3月2日 曇り。
幽雪の母が訪ねてくれた。観音も大喜び。一緒に、庭の散策。

3月3日 晴れ。
目が覚めてもおばあ様が一緒と言うのが余程嬉しいらしく、観音は朝から大はしゃぎ。あれも出来る、これも出来ると一所懸命披露している。
薫が畑に収穫に行くのに一同同行。
観音がお昼寝から目覚めるのを待って、お雛様と共に皆で記念撮影。始めてセルフタイマーで写す。

乳母車でおばあさまと散歩3月4日 晴れ。
乳母車で農道を散策をした後、おばあ様を駅へ送って行く。
夜は、何処と無く寂しげな、つまらなそうな様子の観音。薫も気を使って、ステッカーをプリントしたり、はさみの練習に付き合ったりと観音に色々サービスしていた。小さいはさみを得て観音は何とか自分でハサミを開いて切る事が出来るように成った。

3月8日 晴れ。
観音の腹背筋が随分強くなって来た。以前はおんぶをされていても、後に仰け反ってしまうと支えられずに逆さずりになっていたが、最近はその心配が無くなったと薫。おんぶ紐を使わずにおんぶしている。観音も手を放し腹筋で支えて胸を薫の背中から離してバランスを取りながら負われる事を、楽しんでもいるようだ。

3月9日 快晴。
薬師講のおばあちゃん達が、8日は都合が悪いからと、本日お見えに成られた。観音も一緒にお茶をする。
観音はお客様への接待として、飲食にも精を出しているように見受けられる。他の方と一緒だと、気分が変って食欲が湧くのかもしれないし、食べられるところを見て頂きたいのかもしれないが兎に角、良く食べる。今日も、羊羹を2人分(4切れ)平らげた。彼女の努力通り、おばあちゃん達もとても喜んで、「この羊羹は美味しい。」と召し上がって下さった。
観音を肩車する幽雪おばあちゃん達をお見送りしたついでに、観音は下の広場まで散策に。薫が同行して、畑の下の道を通り門とは反対側から帰って来た。
観音を肩車して通った道を上から見分。肩車が嬉しい様子。
ボタンをホールに通そうと奮闘中の観音夜、自分でボタンを掛けると頑張る観音。以前からも薫が介助しながら、自分の着ている服のボタン掛けや外しに挑戦し続けて来た。今日は、脱いで掛けると出来そうだと自分で判断したようで、脱いで挑戦していた。

3月10日 晴れのち小雨。
観音の庭での足取りも大分しっかりしてきた。まだ、こけはするが、最近はこけても反って顎や顔をぶつけない努力を自分でしている。こけても、1人で起き上がり、手や膝の土や小石を払っている。余程痛くない限り、こけただけでは泣かない。
「こけた子供を直ぐに抱き起こすと、精神的にひ弱に成るからと泣いても親がグッと堪えて抱き起こさないと言った鍛錬の話を聞いた事があるが、観音はこけても泣かないね。」「むしろ、自分で失敗したと思うと、黙って何とかしようとしているように思える。」と言ったのんびりした会話をしていたのだが、今日は驚いた!側に居たと思ったのだが、ふと気が付くと額に砂粒大の小石がめり込んでいるではないか。付いていると言うには余りにも不自然で、ちょっと触っても落ちない。流石に担いで薫を探す。ミシンがけをしていた薫も、中断して処置に当る。
幸い、打撲もさほど酷くないようで赤くなってコブが出来、その上にかさぶたと言う状況に成った。薫は傷に髪が掛からない方が良いと前髪を上げて、傷がしっかりと見えるようにしてしまったのだが、会う人会う人が「こけたの?気を付けなきゃ!」と言ってくださる。観音本人は声を掛けられると少々苦に成るらしく上げた前髪を下ろしてしまう。薫に説明を受けてからは、触らない。

3月11日 晴れ。敬宗老師のご命日。
観音は昨日の怪我の事は、もう気にしていないようだ。自分でも「ガーン」と額をぶつけたと説明している。
午後、敬宗老師のお話で、道育師がお寄りくださる。観音は丁度、昼寝中。

3月12日 曇りのち晴れ。
畑を耕す薫と観音午後、薫が畑を耕す。と、言うよりは草の根に切り目を入れて回ると言った方が正解かもしれない。
油粕を画期的な方法で撒いている薫昨年の夏は前の年に食卓に上ったカボチャの種を大量に蒔き。カボチャ畑を作ったのだが、夏の暑さで20本からあったカボチャが煮えてしまい収穫できずに終わった。収穫したのだが、夏に既に石焼カボチャに成っており全く食べるに耐えない状況にあった。今年は方針を変える事にしたようで何やら今までに無い事を始めた。
油粕を40キロほど投入する事にしたようで、夕方これを撒いていた。20キロ入りの袋をおんぶして置いて穴を開け、畑を歩くと言う薫の発想は中々上手く行っているようだ。
更に落ち葉を背負籠に集め、畑に運び込んでいた。

3月13日 晴れ。
午前中、幽雪が墓地所の草焼き。午後、薫が墓地所の上の山から落ち葉を背負籠で担ぎ下ろし、畑に入れる。後2、3杯入れたいと言いながら日暮れる。
観音が生けた華と観音。昨日、薫が観音に畑で取った大根の花をプレゼントしたところ、生けると言い出した。かなり横に伸びた形になったその花を観音がまずまずにアレンジしたので、薫が玄関に飾った。今日、その華を見ると横に伸びていた筈の幹の部分がピンっと真上に伸びていた。余りの変化だったのでカメラに収めて置こうとしたら、観音が様子を見に来た。「作者も一緒にどうですか?」と声を掛けたら、飾ってある下駄箱の所へさっと来て構えた。話が通じたようだ。

3月15日 降ったり照ったり曇ったり、目まぐるしく変化するお天気。日中は気温が上がり暑いくらいに成る。
昨日からの雨で丁度良く給水したと、薫は午後、畑の落ち葉他を打ち込む。「思ったより時間も労力も要った!」と少々 ヘタバっていた。

3月16日 晴れ。
午前中、幽雪は墓地所の掃除。観音と薫は畑で種蒔き。
種蒔き組は、種を入れたバケツを観音が持って何度かこけたので、何時の間にか種を蒔き終えてしまったと途中から庭で草取りをしていた。
午後、方丈がお見え下さり 久し振りにお茶をご一緒する。「これ位の集中力と器用さが出てくれば、その内ハサミが使えるな!」と方丈がおっしゃると、観音は早速 自分のハサミを取りに行き腕前を披露する。2週間弱前にやっと、切った後も自分1人でハサミを開く事も出来るようになったと言う段階だ。その様子を見て、方丈が 観音のハサミの固さ調節のアドバイスを下さった。手が小さくて開けられる距離に限界があるので、劇的な変化は見られないが 徐々に固さを変える事で上達を促す事が出来そうである。

3月17日 晴れ。気温が高く、春霞。
午前中、幽雪は墓地所の華入れ。
午後、観音が昼寝をすると薫は畑に種蒔きの続きに行く。昨日は、途中で種が空っぽに成り畑の半分辺りで、終わりに成ったので 今日は1人でサッサと蒔く事に決めたようだ。
薫の種蒔き法は、種の袋を先に全部開けて、混ぜ合わせた種を蒔いて回る。その部分の土との相性が良い種が、発芽し育つだろうと言う何とも自然界的な発想である。だから、何時も何処に何が出て来るのか、何が生えているのかさっぱり分からない。今年もこれは、変更しないようだ。但し、今年は食べる目的ではないコスモスが加わった。観音が選んだ種の1つがこれだったのである。

ビニール草履を履いて歩く観音3月19日 晴れ。午前中、風が非常に強い。
午後、観音が小さな、草履を見つけて、引っ張り出して来た。この草履は観音がまだ歩き始めない11月の上旬に、薫が有り合わせのビニール紐を使って作ったもので サイズもその頃の観音に合わせてあり、小さい。
我々が草履を履いているのを眺めていた観音は、踵が1cm程出てしまうこの草履でも嬉しかったようで履いて庭へ出る。サンダル等や市販品に比べるとずっと足にフィットする鼻緒サイズなので、上手く歩けるようだ。素材上の理由で滑るので、草履がくるりと回ってしまい 時々足を入れ直したりしていた。それでも、薫と一緒に草取りをして回っている。
幽雪は、墓地所の華ガラ等の処分をする。下りて来てみると、観音が裸足でやって来る。薫の方も裸足に成っていた。やはり、滑るので 薫が脱ぐ事を勧めたようだ。暫くして、2人はお風呂場から足を洗って上がった。
「今日は、ミミズとてんとう虫の赤ちゃん(ナナホシテントウの幼虫)を見せたのよ。」と薫。観音はミミズを差し出されて「イヤ!」と言ったそうだが、幼虫の方は『赤ちゃん』と言う言葉に反応したようで、見つける度に薫に知らせていたそうだ。

勝運寺の奥様・方丈・薫と観音3月22日 雨のち曇り。
方丈の従兄弟に当たる方が死去され本日が葬儀。参列者は少なく、我々も斎場までお別れに行く。勝運寺の奥様も お昼をご一緒に取り、骨上げまで同行くださっていた。方丈も、「姉上殿には、ほんに ご縁の無い方だったのに。姉上は生涯、人の面倒を見る因果なんじゃなぁ〜。」と昼食の席でおっしゃっておられた。当の勝運寺奥様も「本当にね。私はよっぽど前世で皆にお世話を掛けたのね。」とおっしゃっておられた。

3月24日 
方丈の誕生日。故に、明州閣へ食材を担いで3人で押しかける。準備をしていると、一空居士が下山前の相見をご希望との連絡。
「一緒にどうかいな?」と方丈が聞かれる。「一空氏が宜しければ」と一同 観音に目をやる。「良かろうじゃないか。」と言う事で、一空居士も明州閣へいらして頂いた。
ヤモリを覗き込む観音子育ての先輩・方丈と一空氏のお話を伺いながら、一献。
入浴時、お風呂場に先客あり ヤモリである。風呂桶の直ぐ脇に来てくれたので、観音もじっくり観察!

3月27日 
方丈より、龍峰居士の下山に際し昼食を共にとおっしゃってくださり同席させて頂いた。実は、薫に会話の通訳をと言う狙いだったらしい。龍峰居士は、霧島ローランド氏の紹介で少林窟へ参禅にみえられたフランス人フォトグラファー。今回で、2度目の参禅なのだそうである。
昼食には、竜泉寺にて面識があると言うので、道育師も駆けつけて下さった。これには、薫も大いに喜ぶ。薫は方丈にフランスからの参禅希望者に返信の英訳を仰せ付かって、少々持て余していたので 道育師の登場に歓喜。早々に、話し込んでいた。
昼食後、我々が龍峰居士を三原駅までお送りする事にして、2方向に別れる。三原駅まで到着しないうちに、観音が眠ってしまい 駐車場からは 薫一人がお見送りに行く。丁度良い便があったそうで、龍峰居士は8時過ぎに東京へ到着できるもようだ。
次のお仕事はモンゴルの荒野への旅になるとおっしゃる。御法体ご自愛下され。

3月30日 晴れ。
薫と観音は服やタオルを並べ何かやっていたが、その内 本堂を渡った向こうへ移動。
幽雪は午前中、庭の草取り。
上がってから覗きに行くと、服は終わり、観音へのサービスで足拭きマットの製作中だった。服の直しをしていた時には、観音がマチ針と糸切りの係だったそうだ。
子供を仕事の邪魔者にするか、援助者にするかは 親の腕しだいなのかもしれない。
薫はと言うと、観音を下ろした途端に「疲れた〜」と椅子に仰け反る。知恵と共に、体力を必要とし、精神面でもかなりの疲労。観音は疲れた母の代わりにか 早速、仕上がった自分の服や、切れ端、裁縫箱などの撤収にかかっていた。「オ〜イ 薫、早くしないと仕事が増えつつあるぞ!」

抜いた草を手に方丈と話す薫3月31日 晴れ。
方丈がお見え下さる。用事をしに町へ出られたのだが、不要に成ったので こちらへお見え下さったとの事。久しぶりに、ゆっくりとお茶をご一緒した。
裸足で草取りをする観音庭にお見送りに出てからも、のんびりとした雰囲気でおられ、観音も裸足で気持ちよさそうにしている。水道の本管からのバルブの位置や、先般 本管別れの水道の漏水修理に市の水道課の方が見えていた事等、町内の様子などを 薫がお話しする。その合間に、方丈も薫も 当たり前のように手は 庭の草を抜いていた。観音はこの仕事が、大好きだ。