2006年

3月16日 雨
昨日は、お天気も良く暖かで過ごしやすい日だった。その前、数日は寒の戻りで雪もチラついていたので、ホッとする日と成った。
丁度、お彼岸の前、幽雪、薫、観音と揃ってシラサキを採りに山へ入る。
あまり考えもせず、シラサキを採って帰るだけのつもりだったが、観音も大喜び、薫は山の恵みを頂く感謝と称して山の手入れをして回り、何時しか時が経っていた。
山の道具以外は、僅かに観音が持参したお煎餅とお水があるのみ、カメラも無く残念。
幽雪と観音は、山の上にある祠の周りの草を少し刈った。昔は、祠の手入れをする人があるようだったが、今は、長らく人が寄り付いていない様子だった。薫はしきりに「ここは豊かな森ね」と言いながら、木々を見上げ 足元を見、山の手入れをして歩いている。
残念な事にここにも沢山の薬品の空き瓶や電球などが棄てられている。中には壊れてその鋭利な切っ先を斜面に構える。幸い怪我はしなかったが、実に悲しい事だった。
そして、予定より大幅に遅く帰山し、お風呂や食事を済ませ、シラサキの整理をして片付け終わったのはもう月が昇り、観音がシリウスを天に仰いで歓声を上げる頃だった。
十六夜の月は明るく、寒いのだが本堂の正面で月夜を楽しんでいた。「あれ、なんだろ?」と庭先に出て来た動物を見やる。「猫?」「テン?」「違うわ、テンじゃない!」庭を突っ切って走る太い尾とふくよかな体、立ち止まって振り返る「狸!」。
すかさず薫が歌い出す「か、か、海蔵寺、海蔵寺の庭は、つん、つん、月夜だみんな出て来い来い来い」「狸さん、狸さんおどろじゃないか!」幽雪も「オ〜イ、出て来て下さいよ・・・・」と。
最近、又、畑に埋めた生ごみを掘り返して散らかされるので、何だろうと思っていたところだった。コンポストを開けるカラスを目撃したとお隣の方丈様にお聞きした。カラスも中々やるもんだ。だが、我が家の畑は地下に結構な深さで掘って埋めても全部かき出される。我が家のは、どうやら狸の可能性の方が高そうだ。
これは良い一日の締めくくりとなり、観音も大満足・豊かな気持ちで床に就いた。
一夜明け、今日は、雨。久しぶりのHP更新日となる。

春の白滝山山頂にて4月6日 晴れのちうす曇り
久しぶりに少林窟道場から白滝山の山頂へ上がるとのお誘いをいただき、昼食に参加させて頂いた。
春のポカポカ陽気だと思っていたが、後半風が出て寒くなった。

4月9日 うす曇り(黄砂の為)
昨日から、黄砂がとても多い。島が見事に霞んでしまう。
夕方、観音と薫は図書館へ行く途中で、ツバメを見かけた。桜は、満開。未だ、散り始めてはいない。畑は、菜の花で黄色一色。

4月14日 曇り
夜に庭をふと見た薫が、狸を又、見かけた。2匹が現れ、一匹はサッサと庭を突っ切って行ったが、もう一匹は立ち止まって、不安そうに一度後ずさりしてから、用心深く前の一匹の方へと庭を渡って行った。
どうやら海蔵寺の庭に狸が来るのは偶然でも、たまたまでもなさそうだ。昼間、観音が発見した猫より量が多く、もう少し形が無かったし、埋められないで芝生の上にあった糞も、この2匹と係わりがあるのか?

4月15日 雨
宮床祭りで、町には植木屋さんが店を並べている。
雨の中来客あり、お祭りは、雨の為人でも屋台の数も少ないようだ。
澤田さんからお便りを頂いたので、午後ページの更新。ご活躍のようなので、お元気なのだろうと嬉しく思う。

4月23日 うす曇りのち晴れ
ここ3日ほど幽雪と観音は畑の菜の花を抜き、穴を掘って落ち葉で作ってあった堆肥と共に埋めるなどした。昨日は雨があり、種蒔き準備完了と言う事で、今日は種蒔き。
薫は、道場の坐蒲修復の為の製図等で頭を捻っている。苦戦中。

5月26日 曇りのち時々雨
角田先生とご一緒に薫は、田崎さんをお訪ねした。田崎さんが夢中庵にお引越しされて以来、お誘い頂きながら、実現していなかった。
「『いつか』は何時まで経っても来ないから」と、角田先生と2人意を決して実行に移す事に成った。2日程前から、お見舞いや急に入った町内会の事などが慌しくあり、普段ならだキャンセルと成るところだろうが、今回は、延期無しとし、観音を連れて出かける。
数年の空白が無かったかのような、変わらない田崎さんとの時間に、大いに喜んで帰宅。思った以上に往き返りに時間が掛かったので、草臥れてはいたが、充実した訪問。

虫籠で羽化したモンシロチョウ6月2日
観音が畑で捕獲した蛹が羽化した。何の蛹だか分からないまま虫籠で観察を続けて来たのだが、出てきたのはモンシロチョウ。
花を摘んで来て与えてみたが、蜜を吸おうとはしない。とうとう観音も、「目が覚めたら、全然知らない狭い場所に入れられていて、どうして良いか分からないんだ。放してやろ。」と、虫籠の戸を開けて、見送る。が、顔は寂しそうである。

6月3日 晴れ
夕方から、ゆかたまつり。浅田の母が訪ねてくれたし、ゆかたを着込んで、遅掛けから出かける。
まつり最後のイベントが、この町の伝統文化の保存継承などをしておられる踊り手の方々の登場だった。「練習を積んで来られた皆さんの踊りを最後までご覧下さい」と浴衣姿の地元の司会の女性がマイクで伝えているのに、すっかり盆踊り気分の薫と観音に母が加わって、踊りの輪に加わってしまう。が、全然踊れていない。当たり前だ!薫も観音も昨年の盆踊り前に2、3回練習に入れて貰っただけなのだから。母に至っては、竹原音頭を聞くのさえ初めての事だろう。
「楽しかったなぁ。踊りながら、観音の前の人が教えてくれた!」と母は大いに喜んでいたし、観音も「楽しかった。又、踊りに行く。」と言っているから、当人達はそれで良かったようだが、晴れ舞台に踊れない人達に飛び込まれ、練習の甲斐なかった正規のメンバーの顔は渋かった。実にお気の毒である。薫も、踊り終わってから、その場を仕切っていた町内の長老が、「まぁ、踊ったんじゃけー。ハイ、ハイ、お疲れさん」と団扇や缶ジュースを持って、わざわざ駆けつけて下さる騒ぎになって、『遣ってしまったー』と気が付く。
『昔から、こう言うところで、100歩くらいずれた事を遣ってしまうのよねぇー』と、途方に暮れる薫であった。

竹紙の餅を水溶きして枠に流し込んでいるところ枠から外しているところ6月4日 晴れ
幽雪の母と一緒に観音と薫は、目の前の大久野島へウサギの餌用にタンポポやカタバミなど草を抱えて出かけていった。
ビジターセンターが建ち、最近は紙漉き体験もそちらで行われている。今回も皆で体験して来た。
日曜日なのと、気候が良くなったからかウサギの餌を抱えての来島者が多いようで、至る所で食べ残しのウサギの餌が見られ、ウサギの食欲も余り無い。
ウサギが寄ってこないので、岩場へ降りて、マルゴことイシダダミや松葉貝を獲ったり、砂浜で貝殻や流木などを拾って遊ぶ。
帰りの最終便に、ビジターセンターの研究員(?)さんとご一緒に成った。すると、今日の収穫物の名前をノートに書いて教えて下さった。
今日の砂浜での収穫物は、ヨツアナカシパン、ナミマガシワ、マテガイ、イシダタミ、ヨメガカサガイ、カキ、シマメノウウフネガイ、ウノアシガイ、エガイなど。
観音は、夕食時、しきりに「私、生物の研究をしても良い?微生物の研究もしたいし、海岸の生物も研究したいし、鳥の観察もしたい」と一生懸命に話していた。

頂いた野の花を抱き、薫作のワンピースで庭に立つ観音6月6日 晴れ
護持会総会。嵩さんと共に幽雪が出席。安芸津へ。
4月から史学科の学生と成った幽雪の母は、「明日は、週一の大学へ登校する日だから今日帰る」と言うので、朝食をお赤飯、ケーキ並みのデコレーションを施したポテトサラダにロウソクを立る等して、観音のお祝い膳とした。
お昼過ぎの便で観音と薫は三原まで、母を送り、帰りは、観音の希望する「瀬戸内マリンビュー」電車で帰って来た。
200日丁度歳の誕生日を迎えた観音。次は66歳まで、これ程6が揃う事は無いからと、大いに祝って頂いた。
皆にお祝いして頂いて、本当に観音は、幸せ者だね。

7月14日 晴れ一時雷
黒崎先生の講演会の案内を発送した。ポスターの掲示をして頂いたりするのに、幽雪は電話で交渉し、薫は引き受けてくださった先他を回る。
郵便局、駅、支所など、公的機関を中心に竹原市の中心地へ。訪れた病院では、薫の後輩だと言う方が応対に出て下さり、希望以上の大量のチラシとポスターをお引き受け下さった。薫の方は、申し訳ないけど「全く記憶に無い」。が、担任の名まで出たし、高校時代を知る人に間違いない。

7月15日 晴れ
午前中は、法要。 午後、幽雪が町内の商店を軒並み回って、黒崎先生の講演会のポスター掲示をお願いした。多数のご協力を賜る事が出来た。

しいたけの原木9月7日 雨
黒崎先生のご厚意で誕生した海蔵寺のしいたけ原木。出ました!出ました!全部の原木が同じように出ないのが、有り難いほど沢山に出て来ました。
今日は、少林窟道場、海蔵寺共にしいたけ三昧。

水口さんご一家11月12日 晴れ
昨日、閑山さんが帰山され、水口さんご一家がお訪ね下さった。
今日は、大久野島へ観音と薫もご一緒する。
水口さんご夫妻や閑山さんも竹紙漉きを楽しまれたそうだ。

庭にて七五三の記念写真神社にて七五三の記念写真11月15日 晴れ
七五三。観音の七つの祝いに幽雪の母が観音の着物を縫い上げて来てくれた。着物は、元々慧照禅尼が娘時代に、お母上が古い着物を繕って染め直しに出し、縫い上げて下さったと言う歴史のある物だった。薫も袖を通した事がある物だが、身幅が狭いので、むしろ作り変えた方が着物が活きると希望し、幽雪の母が観音の七つの祝いに合わせて縫い上げてくれた。
菊花のカンザシや頭飾りも薫が夜なべして、壊れかけた寿の絞りの袱紗を作り変えたものだ。
午前中に方丈もお見え下さり、庭で記念撮影。午後、閑山さんも同行くださり、忠海の神社へ詣でる。そちらで、閑山さんが浅田一同を撮影してくれた。破魔矢と千歳飴を持つと七五三らしく成った。
多くの方々に見守られ、沢山の愛情とご縁を頂き、恙無く七つの祝いを迎えた幸せ者の観音であった。深謝、合掌。

お茶をしているメンバー女性達12月27日 晴れ
閑山さんの大活躍で、裏山の墓地所で伸びすぎた雑木林の伐採が続いている。泰法さんや丸山さんのお力もお借りしながら、進行中。
今日は、念願の日本の大学生に成れたナッティヤーさんが、入学して初めて訪ねて来てくれた。加えて、25日から訪ねてくださっていたYokoさんが出発される。(薫にとっては、どうしても「Yoko」なのだそうだ)
洋子さんは7年ぶりの来訪で、薫は大いに喜んだ3日間だった。ラケルさん、ナッティヤーさん、観音は初めて出合ったのだが、同じく身近な友人のように溶け込んでいた。
折角なので、洋子さんのご出発前に写真撮影。
又、訪ねてやって下さい。

クロスマンさん、京子先生、角田先生とご一緒に12月30日 晴れ
クロスマン家の年中行事の一つに成りつつあるとおっしゃってくださった、海蔵寺の大掃除。実は、例年もう少し早い時期にするのだが、今年は、ジョンさんご一家の旅行がその時期に重なり、旅行から帰ったらお手伝いに行くから、日を変更しようと言って頂いた。例年通り、ベッツィーさんのターキースープとジョンさんの窓拭き道具一式と共にいらして下さった。
今日までに、ラケルさんが着々と掃除を進めていてくださっていたので、今日、窓をジョンさんが拭いて下さるとお正月に向けて堂内も一気に明るくなった。
午後、角田先生、京子先生&信孝くんも食卓を飾るあれこれドッサリと共にいらして下さり、今年最後の茶話会と成った。