12/1 曇り。夜になって雨。
終日室内で10度以下であった。海蔵寺は寒い!薫は 「寒ければ着る。動けば温い。」と活動していた。
お昼前に勝運寺さん、少林窟へ帰山のご挨拶。勝運寺の奥様も 「寒くなったわね。外で動いてる方が暖かいわ。」とおっしゃりながら、お庭の掃除をしていらっしゃった。
方丈に綾町の報告。郷田前町長さんの話題で 
午後、調子の悪かったレオーネを修理に持って行く。クラッチが減っていた。即入院ということになった。

12/2 曇り。
薫は終日ひどい頭痛。吐き気まで伴う。やはり旅の疲れが出たのかも知れない。
浄居寺方丈様へご挨拶に行き、首座のことや綾のことを報告する。庭の草取り、郷田前町長さんへのお礼状書き。

12/3 晴れ後曇り。
薫の頭痛が続いているので、整体に連れて行く。多少改善したようではあるが、まだ状態は悪い。
後頭部を温めると良いかも知れないと先生が言われ、蒸しタオルをラップに包んで貸してくださった。そうしていると頭がボーっとして来て、夜になって左足の親指がズキズキして来たそうだ。そこは先月下旬の聖恵文化祭会場で挟んだ場所だったことを思い出したと言う。原因がそこにあることが分ったので、そこを集中的に愉気していると顕著な効果があった。足のつま先と頭がつながっているとは不思議なものだ。

12/4 晴れ後曇り。
薫はまだ復調していないが、時々つま先への愉気を続けていると徐々に回復して来た。食事もようやく通常に戻った。
お昼には墓地所をお借りしたいという方が墓地を見に来られた。とても気に入られて喜んで帰って行かれた。
午後、山水さんへのお礼状を書いていると方丈が薫を見舞いに来て下さった。ほぼ復調していたので、3人でしばらく歓談。身体や生態系の不思議さ、郷田前町長のこと等で話は尽きない。

12/5 曇り。日暮れに雨。
庭掃除。落ち葉は今が最盛期。午後、町内会があり、方丈の代理で出席。その後、少林窟道場へ上がり、方丈の年賀状印刷のお手伝い。昇り竜がなかなか見事。
薫はボツボツ復調しつつある。華を生けかえるなど少しづつ活動もしていた。しかし夜、ホットミルクを飲んだ後 思い切り吐いてしまった。胆汁よりもはるかに苦いものが戻って来たそうだ。

12/6 曇り時々晴れ時々小雨。風が冷たく強い。
昨日 帰山する際に 雨が降って来た事もあり 車を借りて帰っていたので、少林窟道場へ。帰りは 風を切って歩いた。
内外の掃除。唸りをあげながら吹いた朝方の強風で 屋外のゴミ箱が移民してしまったり 屋内に砂が落ちたりしていた。
薫は ほぼ調子を取り戻したと言って良さそうだ。しかし、冬型が強く出ているので 出来るだけ屋内にいるように勧めた。本人も まだ 自信が持てないらしく、屋内で活動していた。

もみじ12/7 曇りのち晴れ。昼間は穏やかな小春日和。夜は冷えてくる。
掃除、華の入れ替え。
洗濯物、布団も太陽の恵みを受けたようだ。
午後、庭を見せて欲しいとおっしゃる方が 上がって来られた。暫く、腰を下してご覧になっていらした。お声をお掛けして、お茶を 一緒に頂く。広島市内から お仕事でいらしたのだそうだ。これも ご縁と、禅の友12月号を差し上げることにする。実は、今月号に方丈の1文が載っているのだ。
観硯さんが 芸北の向台さんからの慧照禅尼へのお供えを届けて下さる。便を借りて 方丈宛の郵便物等を お持ち頂いた。
明日が薬師講だからと、山へ華を取りに行って下さった信徒の方が お届け下さる。早速、華を入れ替えてお供えさせて頂いた。
夕方、生ゴミを埋めに畑に行った 薫が 「これ貰ったんだけど・・・」と 重そうに緑の物体を持って帰って来た。大きな ヘチマを 『垢すり』でも作って使って と下さったのだそうだ。持って上がって来る様子が、妙に面白かった。

12/8 晴れ。穏やかな1日となった。
薬師講。師走は皆さん 忙しいようで、集まったのは半数以下でした。
墓地所の華がら等を 処分。薫は お世話に成った方々への 暮のご挨拶の準備を行っていた。
夜、方丈と年賀状発送の打ち合わせに少林窟道場へ。薫が把握している部分もあるので、2人で歩いて行く。レオーネが入院中なので、必要な物を抱えての歩きとなった。
帰途は澄んだ空気が 冷えていたが 2、3kmを歩くには良い条件であった。流れ星もあり、チャルメラの音が町内を動いて行くのも聞こえた。今日の薫は 時刻も考慮してか 下駄では無く 靴だ。綾で山歩きを してから 運動靴の存在を思い出したようである。

12/9 晴れ。
バーナーで墓地所の草焼き。
薫は 又 調子をやや崩しているようだ。ゆっくり活動している。しかし、ゆっくりが良くなかったようだ。同じ姿勢を 続けたようで 「腰が痛い。」と言っている。どうしてもっと早く体勢を変えないかな?「だって・・・気が付いたら 痛かったんだもん。」と 心許ない動きである。疲労でぎっくり腰になるんだから、気を付けろよ〜。
方丈が、少林窟道場へ配達されてしまったものを 持って立ち寄って下さり 郵便物を持って行かれた。レオーネが修理から帰って来ないので、何かと遅れ気味になる。

12/10 晴れ。
レオーネの様子を見に行ったが、クラッチ板を固定しているピンが 1本足りなくなっていたので取り寄せていたから 遅れているとの事だった。
少林窟道場の軽自動車のオイル交換をして、それを借りて整体に薫を連れて行った。頭痛の件もあり、昨日 腰痛を起こした事も告げると 整体と共に漢方薬を勧められた。
實母散と言う薬だ。帰りに 簡単に入手する事が出来た。効能書きを読んで 薫は納得していた。肩こり、頭痛、腰痛、冷え性、めまい・・・と続くのである。明日から服用するそうだ。

12/11 晴れ。
方丈は今日、総持寺での参禅会のため上京された。
レオーネの修理がようやく終わり、今朝 届けて下さった。
大阪で1人暮しをされていた墓檀家さんが亡くなったと、遠縁の方がお見えになってお知らせ下さった。「お墓があるとお聞きしたこちらにも もしやお知らせが来ていないのではと思い 立ち寄らせて頂いて良かった。」と おっしゃっていた。暫く新聞が溜まっていたので福祉関係の方が家へ入られたところ既に亡くなっていたのだそうだ。この方も、10日以上経て知らせを頂いたのだそうだ。近親の方は無く、遺骨は市に保管されており葬儀も行われていないようだ。夏にお参りになった際に 「これが最後やわ。」とおっしゃったが、そのお元気なお姿からは 本当に最後のお墓参りになろうとは思えなかった。一切皆、無常なり。
海蔵寺の事務仕事。
薫は 「これ、不味い〜。」と言いながら 實母散の服用をしている。調子は良いようで 軽快に活動していた。やり過ぎないと良いのだが・・・。夕暮れ、細い月を見上げて 腰をトントンやっていたので 少々心配である。

12/12 晴れ。
年末に向けて 片付け。
薫は今日も 實母散を飲んで活動中。肩からホカホカ温まるそうだ。左足の親指はジンジンして、腰は軽いと言うのが本人の感想である。

12/13 曇り。寒い。
午前中、勝運寺様のお手伝い。
石油ストーブをつけると前後で嫌な臭いが発生するし、温度調節も出来ないので余り快適ではないからほとんど使わない。しかし、今朝はあまりにも寒いので、出かける前に少しつけてみた。「煙突の付いたダルマストーブがあれば、いくらでも焚くのに・・・」と薫は言う。そんな物どこで手に入れればいいんだ?実は 灯油代を セーブしてるんじゃないのか?「それもある。それと、温かい所から出たく無くなると 仕事の効率が 悪くなるから・・・1枚余分に着て、少し寒いくらいで ドンドン動く!」それは 慧照禅尼から受け継いだ 海蔵寺流の冬の過ごし方?「そうだよ。でも、人数が多い時は お湯の利用もあるから ストーブをつけて、お湯を沸かしたり おやつ温めたりするんだ。効率的でしょ!」 要するに、自分達の為に 部屋を温めたりしないわけだ・・・。「必要な時は 勿論使うんだってば・・・。」 室温8度は 必要な時に入らないか〜?どうやら この問題は 寒さに対する感覚に 大きなズレがあると思えてならない。
夕方近くに 道育師がお寄り下さる。コタツを囲んで 久しぶりにお話をした。竜泉寺の台所改修工事の為、何かと忙しく 不便な生活をなさっていたそうだ。本日は、防腐剤か何かを 塗る作業が行われたそうで 兎に角 たまらない臭いがしているのだと おっしゃっていた。避難 かたがた 薫がお預かりしていた物を 取りにお見え下さったようだ。依然 仮設の台所をお使いのようで、不便さから 調理が簡素化してしまい 「痩せましたよ。」と おっしゃっている。日が暮れる頃 海蔵寺を後にされた。
お身体に障らない内に 改修工事が終了する事を 祈りながら、薫と二人 見送った。

12/14 曇り。
庭掃除、ゴミ処理。
方丈が松江まで急遽出かけなければならなくなったとの事で ルートを出して欲しいと 薫が電話を受けた。薫は 地図を見ながら検討。松江と言えば 真北なのだが・・・中国山脈を突っ切って上がらなければならない。薫の 報告ルートは、高速道路をフル活用した 方法だった。山陽道、岡山道、中国道、米子道を利用し 米子から松江の間を 国道9号線を走ると言う もので、理由は 年末の道路工事を見込んで スイスイ走れた方が方丈向きとの事。
これを 報告しすると 「薫なら どのルートを取る?」と聞かれたそうだ。薫は 「車で行くとすると、高速代とガソリン代をセーブして 真っ直ぐ北上するけど・・・年末で工事もあるだろうし、時間的には変わらないと思うよ。他人を乗せるなら高速ルートだけど・・・」 と答えている。「そうか。工事か?」 と方丈が言うと同時に 「凍結するかもしれないし 一番良いのは、かぐや姫(高速バス)で広島に出て、西空港(広島西空港)から 飛ぶ!」 と薫は進言。
即 方向転換が決まり 総動員状態で便の少ないだろう 松江までの足探しとなった。薫が 飛行機の便をチェック、方丈と最終確認をして チケットを確保。少林窟道場では かぐや姫号のチケット、こちらも バスが間に合わない可能性を考慮して 新幹線のチェックだ。結局、方丈は大急ぎの荷造りをして かぐや姫号で 広島へ向い、広島西空港から 出雲空港へ飛ばれた。
今更ながら 車ではなく この方法が選択されて良かったと思う。薫は 「車のルートを出せって言わずに、松江まで行く方法って言ってくれれば もっと時間に余裕があったのに・・・。」と ちょっと不満な顔だ。でも、凍結を心配して待ってるより良いだろ?勢い良く 頭を縦に振る 薫であった。

12/15 晴れ。午前中、風強し。
山内の掃除。
平田真二さんの ご一家が お訪ね下さった。お嬢さんは 2歳になられ 1月3日に ご出席頂いた時の事を思うと 随分成長されたように思える。意思も 行動も とてもハッキリして来ていらっしゃる。

12/16 晴れ。
庭掃除。
市のゴミ最終処分場へのゴミの持ち込み。年末の為か、集められているゴミの量は 何時もより多い。

12/17 曇り。
この季節 思う華材が無いと 言っていた薫だが 松・竹・南天を 冬らしく入れていた。雪には良く慣れ親しんでいただけに 本当に寒そうな雪が降って来たようだ。
山口県の桂光院様が御挨拶のために来山された。道育師に書記を勤めて頂きたいと考えていたので、道育師にも来山頂き、顔を合わせて頂いた。桂光院様も快く承諾下さった。とても素晴らしい晋山式になりそうだ、と方丈も期待を大きくしておられた。桂光院様も安心されたご様子で、喜んでお帰りになられた。
夕方、浄居寺様と勝運寺様へ暮の御挨拶に上がる。

12/18 曇り。
年末の片付け。
夕方、三好淳一さんのご一家が お寄り下さった。薫が スキーのショートポール代わりに使っていたと言う ポスターの保管筒を お嬢さん達に 「これ何かの役に立つ?」と 取り出した。「ウン、要る、いる。」と 大喜びである。直ぐに 始まったのは チャンバラゴッコだ。これが 大人の心配通り 「痛っい!本気で叩いた。」「だって・・・。」と いたって軽傷だが、怪我人が出た。そこで 薫は スキー用の手袋を取り出す 「これならどう?」 「ア〜、使う、使う。」と直ぐに 防備が始まった。「じゃ、これもね。」と 帽子やヘッドバンドも 登場。結局、みんな まとめて 引き取って頂ける事になった。活かされる先が 登場して薫も大喜びである。「全部貰ってしまっては・・・?」とご心配下さったが、「それが、まだまだあるんです。」と薫は 本当に持て余している表情を見せた。ポールを しっかりと抱えて お車に乗り込む お嬢さん達に 嬉しそうに手を振る薫であった。
役に立つ場所が 見つかって良かったね。

12/19 曇り。
年賀状の印刷等に 少林窟道場へ。原田憲一先生の 『人間は月に住めるか』という講義録も 印刷する。
薫は洗濯や掃除をしていたようだ。
午後、永岡 玉千居士が お尋ね下さった。1月3日にお会いして以来である。お元気そうで何よりであった。

12/20 晴れ時々曇り。風がとても冷たい。
片付け。
風は乾いて冷たい。夜になると更に気温が下がった。10時くらいの気温を見て決めようと 話していたが、8時前の 「外の気温が1℃切ったよ!」と 薫の声が響く。少林窟道場へも 警告の電話を入れていた。止水後の段取りを 整えてから 2人で 市水道と井戸のそれぞれの 栓を閉め 水抜きに回る。 多分 破裂するほどでは無いだろうが、用心するに越した事はあるまい。

12/21 晴れ。
朝、通水を開始する際 さほどの事はなかったように思えたが 畑では 流れた水が凍っていた。丸でスケートリンクの中にレタスが生えているようである。止水して正解であった。
夜 昨夜同様に止水と水抜き。

12/22 晴れ。
夜の飛行機で閑山さんが帰山するので 空港まで迎えに行くと、一足先の便で稚内の泉さんが到着されて 一同 思わぬ再会となった。
今夜は昨日、一昨日のような冷え込みは無いだろうが 用心して止水。

12/23 天皇誕生日。晴れ。昼間は気温が上がった。
お昼前、十楽先生がお尋ね下さった。久しぶりにお顔を拝見した。担任を持っているので とてもお忙しいのだそうだが、お元気そうであった。
大徹師が 少林窟道場での参禅の帰りにお寄り下さった。順調にご自分のペースを守って いらっしゃる。参禅中に 冬型の寒気が入り積雪も予想される。お立ちになられる際 薫が心配そうにお声を掛けていた。時間的にも 渋滞と重なり 遅くなられるだろう 融けた雪が氷になっていなければ良いが・・・。
日が暮れると 薫は何度も 「大徹さん 無事に着かれかな?」と 気にしていた。

12/24 曇り時々雨。夕方から風が強くなった。
勝運寺さんが 一緒にお願いして下さった華を 受け取りに行く。冬場は 若葉ではないので 色も濃くしっかりしている。
今年も残り少なくなって来たので、年内の作業予定を立てた。
薫が 「風が出て来た。」 と言い出すと間無しに 木々が揺れ始め 暫くすると ビューと唸りを上げて吹き出した。冬の冷たい雨が 風に乗って叩きつけている。植物にとっては 久しぶりの雨で 恵みになっていることだろう。
午後から 方丈を尋ねた閑山さんは 「久しぶりに 父上と2人でゆっくり話せたよ。」と 帰山。

12/25 晴れ。やや穏やかな 暖かい日。
作業予定を追って 墓地所の掃除、ゴミ処理、華入れ。
閑山さんと2人で 屋外の作業に当たったので、薫は 中の事を進めていたようだ。

12/26 曇り時々晴れ。
ガラス磨き。日曜日だと言う事もあり、松山と福山から助っ人に来て下さった。
千津子さんの 仕上がりチェックは なかなか細かい!それでも 「あるのか、無いのか、分らない程に 仕上げているプロの技と 何が違うのかな?」と おっしゃりながら 拭き上げて下さった。一方 千恵さんは 長身を活かして 普段なら 外から脚立を持って行く 上段のガラスまで 中にいながら スイスイと 拭き上げて下さった。
途中で 「今日は 十楽教子さんの お誕生日だから・・・」と 彼女に電話をかけて、留守番電話に 「おめでとう〜!」と 皆で叫んでいた。本日の作業を 「終了」としたのち、再び掛けていたが まだお忙しいようだ。
皆で夕食を 頂いている所へ 教子さんからの お電話 「知っていたら お休みにして、合流したのに・・・。」と 喜びながら 残念がっていらした。その実、千恵さんも 今朝のこと 「今日の予定は無いので・・・」と 来忠をお決め下さったのだそうだ。
誠にありがたい。合掌。

12/27 快晴。
レオーネのバッテリーが上がり、海蔵寺からの下りを利用しての 押しがけとなった。
ゴミ捨て。
薫は正月用品の買い物。

12/28 
台所の棚づくり。餅つき。

12/29 
墓地所の木を切る。台所の片付け。

12/30 
少林窟道場より5人の助っ人が山内外の掃除にかけ付けて下さった。薫は 正月料理づくりにとりかかった。

12/31 大晦日。
年越しの夜坐。