4/1 晴れ。
片付けもの。整理整頓。
仏教伝道協会からDMが来ていた。この協会のこれほど広範な活動が生まれたことも、たった1人の強烈な発願から始まっていることに感心する。しかし考えて見れば、何事においても始まりは1人あるいは数人に過ぎないに違いない。その1人の志しの強さ如何こそ、その後の道を決めて行く訳だ。歴史は1人ひとりの人間が作るのだ。仏教伝道協会創設者・沼田惠範氏の生涯を一瞥して、そんな当たり前のことを再確認する思いがした。
薫は洗濯、畑、等など 好天の活動。最近は 畑のカブトムシの幼虫がとても目に付くそうだ。初夏には 羽化するのだから、大きくなって来て目立つのだろう。畑中 至る所に出るので 薫は 土を掘る度に スコップで切ってしまうのではないかとヒヤヒヤするようだ。
今日の天ぷらは 雪の下、ビワの葉、タラの芽、春菊、人参葉など。大根をおろすのを 手伝ったが、なるほど 手伝って欲しいと言う訳である。強靭な 食物繊維がたっぷりあるようだ。春の 食卓を堪能。 

4/2 曇り。風も無く 低く静かに垂れ込めた雲が 今にも雨を落としそうな 1日であった。
午前中、三好さんご一家がお見え下さった。お彼岸に忙しくて お墓参りが出来なかったので、本日 お墓参りを兼ねて忠海へお見えになられたのだと お寄り下さった。薫が お嬢さん方に お花まつりのご案内をお送りしたし、淳さんのお電話にメッセージを残したつもりが その電話機をつい最近 奥様に譲っておられ行き違ってしまっり重なった事も理由だろう。お嬢さんが手編みの帽子を完成させて お持ち下さり見せて下さった。中々どうして ずいぶんおぼつかない手つきでなさっていたと思ったのに しっかりした作品に仕上がっていた。「折角完成したけど もう春になってしまい 来年には頭のサイズが大きくなってきっと被れない。」と嘆いてはいらしたが 妹さんが被って庭で 遊んでいらっしゃる。今は バックの作製に取りかかっていらっしゃるそうで、今日も薫にアドバイスを求めていた。自分で考えて 技術を習得しながら 作品を作り上げて行く事を意欲的になさっている様子に薫もとても嬉しそうだった。
お便りを 2通ほど書いた。少林窟道場へ スキャナーを使わせて頂きに上がった。
薫は庭の草取りをしていた。今まで 塵取りや空き箱を 持って草を取っては入れていたのだが、移動すると塵取りのところに一々戻ったり 引っ張りながら進んだりしていた。今日は 妙な音がすると思ったら、穴の空いた鍋を紐でくくって 移動先について来る様に工夫したようだ。確かに鍋なら 塵取りと違って 引き摺られても 草がこぼれ難い。良く見ると、膝には ダンポールの切れ端で プロテクターまで付けている。細かい草が密集している場所では、膝をついて 取りながら這って進もうと言うアイディアのようだ。そおっと その様子をカメラに収めておいたのだが、載せようとしたら 「余りに情けない姿だからダメ!」と 本人に拒否されてしまった。

4/3 花曇り。
勝運寺の桜はチラホラと咲き始めている。
京都の法衣店と打ち合わせ。方丈との打ち合わせに 少林窟道場へも上がった。
天候が悪化する様子もないのでと 薫は洗濯、華の水替え等 をしていた。畑にお茶殻を 埋めに行き、菜の花と 絹さやを収穫して帰って来た。

シャガ4/4 曇り。
お隣のお嬢さんがお嫁に行かれるとのだと 方丈が用意された額等をお届に行くのだと お帰りになられるのを 待って薫は 庭を行ったり来りしながら華を生けていた。咲き始めた桜外で ウロウロしながら、「花が開いてるよ。」「芽が出ているよ。」と 声が響いてきた。
外に出て タラの芽やビワを収穫したり、花を写して回った。
回覧板を届にいらした 反対側のお隣さんも 「お祝いに行きたいのだが・・・」と おしゃって、結局 薫が行く時に お誘いするお約束となった。お昼寸前に お誘いして 2人で出かけて行った。「ご本人に お会いできた!」と 嬉しそうに帰って来た薫、早速 タラの芽の天ぷらに取りかかった。物干場の屋根用の ビニールトタンを拾い上げたり、華を採ったりした。
午後 レオーネのタイヤを ノーマルに履きかえる。3時前から わらびの様子を見に行く事にした。薫は 出ていると信じて収穫の準備をして 出発。先月、通路の様子を薫が 見に行った際には 猪しか通れない状況だと 言っていたので 木鎌とカメラを持った。タジッポわらび採り日当りの良い 近場では 1本しか 見当たらず、収穫を断念。しかし、薫は依然 収穫の期待を捨てていない。裏山の通路は 猪の大活躍が効をそうしていた。猪の背丈で 通路が出来ていると聞いていたのに、しっかり地面から耕されて 何とか人が通れる状況になっていた。木鎌を 振りながらスイスイ目的地へ到達、薫は目的地に入り始めると もう収穫体制に入っていた。生えてたよ!と 伝えると 既に 「こんなに 大きいのもあったよ。」と返事が聞こえた。しかし、収穫できそうなサイズは 30本ほどで 一寸早かったようだ。薫は 少々ガッカリしたのか 実に詰まらなさそうな顔で、タジ菜を 採ってかじっていた。しかし、その目は斜面から離れていなかった。

4/5 雨のち曇り。
明日、葬儀のお手伝いが2件できてしまい、その応対、調整に駆け回る。
堂内清掃。お花祭りの準備の買い物。
薫は方丈の着物のサイズ直しを始め 細々とした作業を終日 色々行っていた。
昼食に 昨日 アク抜きにした収穫物が登場。「量が余りなかったので わらびご飯にした。」という事であったが、旬のわらびは とろけそうな軟らかさで最高であった。薫の一言は 「わらびの為だったら 1山ぐらい越えて行っちゃうよ。」であった。確かに イバラを踏み越え、猪のテリトリーを横切っても 収穫に行く価値はあるよなぁ。

4/6 晴れ。
朝、起きると薫の姿が既に無かった。「弥生さんに カボチャの種を送って差し上げる約束をしたから、お便りを書こうと思って早起きした。」のだと パジャマ姿のまま机に向っていた。
勝運寺さんのお手伝い。庭掃除、香炉直し。
薫は洗濯日和に大満足のようである。花御堂の飾り付けを行っていた。勝運寺さんより帰山すると、お客様がお見えだった。昨年も、この時期にお墓参りにお見えになられたことのある方で 耳がご不自由な為 薫とジェスチャーと筆談で話をされていた。2時間以上 2人で話をしながら、お茶を飲んでいたのだそうな。お花祭りにも いらして下さいとお誘いすると 「ありがとう。」とおっしゃってお帰りになられた。表情がとても豊かで、明るい笑顔が印象的な方である。
少林窟道場へ届け物をしに上がり、勝運寺の桜の枝を少し分けて頂いた。帰山して 飾り付けをしている薫に ガラス戸越しに見せると 大喜びしていた。明日の おばあちゃん達の反応も楽しみだ。花御堂より 上に飾って 皆で めでる事にしよう。
薫が 準備に勤しんでいるからか お隣さんから夕食のおかずがさし入れられた。有り難い。夜、甘茶の準備を始めた。

天上天下唯我独尊4/7 晴れ。
1日早いが 明日は薬師講のおばあちゃん達のご都合が つかないとの事で 今日から花御堂にお参り出来るようにした。薫は甘茶を沸かし、お持ち帰りようの ぬるめのものと 飲んで頂く為の保温されたものに分けて仕度していた。
皆さん 大いに喜んで下さった。桜の枝も 花見が出来ると人気上々であった。何時もより お話も盛り上がって 春の半日を楽しんで頂けたようだ。
おばあちゃん達と入れ替わりで十楽教子さんが お見えになった。やはり 明日は予定があるのだと 今日になさったようだ。吉信明日香さんもお誘いしたと おっしゃり 結局 お昼は 4人で頂く事にした。明日香さんが お仲間と6月末にコンサートをなさるので 教子さんがパンフレット用の写真のカメラマンを 引きうけられたのだと 作品を見せて下さった。お2人は これから島に お花見に行く計画なのだと お立ちになった。
わらび共存農法「お花祭りに何方かお見えになるかも知れないから。」と 終日を おとなしく過すつもりだったらしい薫だが、手洗いの必要な洗濯を終えたところで 「そう言えば 今日は未だ7日だった。特別な理由の無い方は 例年通り明日お見え下さるのだから 今日は収穫に行っても大丈夫だ!」と 飛んで来た。前回のわらびの 成長具合からすると この週末くらいを 誰もが収穫の時期と見なすだろうから お天気が良かったら 明日位には 無いかも知れないと 懸念していたのだ。早速 準備して わらび採りに出かけた。思った通り かなり出ており 2時間近く 採っただろう 「今日は袋に重みがあるね。」と帰途に付いた。帰ると そのまま畑に直行し 絹さや、スナップえんどう、菜の花、高菜等を収穫。
わらびは現在アク抜き中。

4/8 晴れ。黄砂で島が霞んでいる。
昨日のわらびを整理し わらびご飯を作って、勝運寺のおばあちゃんをご接待する。お迎えに上がると「メガネが見当たらない。」と探していらしたが、諦めてそのままお出かけ下さった。
花御堂を 覗き込み「ホホォ〜。キレイだねぇ。」とおっしゃりながら お参りされた。昔のお花まつりのお話、甘茶を平釜で沸かしていた事など 色々お話し下さった。お昼は ご一緒して、3時過ぎにお送りする。
夕方、星氏が「4年振りですね。」と お尋ね下さった。少林窟道場に お見えの新入社員の様子を見に 忠海へお見えになられたのだと駅からこちらへ先にお訪ね下さったのだ。暫し歓談し、少林窟道場へお送りした。
夜、姫路まで移動。実は 明日は父の法事なのである。母が心配して 「遅くなっても 前日の内にゆっくり走って来た方が良い。」と 待っているので今日の移動となった。遅くなっての到着なので 静かに玄関を入ると 母のではなさそうな靴があった。それを見ている間に、荷物を持って 何時も使わせて貰う部屋の戸を開けた薫が 固まっている。東京のおじが既に 床に着いていたのだ。後退りしながら、慎重に音を抑えて戸を閉めていた。母は何も言ってなかったので、前日からの来客が 他にあるとは思わなかったのだ。顔を見合わせ、隣の部屋を覗くと 我々用に仕度をしてくれていた。おじを起こさなかったのが 幸いであった。そう言えば、ハッピー(犬)も 吠えなかったんだなぁ。

4/9 晴れ。
おじと母と4人で朝食を共にし、法事の為の準備。
狭い所なので 戸を外し、廊下に敷物を準備したりして お参り下さる方がお経にあえる様に工夫する。薫は 白い、長毛種の犬の毛が お客様の黒い服に着くと気にして ギリギリの時間まで 掃除をしていた。犬が はしゃぎ回って手におえないので、犬を下さったご近所さんに預かって頂く。
20名ほどお集まり下さった。岡山県の大原町から 法要にお出かけ下さったお寺さんと共に 続いて大原の墓地所へ移動。その後、昼食を済ませて 解散した。おじと兄も姫路へ。兄は「忙しい!」と 言っていたが おじを駅に送ったり、母と 蛍光管を購入しに出かけたりして 夕食を共にした。途中で 「仕事の指示を出すのを1つ忘れていた。」と 考え込んでいたが、「どう考えても今からでは間に合う方法が無い。」と諦めてゆっくりしたようだ。前が見えないのでは無いかと思うほどに なっていた犬の毛を 少しだけでもと兄がはさみを持って薫が犬を逃がさないように押さえていたが 顔を振って逃げ回り目の前の毛を 切らせただけであった。

4/10 曇りのち雨のち曇り。
哀れなハッピーお昼頃から降り出し、夕方には激しく降ったが 日が落ちると止んだ。
母の家から1時間ほど走ると 成田先生のお宅がある。午後から お尋ねすべく出発、2時から5時まで お邪魔した。1月に お伺いした時とは一変し、向いの山にはコブシの白い花が咲き 緑の間から 水蒸気が上がって潤っていた。
母と夕食中に 1970年の大阪万博の事が会話に上り アルバムが登場。自分でも忘れていたような 写真が現れた。その後、薫が 更に「ハッピーの毛を刈る。」と言い出し とうとう全く別の犬のような姿にした。毛の固まりのような姿から、脚も鼻もある 犬らしい姿にはなったが 完全に虎刈りで 美しいとは言い難い。脚の裏の毛も切った為、廊下をウロウロする犬の足音がうるさくなった。切った細かい毛が 空中に散乱したらしく 2人揃って鼻と喉が不調となってしまった。

4/11 晴れ。日差しは強いが 風はやや冷たい。
薫が朝から コタツの線を修理。実は 母が「犬にかじられた。」と 何箇所もガムテープを巻きつけた線を使っており 危険な状況だったので 使用禁止を申し渡したのだ。今朝はファンヒーターが 昨日のハッピーの毛を吸い込み フィルターが詰まってエラーを表示し止まってしまった為、母は「今日は寒いから・・・今までも大丈夫だったんだし今日だけ・・」と 強引にコタツの使用を試みたらしいのだ。ところが一昨日発見した際、様子を見るのに線やテープを引っ張たのが幸いして 上手く電気が流れなかったらしく ゴソゴソやっている現場を薫が発見。結局、延長コードを コタツに使用できるように 改造する応急処置を施す事となった。母は 電気の怖さも知らないが 電化製品にも強くないので 道具が無くマイナスドライバー代わりにハサミを使っりしたと言う薫の 作業振りを 「簡単に直してくれた。」と 感心して喜んでいた。
ハッピーは虎刈りの羊のような姿になってしまったが、雑巾みたいな姿よりは つぶらな瞳ではしゃいでいる方が 愛らしくて良かろう。欲を言えば、少しは落ち付き 静かでいてくれると有り難いのだが・・・実に騒がしい。
3時過ぎに母の家を後にし、日が落ちて帰山。郵便物や ゴミステーションの掃除当番札が 我々の帰りを迎えてくれた。

かたくりの花4/12 晴れ。
留守中の植物の生長を気にしていた薫が、カタクリの花が咲き始めているのを発見して呼びに来た。未だ 花びらが上まで返っておらず、開き始めた所だと言うのが良くわかる。本当は赤紫色の カタクリが希望だったようだが、3年前のこの時期手に入ったのは 園芸種として好まれる黄色い花のカタクリだったのだそうだ。園芸種と言うので弱いかと思ったらしいが、結構 丈夫に増えているではないか。春の日差しの中で柔らかな色をたたえて 薫の帰山を待っていたかのようだ。
海蔵寺から 見える範囲に 数箇所の桜の木があり、どれも満開のようだ。畑は豆、菜、大根の花が咲き その後ろになる所に桜を配して 正に春爛漫の眺めとなっていた。
少林窟道場へ届け物をしようとしたところ、レオーネのタイヤがパンク状態。予備タイヤに交換して、パンクしたタイヤを整備工場へ持ち込んでから少林窟道場へ向かう。方丈と法要の打ち合わせ。
3時過ぎから 裏山へ わらび採りに行った。しっかり伸びており、今日は袋がずっしり重くなった。
夕方、ご近所の方が 筍を掘ったからと 茹でてお届け下さった。夕食は 筍、絹さや、しいたけと春の具を満載した きし麺となった。

4/13 晴れ。
山内の掃除、華の水替え等。風は時折 やや強かったが、外で活動すると汗ばむ位の 日差しであった。
ゴミステーションの掃除当番。薫は洗濯の第1便を済ませると 早速 ごみステーションの掃除に行った。何故だか 小さな1袋だけが取り残されていたと 持って帰って来た。町内の長老は ゴミの主を捜し当て 「玄関口へ置いといてやれ!」と おっしゃったそうだが 「ハイ!じゃそうします。」と 返事をしといて 持って帰って来たそうだ。「別に 反則だったから置いて行かれた訳じゃなさそうだから、次回まで 預かって置いて黙って出せば良いと思ったんだ。」 そうな、確かに理由がハッキリしないのに ゴミ袋を 玄関先に置き去りにする気にはなれない。薫が それで良ければ良いんじゃないか。
畑に収穫に行った薫は エンドウ豆をどっさり抱えて帰って来た。ひまわりの芽も 出ているが、草の陰になる所では 早速 虫達に襲われていたそうだ。てんとう虫も アブラムシを忙しく 食べていたと 畑の様子を報告してくれた。
午後、法衣店さんが 立職用の衣のサイズを測りに お寄り下さった。電話でお話をした際、サイズを聞かれたのだが 「良く分からないんですが・・・。」と 申し上げたら 「採寸に伺いましょう。」と 出向いて下さった。
方丈を訪ねて 少林窟道場へ。来客中だったので 薫にことづかった わらびの炊いたものを 方丈の間に置いて退散。「方丈が気に入ったら お代わりを用意する!」と 薫が言っていたが・・・。
夕方、郵便局員が 薫を訪ねて来た。2月に 国際小包の内容物の1部が失われていた件で 調査書を提出していた返答があったそうで 損害賠償と言う形で 処理される運びと成ったので サインと印を貰いたいとの事だった。「今年度は何も無いと良いのですが・・・毎年、何かしら起きてますからね。」と 局員の方も感心するように 言いながら書類を作成していた。本当に 良くぞここまでと思うくらい 薫は 毎年 色々な郵便物のトラブルに巻き込まれているようである。局員の方が 「勉強になります。」と 言う位だから どれも頻繁に起きる事では無さそうだ。

4/14 うす曇。
清水さんから届いた沖縄の貝殻今日も春霞だ と思っていると 薫は 「こんなに重苦しいんだから きっと雨の前兆だよ。」と言う意見だった。額の辺りから重苦しい感じなのだそうだ。要するの 体調で天気予測をしているらしい。今日は ちょっと眉間が狭い顔をしている 薫であった。
沖縄での生活を体験中の 清水さんご夫妻より小包が届いた。自分達で とって来て塩漬けにしたと言うモズクと 特産品の黒砂糖に加え 貝殻等も入れてお送り下さった。開けると 早速 海の香りがした。モズクの 料理法も書いて下さっていた。どれも美味しそうで楽しみである。早速、黒砂糖を 開けてかじってみた 香りが高く美味しい!
最近、芸北の農場主から 薫宛のメールが届く。70を超えた母と e-mail で連絡を取るのだと 薫が自慢したのだそうで、それを聞いて負けじと インターネットを始められたようだ。例によって 薫は 届く1つ1つの質問に親身になって返答している。今日も 昨日 届いたメールの返信を 打っていた。

4/15 雨時々曇り。
雨につき デスクワーク。薫も 郵便物を 2、3書いていたようだ。
午後から 「散歩がてら 郵便局まで行って来る。」と 薫は出かけて行った。ものの15分ほどで帰山したので 「早かったね。」と言うと 「宮床祭りで たくさん人が出てたので、人込みの無い所を 通って、とっとと帰って来た。」との事だった。
2時過ぎ、少林窟道場から 「白滝山へ上がりたいのだが 乗りきれないので 車を出して欲しい。」との要請。レオ−ネで 向かった。大徹師や 半年ぶりにお見えになった 成美大姉とお顔を合わせた。初めての参禅者ばかりを お乗せして お送りした。町内は宮床祭りの露天市が立ち、中心街が車両進入禁止の歩行者天国となっていた。
夕食には昨日 届いた清水さんの モズクがお勧めの雑炊で登場。初めて温めたモズクを 食したが 海の香り豊かで美味であった。薫も 「モズクを煮たのは 初めてだよ。煮たら溶けちゃうんじゃないかと思ったけど、平気なんだね。」と言っていた。

4/16 曇り一時雨のち晴れ。
薫が今日が父の命日である事を覚えていてくれた。二人で お参りする。薫は母にも メールを書いて送っていた。
華の入れ替えを始めると直ぐ、お墓参りの方がお見えになられた。続いて白滝山から 昨日同様 乗り切れない!と 救援依頼。お2人の方を 白滝山から本郷駅までお送りし、帰山。
留守中、薫は華の生け替えをしていたようだ。遅い昼食を済ませ、薫が採れなかった 華材用の枝を 切った。
母と電話で話したら、母も 「風邪のような症状になって病院に行った。」と 言うので 「それは ハッピーの切った短い毛を吸い込んだ為だろうから 処方された風邪薬は飲まない方が良い。」と勧めた。すると 「実は飲んだら やたらと喉が渇き これはおかしいと思った。」と言う返事が返って来た。再度、その薬は飲まずに 室内に浮遊しているであろう残りの毛を 処理することを勧めた。犬の散髪で、とんだ被害が出てしまった。
華の生け替えの続きが終わってから、町へ出て見た。浄居寺の方丈様、勝運寺の奥様・若奥様を 始め お薬師講のおばあちゃん達や 成美大姉などなど 多くの 方々とお会いした。薫が明日葉の苗などを見つけ、入手。お祭りの屋台が ずらり並んでいたので 「折角だから。」と最後にあった たこ焼屋で 1パックを求めて帰山。メインステージのスピーカーからの音が 風に乗って届く海蔵寺で 2人 ゆっくりお祭りの気分を味わった。
他地域から来た方は驚かれるのだそうだが、この地域では たこ焼と言えば タコの大きなぶつ切りが入っていないと お客さんが納得しないのだと言う。確かに 1個1個に噛み応えのある タコが入っていた。最近は大阪風の 大きなたこ焼の焼型が 使われるので、ブヨブヨした部分が多いが 元々はもっと タコに存在感があり キャベツ等の具がたっぷりの感じだったらしい。お好み焼きだけでなく、たこ焼にも そんな地域性があったとは・・・。

4/17 曇り。ちょっと気温が下がっている。
午前中、忠海の招魂祭に参列。忠海出身の戦死病没者慰霊祭である。遺族の方々が100名弱位と 来賓の方が20名余り来ておられた。遺族の方々の高齢化により、このような慰霊祭自体の存続も危ぶまれるような時代になったようである。神式と仏式で交互に行われており、今年は仏式。忠海にある8ヵ寺のご寺院がすべて集合した。導師も持ち回りで、今年の導師は日蓮宗の本立寺様。初めて日蓮宗の法要に会った。真宗よりは禅宗に近く、声明や回向の読み方もリズミカルで気持ちが良かった。司会者のマイクの調子が非常に悪く、ステージ上で法要に参列しながら、時折 舞台の袖に引っ込んで半分音響係を務める羽目になった。
薫は 今日は洗濯、戸棚の整理、植木鉢探しなどを行ったようだ。午後、十楽教子さんが 「お祭り見物を兼ねて お尋ねします。」と 薫に ご連絡下さったのだが、丁度 横村先生をお尋ねするところで失礼してしまった。「午前中には お見えになるかも知れないと思っていたのだけど・・・。」と 薫は申し訳無さそうにしていた。

4/18 晴れ。温かくなった。
一昨日 入手した苗等を植えた。天候が良いと 土いじりも とても快適である。シャガが 満開で、カタクリの花も シクラメンのように花弁の先を 反らせて咲き切っていた。そのカタクリの近くに 明日葉を植えた。
少林窟道場へ 午前中 伺ったら 方丈は作務中、夕方 もう一度出直した。
畑でえんどう豆を収穫中の薫薫は 畑で双葉を出した色々な物を 虫の被害から守るため、草を刈り それを敷き草にして回っていた。草を根こそぎ取ることの無い薫が 草取りもしていたが・・・麦の空き袋にその草を詰めてあったので 何か別の事を思案しているようだ。少林窟道場より 帰山してから覗いたら まだ畑で頑張っていた。声をかけると 「今、豆を取ってるの。収穫し終わったら上がる。」と言うので、カメラ片手に 収穫を手伝うつもりで畑へ入った。少し 入った所から収穫しながら 帰っていると 「アーッ!」と薫の声、振り返ると しゃがみ込んで 何かしている。?、「ひどいよ。折角 周りを刈って敷き草をしたのに。」 ゴメン何か踏んだ? 「かぼちゃ と ひまわり・・・。」 ゴメン、ゴメン 2、3歩進んだ所で 「アーッ。そこ・・・。」の声、既に遅し 又しても かぼちゃの双葉が 2本地面に張り付いていた。「私のかぼちゃに 何か恨みでもあるの?」と 口をとがらせていた。これは 撮影どころではない、手伝うより退散した方が良さそうだ。近場の 荷物を持って 先に上がる事にした。足元には 細心の注意をしながら そろりそろりと畑を抜け出した。薫は スナップエンドウと 絹さやを どっさり持って帰ってきた。母にも 少し送るのだと 薫は 小包を作っている。

4/19 曇りのち雨。徐々に雨量が増え、夜には春雷。
昨夜、「蛙が直ぐ裏で鳴いていたので明日は雨かな?」っと 薫が言っていた通り朝から雲行きがあやしい。薫は降り出す前にと 畑へ行ったり、裏庭の落ち葉を集めたりしていた。
11時前 大徹師がお見え下さり、薫の作務の音に 直接 裏を覗いてお声をおかけくださったのだと 薫が呼びに来た。3人でお茶を頂いている内に 雨が降り出し、結局 薫は「道具だけ入れてくるから・・・。」と 片付けに行き 昼食となった。何時もの調子で有り合わせだが、大徹師にもご一緒いただいた。
2時過ぎ、雨の中 出発された。道中 どうぞ お気をつけて!
少林窟道場へ 届け物等にお邪魔したら、丁度 普勧坐禅儀提唱を プリントアウトすべく手を入れていらした。第2水準では出せない字もあり、続きを引き受けた。作業の途中で「フロッピーに落として こっちへ渡してくれ!」と おっしゃってお持ちになられたのだが・・・。やりかけの仕事をその時点では更新していなかったので・・・、方丈の手元には お手伝いした甲斐なく 元の文章が戻ってしまった。その後、方丈が手を加えておられながら 「変更されて無いぞ」とのお電話に、方丈のやりかけていらした部分まで消えたかと 一時慌てたが お手伝いした部分だけと判明。結局 何をしたのやらであった。
夜、雨脚が強まり 春雷が鳴り響く。雷が 続くこともあり、こまめに更新しながら書いている。

4/20 曇り後、晴れ。
裏山に咲き始めた藤ゴミの焼却を始めると 薫もゴミ箱を持って出て来た。薫がついているので その場を離れると 暫くして「来て、来て!」と呼びに来た。どうしたのかと思ったら、裏山の藤が 咲き始めたと言うのだ。春雷と共に 急激に季節が進んだ感あり。
書斎の片づけをしていると 記念品の選定用の見本が届いた。本当に親身になって下さる方に 担当して頂いたので、何とか間に合いそうだ。午後、方丈にも見ていだきにあがった。
薫は午前中 洗濯、華の生け替えをしていた。午後、河野さんがお見え下さる。お話をしている間に参道に咲いていた 『つる桔梗』が可愛くて見入ってしまったとの話が出た。お帰りになる時 お見送りするのだろうと思っていると 薫は引っ込んでしまった。間無しに園芸ごてと ビニール袋を持って出て来て、後を追い 1株を掘り分けてお持ち頂いた。「庭の片隅にでも。」っと喜んでいらしたが、数年後には後悔なさるかも・・・この花、雑草のような生命力で 広がる植物で 元々 お隣の一角に生えていたものが 伸び広がって参道脇にたくさん咲くように成ったのだ。
夕方、見本品をお返しするのに発送。薫は 昨日集めていた落ち葉を 畑に運んで敷き込んでいた。「森が 畑に成ったみたいでしょ!」と 言っていたが、畑には踏み入らず様子だけ覗いて見た。

4/21 曇りのち雨のち小雨。
雨が降るので 屋内で過ごす事となった。山内の掃除、芽の出かけたジャガイモの整理等。
洗濯物の万国旗再来。午後、お醤油屋さんと 郵便局へ。
夕方、小雨になった所で薫は ご近所さんがお手入れをして下さっている 畑へ。「道場の方に 『豆を採りに来てよ。』っと声を掛けたら 『又、行きます。』と おっしゃったままだから 忙しいんだろうねぇ〜」と おっしゃっていたので、収穫をかって出ようと言うわけだ。暮れかけた畑から 太り始めた大きな絹さやを バケツ半分くらい収穫して帰って来た。明日にでも 少林窟道場へ お届けしよう。
母から電話があった。薫の送ったスナップえんどうを 受け取り、夕食に玉子とじにしたら 甘味があり実に美味しかったと言ってくれたそうだ。

4/22 晴れ時々曇り。
無縁塔、お地蔵さんの華の生け替え。お昼前に 少林窟道場へ えんどう豆、春菊、からし菜をお届けに 上がった。
薫は洗濯、棚の片付けをしていて見つけたと言う 何時とも知れないスイカらしき種を蒔きに 畑へ行った。
白藤を担いで帰る 薫アケビの花お昼から 2人で墓地所の様子を見て回った。アケビの花の撮影、墓地所の参道脇の白藤の花を 華材として切った。先般の 藤色の花より 香りが高い。薫が早速、玄関の下駄箱の上などに生けた。
ソテツのお手入れ。薫は ソテツの子株を 永賞寺さんにお送りするのだと 小包を作り出しに行った。2年程前に 永賞寺の奥様が ソテツの実を拾っておられるのを拝見し お声をおかけすると 「ソテツをかの地で育てられたら・・」と 思っていらっしゃる事を伺ったのだそうだ。
築山の草取り。薫は畑に収穫に行った。途中で 沖縄に行ってらっしゃる 清水さんからお電話があった。
ご近所の信徒さんが 「竹の子堀りをして来た。」と 真竹の筍を お持ちくださった。この細目の竹の子は 焼いて食べると 良いとおっしゃった。焼き竹の子とは 初めてだが、夕食のおかずに 試みることにした。竹の子を 皮付きの生のまま 魚焼き器に並べて焼き、皮が焦げ始めた所で 火からおろし 中の柔らかい部分だけを食した。これは 中々珍味で ホワイト・アスパラガスに似た味であった。

4/23 快晴。
明け方から明らかに空気が違う。朝日は既に夏の日差しだった。
薫が昨日 清水さんからのお電話の時に収穫しつつあった えんどう豆を昨夜小包にしていた。薫が洗濯をしている間に 郵便局へ。
墓地所の草が 一気に生長を始めたので、バーナーで焼き払って回った。薫は 風がつけているからと 参道の落ち葉集めをかって出てくれた。100リットル位集まったので、畑に敷きこんだそうだ。
作業を進めるにつれ 風が強くなりバーナーの火が消えてしまう程になった。何度か再点火して行ったが、燃料タンク1杯が 空になった所で断念した。薫はと言うと 落ち葉集めを終えて、次なる仕事にかかっていた。
海蔵寺の徒弟一同が 倉庫代わりに使わせて頂いている空家の庭が 草むらと化していたのだが、そこの草刈をしていた。手伝いに行くと 既に大半の草が刈られていたので、竹や使い古しの電柱など 作業の邪魔に成る物を 移動させて 刈りやすくした。一角に 竹と共に 立ち枯れたゆりやヨモギなどを 集め焼却の準備。薫は 結局400リットルの草を 一人で刈り取った。薫が草刈に熱を入れた理由は・・・草が伸びて良い具合に目隠しになるので、犬を散歩させながら 糞を投棄して去る人が後を絶たないので 草を刈って丸見えにしてしまおうと言うのだ。熊手をかけ、外れかけてバタバタと音を立てていた ビニールトタンも 打ち付け本日の作務終了。
薫が夕食の支度をしている間に 少林窟道場へ 届け物。道場の玄関へ向かう途中で、強風の為に屋根の角から 飛び降りたらしい銅板製の物体を発見。通路からは移動させて置いた。

4/24 晴れ。
今日も風が時折 強く吹いたので バーナーを使うことはあきらめ、シェイバーのお手入れ、庭の草取り。
昨日 ちょっと頑張り過ぎたか 薫はややゆっくりと 活動中。物干し場の 屋根の横木に蜂が穴を空けていたので、ガムテープで塞いで置いたのだが・・・洗濯物を干しに上がった薫が 「ガムテープを食い破って又穴を空けてるよ。」と 知らせに来た。次に 上がって下りて来ると 「今度は 一匹が中に入って、もう一匹が外から中の一匹を引きずり出そうとしてるよ。」との報告だ。余り 他の時期に見かけない大型の蜂なのだが、藤の花が咲くと群がっている。それにしても 実に強靭な顎を持っている。ドリルさながら 木に縦穴、横穴を掘り進んでいるのだ。感心している場合では無さそうで 対策を立てねばならない。
薫が 今年の小倉アイス 第1号を製作。午後、庭に点在した 紅葉の実生を2人で鉢に移植して回ったのち 小倉アイスと 抹茶で休憩を入れた。
夕方、少林窟道場へ 郵便物等を持って上がった。方丈の所へ直行したので、昨日の銅板製の物体の件をお伝えするのを忘れてしまった。

4/25 うす曇り。
今日はやっと風が落ち着き、バーナーを使うことが出来た。参道の雑木の枝払いと焼却も行った。
生けられた こいのぼり薫は 午前中 洗濯をしながら トイレットペーパーの芯をリサイクルした季節の飾りを 2組作成していた。
3時頃、薫が 呼ぶので作業を投げ出し 駆け下りて見ると 「車が 動けなく成っちゃったそうなの、手伝って上げて!」と 言うのだ。参道の上り口に目をやると 軽ワゴン車が見事に稲荷神社の塀に 張り付いているではないか。道を塞がれた 車が鳴らすクラクションも聞こえた。進路を閉ざされた車の女性、畑へ行こうとしてらした 盛口さんと 続々集まって 何とか車を押し上げ、進行方向を変えることが出来た。道が空くと 通行待ちの人も増えていた。お車の運転手さん 何とお礼をおっしゃりながら 続けて「ここに荷物がもっと乗っていれば・・・」とか 「あっちから 出て来て向きをここで変えようと入れたのがいけなかった。」などと 皆に言い訳を始めてしまい、一同、ご本人を取り残して それぞれの方向へ移動し始めてしまった。
その後、薫は こいのぼりを母に送るのだと 郵便局へ出かけて行った。夕方は 畑で活動していた。

4/26 雨のち曇り。
朝から本格的に降っていた。一時 激しく降りだし、雨漏りを心配する程であった。
5月3日の準備について 観硯さんから薫に 連絡があり、備品の確認作業などを行った。若干の 読書も出来た。
夕方、久しぶりに方丈が お見えになられた。暫し、お茶を入れて歓談。海蔵寺に置いていらした、巻紙用の紙を お持ちになられた。

4/27 曇り時々晴れ、のち曇り一時雨。
薫は 一昨日もご近所さんが 「豆が又 生長したけど、少林窟さんは?」と 気にしていらしたからと 朝から豆もぎに行った。
荷物が到着。1つは 仕上がった記念品、もう1つは芸北からで 薫宛の箱だ。
庭に咲き始めた紫蘭午前中、5月3日の 記念品をお届けに上がり 方丈にご覧頂いた。望み通りの仕上がりと ご満足頂けた。野菜をお持ちしたが、印刷等をしている間に 戒尺が鳴ってしまい 黙って置いて帰った。昼食が終わった頃を見計らって お電話したつもりだったら 「やっぱり君か。要らん事も言わんが、要る事も言わんなぁ。」と・・・、ちょっと遅かったようだ。
芸北からの小包は もの凄く立派な椎茸であった。薫が 「余りに 美味しそう!で・・・」と 早速、お昼に 焼き物とお吸い物にした。コシコシとした歯ごたえで、香りもあった。
紫蘭の咲き始めた庭で2人、草取りをしながら 紅葉と松の実生を 見つけては 移植した。雨が 落ち始めたところで 草取りも中止。
再び、少林窟道場へ。お昼に印刷したのし紙は 既に手分けして貼り終えておられた。
夕方、雨上がりで 土が柔らかいからと 薫は草取りに励んでいた。夕食には 例の椎茸が 天婦羅で登場、美味しくて 2人して食べ過ぎた。山の恵みを ありがとうございました。合掌。

4/28 曇り。
水分が多く 島々の色が濃く、近くに見える。海の色も 既に春の色ではなくなった。
紅葉の実生紅葉の実生を撮影。松はピントが どうしても合わず断念。未だ 種を葉先に被った姿は 生命を育む力強さと、産まれ立ての 柔らかで愛らしい姿をしているのだ。
薫は終日 5月3日の準備。
午後、迫さんが 「安芸津に用があったので・・・」 と お立ち寄り下さった。方丈と電話で お話しいただいた。
町内の方が 妙な漢字のメモ書きを持って お見えになられた。「この字はどう言う字か 教えてくれ!」と おっしゃる。見たことの無い字なので、元が活字なのか それとも毛筆のようなものを模写したのか伺うと・・・「いやぁ〜。こうなってるのを人が調べよったんじゃが、その人の辞書には 総画索引が無かったけぇ〜 ワシが調べちゃろう言うて 帰って調べたんじゃけど・・・出とらんけぇ〜聞きに来たんよ。」との ご説明で 全貌は分かったが元の字の状況はさっぱり分からなかった。方丈にも確かめて欲しいとの意向だったので、メモをお預かりした。夕方 少林窟道場へ伺った際、方丈にも見て頂いたが 「手書きのものなど チョット違えば全く違って来るので 読めない人が写せば そこで変わるし、それを又 適当な楷書に直したら もっと変わって調べようなど無いだろう。」とおっしゃる。 一応、やってはみたが やはり発見できなかった。

4/29 みどりの日。晴れ。
今年も晴れ渡った。
薫は 今日も 「数の変更があった」と、セッセと 備品を整えていた。
墓地所の様子を 見に上がった。藤が花盛りで 向かいの八幡神社の森の大木からも 蔓が垂れ下がって咲いていた。
夕方、少林窟道場経由で 備品の一部を届け、華を調達するために 買い物に出た。買い物の途中で、薫は ケナフの種をプレゼントされた。「紙の材料にしかならないのかと思っていたら、花や若葉は食用になるって言うの ひまわりと一緒に育ててみようかな」っと言っている。薫にとっても 新しいみどりの日になったのかな。

4/30 曇りのち雨。
墓地所のお手入れ。
洗濯をしていた薫は 電話に駆け下りて会話を始めると 今度は郵便小包の配達が来て 一人走り回ったようだ。電話は少林窟道場からで 貸し出し品の追加依頼だったらしい。午前中、掛けて 準備していた。
午後は雨、華の生け替え、須弥壇の掃除。
夕方、薫と共に 備品をお届けに上がる。方丈に 道場所蔵のお茶を 分けて頂いて帰る。