2007年

1月3日 曇り
修理を終えた雨上がりも完璧な無縁塔さまの祭壇去年の暮に修理を完了した無縁塔は、雨を受けてももう中が濡れる事は無くなった。雨上がりでも、染み出る雨水で奉納された写経が濡れたりしても居ない。完璧!!
少しづつ手を加えて何とかしようと慧照禅尼も手を尽くされたそうだ。閑山さんも薫も禅尼と共に修理を何度かしたが成功しなかったと言う、長年の懸案事項だった。
北向きの地蔵菩薩のサッシが枠もろとも外れると言う事態に至り、終に、プロのご意見を賜る事に決めたのは、昨年の秋の事。
ご相談申し上げたのは、無縁塔を方丈と共に手作りしたお一人。当時、学生だった三好さん。
扉付きの防水の箱を作成し、既存の物を取り除いて箱が通過可能なように周りを広げ、埋め込んで、又周囲を修理すると言うお話しだった。三好さんがご意見のみならず、工事の手配もして下さるとおっしゃり、お願いした。
11月着工、12月20日に最後の庇が取り付けられて完成した。
工事終了後、方丈が請求書の代わりに頂いたお言葉は、「私の供養とさせて頂きます。」だったのだそうだ。思いもよらない有り難い改修工事を経て、生まれ変わった祭壇で、新年を迎えた無縁塔さまであった。
雨の日を何度か超えて、完璧な様子を見せる御堂内に感激する薫。ただただ、深謝、合掌。

1月5日 晴れ
「致知」の2007年2月号の「視点」にアトピー性皮膚炎と界面活性剤の関係を書いた記事が出ていた。
去年から界面活性剤を一切含まないバイオ洗剤を見付け出してきて、勧めている薫は大いに喜んでいる。
赤ちゃんだった観音を入浴させる際も洗剤を避け、色々工夫をして来たが、極度な神経質と見なされがちの薫の主張も無駄でない事が分かり嬉しそうだ。と、同時に日々の生活ですらこのように恐ろしい時代に成った事を思い知らねば成らない。
尚、「致知」は欲しいと思う記事の為だけに一冊を入手する事が容易ではないので、上記記事の情報にご興味の有られる方には、コピーを差し上げるようにしたいと思っております。
界面活性剤を含まないバイオ洗剤についても、ご興味有られる方は薫までご連絡を頂けば、ご相談に応じられます。
お気軽にお声を掛けて下さい。

1月23日 うす曇りのち晴れ
今日から電気メーターが変わった。実は、薫が以前から自家発電に興味の在った為、色々な夢物語を言っていたが、近年、太陽光発電の代理店からお電話を頂く事が多くなり、時折、説明も聞いてきた。
年々知識も増えて来たが、他の情報も増えて来た。色々、語っていたが、実際に分析してみようと言う話しになった。
中国電力に連絡して、日中にどのような配分で電力を使っているか教えてもらおうとしたのだが、海蔵寺に付いているメーターでは中電では判らないので、実際に時間ごとにメーターを見てみて下さいと言われた。
暫く、メーターの数値の記録を付けて来たが、常時電力を使っているものが結構ある事が判明して、時間帯別電灯契約に切り替える事にしたのだ。
今度は、デジタル式で、数字も随分見易くなった。

2月10日 晴れのち曇り、一時雨
夜、薫がパソコンの「ファイアーウォールがおかしい」と言い出した。ウイルス対策ソフトのファイアーウォールが正常に動作しなくなっていて、IPアドレスが取得できずネットへの接続も出来なく成っていた。

not-a-virus:AdTool.Win32.MyWebSearch.l と関係があるのか無いのか不明、感染経路も全く判らない。そして、ファイアーウォール以外にどのような被害を被っているのかも不明。一応、ウイルスは隔離し、ネットへの接続も復旧させた。

2月10日 曇り
幽雪、花粉症になったらしく、鼻水が出る。
パソコンは、昨夜、電源を切って様子を見る事にしたが、今日見ても同じだった。ウィルスセキュリティを再インストールするとネットへの接続も復旧した。しかし、念のためにハードディスクをスキャンをしたら一つウィルスをキャッチした。
『not-a-virus:AdTool.Win32.MyWebSearch.l』と言うウイルスに入られた事が判明し、隔離した。
どのような被害をもたらすものなのか知りたくて検索したが、どうもこのウイルス、まだまだ良くわかっていないらしい。亜種が山のようにあって、詳しい事は、書かれていない。
1週間位前から、ディスプレーが波打つような揺らぎ方をする時があり、薫が「PCが熱を出たした」とか「空き容量が少なくなって、キリキリしてしまっているのではないか?」などと言っていた。
LCDのせいなのか、本体のせいなのか、分からないので、ちらつきだした時に液晶をノートに接続して確かめようと思っていた。
今夜、ホームページビルダーでアップロードしようとしたらエラーになり、画面のちらつきも激しくなった。
ノートに液晶を接続してみると液晶のせいではないらしいと分かった。
となると、ウィルスによる破壊が進行しているに違いない、と思われるので、急いでデータのバックアップを取る。
観音は下の駐車場脇の溝でイモリを捕まえて来る。

2月11日 曇り時々晴れ。やや冷え込んで肌寒い
薫のパソコンを再インストールしようとしたが、そのためのリカバリCDが見当たらない。どこかで見た覚えもない。箱も捨ててしまっている。パソコンのプログラムを色々みていたら、リストアのプログラムがあったので、起動させてみたら、大変な時間がかかってしまった。バックアップのためのソフトだったらしい。
幽雪のThinkPadの取説を見たらリカバリする時のファイルはHDの中に組み込まれていることが分かった。
ThinkCentreのオンライン取説にはリカバリのことは何も書いてなかった。レノボサイトのサポートを探してみたら、リカバリの仕方が書いてあった。やはりHDの中に入っていることが分かった。なんやかやと終日かかる。
観音はイモリをもっと捕まえるんだ、と言って、下にある井戸のような所へ行き、網で浮き草をすくってイモリを探す。しかし、冷え込んでいるので隠れてしまっているようだった。
夕方、黒崎先生がお見えになり、先生の畑の最後の大根を全部持って来て下さる。

3月5日 晴れ
観音がイモリを大量に捕まえて来た。春らしい暖かな日でイモリもたくさん出てきたようだ。
捕獲合計22匹、早速、いつもの海苔の瓶に入っている。
土筆も少々採って来ており、観音一人で袴を取っていた。土筆のきんぴら、春の味である。

3月7日 曇り
流石に22匹は多すぎるようで、互いに噛み付いている。(歯が無いので、怪我はない)
観音も状況が把握できたようで、片目の1匹を含む、哀れそうな5匹を選んで残し、後は「自然にお帰り」と、捕獲地点の溝に放しに行く。

3月19日 うす曇り時々晴れ
午後、観音と薫は畑でトウが立った野菜を持って、大久野島のウサギに与えに行く。
島の観光客の多い港からホテルにかけての通路で見かけるウサギは毛並みも何処と無くバサバサで、くしゃみをしているものも結構いた。数もぐっと減っている。
その辺りのウサギはお菓子なども来島者に貰い喜んで食べている。食生活が悪いから、病気に成っているのではないかと薫は推察していた。
逆に島の北側の観光客の少ない側では、毛並みの綺麗なウサギが巣を作っていたが、いずれも数が少ない。
連絡船の船員の方のお一人が、毎日、スーパーなどで野菜の外葉などを分けて貰って、ウサギに遣っている。この方がおっしゃるには、子ウサギは、巣から出てくるようになると、まなしに、カラスに遣られるのだそうだ。
そして、ペットだったと見られる毛の長い種類のウサギが一ヶ月ほど前から島で見られるようになっている。耳の垂れ下がった種類も一時いたが、野生に成り切れず、仲間になれないので、餌場から終われ、終には衰弱し、哀れな状態に成っていたが、今は姿が無いとの事だった。
カラスは、以前の何倍も多い。

3月25日 曇り
昨日の雨で草木が生き生きとしている。薫が最近、寒天入りで作っているジャムやマーマレードのレシピを書いてUPする。

4月6日 晴れ
小学校の入学式。観音が一年生に成りました。七五三の時の着物に袴を合わせて入学式に参加する事にしたが、道々たくさんの方々に「入学おめでとう」とお声を掛けて頂き、如何に通学路が地域の皆さんに見守られているかを実感したと付き添った薫が言う。
帰宅後は、慧照禅尼に報告の墓参、本堂にて報告の焼香。
それから、大わらわで着替え、一路、白滝山へ。実は、遥々オーストラリアより中塚先生と 先生のご友人のイザベル女史がイギリスからお見えに成られて、方丈と既に白滝山へ上がっておられるのだ。
道育師もご一緒に、山頂の八畳岩にて昼食を頂く。大イベントの一日であった。

4月15日
「4/7・8に幕張メッセで行われた空手の世界大会にて組み手で優勝しました。日本人では2人目です。・・・」と葉書が届く。この『伊藤みるよ』女史、現在21歳のバリバリの格闘家だが、どんなご縁かと言えば、かつて彼女が幼少の頃に薫と一緒に雪上で風を切って滑っていたとの事。
折に触れ、お便りを頂いていたが、一昨年の世界大会・型の部での優勝に続き、実に目を見張るご活躍ぶりに薫も我が事のように喜んでいる。

イソヒヨドリ4月19日 晴れ
幽雪がイソヒヨドリを見つける。畑をしていると、良く通る声で鳴くやや大きめの小鳥で青い頭にオレンジの腹をした鳥が近くに来ていた。セキレイやジョウビタキと違い、今まで姿を見た事が無い鳥だった。調べると、イソヒヨドリと判る。
カメラを取りに帰ると逃げてしまったが、再び声が聞こえ、何とか姿をカメラに収めた。

5月7日 晴れ
入学してから観音の毎日は忙しくなり、アッと言う間に一ヶ月が過ぎた。連休中は久しぶりに薫と一緒に絵を描いていた。薫は近況をお知らせ下さった みるよ女史の優勝記事が出ている空手雑誌を入手し、雑誌を見ながら色鉛筆で似顔絵を仕上げ、今日ご本人に送る。
楽しそうに描いている薫の色鉛筆の使い方を見ていた観音の描き方も随分変わってきた。

5月16日 曇り
先週末、みるよさんから、お礼のお便りにモバイル用ブログのアドレスが記されていたが、薫の事や似顔絵の画像も載せて下さっていたと驚いていた。出会いの頃から良い意味での驚きを与えて下さる方だったと語る薫はとても嬉しそう。
イソヒヨドリは、この一月近く毎日のように来ている。本堂の屋根の上や、旗竿の先などの見通せる場所で、良く通る声で鳴いているのは、縄張りの宣言だろうか?何時も一羽で高らかに歌っているが、舞い上がるともう一羽が現れる。もう一羽を呼んでいるのだろうか?

5月29日 晴れ
東方寺住職・友貞祖玄師遷化。午後7時より逮夜。

5月30日 晴れ
午後7時より拙峰祖玄大和尚通夜。

6月1日 うす曇り
12時より東方寺六世・拙峰祖玄大和尚葬儀。

6月30日 うす曇り
気温は高い。動植物そして人間も活発な時期なのだろうか、千客万来。
夜、本堂にて蛍を発見。虫取り網にて捕獲し、屋外に放つ。外は、明るい満月。明るすぎて、薄暗がりを求めて入って来たのだろうか?海も月と同じく一面に輝いていた。

7月1日 
祖玄師 大練忌法要。

7月28日 晴れ
重ねての悲報です。
澤田さんの奥様より、26日夜に澤田さんが東京で亡くなられ、無言の帰宅をされたとお電話を頂戴した。
急ぎ、皆で参上。 お話をお伺いすると、東京での出展で行かれており、26日のお仕事を終え、知人との会食中、突然、コクリと頭を垂れられ、息絶えられたそうです。今回、奥様は、工場から澤田さんが必要な分だけの追加の送りを担当しておられ、同行して居られなかったそうです。
禅僧の坐脱の如く、壮絶なまでの見事な最期でしたね。
謹んでご冥福をお祈り致します。 合掌

9月5日 晴れ
澤田さんの正当大練忌。法要自体は週末にされたようだが、お参りさせて頂きたいからと、薫がお訪ねした。奥様は、工場でお仕事をされておられたとの事。
澤田さんが作り、鼻緒を挿げた下駄を、展示室いっぱいに並べて、整理をしておられたそうだ。
お電話での送りの注文や訪ねて来られる方も、又、ボツボツとお受けしているとおしゃって居られた。
「もう、お父さんの作る下駄は、出来んから、いるのがあったら、ある内に言うて下さいよ。あるものしか出来んけど」とおっしゃて下さったそうだ。
磨きのところからしか奥様は出来ないから、職人の道具と技が必要な途中工程の物はいくらあっても、もう澤田さんの下駄は生まれてこない。
現在、サンド・ペーパーで削り出すのが殆どと言うこの業界で、材料にいとめを付けず、完全に昔ながらの職人技で作ってこられた下駄も、途中工程の物は、他業者さんへ引き取ってもらうおつもりだそうだ。
「原木から、下駄の原型を切り出して作る大型の機械類も、本当に使って頂ける方があるなら、お譲りしたい。大きな機械だから、運ぶだけでも運賃が掛かるし、本気で下駄作りをして下さる方が出たら、差し上げても良いと思う。道具も、出来るなら、職人さんの手に渡したい」と語られたそうだ。
機械も道具も揃って、技を持った方が居られたのに、とうとうその技は伝承される事も無く、澤田さんと一緒に逝ってしまった。
澤田さんの遺された物の中に、戦争の記憶もある。実は、澤田さんは、原爆手帳をお持ちのお一人でした。今年「学研」より発行された『せんそうってなんだったの?』「語りつぎお話絵本」シリーズの「7」『原爆・沖縄』と言う本の中で「おねがいです、水をください」と言う題名で書かれている原爆の話は澤田さんが体験を語ったものです。
合わせて、澤田さんのお人柄を偲べる遺品となりました。

猪が引っぺがそうとした錆び始めている倉庫のトタン9月15日 晴れ
猪が倉庫の壁面のトタンを、引っぺがそうとしていた。内部に侵入した形跡は無い。畑等の囲いの柵と勘違いしたのだろうか?
圧し折れた部分以外にも、鼻を掛けて抉じた跡が伺える。
トタンがさびてきているので、いずれは張替えも必要だろうが、今のところこの猪のお手伝いは、有り難くない。

9月20日 晴れ
明日からの田崎さんの作品展に合わせて、薫が竹紙の作品を送り出した。「クヌギ」これに「どんぐりばやし」の詩を添えて久しぶりの一作だ。
田崎さんの展示会の資料もUPした。

10月12日 曇り
翁庵をお訪ねする。今日は、観音の学校がお昼までだった。午後、図書館経由で具志さんをお訪ねする事にした。
澤田さんの工場へ材料を仕入れに来て居られた、具志さんと出会い、澤田さんが時折お話下さっていた箱屋さんだと分かる。
澤田さんが箱屋とおっしゃったのは、桐箱も作られるからで、実は木工芸品を作っておられる。
今年、70歳に成られるサイパン生まれ、沖縄育ち、切り絵やストロー画も為さる具志さんも、後継者問題で悩んでおられるお一人だ。
お話する内、このサイトでのご紹介が決まり、林の寺子屋として登場して頂く事に成った。
薫の新作「菊花の簪」も持参して、見て頂いた。

10月22日 晴れ
畑は、葉物野菜がジャワ原産のホウレン草の間で芽を出している。種まきをした時は、まだまだ、暑かったので、大根の種は蒔いていなかった。
今日は、空いた場所を探して、薫が大根の種まきをする。雨が少ないので、土は表面は乾燥している。夜露・朝露があるので、植物は何とか干乾びずにいるようだ。草も良く出ているが、青虫はあまり居ない。蝶がたくさん舞い来ているので、その内、青虫だらけに成るだろう。
霜が降りるまでは、ジャワ原産のホウレン草が中心に収穫される予定。夏から残っているナスとシシトウが未だなっている。ハブ草も収穫中。