチャンスに薫を連れて横村先生をお尋ねする。到着すると思わぬ方とお会いした。「薬をもらいに病院へ行ったついでなんです。」と嵩さんがいらしていた。一足先にお立ちになられたが、丁度 先月10、11日にいらしていた方からお送り頂いた写真の件をお話する事が出来た。近いうちにお手元に届きそうだ。嵩さんの方も「 写真が出来ているので丁度良い。」とおしゃっておられた。
PCは結局、以前からのAC電源使用中の液晶モニター側の角からの放電現象についての修理が先に行われる事になった。1週間から10日はかかるようだ。その後、ビアボイス インストール以後に起こったトラブルに 対処する方法を取らざる得ない。

11/2 曇り一時雨。
朝方、太仙師からお電話を頂いた。お盆まで毎月発行されていた寺報が最近届かないので、どうされたかな、と気になっていた。お元気そうであったが、このところ忙しくて寺報はお休みされているらしかった。彼のことだから何かを感じて連絡して来られたのだろうが、玉雲寺でも参禅できるよ、と縁有る人に教えて上げてほしい、とのことだった。
薫はひたすら眠いらしく、「冬眠」。

11/3 晴れ。
文化の日。昨日までの雨が上がり 青空に国旗が音を立ててはためいた。
薫はゆっくり活動を開始した。しかし、午後になって・・・日向で冬眠してしまった。その後、再び ゆっくり活動。
木に残った最後の幾つかの柿を 収穫。面白い事にこれらの柿は なかなか熟さないと思ったら 種が未成熟であった。皮だけ剥けば丸かじりが出来る。早くに実った物は アッと言う間に熟して落ちてしまったのに、最後の実りは種も成長していない。これが自然の法則なのだろうか。

11/4 晴れ。
気温は思ったより低くないのに 体感温度が低い。庭の草取り。
9時30分から停電。通電が止まった途端、2人して 「静かだね。」 と顔を見合わせた。何時もは気が付きもしないのだが、電化製品に通電している音は相当の物のようだ。もっとも、このエリア全体が停電なので 屋外の音も静かになったのだろうが・・・。静かが嬉しく、紅茶を飲もうと言う事になった。
10時過ぎ、通電開始。井戸のモーターが鳴り、冷蔵庫、炊飯器、電話 etc. が音を出し始めた。束の間の静けさはこうして去っていった。柿=竹紙のオブジェ
柿=竹紙のオブジェ・部分薫は柿のオブジェを制作中。才能が無くなったなどと言っていたが、時間と共にそれらしい姿が現れた。
3時のおやつにとドーナツを作っている。何時もの事だが、個数と材料の計量などは全く行わない薫のやる事・・・オイオイと言っている間に20個以上出来た。お隣さん、ご近所さん、少林窟道場にもお届けする。
薫が少林窟道場から帰山するのと時を同じくして、道育師がお寄り下さった。薫がお姉様のお見舞いにと 差し上げたリボンの花篭のお礼にと お姉様が小鳥のデザインのピンクッションを下さったとお届け下さった。薫は感激している。
お帰りの際に 例の手作りドーナツをお持ち帰り頂いた。沢山作って良かったね。

11/5 晴れ。
昼前、廣州さんがお寄り下さった。法戦式の資料をお持ちだそうなので、見せて頂けることになった。
先日、雨に濡れてしまった無縁塔さんの線香立ての灰を乾かして灰直し。
薫は ギャラリーてら さんへ 赴く。柿のオブジェは、田崎さんへの贈物でした。材料は同じ 竹 でも 本当に 色々なことをなさっている方があると感心して帰って来た。Terra とTierra で、近しい気がしてお互いリンクを張りながら お付き合い頂いていたのだが 直接お会いして 良い感触だったようだ。

11/6 晴れ時々曇り。
お隣さんが 「小菊の花が丁度咲き始めたので 8日のお薬師さんに 間に合うように今日生けましょうか」 とお尋ね下さった。薫も刈り取りから手伝いに行った。11時過ぎまで 倒れたり曲がったりしてしまっていた小菊を整えて 無縁塔とお地蔵さんに入れて下さったそうだ。
勝運寺さんのお手伝いから 12時過ぎに戻ると 「さっきまで鉢植えの訪問販売に来られた方と3人でお茶を してたの。」と薫が報告してくれた。
午後、庭掃除中に異臭が漂ってくる。間もなく、物干場にいた薫が 「早く非難した方が良いよ!」と呼びに来る。途中であったが 一旦屋内へ避難した。「こんな匂いがして気持ち悪くなるんだから、絶対に身体に悪いよ。」と薫はゲッソリした顔をしている。タイヤを燃やしているような 悪臭と呼べる匂いであった。しかし、どこから何が匂って来るのかは 謎のままである。
日が傾く頃 再び作業を開始した。薫は 天ぷらの材料を 採りに歩いていた。夕食は お隣さんも 我家も お隣さん作のお味噌汁と薫作の天ぷらと言うメニューになったようだ。天ぷらを届けて味噌汁を 頂いたのだ。

11/7 晴れ。
午前中、お墓勤め一件。
山内外の清掃。薫は掃除と同時に華の生け変え。山内は、コスモスから一新し 菊の花盛りになった。
午後 1年数ヵ月ぶりの突然の訪問をして下さった方あり。昨年の夏に、海蔵寺の裏山を閑山さんが 思いっきり刈り込んだ時の事。初対面で気が合ったのだと言う方に 「時間があるなら手伝ってくれよ。」と頼んだら 翌日本当にお尋ね下さって1日フルにお手伝い下さったのだ。その彼が 近くにお見えに成られたのだとお寄り下さった。
大学を卒業後、5年間を家業と関連があるがやや高度な技術職に就き その後 退職して家業に就くと決めていたのだそうだ。その5年が今年来たからと あっさり退職してしまったそうで、親御さん始め多くの人達は どうしてこんな不景気な時に?とおっしゃるそうだ。彼自身は『予定通りと思っている』そうだが、やはり時期が時期なだけに厳しいのだと語られた。閑山さんの様子などをお話しし、メールアドレス等を置いて帰られた。ご自分で決めた道を 信じて歩かれる彼に くじける事無く今後も邁進して頂きたい。見送った後も さわやかな若者は好感を残して行った。

11/8 晴れ。
お薬師講でいつものおばあちゃん達が 集合。
今日は、薫が羊羹にもみじの葉を置いて 抹茶を振り掛け、菊の葉をあしらって栗鹿の子を菊花に見立てて飾っていた。抹茶の緑の中に もみじの型に羊羹が覗いて 本当に紅葉のイメージである。そこへ栗の菊花が添えられて 全員が「ワ〜、綺麗!食べるのが勿体無い。」と言ったのだ。そう言いながら、お茶を頂いた後で・・・しまった撮影して置けば良かったと思ったが、本当に食べずに眺めていた人は居らず既に後の祭りであった。
何時もお世話に成っているお醤油屋さんが、配達に来て下さった。が、前回まで頂いていたのと印が違う。未だに自家製のお醤油を一升瓶でお届け下さるのだから、頑張っていらっしゃるのだが・・・今回一部のランクのものを廃止したとおっしゃるのだ。薫が使い続けて来たものは、丁度廃止されてしまったのだ。今日はその上のランクの品をお持ち下さった。時代と共に小さな所は その規模を守る事すら難しくなるようだ。薫も 今までのお醤油が無くなってしまい随分寂しそうだが、無いものは仕方が無い。後は今後細々とでも、今の美味しいお醤油を 止める事無く 作り続けて下さる事を祈るしかない。
薫が夏過ぎから 「メキシコの友人からメールが来なくなった。」と言っていたが、友人のお姉さんから突然のメールが届いた。連絡が来なくなったのは、どうやらその友人がメキシコから消えたらしい。しかも、レバノンにいるのではないかと言うのだ。さすがに これには薫も 「何でレバノンなの?」と遠い目をしていた。世の中 色々あるもんだねぇ。

11/9 晴れ時々曇り。
はぶ草の莢取り。墓地所のゴミ処理。
午前中、薫と交互に少林窟道場へ。最初は薫が、方丈と廣州師それぞれの要請を踏まえて出掛ける。帰山後、入れ替わりで出掛けた。
午後、薫はご近所のお嬢さんのご結婚のお祝いに出掛けた。お隣さんとご一緒したが、ご当家がお留守でお茶の時間となったようだ。洗濯物も、お布団も干しっぱなしで 窓が開いているので暫し間を開けて出直す計画のようだ。
今度は電話を入れてお留守でない事を確認して出掛けて行った。
薫宛の小包が届いた。何と、薫がスパニッシュの講師代わりの友人から最近連絡が無くなってしまたと聞いて 勉強用にとスパニッシュ映画のビデオを貸して下さると送って下さったのだ。薫の周りには 個性的で人間的な人物が何時も見え隠れしている。薫も一般的な価値観とは違う そんな人達をこよなく愛している。

11/10 晴れ。
午前中、アロエ等の霜や雪に弱い植物に覆いをする為に 笹竹とビニールで小型の簡易ビニールハウスを作る。一応、上だけ覆ったので 雪が舞う心配が出るまで暫くはこの位にする事にした。
午後、神戸からお墓参りにお見えになられた方を 広島在住の方がお連れ下さった。方丈も帰山され 「5年ぶりのお墓参りです。」 とおしゃっしゃる老ご夫妻を 励まされた。「これが最後ですよ。」と5年前にお見えに成られた時にもおしゃったが、今回の方がお元気になられたのだそうだ。
薫は煮物の下煮、洗濯、種まき、収穫と精力的に活動。はぶ草の他に 葉の直径が60cm以上ある大根や 長さ40cmのチンゲン菜を抱えて帰って来た。綺麗に整備された畑の野菜は 発芽率も高く、収穫も多いが 薫の畑では 本当に力のある種だけが発芽し、条件の合った所に生えたものだけが このように成長する。それにしても、庭園のような畑の野菜がまだ 淡い柔らかい葉をつけている時に このパワーのある野菜は大きく成っている。きっと生命力が 詰まっている事だろう。大根の葉に小さな青虫が着いていたが、薫は 「ほ〜ら、虫もいるよ。」 と嬉しそうだ。良かったね、命の集まる大地だね。

紅葉した 裏山より眺める 瀬戸内海11/11 曇り時々晴れ。
冬型の気圧配置でやや気温が下がった。太陽が顔を出さない事も寒さを 感じさせている。
はぶ草の莢取り。今日は全収穫量の1/4以上の莢を外すことが出来た。軽作業なのだが、地道に続けて行くとかなりの労力なのだ。自然と直結の生活はやはり労力が要る!2人で こうした作業をしていると 薫は「幸せ」だという。
柔らかく輝く瀬戸内海午後 少し日差しが出た時 紅葉した山を写しに散歩した。上がって行く途中、薫の懐で チャポチャポと音がしていたが・・・上で休憩にしたら 「ハイ!」と缶コーヒーを取り出した。暫く前にお墓参りにお見えに成った方がお供えして行って下ったものだ。島の間で波の無い瀬戸内海が柔らかい光を反射していた。

11/12 雨後曇り。
無想会の書道展が明日、明後日と開催されるので、今日は作品の搬入をお手伝い。
薫は留守番。デスクワークをしていたようだ。

裏山の散歩・黒滝山を見上げる猪の道を通って散歩11/13 晴れ。
昨日の雨の為かスカーッと晴れた。
薫は洗濯に精を出している。
屋根に掛かりかけた位置まで伸びて来た しらさきを剪定して華を入れ替えることにした。一気に切り落としても良いのだが、生ける分だけにする事にしました。もう1、2回は活用できそうだ。
明るくやけた木々日が少し傾きかけ頃 散歩に出かけた。今日は暖かいし 裏山まで出かけた。猪 以外は通らないようだ。藪こぎをしながら 暫く進んだが、途中から猪は方向を変えて 山中へ消えている。
美しく明るい色に染まった木々を見上げたり、小さな小さな柿をたわわに飾った木の下もくぐったり・・・。自然は美しいのだが・・・小さな蚊の猛攻撃に会って退却。

大筆揮毫中の道育師・無想会書道展にて11/14 快晴。
東方寺の檀家さんが、ご自分の田畑の恵をお持ち下った。珍しい菊の花もあった。
薫が 「参道に蛇があごを上にして へばっていた」 と言う。1時間ほどしてからの事、見に行くと・・・いない?もっと下って行くと白と灰色の蛇が裏返しになっていた。薫が見かけた所からここまで自力で移動したとは考えがたい状況である。この蛇の身に何が起きたかは定かではないが、穴を掘って土をかけた。
お昼前、ご近所の方が小菊の花を摘んで来たからと御地蔵さんに生けてくださった。菊はこの時期の花だけに、生ける場所を探すほどだ。
無想会書道展最終日。午後3時から恒例の大筆揮毫が行われた。そのトリを勤められたのは道育師。墨をつけると数十キロもある大筆にたっぷりの墨を含ませて20畳敷きほどの紙の上を走る。跡には草書で「秋雲」の見事な文字が残った。
その後、作品を撤収して 今年の書道展も無事終了した。

11/15 雨、夜になって雨はあがり、風が出て来た。
久しぶりの本格的な雨天である。昨夜は星空が広がっていた事もあり、無縁塔の線香立てを入れていなかった。たっぷり水を含んでしまった・・・。
薫は洗濯も出来ず、畑にも行けず、何をやっても湿気させるだけのようで 「今日は休日!」と言っている。そんな訳でゆっくりお茶を飲みながら 薫と語らう。ひょんな事から 恩師の話題になり、薫の細かい記憶にあきれたが・・・薫の方は 「1年間も 成長期の自分の思考構築に多大な影響を及ぼす教育をしてた人だよ?」と目を丸くしている。それにしても どうしてそんなに細かく記憶しているんだい? 「だって、もしかしたら今の私の考え方に根強くあるものは その当時の恩師の影響かも知れないんだよ!逆に嫌悪感とかも 植えつけられた物かも知れないんだよ。」と言うのだ。なるほどね、でも・・・その影響自体も覚えてないんだよなぁ・・・。

11/16 晴れ。
晴れ渡り、冷え込んだ。
畑に勝手に生えたメロン & 幽雪の手庭、山内の掃除。洗濯は気温が低く晴れても乾くのに時間が掛かりそうだとの事。冬ですね。
夕方 収穫に出かけた薫がほうれん草、春菊と共に例のメロンを持って帰って来た。最も網目の多かったものを含めて 採って来た。薫を収穫に導いたのは なんと ナメクジ であった。「大きな ナメクジ が、貼り付いていたから きっとこれは美味しいのよ!」と はしゃいでいる。包丁を入れると 確かにマスクメロンの香りである。小さいが 確かにメロンだ!勝手に生えたメロンと かぼちゃの区別が つかないままに 育ったのだ。網目の少ないものは ナメクジ が 見向きもしていなかったと言うが 切っても香りは無い。薫の事だから こちらのメロンは 多分 煮物になるのだろう。「これは どう見ても瓜ね。」と言っている。

11/17 晴れのち、うす曇り。
しし座流星群の話を聞いたので、昨夜、寝る前に暫し庭で冴えた夜空を眺めた。3、4個の星が流れた。しかし、思い付きで庭に出て、何も身支度していなかったので、いささか冷えてしまった。
先般、お供えに頂いたお米を少林窟へ届けた。方丈は北海道へ行っておられてまだお帰りではない。大徹師が参禅に来られていて、明日お帰りになるとのことだった。
夕方、海蔵寺へお見え下さった。薫も交えて修行工夫のことやら宗教論議が9時まで続いた。

11/18 晴れ。若干の雲。
気温は高くないが、天候は良いので作業効率は良い。外ではぶ草を振るって詰めた。洗濯物も明るい日差しになびいている。
薫はその他、慧照禅尼のお墓の草取りに行ったり、「郵便局まで散歩してくる。」 と投函しに出かけたりと 太陽の恵みを充分に得ている様子だった。
ご近所の信徒さんが、「山に行って来たよ!」 と華を大きな一抱えお持ち下さる。無縁塔と御地蔵さんの華を入れ替えた。菊も新しいものにした。
太仙師より 久しぶりにお便りを頂いたので、先ほどお電話を入れる。お元気なご様子であった。「先住様の奥様に 「私の葬儀はお願いしますね。」と頼まれたので、3年間と決めていたが そう言う訳にはいかなくなってしまった。」と、笑っておられた。皆に愛されている 太仙師のご様子が伺えた。
未だ 住処探しの続く我々に 太仙師からの励ましのお言葉もあった。「大丈夫ですよ、宇宙人の薫さんと一緒なら、どんな所でもどんな風にでもやれますよ。」との力強いお言葉。受話器を置いてから 薫にこの話をすると 「そうだったの〜?へぇ〜、私は地球外生命体だったのか〜?!」と 美味しそうにはぶ草を飲んでいる。

11/19 晴れ。
修理に入っていたPCが直ったと連絡を頂いていたので、受け取りに出かけた。横村先生の所へも寄らせていただく事にして、薫も同行。
PCはインバーター、LCDカバー、LCDケーブルの交換と同時に、HDDも交換して下さっていた。ビア・ボイスのインストール後のトラブルは結局 HDDの故障と判明し一緒に交換となったそうだ。一気に直して下さったのだから有り難いし、良かったのだが・・・初期化されてしまったのだから 双六で 『振り出しに戻る』 と言うのが出てしまったようなものだ。時間をかけながら 使い勝手が良いようにして来たものが 一体どうなっていたのかも ハッキリ覚えていない所もある。修理前の使い勝手に成るまでには暫く掛かりそうである。壊れいるよりは 遥かに良い状況なのだから、ボチボチやるしかないようだ。
気温が下がって来る中、太陽の恵みを一杯に受けた布団は 有り難い限りだ。今宵も極楽、極楽。

11/20 曇り時々晴れ。夕立あり。
PCのセッティングにかなりの時間を使った。
曹洞宗の機関誌「禅の友12月号」に方丈の一文が掲載された。その謹呈誌が宗務庁出版課から送られて来た。
午後、郵便物等を届けに少林窟道へ。出掛けに見上げた空には、雲が広がっていた。
紅に染まった瀬戸内海西の沖がほんのり色づいて来た頃、裏山へ。紅葉はずっと進んでおり、落ち葉の量もずっと多くなっていた。薫はどんぐりを幾つも拾ってはポケットに入れていた。食べるわけではなさそうだ。
丁度、下って来る時に眼下に見える駐車場で帰宅ラッシュが始まった。今日は保育園で何かの行事があったようだ。いつもはただの広場になっている空き地に、車が沢山駐車していた。
夕方、薫はほうじ茶を作っていたが・・・「色は良いけど香りが違う!」と苦心していた。
カウンターが1600突破。

11/21 晴れ。
午前中、華を生け替えようとの計画で 薫は華材を探していた。すると上から天の声ならぬ お2人のご近所さん。「今からお母さんのお墓参りに行く所だから 上がっていらっしゃい。」と慧照禅尼の墓参に誘う声だ。華材は諦めて上がって行った薫は、お昼のチャイムが鳴っても帰って来ない。何の対策も取らず 夏のような暑さをもたらした太陽の下で 活動していた為に 「脳味噌が沸いた・・・気が遠くなっちゃったよ。」と帰って来た。後の方は 同条件でもヘッチャラだったようで、薫は改めてベテラン主婦の強靭さに 恐れいっていた。
午後、法光寺の総代長さんが方丈にご相談のためお見えになられた。老骨に鞭打って、という様子さながらではあるが、寺を思うこと熱烈なる老漢の思いのたけを吐露された。今夜は海蔵寺に泊まって頂くこととなった。

11/22 晴れ。
「禅の友」誌をいくらかまとめて注文しようと思い、宗務庁に電話をしたところ、この12月号は既に売り切れてしまった、とのことだった。のんびり構えていて、とても残念なことをしてしまった。「禅の友12月号」は希少価値が出るかもしれませんよ。
朝食時から総代長さんのお話をうかがいながら過す。昼過ぎに三原駅までお送りした。
夕方、薫は運動がてら少林窟道場へ郵便物等を届けに 出かけた。「下駄の威力で良く声を掛けられたよ。」と帰山。

11/23 雨。 勤労感謝の日。
昨夜の予想通り 目が覚めると雨であった。12日に続き今日も屋外の国旗掲揚は断念。ポールの紐も雨を吸って垂れ下がっていた。
お隣さんが 「巻き寿司のお裾分け」とおっしゃって下さった。タイミング上 薫ではなく私が 受け取ったのだが、薫に話したいことがある様子だった。
11時半過ぎに、薫が雨間をぬって 屋外へ出た。帰って来ると 「お隣さんと話したの、実はね。今日、重度身体障害者施設の文化祭なんだって。それで、天候も悪いしで車で 一緒にって事だったのよ。1時間だけ、行ってくれない?駐車場とかも結構不便だと思うの・・・。」と言う。バザー等も行われているので 昼食はあちらでとろうとのお隣さんのご希望でもあった。
バタバタと出かけたので、カメラも持たずに出かけてしまった。駐車場も 分散されており、会場の状況も全く分らず、双方 探したり待ったりの状況になった。もう諦めて一度 帰山して連絡を待とうかと思い始めた頃、やっと出会う事が出来た。何と、会場とも思っていなかった建物が 実はゲートからの入口で 薫達は 出会えないと大変だと考え そこで待っていたのだそうだ。だが、大回りして裏側の駐車場へ車を止めた為 別の所から会場へ入る事となり イベント会場や模擬店などの間をさんざん探し回っていた。賑わいの中、何とか昼食らしきものをとり 展示物やバザー会場を一通り回って帰山。
4時頃、薫は人込みとハプニングに疲れたのか、冷たくなった足を温めながら しばらく眠ってしまった。

11/24 曇り。
山内の掃除。
明日から薫 念願の綾町へ出かける為に、空気圧が若干下がってしまうタイヤのチェック等を済ませた。パンクか、ホイルの変形か などと言っていたのだが、結果はムシだろうとの事で 交換して様子を見た方が良いと言われた。様子を見ながら走行するしかなさそうだ。

関門橋・壇ノ浦PAより関門海峡・壇ノ浦PAから撮影11/25 曇り。
山陽道へ上がり直ぐに小谷SAへ立ち寄った。すると、そこには1月3日の為に大変お力をお借りした賀茂川荘の広瀬さんがいらしたのである。そう言えば、転勤になりましたとのご挨拶を頂いていたのだ。
昼食後、九州入りを前に壇ノ浦PAから関門海峡、関門橋を望む。狭い所を次々に船が通って行く。波も瀬戸内海よりずっと大きいような気がする。風が強くて展望台からの下り階段では、呼吸するのが難しいくらいだった。
今日はタイヤの様子も見たかったので休憩を頻繁に取った。山陽道の小谷SA、宮島SA、下松SA、美東SA、王司PA、壇ノ浦PA、古賀SA、北熊本SAである。タイヤは心配ないようだ。印象的だったのは、停電中だった古賀SAと北熊本SAの美味しいお茶であった。
今夜の宿は霧島だ。日本で最初の新婚旅行を行ったと言われている坂本龍馬とおりょうの旅でも霧島で一宿したとの記録があるそうだ。暮れてから山越えとなったが、霧が出て徐行状態になった。峠を越えると霧は消えて暗い中にも安心感が戻った。霧島温泉が近づくにつれて、湯煙があちこちで上がり始めた。6時過ぎ、宿に到着。さっぱりした明礬泉に迎えられ疲れを出し切って休んだ。

霧島のもみじ・1本で緑、黄、朱に成っているものもある眼下に広がった綾町・ヘアーピンカーブの途中から11/26 薄曇り。
今日はいよいよ『綾』入りである。張り切って出発、道沿いに美しく紅葉したもみじが並ぶ。薫が「今年の紅葉は色が悪いと思ってたけど、あれは台風18号の塩水を浴びちゃった瀬戸内だけだったのね。」と口にした。理由はどうであれ 確かに こちらの方が色鮮やかである。
薫のナビゲーションで小さな山道を探し当てて山越え、ヘアーピン・カーブの続く中 所々で眼下に開けた畑地が見えて来る。綾だ! ハウス栽培の畑が目立つ。
綾の町に入り、取り敢えずメインストリートと思われる通りを中心地へ向って走る。コンビニがあったので食料を買い込み、馬事公苑へ行って昼食にした。
綾城綾城から綾の町を一望するその後、綾城を見学。綾の歴史が視覚的に分るような展示がされていた。最上階の回廊に出ると綾の町が一望できた。
そして、綾の町の情報を集めたかったので、町役場を訪問した。
町のホームページを見て大変興味を持ったので、引っ越して来たいと考えている旨を話すと、担当の方が面会して下さり、大変親切に様々な資料を提供して下さった。今夜の宿も、町役場で紹介して頂いた綾川荘に決まった。
綾の自然もさることながら、何と親しみ易い人たちなのだろう、と益々、この綾が気に入ってしまった。新しい住処を見つけることにも希望が感じられて来た。
手づくり ほんものセンター手づくり ほんものセンター・店頭町役所の直ぐ隣には『手づくり ほんもの センター』と言う名の、綾町産の野菜や品々を販売する直売ショップがある。その2階では、季節野菜のジュースや豆腐で作ったケーキなどを出す 観光案内所 兼 喫茶店があった。ここで早速、綾の野菜を味わう事にした。青汁のイメージは程遠く、さっぱりした 風味の豊かな柔らかい味だった。
法華嶽薬師寺にて 高下駄の歯が抜けてしまった 薫宿に赴く前に隣町にある法華嶽薬師というお寺を見学。そこで薫の高下駄の歯が外れてしまった。何とかしてはめようとしたが歯が割れてしまった。「こんなことなら、抜けた歯をお薬師さんにお供えしてくればよかった・・・」と薫。綾川荘の食堂
綾川荘の炉辺夕方、綾川荘に到着。多くの面で簡略化された宿泊施設だが、食堂は立派なワラ葺き屋根の大変風情のある建物である。ここで囲炉裏を囲んで夕食を頂いた。
ここも又、多いに気に入った。
綾は素晴らしい所である。

11/27 曇り。夕方より小雨。
朝食後、今日も宿をお願いしようとしたら 「学生さんがたくさん泊まるので、一杯なんですよ。」との事で、他の宿へ連絡をしてくださった。綾の人は本当に親切だ。ほどなく 「近くの民宿が1部屋だけ空いているから、行って見てもらおうかね。」と場所を教えて下さった。30分後、チェックアウトして その民宿へ向う。
ところが、どうやら「行ってみてもらおうかね。」の意は今からと言う意味合いだったようだ。我々が伺った時には既に 「エッいらっしゃらんかったねって、さっき1組入れてしもうた。」との事であった。そうだったんですか?と困ってしまった我々に「でも、さっき女将さんは 2名が大丈夫って言いなはったんですよね。なら、何とかするでしょ。お昼前には戻るし、大丈夫ですよ。」と留守を預かっていた方々で話して 引き受けて下さった。では、お願いします と 出発したものの 薫が「本当に良かったのかな?ダブルブッキングじゃ大変な事に成っちゃうよ。女将さんだって、紹介があったけど来ないからって次の人受けちゃって帰って来てみたら 紹介の人も受けちゃったって聞いたら困るんじゃない?」と心配する。確かに 行き違いがあったようだし、余り無理を言っても申し訳ないと思い 取って返してもう1度伺った。すると 「大丈夫ですよ。部屋は何とかなりますから。」とおしゃっり、「4時にはチェックインできますから、宿帳だけ書いといて下さい。」とまでおしゃって下さった。
空き家となれば後は今日の予定地へ向うまでだ。走り出して5分と経たない内に 次なる事態が・・・『全面通行止め』である。迂回路も何も表示が無く、期間も未定である。役場で頂いた地図を開いて見ると、集落まで尾根伝いに通る道があるようだ。右に左に折り返すように斜面に見える道を上がり、木々に挟まれた所を登る。ポロポロと畑や家が見え始め、最初の目的地に近づいて行った。空き家だ!車を止めて、周りを探索して歩いた。綾の大ミミズ
『鶏舎あり、放し飼い注意』と言う看板があり、鶏の鳴き声がする。空き家の裏手へ回ると2、3軒のお宅が畑に包まれていた。竹林の間の道で薫が 「オ〜、綾の大ミミズ!」と声を上げて、手で長さを計っている。確かに大きい。薫 曰く、今まで見た中で最大だそうだ。鶏の声に誘われて近づいて行くと、お近くの1軒で大豆を脱穀中であった。暫くその様子を眺めていた我々に やがて手を止めてお声をかけて下さった。空き家のお話を伺うと、機械まで停止させて 説明を始めて下った。4人で作業中だったのだが、それを機にお茶の仕度をなさって 「これも何かの縁、一緒にどうぞ。さぁ、遠慮せんと 早よう」と手招きをなさる。恐縮しながらも、お話を伺いながら ご馳走になった。何と お声を掛けた相手が良かった、この地区の世話役さんだったのだ。色々状況を教えて下ったが、今の所 何処も難しい状況だそうだ。取り敢えず もう少し他の地区も見て回った方が良かろうと勧めて下さった。お勧め通り 次に進む事にして、お別れした。ご馳走様でした。
照葉大山神の社日本一の照葉樹林と世界一の歩く吊り橋次は、綾町の運命を変えた照葉樹林とそこに架かる 世界一の吊り橋へ向う。風が冷たく、瀬戸内より寒いのではないかと思わせる。橋は、途中にグレーチングをはめ込んだ部分があり 渡る人皆そこで声を上げる。橋を渡り切って 折り返す人が殆どだが、薫と2人『1200メートル』先の大山神の社を尋ねる事にした。上り始めて50メートルの地点で看板は『あと150メートル』となっている?更に進むと『あと100メートル』?そして、出発から200メートルで社に到着した。さては『1』は、いたずら書き だったな。
木の穴をそのまま残した1枚板のテーブル続いて照葉樹林文化館を拝観し、照葉樹とは一体何かが分る。カシ・シイ・クス等々の常緑広葉樹で、葉が若干肉厚で光沢のある種類の樹々を指すのだそうだ。学習を終えて、昼食。寒かっただけに温かい うどんは我々をお腹から温めてくれた。薫は自然を活かした机や 甘味のないうどんの出汁も、大喜びだった。腹ごしらえを済ませ、更に山へ向かい出発。次なる目的地は 川中神社である。
思わぬ所に現れた廃屋思わぬ所に現れた廃屋シーズンオフのキャンプ場をぬけて 川辺に出ると、とても青い淵が見え始めた。その直ぐ先に 小さな吊り橋が待っていた。川向こうにモダンな看板が立て掛けられていた。登り始めると更に看板が出て、その先には 神社とは余りにも似つかわしくないモダンな建物が現れた。ガラス窓は割れて、扉は飛んでしまった廃屋である。人工的に植えられた クヌギ林もあり、もう1棟小屋があった。静まりかえったこの地に こんな洋風の建物を建てて廃屋にしてしまったのは 一体どんな人なのだろう?川辺の荒地と廃屋を後に、小さな山道を登る。モグラの住処をまたぎ、竹林を抜けながら 山の静けさに分け入って行く。
川中神社たどり着きました、梅の老木林が隣接した僅かに開けた山の社だ。現在は川中神社となっているが、元々西光寺と言う名のお寺であった。だから、ご本尊は阿弥陀如来である。廃仏毀釈の折り、あの青々とした淵にお隠れになったと言う事である。川中神社の境内の1棟川中神社の境内に集会所のような作りの建物がある。薫は 「庫裏もあるよ!お風呂場もある。」と その建物の周りを見て回る。別棟で 元 風呂場と東司とおぼしき小屋があり、榊が供えられていた。近々に お参りに来られた方があるようだ。
下りながら、竹林の極太の竹に 重ね重ね感心しながら 脚を進める。洋風の建物を含む川辺の一角も気になる存在だ。夏の事は分らないが 今見る限り、山裾の清流の横に広がる この地は魅力だ。
パン工房 綾幾つかの集落を紹介されているが 町境の近くに散らばっていて、一気に回るのは難しい。ルートを選び、1番行き易そうな一角だけを 本日中に回る事にする。向う途中で、数年前に綾に移り 天然酵母を使用したパンを作っていらっしゃる 『パン工房 綾』があり 寄らせて頂いた。奥さまに少しお話を伺う事が出来た。多くの方が分譲地などに、家を建てて移り住んで来られるのだと伺う。近年は特に多く、分譲地はアッと言う間に一杯に成るそうだ。
本日最後の集落と思い見回った場所で 薫は 「悪いけどこの地は 丸で死神の集会所のようだ。」と言い出す。道沿いに 人気の無い 大き目の家が何軒か出たが 薫はいっこうに車から下りようともしない。上を見上げると 数本の送電線が走り 外気は家畜の排泄物臭と思える匂いがする。薫の言う死神が 何だか分らないが、確かに山の自然の懐に抱かれている気は全くしない所ではある。この集落を後にして下り始めると道路整備の為に 時間帯規制がされており 丁度 通行時間帯外の為に迂回路へと回らざるを得なかった。開発も進んで行くのであろう。候補地からは 外した方がよさそうだ。宿に到着する頃、雨がポツポツ落ち始めた。
今宵は大賑わいの民宿 『山水』さんでお世話になる。到着 早々 薫は 「お茶が美味しい!」と喜び、夕食までにポットのお湯を空にしてしまった。夕食後 薫は 山歩きの疲れか 早くも寝息を立て始めた。民宿のざわめきは 薫にはもう届いてないようだ。ゆっくりお休み。

11/28 曇り。
子供達の起床と共に、館内 ドッと賑やかになる。子供達が朝食に行くのを見計らって 洗面、荷物を運び出す気配を聞いた後で食堂へ行く事にした。案の定、静かな朝食となった。女将さんがお1人で 朝食のお世話をしていらしたが お話を伺うことが充分に出来た。これが 次なる事の 引き金になったのである。
お話を伺う内に 綾に来た訳などをお話しする事となった。するとどうだろう、丸で何年来の知人の相談に乗るように 女将さんの知る情報を 次々提供して下さり、ついに 「良かったら 私、案内しますよ。」とおしゃって下さる。一旦 部屋へ引き上げチェックアウトの仕度をしたが、右も左も分らない状況で 探し回るより 女将さんのお言葉に甘える方が得策と結論を出した。受付まで下りると 間無しに 「では、私は車を回しますから」と奥へ入られた。昨日受け付けて下さった 方に状況を伺い 今日もお世話に成りたい旨を伝えると「大丈夫ですよ。じゃ、行ってらっしゃい。」と送り出して下さった。
女将さんの先導で お伺いしたお宅は 家庭菜園に丁度良いサイズの畑が家に隣接した所なのだ。一応場所の案内をして下さり、持ち主の方が在宅中なのも確認した後 「聞いてみたら?」と言い残して お帰りになられた。立派な門構えを持つ 持ち主のお宅が 隣接している。お声をお掛けすると 奥様が門に出てくださった。結果は 「空いてはいるのですが、本家になりますので 神棚も仏壇も置いてありますし 兄弟が集まる際に使っていますので 住まって無くてもこのままでないと困るんです。」との事であった。年に何人も 問い合せに来られるのだそうだ。実の所は、町の中心にほど近い住宅街だったので ハッキリした状況でお断り頂けて こちらもホッとしたのである。半分嬉しくしながら 山水へ帰り 女将さんに報告した。女将さんは残念そうだったが 「では、有機栽培の田渕さんを尋ねてみる?それか、郷田 前町長さんにおうてみんね。」と 次のお話を勧めて下さった。「郷田 前町長さんにお会いできるとしたら それは光栄な事です。」と 申し上げると、女将さんはもう受話器を手にしていらっしゃった。今日、明日は講演で早くても明日の夜のお帰りだと 言うお返事だったが・・・綾の人の行動力には 兎に角 目を見張る。続けて 田渕さんのお宅へお電話下さったが お出にならない。「多分、畑に出てるんだわ。連れってあげるよ。」と 又、車に向われた。
昨日、見て回った竹野地区に近い所であったが 確かに道を説明するのは難しい情況ではあった。お連れ下さって 畑の方へも回って「田渕さ〜ん、田渕さ〜ん」とお探し下さったが、お返事は無かった。「お昼には、戻られる筈だから 待ってみたら?」と おっしゃって、民宿へお帰りになられた。なんとフットワークの軽い方なのだろう。つくづく感心した。
じっと 待っていても仕方ない 町境の集落の1つを訪ねてくる事にした。町境ではあるが、1度 町外へ出て入って来る形で道が通じている。さもなくば、徒歩で山道を行くか あるいは 3倍以上の距離の林道を抜けて 走らなくては行けないようだ。この集落にも 空き家はあったが、持ち主の方が 倉庫代わりにしているので 開けられないとおっしゃられた。お茶の木が生垣になっており、閑静なたたずまいであったが 農業をしていて倉庫が必要とおっしゃるのでは 仕方がない。他には 空いている所は その集落には無いのだそうだ。
田渕さんをお尋ねする前に、綾町の中心地へ出て 『ほんものセンター』で 昼食になりそうな野菜等を求めて 再び山へと道を取った。尾立展望台と言う看板を昨日から目にしていたので そこで昼食にしようと思ったのだが、それらしきものが見当たらない。尾根を過ぎ下り始めたので、探し回っている間に昼食を取る時間が無くなるかもしれないと 冗談を言いながら 諦め半分で走る。すると、カーブを曲がるか曲がらないかで 薫が 「その先なら車入れて食事できる。」と 言い出した。確かにアスファルト舗装の駐車場があった。どうしてそんな事がわかるかねぇ?・・・そこには、銀色に塗られた 螺旋階段のついた火の見やぐらの 現代番があるではないか。「もしかして あれが『尾立展望台』なの?」 多分ね。色々やってみたんだね。成功したものもあれば、こういう状況のものも 結構たくさんあるのかもよ。「ここからなら、確かに町を眺めることは出来るけど・・・。」
田渕さんの畑1時頃、田渕さんをお尋ねした。奥様しかいらっしゃらなかったが、畑をご案内下さり 説明して下さりながら 木から みかん を もいでご馳走して下ったりした。空家の心当たりは無いそうだが 数年前に移り住んだ方々の事など お話し下さった。野菜づくりの手ほどきは 何時でもして下さるとの お言葉を頂戴して失礼した。
続けて その近くの集落にも 訪れたが、空き家だろうと思うようなお家でも 「お年寄りが1人住んでらっしゃるんだわ。」とのお話で 手掛かりも見つからなかった。走り回るには ガソリン残量が不安で、明日 給油が出来るまで近くだけにする事にした。
『酒泉の杜』と言う名の観光地がある。雲海酒造を誘致して 開発された場所だが、この誘致に関して多くの所が 名乗りをあげた中で1番厳しい条件をつけていた綾町を 雲海酒造が選んだと言うのだ。環境に配慮し、景観を大切にする事を要望した綾町に 雲海側も誓約を出して 完成したのがこの 『酒泉の杜』 なのだそうだ。
訪れて見ると 観光客で溢れかえっているのが分った。ここでも 手作りの工芸品を置く店が出ており、綾の色はハッキリしていた。試飲が出来る事もあり ご機嫌な方達も多く、派手やかな女性達も集まっており 長居は無用の場所のようだ。ガラス工芸の工房や展示館もあり 見せていただいたが、見事な作品が並び 薫と2人で目を丸くするような お値段が付いた作品が幾つも並んでいた。
酒泉の杜・ほたる庵ほたる庵と言う名の飲食店があり、抹茶や温泉豆腐と言ったメニューが書かれていた。人込みを逃れて 食事時間帯を外れた このお店で一休みする事にした。『温泉豆腐』と言うのが どんなものなのか気になって オーダーを取りに来られたウエイトレスさんにお聞きすると 「お食事のセットじゃなくて、単品でお持ちしましょうか?」とおっしゃって下さった。すると、卓上ガスコンロが登場し、生姜・ネギ・かつおぶし等の薬味や 味噌仕立てのたれが 運ばれて来た。暫くして、白いお湯に入った湯豆腐が 届く。「白いのは豆乳ですから、召し上がっても美味しいですよ。」との説明だ。なるほど、豆乳温泉に入った豆腐だったのか。これは サッパリしながらも、濃厚な味を出しており思わぬ美味しさである。結局、薫と2人で お豆腐と共に豆乳汁も全部 頂いた。食事時の通常メニューだと、これに おにぎりと小鉢が付いたセットになっているそうだ。清流の水を生かした色々な製品がある中、農産物の美味しさと結びついての傑作の1つであろうと思う。
綾南川の川辺まで散歩し、あゆやな等を眺めて来たら 程よい時間となり 宿へ帰る。従業員一同 作業をしながらではあるが 「お帰りなさい!」とお声を掛けて下さった。昨日のポットを空にして お湯を頂きにいったからか、今日は大き目のポットをお茶セットと一緒に出して下さった。夕食の時、女将さんに 田渕さんの所でお伺いしたお話を報告する。女将さんも 綾の自然の恵みのお話や ほんものセンターの出来るまでに 郷田 前町長さんが、お話になられた事などを お話し下さり 薫に 「自給自足は良いよ!」と勧めて下さった。実に親身にして下さって驚くほどだ。元々、30年前に越して来られたのだそうで よそ者の難しさも良く分っていらっしゃるだけに 他人事に思えないのかもしれない。

11/29 晴れ。
青空が広がった。朝食時に又、女将さんが話しかけて下さり 「郷田 前町長さんに 会われるのが良い!」と勧めて下さる。もう1度お電話をして下さり、「スケジュールがお聞き出来次第 お知らせしますよ。」と 言って下さったので それから今後の動きを考える事にした。
取りあえず、ガソリンだけ入れてこようと思い 1人が出かける事にする。その旨を 伝えて 出かけようとしたら 女将さんが 「奥さんは、洗濯でもされたら?洗濯機を使ってもらって良いから、今日なら 干したら直ぐ乾くし。」とおっしゃり 洗剤まで出して下さった。折角のご好意だからと 薫は洗濯機をお借りする事にした。洗濯には うるさい薫としては、全自動洗濯機に一気に洗剤ごとドサッと入れて その場を離れる事が 相当 嫌だったようだが 勿論 選択の余地はない。ガソリンを入れて帰ると、薫は浮かぬ顔で洗濯機の止まる時刻を待っていた。
時間がやたらとかかっていると思っていたら 「洗濯機が壊れてたの水がドンドン増えて何時までも何時までも回ってるだけだったんだ。。今、女将さんが壊れてない方で すすぎと脱水をやり直した方が良いって言って下さって今やってるの。」と言う事ですっかり遅くなった。
ともあれ、洗濯物は干され 出発する。郷田前町長さんからのお電話は 女将さんが受けて下さり、お昼過ぎに宿に帰って来る事にした。先ずは、薫が地図上に見つけた 山林の中の荒地と建物の印を 追いかけて現地へ行って見る事にした。林道に現れた 車の乗り入れは危険ですの看板途中から道の舗装が無くなり、道幅が狭くなって行く・・・その内に 『車の乗り入れは危険です。』 と言う看板が出ている。入って行けそうな気配はあるが、こんな場所で立ち往生しても 助けはないだろうと車をそこに寄せて止めた。ここからは徒歩である。薫も下駄から靴に履き替えて、食料を担いで出発した。
雑木林の木漏れ日の中を歩く 薫天候は上々、雑木林と植林の出てくる山道を進む。わだちが続くので、車は入って入るようだ。しかし、所々いかにも危なげな状況が見受けられた。わだちの間で土が耕されている所があるので、猪が活動しているようだ。
途中で 薫が 「白いものがあるよ。」と指差している。見ると谷に白い人工物が・・・車か?「ここから見ると ドアが分るよ。」と少し進んだところで薫が覗き込んでいる。その反対側の窪地には、屋根の上にまで草がしっかりと生えた建物がある。壊れていると言えるかどうか分らないが、埋もれるように建った家である。しかし、これは薫が地図上に見つけた荒地でも建物でも無いようだ。更に進みながら 「車で入らなくて良かったね。」と脚を進める。
荒地の横の植林地に見つけた、廃屋の基礎照葉樹林に続く道に現れた荒地からの景色道が2手に別れた所で荒地が見える。「ア〜、お茶の木だ!」と薫の声。茶の木が刈り込まれて、生垣のようになった所を入るとすぐ横の植林地の中に建物があったらしい痕跡が見える。入って行くと廃虚の基礎の部分のようだ。少し間を空けて もう1棟あるようである。間違い無い、ここが地図の荒地である。この先は照葉樹林へと続く歩道がある。荒地は笹が 広がりっていたが、山手側には柑橘類の木があり 実もなっていた。2手に別れた道の続きを 進んでみる事にする。少し日差しが入り、下の方に川と道があるのが所々見える。木漏れ日の中で 石の上に腰を下ろし 昼食にする事にし、食材を引っ張り出す。ハイキングやピクニックを計画していた訳では無いので有り合わせである。

11/30 晴れ。
宿の外で迷子の猟犬(子犬)が寄りついてくる。薫が 「そうか、お前は迷子に成っちゃったのね。皆は山でちゃんとご主人様の所に帰ったんだよ。お前も山へお帰り。」と話しかけている。足が大きいので 大きくなるのだそうな。車に山の匂いが付いているので 我々が山へ向うと思っているのだろう、置いて行かないでと言わんばかりの顔をする。車が動き出すと、情けない顔になり シッポがたらりと下がった。元気でな、迷子の猟犬くん。
空き家。馬事公苑にて 馬を見て回る。時々 馬に文句を言われた。薫は あちこちで馬に話しかけていた。酒泉の杜。かふぇーぎゃらりーとろっこ。ほんものセンター。
レオーネの調子が悪い!薫に 『ターボ域使用禁止宣言』を出されてしまった。薫は ほんの一寸の不調の内から ブツブツ言っていたが、確かに不調と思えるようになって来た。本人曰く、「ボロ車ばかり乗り続けて来たから 車の愚痴には 敏感なのよ。ガソリンの良し悪しまで 分るよ。ボロの車は悪いガソリン入れると、途端に調子悪くなるのよ。」 だから メーカー選んで入れるのか、なるほどね。エンジンのかかりが悪かったりすると 「良い子だね。頑張るんだよ。きっと動けるからね。」と話しかけて 車を撫でているが・・・本当に 車と話しをしていたわけか。車の方も 又、薫の言う事を聞いて 動くんだよなぁ。
めかり。
帰山。