庭の芝生に生えてきたキノコ10/1 薄曇り。
目覚めるた時 「風邪を引いたかなぁ?」と思ったが、床を上げて 「風邪気味だ!」と感じる。
本堂の前に 茸が生えた。以前の小さなものとは違い、椎茸をしのぐ大きさである。薫は「これ、食べれないかな?」と 言っている。キノコ類は当たると怖いからやめようよ!
薫は運転手で8時に少林窟道場へ、上京する方丈を 空港へ 送る役目だ。方丈は、本日 1つ用件を済ませ 明日は総持寺での参禅会が予定されている。9時5分の便で 立たれた。
帰山して直ぐに薫は 「うがい。うがい!」と お茶に塩を入れて 喉と鼻腔の掃除をしていた。これは、薫のお勧めで お茶の殺菌力を利用するのだそうだが、塩分調整をすると鼻腔内に水分を入れても全く痛くないのだと言う。個人的には 痛い、痛くないよりも 鼻腔内に水分を通す技術の方が 問題だと思う。鼻から 吸い込むのだが、なかなかでは無いと思うが・・・薫は簡単にやってのける。
10時半過ぎ、方丈と閑山さんの名代で 薫は再び外出。思っていたより時間が掛かって帰参した。例のうがいをしながら 薫は 「どうして、人の顔を見ると捕まえて話をしたがるのかなぁ?」と 非常に怪訝な顔をしている。話をしてたの?と聞くと 「直ぐ下で 人生経験の豊かな女性に 教育論を20分以上にわたり 講義してもらったの・・・」との返事だ。
体調をみて薫が 「ゆっくりすれば?」と言ってくれたので、今日はデスクワークで過した。

10/2 晴れ後曇り、夕方から雷雨。
午前中、西谷居士がお見えになる。先月末で円一店が閉店となり、そのご挨拶のために少林窟、海蔵寺へ来られたのだ。大変な時を経験された訳だが、終始、平静に過されたそうだ。これからのことは全く白紙だとのことだ。終わってしまったことは、もう仕方がないから、これからしばらくの自由な時間を1つの大きなチャンスとして無駄にされず、新たな飛躍のための充電期間として頂きたいものだ。
草取りを少し進めることが出来た。
今日は、薫が不調。ひどい頭痛らしい。

10/3 晴れ。
雨上がりで澄みきり気温が下がった。
薫が今日も頭痛に悩まされていたので、代理で勝運寺のおばあちゃんの代理をする事に成った。実は、忠海女性会の皆さんがお弁当を用意して 敬老のご接待をなさっているのだ。ご自分でいらっしゃれない方は、代理の方が招待状を持って行くと お弁当を下さるのだ。勝運寺の皆さんのご都合がつかず 「代理人をお願いできないか?」と 奥様からご依頼があり薫が引き受けていたのだが・・・無理そうであった。お届けに上がると 「薫ちゃんは?」とおっしゃる 「頭痛が酷くて・・・。」と言うと納得なさってくださった。どうやら、頭痛を良く経験する人は 頭痛で動けないのは良く分るようで 説明らしい説明は必要はありませんでした。
午後になって徐々に薫は回復、夕方には洗濯を始められる程に良くなった。方丈を空港に迎えに行く頃には、殆ど分らない程良くなりました。

エデンラインの夕焼け10/4 晴れ。
気温が更に下がり、本格的に秋が訪れているようだ。
ゴミステーションの掃除当番に当たっている事もあって、庭から参道 ゴミステーションに至るまでの道路の落ち葉等を掃く。途中で、お近くの方が 菊やピーマンを お持ち下さり、ご一緒にお茶をする。
お帰りになられる際にお見送りしていると 薫が「赤とんぼ!」と声を上げた。3人で暫し 見事に茜色に変わった小さな赤とんぼを眺めて 秋を味わう。カメラを向けるとスーと飛び去ってしまい、その後 姿を現しませんでした。
薫は参道とゴミステーションの掃除、洗濯等々 活発に立ち回る。気温が下がった方が元気なのかな?
夕刻、エデンラインにて夕焼けを撮影。写し始めた頃には、眩しかった夕焼け空が 撮影後にはライトを点灯して帰山するまでに暮れた。秋の日はつるべ落しという事でしょうか。
日没後は気温も下がり秋を肌で感じるに至る。

10/5 晴れ。
若干の腹痛で不調。薫は元気で活動中。郵便物の発送と、廣州師宛の郵便物を届けに行った以外は室内で過した。
薫の勧めでカレンダーの裏を利用して名刺を作成。名刺用の紙を使用する程の 品質の必要性があるのかに疑問を持ち コピー用紙程度の物を使用してきたが、薫はそれにも無駄があるとして 「古紙を活用できないか?」と言うのである。とは言え、多大な労力を必要としては これ又無理が生じるので 一寸した努力で出来る範囲と言う制限がつく。結局、もしプリンターを通して 見苦しくない程度の物を印字できると言う条件を付けた。薫がコレクションの幾つかを出して来たが、どれも丸めて保管してあった為に手間は掛かった。しかし、コレクションしてあった何種類かの中には にじみの比較的少ない物があり 充分にリサイクルが可能になった。今まで利用していた コピー用紙より厚みも腰もあり しかも エコロジカルなら 文句はない。出来あがった物を見た 薫は 「季節ごとに まとめて使う時期を 決めるなんてどう?」と 裏表を眺め 大満足と言った感じだ。次回 (当分先の話だが) は リサイクルの表示をしようと 薫は提案するが、見れば分ると思うのだが・・・。
母からメールが届いた。受信日時を見ると 22:58 とある。メールはとても嬉しいのだが、あまり根を詰めては 「ボケ防止」 どころか 病の元に成るのではと心配する。薫は 「無理しないようにと メールする」と言っているが、母もメールが来るのが嬉しくてメールを書いているのだろうから 効果には期待は持てまい。慣れれば入力速度が速くなる事も 考慮すると 何が良いのか 考えものである。母が「メールを楽しみにしている」と 言う点を重要視する事で 薫と意見の一致を見た。

10/6 晴れのち曇り、夜になって雨。
庭の草取り、若干の剪定、掃除。薫は雨が降る前にと昨日、今日で実ったはぶ草の収穫等々畑で過している。半分くらいは未だ実のっていないので、もう暫くおくそうだ。
亨徳寺様からはがきが届いた。前回のお電話同様、「必要ありません」というお断りの文面だった。これでは、もう東雲寺は諦めるしかないようだ。
薫はリンゴジャムの製作にもとりかかっていた。
9時過ぎ、方丈を迎えに三原駅まで出向いた。駅の駐車場のシステムや 途中のコンビニなどが 変わっていたので、帰山後 薫に説明する。
薫にとっては 街の変化より 先般のキノコの方が気に成る様だ。毒キノコの写真を見ながら 「どうも食用にならないらしい。」 と残念そうなのである。薫は山野草の知識の割に キノコ類の知識が無いのだろう どれを見ても 「食べれないかな?」と言っている。しかし、キノコが怖いと言う知識だけは あるようで 実際には手を出さないので 事無きを得ている。毒キノコの説明を見ると 「3センチほど天ぷらにして食べて 高熱を出し、小脳が萎縮してしまった」例や 「間違い無く死ぬ、それもさんざん苦しんだ挙句にである。」などと 書かれている。くれぐれも注意したいものである。

10/7 曇りのち雨。
庭の掃除、華の入れ替え。
秋の華・柿薫は季節の華で、明日の薬師講の皆さんを迎えようと 華材を探して歩いていた。色づき始めた柿やススキなどが 集められて秋の彩りが飾られた。
午後、母に電話を入れる。先般のメール送信時間から 遅くまで頑張っていたので、様子うかがいが目的だ。「今日は朝もゆっくり休んだし、遅くまでやるのは 翌日に余裕がある時に書いてるから大丈夫よ。」と言っているので 母のやり方に賛成した。ローマ字入力にも だいぶ慣れて来たようである。
本日 回ってきた回覧板で 地道で的を得た活動をするボランティア・グループの紹介があった。『防犯ひろしま』のNo.137号の大部分を飾ったのは、この秋 発足する『広島ガーディアンズ』についての記事である。本文は日本ガーディアン・エンゼェルス代表の小田啓二氏の広島での講演をおこして記事にしたもののようだ。ボランティア活動の中には、目的とアプローチに 大きな差が生じているケースは少なくありません。あまりにも偏った アプローチを試みる為に目的の対象者には何の意味も無いと言った事が良く聞かれます。その点でもこのガーディアンズは 素晴らしいと言えるだろう。大きくなり過ぎた組織は、必ずと言って良いほど歪みが出ているので 今後も地道で的を得た活動を続けて頂きたいと思う。

10/8 曇り一時雨。
お薬師講。何時もより早めに おばあちゃん達がおいでになられた。今日は、別の用がある方が多く 多い時の半分以下の人数である。その実 私も勝運寺さんお手伝いに上がる事になっており、お顔だけ拝見して直ぐ出かけた。甘さメチャひかえめの手作り りんごジャム
お昼に帰山すると 「今日は、早目にお帰りになられたの。雨も降りだしちゃったしで、傘を持って帰って頂いたのよ。」と薫が静かな集まりであった事を 教えてくれた。
午後も勝運寺さんのお手伝い。帰山すると丁度 薫が リンゴジャムを 瓶詰めにしている所だった。薫の作るジャムは ジャムと言うよりペーストとでも 言えそうな状態だ。本人は 甘く作ったつもりなのだろうが、糖度が低い。「自然の甘味が好き!」と 言われると何とも言えないが、比較すると 市販の 『甘さひかえめ』ジャムが恐ろしく甘いと言うことになる。そう告げると 一寸 寂しそうにしていたが 『甘さ: メチャ ひかえめ』と言うラベルを書き足してビンにはりつけて、「完成!」と嬉しそうにしている。手作りジャムのビンが6本 調理台の棚を飾った。

10/9 晴れ。
9時 勝運寺さんへお祝いを申し上げに伺う。方丈、祖玄師、廣州師、観硯大姉に薫も 一緒である。勝運寺の住職であられた方丈様が東堂になられ、そして副住職であられた息子さんがご住職になられたのだ。
その後、少林窟道場でお茶を頂き 薫は方丈の夏物を大量に回収?強奪して帰った。帰山後、早速 直しや洗濯をしていたが、来客にて 休みが入る。
午後 1時間半ほど、勝運寺さんのお手伝いに伺う。帰山すると、薫は 「直しはもう一寸で、終了。」と 飛び出して来て 車庫の扉を開けてくれた。暫くすると 「終わり。」と引き上げてきた。
毒を持つ毛虫。薫が刺された毛虫。毒を持ち刺されると痛い。柿を取りに行く事にした。始めて間もなく、薫が 「痛い!刺された。」と腕を押さえて後ずさりして来た。腕を押さえながら 「気を付けて、そこにいるから。」と言って 本人は毒を吸い出している。何処?と聞くと 「その上よ。ほらっ」と 指差してくれた。見ると、トゲだらけの毛虫で、見るからに痛そうだ。かなり 痛みを伴うようで、長く吸い出していたが 途中から収穫に復帰した。 帰ってから 枝葉を付けて採って来たものを見ていた 薫が 「ア〜、出た!」と叫び出した。いました、葉の1枚にいるのは 例の毛虫です。薫の痛みは減ったものの、刺された周りは熱を持っており 夜には痒いと言いながら手を当てている。
先般、リンゴ狩りに出かけた母も 同行した1人が 地中に巣を作る小さな蜂に刺されて、救急車で病院へ行き点滴等を受けたと メールして来ていた。秋の虫達は焦りがあるようだ。くれぐれもご用心あれ!

10/10 曇り後、晴れ。体育の日。
国旗を掲揚する時点では 曇っていたが、時間と共に青空が広がった。風も出て はためき始めた。
今日は、直ぐ近くの明星保育園の 運動会である。拡声器からの声が 聞き取れないものの風に乗って響いてくる。時折聞こえる歓声も 盛り上がりを伝えている。
夕刻、桐島先生とお連れの皆さんにお誘い頂き 夕食をご一緒させて頂いた。先生方は、本日お泊まりの みはらし温泉のあでやかな館内着を お召しでより一層明るい雰囲気での会食となった。明日は大三島と しまなみ海道の一部へお出かけに成られるそうだ。昨日より姫路へいらしていらっしゃり、ステンドグラス作家であられる先生のお知り合いの方をお尋ねに成られたのだそうだ。2、3年前から先生を囲んで、年に2〜3回の 集いをなさっているそうである。

竜泉寺にて。(さばの炭火焼を調理中)10/11 薄曇りのち一時雨。
山内の掃除。
薫は頭痛でちょっと辛そうだ。
4時過ぎ、竜泉寺へ。道育師のお手伝いをしながら、会食の準備。セッティングは屋外にブルー・シートを出して行った。薫は台所を担当。
桐島先生達は 到着すると直ぐに山頂へ上がられた。僅かな時間で下りて来られたので 伺うと「小さい虫が大量にいて、どうにも成りません。とても駄目。」とのことだった。間無しに 雨が降り始め、全員で 急いで屋内へ準備中の食卓を移動する。
夕食は何時もの湯豆腐と 絶妙の一品はさばの炭火焼。

10/12 曇り一時雨。
お昼前に、薫が受けた電話は 「霊がついたみたいなんです・・・」と言うものだった。薫が電話を切った途端に、台風でも落下しなかった乾燥中のミントが 音と共に竿ごと落ちてしまった。何だ?電話線伝わってやって来たんじゃない?「ん〜、じゃ会って話した方が言いかな?ねぇ、君 どうして人にとりついてんの?今まで何処にいたの?ってね。」と笑っている薫。本当に霊なら現代の若者じゃないから無理だろう。「そうかな、案外 自分が死んだって分って無いだけかもよ。もういないんだし、人にとりつくなんて良くない!って言えば 素直に すみません って言うかもしれないよ。」と ケロッとしていた。
桐島先生の下駄が澤田さんの手で仕上げられています。その後、「何故か肩が痛い!」と言いながら 方丈達と合流するために三景園へ向かう。三景園から 桐島先生とお連れの方達を 澤田さんの所へお連れする事に成っている。
桐島先生は 正助型(丸型)をお求めになり、お連れの皆さんも 先生とお揃いの1本歯や子供用などそれぞれに 手にされた。丁度、週末からの出店に合わせて 荷造りが進んでおり 品物が並んでいなかったのは残念だったそうだ。しかし、台は 充分にあったので 即、鼻緒をすげて下さり お持ち頂けたそうだ。
その後、昼食を取り 空港と新幹線口へ お送りしたそうだ。薫は三原駅への便だ。
夜、例の霊の件で 電話口へ出た 薫は やはり恐れても 疑っても いないようだ。

10/13 夜半に雨。うす曇りのち時々晴れ。
午後、十楽教子さんが お友達とご一緒に お立ち寄り下さる。秋になって益々お元気そうである。
夕刻 大徹師がお寄り下さった。少林窟道場へ参禅に上がられる為に いらっしゃいました。毎月 本当に良く頑張っておられます。

10/14 曇り。午後に少し風が出た。夜になって雨。
法光寺の総代をなさっていた 迫隼美氏が いらっしゃる。方丈も 「久しぶりですね。」 との第一声であった。今まで お話ばかり伺っていたのだが、始めてお会いして なるほどとうなずいてしまった。イメージより お年を感じてしまったが、お噂どおりの生き方をなさって来られたのだと 一々のエピソードを伺った。
改めて、戦火を潜り抜けた軍人の迫力を聞かされた気がした。命がけか・・・
ここ数日の 縦横無尽のご縁に薫と二人 少々疲労が溜まり 夜はあっさりした 『かけ蕎麦』で意見が一致した。薫、お疲れさん。

昼頃に紅く染まる 瀬戸内の空10/15 曇り、夜は雨。
薫が 華として生けていた柿が 見事に熟れて 枝を離れた。回収し 流しまで持ちかえったのだが、実に美味そうだ・・・最高 !!
昼頃のこと、薫が「外が変な色なの。」と言い出した。見てみたが、島々の上にかかった雲が 僅かに赤みを帯びているが それ程とは思わないが・・・。薫は 「昼間よ!夕焼けじゃないんだから。」と眉を寄せる。
9日に毛虫に刺された薫は 未だに時々「カユイ!」と言っているが、もう殆ど治ったと思って良さそうだ。 

10/16 曇り。
今日は風邪気味なのか 寒気がするので、殆ど1日中寝ていた。薫は 目が覚めるのに合わせて食事を 心配してくれたので 食事は何時も通りとった。
9時5分の飛行機に搭乗する方丈を 薫が送って行く。今日は 修学旅行の学生を始め 多くの人が空港を利用しており 余裕が全くない状況で ギリギリだったそうだ。
薫は元気で今日は 参道の落ち葉を掃いたり、切り倒していた笹や枯れ枝なども燃やしたらしい。お母さんのお墓の 草取り等にも行っていたようだ。

10/17 晴れ。
朝夕の気温は随分下がった。
昨日、お地蔵さんにお供え下さいと信徒さんがお華をお持ち下さっていた。華を生ける。
薫は洗濯日和にて 活動。布団もふっくらしている筈だ。

10/18 晴れ。
空気が乾燥しているので火の元に注意するようにと、消防署が救急車で呼びかけていた。
草取り、庭掃除。日向が気持ち良い季節になりました。
夕食に、ジャガイモのゴマ味噌和えが出た。揚げたジャガイモとゴマ味噌とねぎが良く合い ご飯が進んだ。
晴れて乾燥気味なので洗濯物も良く乾くだろうと思ったら 「陽射しが弱くなったから 時間がかかるようになった。」そうである。それでも 一抱えが、薫の前でたたまれている。

秋晴れ10/19 晴れ。
湿度が下がり 澄み切った良いお天気だ。
こまごました仕事で1日終わった。薫は洗濯、華の入れ替え等など。
午後、道育師と玄路師が おいでくださった。玄路師が僧堂を下山され、ご帰国前に縁のあった方々の所を尋ねて 回っていらっしゃるのだそうだ。出家されて5年、帰国を決意された今 「先ず身体を治そうと思っています。」とおっしゃる。以前より 痩せられたようだ。今はそれが良いのかも知れない と思える。
夜、方丈を迎えに 薫と共に空港へ。歓待を受けたが 「疲れた!」と 声がガラガラしておられた。方丈が出かけたのに 合わせたかのように 気温が下がったので やはり寒かったそうだ。途中で びしょ濡れになった日もあったとの事、お疲れが出ぬよう 充分にお休みいただきたいものだ。
帰山後、 薫も 「喉が痛い」と 言い出したりくしゃみをしたりしている。うがいをしていたが 手遅れかもしれないと言う懸念が拭えない様子だ。気をつけてくれよ〜。

10/20 晴れ。
薫は微熱があり 血色が悪い。血圧は元々高くないのだが 心拍数も少ないので、ちょっと不調になると 「大丈夫なのかねぇ?」 と言いたくなる数字が出る。せいぜいおとなしくしていてくれよな。
それでも、洗濯は阻止できず やっていたようだ。
玄路師を含め 下山する方があり 少林窟道場のメンバーと昼食を共にし、その後 お2人を 駅へお送りした。
久しぶりに 母にメールを書く。母とは 薫が 頻繁にやり取りしているので ご機嫌伺いと言った所だ。コタツやストーブを出したと 薫に知らせて来ていたので 我々よりも着々と冬支度を進めているようだ。

10/21 晴れ。
道育師のBirthday。薫はプレゼントにとディジュリドゥのカバーを 作っていたが、サイズの微妙な所で悩んでいた。5センチが曖昧なのだと言っている。
華の水を足したり 替えたりした。
午後、道育師を訪問。薫の不安通り カバーは若干 長かったが、兎に角 我々の訪問を喜んで下さった。

10/22 快晴。
道育師を 三原駅までお送りする。
薫は数通溜まった 返信書きをしていた。「書けた!」と飛び降りて来た時には、その日の郵便物が配達されており 更なる1通が来ていた。それを見せると、トボトボと後ずさり・・・それが 妙におかしくて大笑い。
夕方、薫の提案で 「小さい秋」 を見に裏山へ。そこには 僅かに数枚が紅葉した 木々や落ちて積もったドングリがあった。驚いたのは、墓地所の続きにある どこかの梅林で 狂い咲きの梅花を枝に付けた1株を 見つけた。さすがに香りは無かったが、各枝に1、2輪づつの白い花をつけていた。

お月見10/23 晴れ。
山内の掃除等々。
午後、勝運寺の水子供養に参列。8日のお薬師講に お集まりの方々の多くも 行ってらした。
十五夜の月見。ちょっと 寒いのだが 空気は乾いて 空は澄んでいるので 先月より 明るい月である。「月見団子を作ろうか?」と薫は言ったが、今日は 温かくして澄んだ夜空を楽しむだけにした。
暗いとピントが合わない デジタルカメラに 最大の手を使って 何とか撮影。カメラからの距離に人が移動し、「お月様も入れて!」の要求に 「北に5度傾け〜!行くぞ、3・2・1」と大騒ぎ。後から 「ねぇ、編集でちょっとだけ回転させて 切り抜いても良かったんじゃないの?」 深く考えない、考えない。良い月夜じゃないか。

快晴の景色庭でひなたぼっこをする薫。10/24 快晴。
日差しが嬉しい季節になった。薫は洗濯等々一区切りさせた後、庭で日向ぼっこを 始めた。ガラス越しの方が、風が無くて気持ち良いいよ。
結局、 「リンゴを剥こう」 「ココアを入れよう」と お茶の時間にしてしまった。その後、華の入れ替えや はぶ草採りを行う。
午後1番で、薫は 竹原市ふくし健康まつり会場へ 1往復の運転手に借り出された。身体障害者施設等が出店した パザーでリサイクルレターセット等を購入したようだが、それ以外にも 歯ブラシ、稲荷寿司などのお土産付きで帰って来た。「会場は広くて 良く目的の人物を見つけて乗せて帰ったよ。」と自分でも感心しているので、相当の広さと人出だったのだろう。気球が上がり、屋外コンサート場があり、出店テントも40以上並んでいたそうだ。
3時過ぎからお墓参りのお客様と 歴史散策しておられると言う方がお見えに成られたりと、千客万来であった。夜、方丈を少林窟道場へお送りする。

10/25 晴れ。
好天気が続き華の水が減るので 追加。
先月、津和野から義光老師の件でお見えに成られた 方丈様にお電話をする。山寺の 心当たりがあるとおっしゃって頂いていたからだ。今週中ほどにもお時間が頂ける事になり、急遽 方丈と明日から山口県入りする事に成った。
午後、ついにヴィアヴォイスを入手する。興味を持った薫に夜 音声認識用のエンロールをさせた。「300文も読まされた!」 と 不服そうだったが、デスクトップ上でプログラムを音声で 開けると教えると 「やる、やる。」と挑戦。「ホームページ・ビルダーを開く」の声に 即反応してくれた。調子に乗って 「ファイルを開く」と言ってみたが 開かない。マウスで開いて 入力位置にカーソルを持って行き 「10月25日スペース晴れ・・・?」「動かない・・・。動けゴマ!」 と暫しやっていたが、 「詰まらない〜!」 と ポイッと放り出して行ってしまった。そんなに 簡単なら どのパソコンも音声入力に成ってるよ。設定はどれでも 大変なんだぞ。『動けゴマ』か・・・。

玉蔵寺10/26 晴れ後曇り、夜になって雨。
方丈と共に車で出かける。山口県の奥にある玉蔵寺を拝見し、竜昌寺様を訪問するのが目的だ。玉蔵寺は、寂地峡という景勝地の手前にあり、そこは今ではかなり有名な観光地になっているようだった。玉蔵寺も道のすぐ側にあり、あまり魅力的ではなかった。方丈の意見も同様だった。
方丈・深谷大橋にて方丈・深谷にて玉蔵寺を後にしてどこかで昼食を取れる所を探しながら車を進める。しかし、営業している食堂はどこにもなく、ついに深谷という所に辿り着いた。深い谷に赤い大きな橋が架かり、そのたもとに広場が設けてあった。そこで車を止めて、薫が持たせてくれた色々なつまみを広げて飢えを満たすことにする。
木立の中に木で作ったテーブルと椅子が用意されていた。近くでは老ご夫妻が草の上にシートを広げて昼食にされていた。落葉がハラハラと舞い落ちる静寂の中で、ゆったりと時を過ごせたことを、方丈は殊の外 喜んでおられた。
そこから北上し、今夜の宿は津和野だ。

方丈・鴎外記念館にて10/27 雨後曇り。
午前中、森鴎外記念館を見学する。
森鴎外は津和野ので生まれ、幼少時代をこの地で過ごした。津和野藩の藩主は教育に大変 力を入れていたようだ。その教育環境があったからこそ、鴎外の才能が大きく花開いたことを知った。
午後、竜昌寺様を訪問。うっそうとした木立に囲まれた静かな山寺だった。「環境は自分で作るものだ」と言われた通り、竜昌寺様の個性が反映されているようだ。様々な話題で夕方まで話が弾んだ。
暗くなり始めてから桂光院様を表敬訪問。こちらの方丈様と井上家とは奇縁でつながっていることが分り、親しみを感じて下さったようだ。
夜、帰山。

10/28 晴れ。気温が高い。
我々の結婚式にもいらして下さった 百瀬氏のお母様がご他界なさり、明日 長野で行われる葬儀に参列させて頂くべく準備。方丈と共に 午後 一番で忠海を出発する。
名古屋を経由し中央線で 本日中に松本入りする事にしている。薫が連絡を入れたからだろう 百瀬氏自身が松本駅まで出迎えて下さった。松本駅前のホテルまで手配をして頂きあり難い限りである。

10/29 晴れ。
盛泉寺という大きなお寺での葬儀であった。所変わればと言うが、実に ことごとく 様子が違うのには目を見張る。盛泉寺の副住職様は、勝運寺の若方丈とご縁があるとおっしゃり こちらでも 又奇縁に恵まれる。
方丈の帰山は明日となり ここで別れた。百瀬氏の奥さまが 松本駅までお送り下さる。4時過ぎ薫と連絡を取り、帰途についたことを知らせる。
大変な混雑で大阪までは身動きも取れない。岡山で乗り換え、三原で呉線を待つ。8時半すぎに帰山した。
薫と遅い夕食を取ったのち、メールチェック。ビアボイスを入れて以来PCの調子が悪い。
いろいろと原因を探るが、インターネットエクスプローラーが壊れたとしか考えられない。かなり深刻な状況に薫はとうとう昨日のメールチェックも諦めたようだ。
インターネットエクスプローラーの上書きをしてみようと思う。ゆっくりやるしかなさそうだ。今夜はこの辺にする。

10/30 晴れ一時曇り。
大阪より墓参りにお見えになるとご連絡があり 午前中はその準備。
薫は華材を取り 華を入れる。今は コスモスがちょうどシーズンだ。
1時半過ぎにお見えになられた。1時間ほどして全員がそろうと、久しぶりに再会なさった方々の話が弾み お参りを終えられると4時が近かった。
夜遅い便で帰られる 方丈をお迎えに、三原駅に向かう。お疲れはあるようだが お元気で帰山された。

10/31 曇り。
午前中に昨日の皆さんがお見えに成る予定。お客様とほぼ同じ時間に方丈も 到着し、長年の積もる話に花が咲いていた。
方丈が海蔵寺を後にされたのは、お昼寸前だった。
昨夜、インターネットエクスプローラーの上書きで 直ったように思えたPCも再び 不調。この様子では やはり深刻なようだ。ビアボイスでPCが壊れたなんて 今まで聞いた事無いぞ!一体何がいけないのだ?ダイヤルアップ関連のプログラムに異常が出ているようにも思える。何よりハードディスクの空き容量が250MB位 急に増えたり、突如として減ったりするのが 不可解だ。
薫はピーマン、ししとう、プチトマト、春菊などを収穫し 少林窟道場へも届ける。ここまでは 通常のちょっと遅くまで夏野菜が育っていると言う感じなのだが・・・薫の作っている畑では、様子のおかしな「かぼちゃ」がある。と言っても「かぼちゃ」だと思っていたのは 薫だけであった。「かぼちゃ」をちょっと虫が食って傷が入っていると思っていたらしいのだが、それが今では全体に傷が網の目に成って来た。形も真ん丸くて色は濃くならない。「これ変なのよ、取って来たんだけど・・・」と薫の手に直径15cmほどの物体。それってメロンだろ?「何でメロンが生えてんの?かぼちゃだ、かぼちゃだと思って大事にしてたのに!」と薫。その小さなメロンは全く熟れていないと言う様子だが、種は既に膨らんでいる。気温が下がってこれ以上は、成長しないだろうが 薫にとっては冬至のかぼちゃの計画が 思わぬ事に成ってしまったようだ。ハロウィーンだからと言うわけではないが飛んだかぼちゃ騒動でした。
Happy Halloween!