1月1日 晴れ
日が差すと温かく、小春日和のお元日となる。今年も、お昼前に、道場より新年の法要の為にお越しくださった。
例年通り、御本尊様と御薬師様で読経。その後、新年の挨拶を交わし、お屠蘇を頂く。
暮に京子先生に頂いたオーク樽詰めの珍品にて新年の献杯をさせて頂いた。
今年は、新年に煮付けをと新鮮なカワハギを山本様が調理してご供養下さった。煮付けるにあたり、『お醤油の買い置きを忘れた』と困る薫を助けるように、お年賀でお醤油が届く。目を丸くしつつ感謝し、煮付けたカワハギがお節と共に並んだ。
午後、福寿院さまがお年賀にお越し下さる。今秋、晋山結制を為さる事が決まったとのお話を伺う。
夕刻、勝運寺様へお年賀のご挨拶に上がり、ご馳走に成って帰山。今年は、天地祖母上は、自室にて召し上がるとおっしゃりご一緒なさらず、勝運寺様のご子息は体格が良くなられ、時の流れを感じるお元日と成った。
1月2日 晴れ
風が冷たいが、日差しは暖か。
午後、嵩さんが、お年賀のご挨拶に上がってくださる。健康談義の午後となる。
夕刻、薫が道場へ頼まれていたメールの返信をしに、出掛けるのに観音が同行。丁度、十楽先生・前田さんご一家がお見えで、友松先生、高田さん、高宮さんとも、久しぶりにお会いしたそうだ。高田さんが気功をして下さったと、喜んで帰山した。観音は、友松先生がして下さるのにあわせ、合掌、三拝、九拝していたそうだ。
1月3日 曇り時々晴れ。
お昼前、十楽先生がお年賀のお参りにお越し下さる。老師の身体をご心配下さっていた。
そこへ、平井さんがお見え下さり、異国談義で盛り上がる。
午後、新年の更新をする事にする。
1月6日 快晴。寒行開始。
1月7日 曇り。朝は霧。
霧に煙る参道を下る姿が中々良い。
1月13日 晴れ。
海蔵寺にて、京子女史と薫の友人が持ち寄りのランチ。丁度、お昼に所用があった幽雪が、帰山してみると、お寺は幼稚園状態。
「中々良かったわね。又、時々持ち寄るのも良いわね。」と薫。「しかし、お寺が破壊されるのは、困るなぁ〜」と幽雪。
1月29日 曇り。
昨晩、今年2度目の積雪。雪景色。明け方からは雨だったので、濡れた雪で粗方がお昼前には消えた。
が、屋根から叩き付けて固まった雪は、しっかり残っており、学校から帰った観音は、日が暮れるまで雪遊び。ソリまで持ち出して、50cmの滑降を楽しんでいた。
2月3日 雨のち曇り。節分。
寒行、無事満散。
日中降っていた雨も上がり、今年も全山開け放って豆まき。「鬼は外、福は内」「鬼は外、福は内」
例年のごとく、撒いた後は、拾う。拾いながら、福豆をたらふく頂く。
2月9日 曇り一時雨。
観音が昨夕から、少しだるそうにしていたが、今朝から発熱。学校ではインフルエンザが高学年から流行り、現在一年生にもかかった子が出ている。
2月10日 晴れ。
連休を孫と過そうと幽雪の母が来てくれていたが、朝、早々に退散頂く。
観音は、熱が高くなる。益々、インフルエンザの気配。
2月12日 晴れ。
観音はお休み。給食当番のエプロン等を届けると、「インフルエンザの場合、欠席扱いとは違うから確認を」との学校のアドバイスもあり、病院へ。
一軒目では、子供の患者を見るなり、全員、受付窓口からずっと後ろに避難して、「子供用の薬も無いので、他の医院へ」と断られる。
次に近い病院は、薫の個人的な経験により飛ばして、その先の内科医院へ。薫は、余りにも病院事情に疎くなっており、職員用の駐車場に駐車して、病院の建物を探してうろうろした模様。
こちらの先生、薫に「タミフルは発症から48時間以内じゃないと意味ないし、どうします?自然の治癒力を高めて治しますか?それとも、何かします?」と聞いたらしい。
「やっぱり、インフルエンザだー」と、行きと同じく、保険証だけ持って帰山。
2月18日 曇り時々晴れ。
朝方よく冷え込んだ。ストーブを付けていても、室温7度、やっぱり寒い。屋外の水道管は凍った。観音が久しぶりの登校をした後、お湯を掛けて解凍。
観音は、インフルエンザにしっかり体力を奪われたようで、だいぶヤツレ顔。大丈夫かな?まだ、他の子にうつるんじゃない?病み上がりでくたびれるだろうなぁ・・・・色々気がかりに成るのが、親。
が、保健室からのお迎え依頼も無く、無事に午後に成った。良かった、良かった。
3月8日 晴れ。
気温が上昇、午後、久しぶりで山縣さんがお訪ね下さる頃にはポカポカ陽気と成った。
山縣さんも「歩いて来たら暑い位でした。」とおっしゃる。「言語≒考え方=物づくり」と言った面白いお話をお伺いし、忠海の近況(人口変動や、10階建てのマンションの計画が出ている事など)をお話しし、ゆっくり午後のお茶を頂く。
変わらず屈託の無いシャープなお話しぶりで、楽しい。お仕事もお忙しいようで、「なかなか休みも取れなくて」とおっしゃっておられた。少しでも、瀬戸内ののんびりした日差しの中でゆっくりして頂けたなら幸い。
3月26日 晴れ。
道育師にお会いしに、白滝山・龍泉寺へ。木製の古い火鉢を修理して出したのだとお話しを伺いながら、そちらで皆でお茶を頂く。
帰りは、カラス蛇がもう出て来て入るかも知れないし、すみれも摘みたいから歩くと観音。薫が付き合って、山腹まで歩く事にし、幽雪が車で下る。
が、観音が「このまま歩いて帰ってみたい」と言い出し、救援が必要な時に迎えに行けば良かろうと幽雪と車は帰山。薫が観音と小泉の道を歩き続けた。
日も傾き、2時間を経過したが、まだ歩き続けているようで、救援依頼がない。
とうとう、日も暮れた、7時過ぎ海蔵寺の西側より帰山。終に歩き通して、「道が硬くて、足が痛くなった!」と言いながら帰ってきた。夜は、山すそで摘んだすみれのサラダ。
観音は、急速に体力が付いているようだ。
4月4日 曇り。
今年は、椎茸がたくさん出てきた。菌が充分に回ったようで、至る所から生えて来た。雨がコンスタントに降るのも良いのかもしれない。中には、木自体が柔らく成りつつあるものがあり、そろそろ終わりかなぁ?と思うが、この春は思う存分
食べられそうだ。
4月5日
畑には、菜の花が花盛り。桜も満開。
4月12日 晴れ。
宮床祭り。少しづつではあるが、今年も露店の数が減っている。メイン会場のイベントも少しづつ様変わりしつつある。
忠海高等学校の展示が会場の一角にあった。科学研究部の海援隊活動、生態調査などの記事を、観音は一生懸命に記事を読んでいた。
今年も、馴染みの植木屋さんが、野菜の苗を幾つか買った観音に「この花も育ててみて!」とプレゼントしてくれた。「よその子ながら、この子には毎年会うのが嬉しい。将来が楽しみですよ。」とおっしゃっる。
5月2日 曇り。
西谷さんと田中さんがお見え下さる。山藤を眺めておられたが、白藤も見てみたいと言う事で、西谷さんが海蔵寺を推薦してくださったのだそうだ。
ここには、方丈が入寺の記念樹として植えた白藤がある。花は、もう終わり掛けで、かなり散っており、あちこち茶色っぽく成っていたが、白藤を見るのは初めてだからと喜んでおられた。田中さんは、足元に落ちていた、昨年実って散っていた白藤の種も拾ってお持ちに成られた。無事に芽が出ると良いなぁ〜とおっしゃりながら・・・。
5月3日 晴れ。
大智老尼二十五回忌・少林窟道場開単五十周年 無事円成。
5月12日 晴れ。
シロアリに食べられて圧し折れてしまった玄関横の柱を補強しに、嵩さんと大工さんいらして下さる。
大工さんは、床板を上げて床下をライトで照らして調べながら、「ここは、本当にしょっちゅう直してるなぁ。」と見ていると、嵩さんが「余り眺めていると全部直したくなるから見ない方が良いぞ」と笑う。
結局、シロアリ用の薬を折れた柱を中心に注入してくださり、補強用に、添え木状態に柱を立てて下さった。
この薬剤シロアリにも効くのだろうが、人間の方にも強力に効くようだ。
近くで作業をしていると、頭が混乱して来る。幽雪の方は、薬剤の危険性を感じていたのに、何時しかその感覚が鈍って来た。薫は、話をするのに、単語が次々出てこなくて、戸惑った。
明らかに神経毒・・・・これでは、この柱の近くで過すのは危険すぎるので、西の端の薬師堂にて避難生活を始める事にした。家中、開け放って網戸のままにする事にした。
この避難生活も、観音にとっては、キャンプ気分の楽しい時間のようだ。
6月13日 快晴。
観音と薫が午後遅くに澤田さんをお訪ねする。薫、終に下駄の鼻緒の立て方を習って帰る。
直しも利かない立て方をされた下駄の多い昨今、澤田さんのお人柄を引き継ぐ鼻緒の立て方を学べた事を大いに喜んでいる。
とは言え、まだまだ練習が必要。解いては立て直す練習が出来るように、最後の切り揃えをしないままの下駄と鼻緒を持って帰山した。
澤田さんのところの鼻緒の数が残り少なくなり、鼻緒の立たない下駄が出来そうだとの事。鼻緒自体も自作してみてはどうかと勧められたようだ。
7月20日 晴れ。
薫と観音、富士登山。昼過ぎ、須走口5合目より登る。今日は、兎に角高度に慣れる為に、7合目泊を決めているが、それにしても観音のペースが出ない。
3時に6合目。高山病で断念と言うのは残念だからと、用意していた食べる酸素のタブレットを舐めながら上った観音。どうも、調子が悪い。4時半に本6合目の瀬戸館でトイレ休憩。もしかして、そのタブレットが気持ち悪い原因じゃない?止めることにした。
顔色も良くなり、元気になって、6時前に本日の目的地・7合目の太陽館に到着。
幽雪、夕方、方丈に頼まれていた昭和60年の白梅酢等を道場へお届けにあがる。が、方丈にはお会いできず、物だけ置いて帰る。
7月21日 晴れ時々曇り。海の日。
幽雪、玄関、西の廊下の天窓等、庫裡のトイレの各網戸の張り替え。これで全ての網戸を張り替え終わった。
薫と観音は、4時半にご来光。朝食と支度をし、混雑を避けてゆっくり7時に出発。9時に8合目の江戸屋。11時前に8合5勺・御来光館。
今日は、朝食で一緒に成り、一足先に出発した姉弟とお母さんのチームに追いつき、子供達は直ぐに意気投合。尻取りをしたり、歌を歌ったりしながら登る。
薫の携帯のバッテリーがとても早く減少し、切れかける。昼食を済ませ、1時に山頂の公衆電話から観音が登頂成功の電話を幽雪に掛ける。至って元気!
その後、山頂で葉書を書いて、富士山頂郵便局にて投函。最高地点を目指すが、急な上り坂で流石に疲れて、あと20m程の地点で断念しようと決心しかけた観音に、居合わせた方が皆が、口をそろえて「勿体ない!這ってでも、上がったら、ほんのちょっとよ」と声を掛けるので、ジリジリと進み、結局、登ってしまう。
日陰に入り、水を飲んだり、火口を覗いたり、引き返すつもりでゆっくりしたら、元気が湧いてきたようで、「お鉢めぐりを続けたいと言い出す」
時間的には予定より押していたが、ここまで来たのだしと、続けて歩き、4時から下山。太陽館を過ぎると、夕刻を感じさせる涼しさに成った。
丁度、下山するスタッフの方が、不慣れな2人だと見取って、アドバイスしながら降りて下さった。
薫は、古傷の膝がネックで、下りの後半でペースダウン。持参したヘッドライトは、荷物の中で、他の物に押されてONに成っていたようで、電池の新品を入れて上ったのに、バッテリー切れ。このスタッフの方が、一緒でなければ危うく、木々に囲まれた真っ暗な道をライトなしで歩く羽目に成る処だった。
夜、8時半過ぎにホテルに入り、無事下山の連絡入れる。結局、変な酸素のタブレットを最初に試しただけで、持って行った酸素は使わず、歩き切った。
山頂から書いて送った葉書、皆、喜んでくれると良いね。
8月20日 晴れ。
フランスより、学会に参加される為に来日されたドロテさん(ドイツの方)が、お寄り下さる。本当は、18日に日本に到着されたのだが、荷物がどこか別の場所へ運ばれて行ってしまったそうで、荷物の受け取りの為に足止めされてしまい本日の到着となる。
8月21日 晴れ。
薫と観音がフランスで剣道を習っておられるドロテさんを大山祇神社の宝物館へ案内し、ついでに大久野島のヴィジターセンターで竹紙漉きをして来た。
夕食は、白滝山の八畳岩からの夕日を見た後、道育師のところで、京子女史と共に調理させて頂き、皆で頂くと言う盛りだくさんな計画。
幸い、島々も見え、夕日も美しかったようだ。
8月22日 晴れ。
ドロテさんは、今日が既に出発の日、明日から大阪で学会に参加される。
お仲間も、今夜から大阪のホテルに集結しておられるとのこと。日本滞在中に、スプリング8 などを始めご覧に成りたいところも、挑戦してみたいこともたくさんあられるご様子。
今日は、午前中に習字に挑戦し、お昼から薫と観音が竹原の町並み保存地区へご案内。竹細工体験もされ、ここを後にされた。
ご活躍を大いに祈ろう。
9月28日 曇り。
観音と薫は、瀬戸内海エコツアー「干潟の生き物を観察しよう」に参加。
竹原に残された自然の海岸の残る干潟へ、その干潟の観察を長年続けて保護活動をしておられる岡田和樹氏直々の解説付きで行くと言う、大久野島のビジターセンターの主催の環境ツアーだ。
この「ハチの干潟」へは、潮が引いた時だけ川原を歩いて行く事ができるが、それ以外の時間帯は、畑の脇を通る細い山道を通って、海岸と町を隔てる山を越えて行くしかない。この地理のお陰で、長年開発の目を向けられずに残ったようだ。
とは言え、火力発電所の建設用地の候補に上がったり、浚渫土の投棄地として造成計画地に成ったりした歴史がある。
造成計画は、上記の岡田氏の必死の活動で、取り下げに成り、今でも汚染される事無く、自然なアマモ、コアマモと言った海草の広がる貴重な干潟で、それはそれは多くの小さな生物の宝庫と成っている。
今日は、薫も観音も初めて、押し網で上がる多くの干潟の生物を観察して来たようだ。
岡田氏のハチの干潟についての知識にすっかり敬服して帰山した。
10月3日 晴れ。
福寿院さまの晋山結成準備会が行われた。幽雪、お手伝いに上がる。
幽雪、初めてICOCA(JR西日本のピッピッとタッチして改札するカード型の繰り返し使えるプリペイド式の乗車券)を使って電車を利用した。
25,26日まで、あと3週間ほどになり、慌しく成ってきておられた。
10月8日 晴れ。
薫の義伯母の葬儀が室戸で行われる。方丈、幽雪も共に行くので、観音も同行させる事にした。
朝、車で出発して、午後1時の葬儀にギリギリで到着。(当初、2時の予定と聞いていたので、本当にギリギリだった)
薫は、昨日、夜なべして観音に着せるために黒のワンピースを作っていた。道中、「ごわごわでカッパみたいだ」と祖父と孫で話していたが、薫の主張は、「10月からの儀礼服に使えそうな黒の布なんてこれ位しかなかったの!くるみボタンの材料まで入れたって全部で400円ほどなんだから、これだって上出来よ!」であった。
室戸岬に近い羽根町と言う町は、1両の電車が走る土佐くろしお鉄道の終点・奈半利駅から更に岬方面へ行ったところだった。方丈は、道場で待つ参禅者の為に、出棺の後、とって返して、奈半利から電車、後免から特急南風へと乗り継いで急ぎ帰山。
我々は、骨上げのお経まで参列し、太平洋へ沈む夕陽を眺めゆっくりして、荷物と一緒に明日の到着で帰る事とした。
10月21日 晴れ。
幽雪、午前中、勝運寺さまに根松と曲禄を頂きに上がり、午後福寿院さまに運ぶ。
夕食後、観音は手作りケーキ、薫はカマンベールチーズ等、幽雪は缶ビールを担いで白滝山へ。本堂の前で、ハッピーバースデーを歌う。
道育さんが、笑いながら木刀を持って、現れる。今日は、道育さんの還暦の祝い。暫し、お茶を頂いて、ケーキを食べ、おいとまする。
10月22日 曇り。
午前中、幽雪、免許の更新に竹原警察署へ。薫も序に竹原での用を済ませに行く。
午後、元久保さんが薫のお願いしていた集めたユニセフの署名をお持ち下さる。懐かしい人に連絡するきっかけに成ったと、語って下さる。
10月24日 曇りのち晴れ。
幽雪、朝から福寿院さまへ。午前中準備、午後ならし。夕方帰山。
10月25日 曇り時々晴れ。
幽雪、福寿院さまに10時集合。駐車場がないので、薫と観音が送ってくれる。薫と観音は、帰りに図書館と本屋さんへ。
10月26日 小雨のち曇り。
福寿院さまの、晋山式、晋山開堂、首座法戦式。
マイクが渡せなかったり、香炉がひっくり返って灰だらけ事件があったりと小さいハプニングはあったものの、心配したような大事は無く、無事に終わる。
写真撮影の前には、「大抵、大幅にずれ込むものだが、見事に予定時刻だ」と感心する声もあったそうだから、大成功と称しても良いかもしれない。
薫と観音も式に参列。記念写真では、どうしても観音の顔が出ないと、写真屋さんが大弱り。何とか入って、無事撮影。
祝斎も終わり、法堂の後片付けも2時半頃には終わり、薫と観音に迎えに来てもらった。
雨も上がり、大きな行事も終わり、ホッとしながら車に揺られ3時過ぎに帰山。お疲れ様でした。
11月2日 晴れのち曇り。
薫と観音、広大の学園祭と西条生涯学習国際交流云々に出かける。実は、京子女史のお誘い。
広大の牧場を見学し、青木先生の研究室へお邪魔し、セツ女史の参加しておられる会場でサリーを着せて頂き、広大の図書館へ寄って帰る。
小学校の図書室と、社会福祉センターの3階に間借りしたような状態の竹原市の図書館ばかりの観音は、広大の図書館に感激。「私、こうゆう図書館に来たかったの」と、大満足。
母達は、様々な、見学や体験を計画し、駆け回って努力していたのだが・・・・子供の満足は違うところにあったりする。
因みに、信孝くんは、「今日は、観音さんと一緒に走って、すっごく楽しかった!」と言う感想だったそうだ。
11月8日 雨。
観音は、何時もより30分早く登校。今日は、竹原市小中学校合同文化祭で、観音たちは早い出演。
6日より、この日を楽しみに幽雪の母が来てくれており、3人で会場の竹原市民館へ観にいく。
忠海西小学校は、早い出演で、全校生徒が舞台に上がり、3曲を合唱。
健康体操を披露する幼稚園や、揃いのユニフォームで踊る忠中そうらん等さらに数校の発表を見て会場を後にした。
続いて、通り一本先の竹原美術館へ。実は、今日から「相田みつを全貌展」が始まる。初日の今日は、相田みつを美術館長の作品解説があるのだ。
100点を超える展示で、見ごたえもあり、その求道の姿は打たれるものがある。
11月18日 曇りのち晴れ。冷たい木枯らしが吹き荒れる。
お昼過ぎ、何年かぶりで小積さんがお尋ね下さる。今日、少林窟を下山された若林さんとご一緒。
お茶をご一緒し、近況を少しお話下さった後、薬師堂へも上がられる。
小積さんが、お散歩中に転倒されたとおっしゃっておられたが、薫がお辛そうで気になると、とうとう愉気を始める。
参禅記にある小積さんの見た海蔵寺からの景色を見たかったから、海蔵寺へ来たかったと言う
若林さんは、その間、庭に出て日を浴び、風に吹かれ、海を眺めておられた。
紅葉真っ盛り、帰宅した観音が「落ち葉拾いに黒滝山へ行きたい」と言う。幽雪が郵便局経由で付き合って、歩いて行く。
5時に、桜堂から沈む夕日を眺めて、帰路につく。陽が落ちると急速に冷えて来た。
11月22日 晴れ。
小積さんが、先般少し話しておられた資料等々を抱えてお越し下さった。
久しぶりに、小積さんの熱弁をお聞きする。満面の笑顔で、語られるお姿は、年月を感じさせない。
11月24日 雨。
夕刻、観音が待ちに待ったおじ上とラケルおば上が帰山。滞在は、金曜日までと言うので、観音はショックを受ける。
11月27日 曇りのち雨。
閑山さん達は、予定を変更して、来週火曜日までいて下さる事になった。観音は、学習発表会を観てもらえるし、終日一緒に過ごせる日が出来ると、大いに喜ぶ。
11月29日 曇り時々晴れ。強風。
今日の観音は、おじ上とおば上に終始張り付いている。
観音が楽しみながら学習出来ればと薫が考えた算数ゲーム(トランプゲーム)は、閑山さんとラケルさんの両博士にも好評。
結構熱が入って、大人も手抜きなしに楽しめるよう追加ルールを作るなどして、盛り上がっていた。
閑山さんは、観音以上に真剣。でも、ここぞと言うところでラケルさんが上手を披露。観音には、随分楽しい算数タイム、大人は真剣に張り合って頭の体操をした。
ゲームが好評を得て、薫ご機嫌。
11月30日 晴れ。
寒い日となった。9時より忠海西小学校体育館で、学習発表会。閑山さん・ラケルさんもご一緒にみんなで観に行く。
1年生は、合奏と合唱。校長先生が指揮をして、担任の先生がピアノ演奏。聞いた入学式の模様からすると、実に素晴らしい成長ぶりで、良く揃っていた。
2年生は、「町のねずみと田舎のねずみ」と題したミュージカル仕立ての劇で、観音は
箒を持ってねずみを追い回すおかみさんの役。
田舎のねずみ役の子達が着ているちゃんちゃんこの幾つかと観音のエプロンは、薫が2週間ほど前にミシンと奮闘していたものだ。
毎日、劇の練習を積んできただけに、なかなか良く出来ていた。観音も、最後まで気を抜かず、しっかりと演技し切った。
奇数学年は楽器演奏。偶数学年は、劇の発表。4年生はシンデレラ、6年生は、浦島太郎。 中ほどで、全校での合唱と休憩。
今日の出来栄えに、校長先生も笑顔で終りの挨拶に立たれ、会場、大拍手で終わる。
閑山さんは、ご自身の小学・中学同級生や先輩達とも出会い、ラケルさんを紹介したり、昔話をしたりしていた。
最後は、閑山さん・ラケルさんも父兄に混ざって、片づけを手伝って下さり、観音の下校準備を待って、全員で帰山する。
その後、幽雪も算数ゲームに参加。あれ?このゲームのルール、また、進化した?観音がベテラン顔。おじ上、真顔。賑やかなり。
12月2日 晴れ。
閑山さん・ラケルさん出発。薫が、広島空港まで見送る。
12月3日 曇りのち晴れ。
岡崎建設さんが、今日は墓地所で工事をなさる為にお見えになる。今しばらく、現場が掛持ちになるそうだが、本格的に始めたら一月以上毎日伺いますよとの事。
午後、元久保さんが、自作のケーキを持ってお見え下さる。岡崎さん達にもお声をお掛けして、みんなでお茶をしケーキを頂く。
この秋は、元久保さんも薫の始めたユニセフの署名集めを随分手伝って下さったようだ。
12月5日 曇りのち雨。
日中風が強かった。
昨日から井戸の汲み上げ用ポンプの水が滴り落ちている。午後、永福さんの職人さんが、見に来て下さる。
タンク出口のパッキンが朽ちていたから、それが原因だろうと取り換えて下さった。が、暫くしてまた、滴り始め、ポンプ自体の修理が必要そうな気配。
12月7日 晴れ。
朝方の気温-3度。バケツの水が凍っていた。
夜、気が付くと、お風呂のポンプが止まっている。電源は入っているので、ポンプが逝ってしまったのか?
12月8日 小雨。
お風呂のポンプの件で、嵩さんに救援を求めたところ、以前に別の処から取り外して置いてあるのがあるとおしゃって下さる。
井戸の汲み上げ用のポンプも寿命とのことで、新しいものを取り寄せて頂く事になった。
お風呂が使えないので、お風呂屋さんへ。観音は、大喜び。
12月9日 雨のち曇り。
寒気は緩む。
嵩さんが、ポンプの替えを持って来て下さった。「暫く使っていなかったものだから、動けば良いが」と言いながら繋いで下さる。ちゃんと動いた!
その後、風呂釜の掃除をして、作動。音がとっても大きい。「止まったお陰で、遣ってみたかった実験は始められた」と喜びつつも、薫は、モーターの時折強弱の付く大きな音に不安を覚えている。
大寛慧照禅尼13回忌の案内状を、プリントして発送。
12月10日 晴れ。
嵩さんが、今日は、完成・発売を始めた禅チェアーそのものを持って来て下さる。話が始まって2年、遂に出来あがった椅子に座らせて頂きました。
記念撮影。
学校から帰宅した観音と遊びに来た同級生が、今日はその椅子で随分楽しんでいた。
12月12日 曇り。
永福さんが新しい井戸用のポンプを持って、設置しに来て下さる。岡崎建設さんもお見えになる。
12月19日 曇り時々晴れ。
幽雪は午前中道場に、竹の流し用の竹を伐らせて頂きに行く。方丈が、一緒に伐って下さる。長さを揃えたり、ドリルでの穴あけなどもしてくださる。
その折、山際に建設中の小屋を見せて下さった。棟上げが終わった処という状態。小屋と言うより立派な建物だった。
午後、観音の学校参観日で、薫が行く。観音は、学級懇談会の前に下校、同級生が遊びに来る。
12月25日 雨のち曇り。
方丈より、観音に部屋の掃除を手伝って欲しいとの依頼。観音、大変その気になって、準備。薫が何時ものように脱水雑巾などを支度し、観音と最終確認。
荷物と一緒に幽雪が送り、お昼に迎えに行く。掃除の手伝いには成ったらしい。「大したもんだ」とおじったまのお言葉を貰い、上機嫌な観音。
午前中に福寿院様、夕方に平田さんご一家がお見え下さる。
岡崎さんが庭に入れる砂をトラック一杯運び込んで下さり、庭に砂山が出来る。
12月29日 晴れ。
薫の友人母子が大掃除の助っ人に来て下さった。
京子女史・信孝くん、セツ女史・耕史くん、直美さん・はるかちゃん、教子さん・心晴ちゃんと言うメンバーで、2時過ぎまで昼食も抜きで大活躍して下さる。
その後、みんなで持ち寄りの品々を入れて、遅い昼食に、お鍋(水炊き)や豚味噌等を頂いた。
最初の計画では、陽が傾かない内には、解散して帰りにお風呂へ行かれるご予定だったとか・・・・、でも、しっかり掃除をして下さったので、お風呂どころではなく、大急ぎでご帰宅されたご様子。申し訳ない事でした。
しかし、御蔭様で、綺麗さっぱりして新年を迎えられます。今年も、本当にお世話になりました。感謝。