4/1 晴天、温かい1日。丸石の桜は
その後の寒さのためか、余り開いておらず 1分咲きといったところ。
インターネットエクスプローラーのバージョン5を入れた。良い面もあるのだが、アウトルックエクスプレスの起動時の送受信について
オフライン作業をしたい時と オンラインで移動した時のセッティングを 個々に調整できないので都合が悪い。まだ、良く理解していないだけかも知れないが・・・。
薫が又、工作をしている。「何に成るの?」と訪ねたら、「建前でのお祝いで使うお箸を入れるの」との事。柳箸の袋が、お正月用のデザインだった
と言うのが きっかけらしい。何時もながら、感心する。
午後から、外で 作務をしたら 汗が出てくる陽気である。休憩を取って居るところへ、嵩氏がお願いしていた遊心をお届け下さった。夕刻まで色々とお話されて、お帰りになる。遊心も今回は、絵と細字が入った作品を
仕上げてくださった。この山水は実に見事なものである。
夜、薫が包装をする。年末に400個も包んだだけあって、手慣れたものだ。
4/2 朝の重たい空からやおら春雨。方丈の間の棟上は天気予報を信じて、明日に延ばしたのが正解であった。雨量は多いが、空は明るい。これなら明日は大丈夫だろう。
午後には雨も上がった。明日の準備をしに道場へ。途中の桜はほぼ満開であったが、やはり勝運寺さんの桜は三分咲きである。種類が違うのだろうか?
相見の間は壁の粗塗りも済んでおり、床の間には見事な南天で釣られた違い棚が出来ていた。あの棟梁なかなかやるもんだ。雨ゆえに工事関係者も居らず、ひさかたぶりに静かであった。
薫は雨上がりに華材を採りに行ったらしく、帰山すると華がいけ替わっていた。「頭をもたげた竜のように見える枝があったから挿した」と言う一作には、平成春竜と名が付けられていた。トゲだらけの野薔薇をいけるのは薫我流くらいだろう。
ホームページを引越ししてから 20日が経った。「カウンターが3桁に成ってる!」と薫は大喜びである。
4/3 晴れた!総勢23名のスタッフにクレーン車1台。安全を祈っての建前法要、「私のお経は功徳が無いので十分に各々が注意する事。」と方丈が口宣。棟梁が塩と御神酒で清めをなさり、皆で無事を祈って御神酒を頂く。
クレーンの威力は凄いもので、驚くほど早く形に成って行った。暫くすると素人の面々は下で見上げて居るばかりになり、プロばかりが高い所で景気良く仕事をする。お昼までに骨組みがほぼ出来あがった。
観硯さんと薫は、皆さんにお持ち帰り頂く赤飯作りに奮闘。4升も炊いたらしい。(全部お持ち帰りようで、我々は1口も当たらなかった。)夕刻には、小海老のかき揚げを仕度していた。祝いの宴も大盛況。十楽先生を始めとする数人に、ご参加頂けなかったのは残念。
全員が無事で、天候にも恵まれ実に良い棟上であった。「おつかれさまでした。ありがとうございました。」
4/4 快晴、朝から山内外の掃除。10時前には 方丈もみえられた。実は本日、若くして白血病で
亡くなったお嬢さんの納骨に ご遺族の方々がいらしゃる。
瀬戸内のこの地へ 墓参に訪れることを 事の他楽しみにしていらした と言う彼女は、小さな桐箱に納まり
お姉さんの胸に抱かれて上山される。気丈に振舞っておられたご両親も、法要が始まると
溢れる涙を 何度も何度も 拭っておられた。
「人間、誰しも一度は死なねばならんのだし・・・」とおしゃっては居られたが、子に先立たれた親の心情は
察するに余りある。和泉式部の詩に「仮に来て 親にあだなる 世を知れと 教えて帰る
子は知識なり」と言うのがあった。今、人生の無常を 身を以って感じておられるに違いない。
忘れるなかれ、人生無常である。
4/5 午前中 少し曇っていたが、午後は快晴。
少林窟道場へ、届け物とHPの更新等に行く。丸石の桜は今が最高、後は開きながら散り始めるだろう。
帰ってくると、庭から裸足の薫飛んで来た 「遅かったじゃん、わらび採りに行こうよ!」。庭の草取りをしていたようだが・・・「余りに密集している所があったので、高下駄に腰掛けて作業をしていた」そうである。
袋とはさみを持って、裏山へ登って行く。暫くぶりなので、キョロキョロしながら
様子を見て歩いた。薫は 『タジッポ』 と彼女が呼ぶ その辺の自生山野草を採って、ぽりぽり
かじっている。野薔薇が 随分繁殖していた。「でも ここは耕してあるね。草はそのままだから、自然農法でもやるのかな?」。荒れ果てた畑の道を通って、わらびの親が枯れている所まで出る。その辺りまでは
農道からも逆に入って来れるので、目立つ物は先客に持って行かれたようだ。「もう無いね」と言うと、「そんなことないよ!」と薫は既に手にしていた。野薔薇と共存関係にあるのか、枯れたわらびと野薔薇の下を覗くと
お目当てのわらびがある。痛いやら足場が悪いやらで効率は悪いが、ぽつぽつと収穫する。薫は高下駄で
斜面にへばり付いて、野薔薇の中へ 手を突っ込んでいる。コツがあるのか、目が良いのか
意とも簡単に一握り収穫してしまう。暫く採って、農道へ行って見ることにした。
農道を景色の良い
登り方向へ歩く、途中にシダ類はあるが わらびでは無い。路肩を 下を向いて歩いていると、薫は既に
違う物を手にしている。「天ぷらにする」と ビワの若葉を 持ってくる。なるほど、小さなビワの木が沢山
自生している。それにしても ゴミの多い事、道の一寸した窪みは 必ずと言って良いほどゴミ溜めである。ペットボトルに空き缶、弁当がら
時にはご丁寧に収集用ゴミ袋にまとめられた物までだ。少し広くなって居る所には、スチール製の棚のような物まで
解体し紐をかけて 持ち込まれていた。呆れてしまう。黒滝山の登山道と出会った所で
折り返した。
元来た道を過ぎて下って見ると、日当りの悪い所に
やせたわらびが数本。更に下ると、自生する桃の木があった。道を挟んだ反対側の斜面に
大きな桃の古木があるので、それの子孫と想像する。たらの木もあったが、芽は既に先客の手に渡っていた。子孫の方の桃を
一枝切って帰る。薫は嬉しそうに 桃の花を持って歩いた。
海蔵寺の墓地所へ抜ける山道で ひずめの跡を発見、「アーッ!イノシシの足跡」「もしかして、自然農法じゃなくて・・・」。どうやら猪の
食事の痕だったようである。正に 獣道を通って 行って来たのだ。最後に 山際を廻り、更にわらびを収穫。悔しいが
薫の収穫料は 5倍位はある。
帰り着くと薫は 早速ビワの若葉の天ぷらを作る。信じられないかも知れませんが、カラッと揚げると
これが美味いんですよ!わらびはアクがあるので明日以降のお話。
4/6 快晴、一時雨、午後強風。不安定な天気である。
薫が「アーッ!姫龍金華が咲いてる!」と叫んでいる。行って見ると、地面にへばりつくように葉を広げた小さな草が小さな黄色い花を咲かせていた。一昨年の宮床祭りで、植木屋のおばさんがおまけで付けて下さったものだ。ここにも生命一杯に春が来ている。海蔵寺の忘れられて
かろうじて生き延びているような 桜も精一杯に 花をつけた。見頃だ。
風が強いので、坂の下から杉の枯れ枝が参道を舞い上って来る。バケツは転げまわるは、華はひっくり返るは、洗濯干し場の屋根はバタンバタンと音を立てるは
の騒がしい日である。薫も音がする度に「アーッ!・・・が」と騒いでいる。
夕食には、昨日 収穫したわらびが出て来た。自分で収穫したから言うわけではないが、旬の物は美味い!昼の天ぷら蕎麦の天ぷらも旬のビワの若葉であった。あれも美味かった。旬に勝る物無しである。
4/7 午前中は来客と昨日の風で飛んでしまった 洗濯干し場の屋根の補修で終わる。20年も経つと何でも・・・。今度、強い風が来ると補修では済まないだろう。
来客と言うのが始めての方ばかり。「PHSの電波の入り方を調べて回っているのだが、ここの建物の中で計測させて欲しい」と現れたNTTーTEのエンジニア。折角なのでお茶を出して差し上げたら、色々電話について話して下さった。知らない事を専門家から聞くのは為になる。もう一方は、赴任したばかりの派出所のお巡りさん「一軒づつ調べ取るんですが、ここに住んでおられる方のお名前、生年月日などお聞きしたいんですがねぇ。」
緊急時の連絡先、何時ぐらいから住み始めたか、土地勘がどれくらいあるか等々聞いて行かれた。最後に「変ったことはないですかね?」と聞かれた薫は返答に戸惑っていた。お巡りさんが来り、NTTの人が来り、かなり変わったことのある日だからだろう。
午後からバーナーの修理依頼、写真の焼増しの受け取り等々に出かける。少林窟道場にも寄った。方丈の間の作業の進行は順調、もう少しで屋根が出来そうだ。
帰山後、外回りの掃除。昨日の風で思わぬところに ゴミがある。海蔵寺には見当たらない種類の木の枝等もあった。昨日
飛びまわっていた割にはゴミの量が少なので、何処か他所へ飛んで行ったのだろう。バケツも吹き飛ばされたくらいだから・・・。
薫は明日の準備で花御堂を飾っている。半日がかりでやっているが、切りは無さそうだ。
4/8 晴れ。本日は花祭りである(お釈迦様のお誕生日)。花御堂の中に お釈迦様の生誕像を飾り、お参りに来られた方々が
甘茶をかけて拝むのである。その後、甘茶のご接待をする。中には お参りに来られなかった方に甘茶を持ち帰る為の水筒を
持参される方もある。
朝から薫は20リットルもの 甘茶を沸かしている。お持ち帰り用には冷ましたもの、その場で飲んでいただくものは
ポットに入れられていく。
今年も、お隣にお住まいの方が お参りに来られる方々の為にと 桜餅を作って届けて下さった。
毎月 薬師講にお見えになるおばあちゃん達からは「デイサービスに行くので3時半頃伺います。」と連絡があった。(デイサービスとは
老人福祉事業のお風呂と昼食のサービスだそうだ。)
お参りされた方々は 皆さん、桜餅と甘茶で 花祭りを楽しまれた。
「昔はレンゲばかりで飾っていた」「お花祭りの歌を 歌いながら甘茶をかけた」「昔は、皆
何里も歩いて峠(たお)を越えて 楽音寺の花祭りへも出かけた」「うちらの田舎じゃ〜
子供ら皆 出て これを(御堂を)担ぎょうた」など小さい頃の想い出話にも 大いに花を咲かせている。
今では生花だけで飾るのは 大変なので紙で作った花を 全体に使い、お釈迦様の回りに
若干の生花を入れている。現代風の御堂は そもそも これほど飾るようにはなっていない。今では珍しい位であるが、集まる人達にとっては毎年楽しみなようだ。
4/9 午前中は山内の掃除。午後から(幽雪の)父の1周忌の為に 姫路の母の所へ出掛ける。
出発から50m 、ハプニングである。シャベルカーが 道をふさいでいるではないか。工事をしているようで
我々の前を走っていた原付が迂回する様に指示されている。海蔵寺へ上がったことのある方は良くご存知だと思うが、車道としては細い道が1本あるだけで
後は大八車でも難しそうな通路があるだけだ。降りて状況を確かめに行くと 「1時間ほど待ってくれ」と言われた。戻りかけると
薫が車から出て来た。「1時間ほどすれば通らせてもらえるみたいだ」と言うと
薫は「あのシャベルカーそれまで除けてくれないの?」と不服そうである。どうしようか
と相談を 始める暇は無かった、薫は 何処かへ電話をかけている。・・・「どうゆう工事許可を
下ろしているのですか?」・・・「迂回路のない道路を 住民に何の通知もせずに
1時間も・・・」。もしかして警察署?
10分くらい電話でやり取りしていた後、「警察は許可を出していないそうで、現場を見に来るそうよ。『派出所は
外出中なので 本署からパトカーを出すから 大きい道との分岐から 誘導してくれ』って言われた。」と言うのである。飛んだ事に
成ってしまった。薫が 行ってしまうと 間無しに シャベルカーは道を開けた。話が大きくなってしまったので
兎に角 薫に道が開いた事を知らせた。本人は「一応、私はここでパトカーを待つから
車は通過させてしまってくれ」と言う。通報した責任があるので 薫は残して郵便局と方丈の所へ行き、後で迎えに来る事にした。
そう言えば・・・薫が ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院の入り口で ズラーリ並んだ観光客を待たせて
英伊辞典を片手に 切符売り場のおばさんと喧嘩した話は 有名である。薫自身は「だって、1枚余分に売るから『間違ってるよ』って言ったら
券だけ取って知らん顔しようとするんだもん。抗議したら『英語は話せない』って英語で言うのよ。」という言い分であった。「違う場所ならまだしも、サン・ピエトロ寺院よ!」と言っていたが、サン・ピエトロ寺院だからこそ
そのままにする人の方が多いのでは・・・?
結局、予定より遅れた。母の家へ寄ってから 姫路駅へ叔父を迎えに行く事にしていたが、「遅れるよりはマシ」と直接
姫路駅へ向った。
4/10 あいにくの雨の中、8時半には 親戚一同集まってくれた。10時からの法要を
予定していたのだが、菩提寺の方丈様が 葬儀が出来てしまい 昨夜になって9時に繰り上げた。
雨なのでチャトラン(猫)を 外に出さないようにしていたのだが、隙を狙って出てしまったので
締め出した。所が大きくなっただけあって 玄関の戸を自力で開けて 法要中に泥だらけの足で
入ってきてしまった。誰の膝へも上がらなかった事だけは 幸い。
1時間少々かけて 岡山県英田郡大原町にある お墓へ納骨に行く。高校を出るまで
この町で育った。町並みは、随分 変わってしまっている。お墓の直ぐ目の前に
線路が出来て列車も通るようになった。今は「宮本武蔵 生誕の地」として 町興しに力を入れている様だ。
会食後、母の家まで兄貴の車を追っかけて走る。レオーネに甥(兄の長男)を乗せたら、到着後「ジェットコースター終了?」と聞いてきた。途中でも「ヒョエー。冷たいと思ったら
雨が漏ってる!」「カーブすると 水滴が落ちてくる」と後ろで騒いでいた。薫は「これでも今のはワゴンよ、前は同じレオーネでも
バンだったんだから 後ろの乗り心地はずーっとよくなったのよ。」と言いながら走っていた。薫は
この車の 悪条件でのタフさに 惚れ込んでいるが、余程の事がなければ 誰も こんな車が良いとは
言わないだろう。(走行距離11万キロ以上、四輪駆動、ミッションのステーションワゴン車、査定価格0)
兄貴の家族も 夕方まで滞在し、久しぶりに 皆で賑やかに過ごした。誰より母が
嬉しそうである。
4/11 晴れ。薫は朝から「アー良かった。チャトラン 風邪引かずに ちゃんと乾いてた。」と猫に首輪を着けながら
言っている。昨夜もチャトランは 薫に捕まってお風呂で ずぶ濡れにされたようだ。「洗うだけ
洗ったんだけど、もう眠たかったので 生乾きのまま コタツに放り込んで 寝ちゃったの」だそうだ。
叔父を送って行く為に 外へ出ると、田崎氏が ちょうど 竹紙を漉いて居られた。洗物の途中だった薫も
エプロン姿で見送りに出て来た。「写真を撮らせてもらったら」と勧めて、叔父を乗せて出発。
アダプターを持って来ていない事を 薫に言い忘れていた。案の定 帰ったら「良いところを
写し損ねた」と文句を言っている。「田崎さんが わざわざ乾いた紙を持って来て、色合いとか比較したりして
見せてくれたのに」「最新の作品づくりも 披露してくれたのに」と・・・。
母は「何か 持たせてあげられる物があると良いんだけど 何も無い」と言いながら
リンゴ箱一杯に あれこれ詰めてくれた。薫は田崎さんの 奥様に手紙を書いている。
「先般 心臓の手術をしたのだ」とお聞きして驚いた。心臓に 1.5cm×2cm
の穴が 開いているまま ダンスをしていらしたと お聞きしてもっと驚いた。今は自宅療養中だとお聞きしたが
お姿を見掛けしなかったので、お手紙をことずけるのだと言っている。
いよいよ帰ると言う時に伺うと お車が無い!兎に角 入り口で声をかけてみた。すると、奥様ご自身が
玄関へ出て来て下さった。「何もお聞きしていなければ、全く分りませんね」とつい言ってしまうほど
明るい笑顔で お元気そうにしていらっしゃった。結局、奥様と母に見送ってもらって夢前を後にした。
帰山してみると、ミシガンとハワイ在住の 薫の友人から 結婚祝が届いていた。「Amyからだ。アッ、こっちはDeanaから」と歓喜をあげている。
4/12 雨。菜種梅雨であろうか。
例によって デスクワークとなる。田崎さんの 5月に予定されている2人展の内容や、ここ3、4日の事などを
思い出しながら記入。
薫は 郵便物に追われている。方丈の新しい本が出た為か 立て続けに書籍の発送依頼が
舞い込んできた。自分の手紙もあるようだ。
小雨の時を狙って、野菜(野草)を 採りに行った薫が 帰って来て「大きな犬がいるよ」と言う。暫くしてから
見に行くと 門の下で雨宿りをしながら伏せていた。茶色っぽい、毛深い犬だった。
夜になって 遠吠えを始めたので、門灯をつけて様子を見に行く。吠えてはいけないと
分っていたのか、『迷惑かけました』と言った様子で 何度か振り返りながら トボトボと参道を下って行った。
「降りて行ったよ」と 薫に言うと「かわいそうに『雨だからここに居て良いよ。でも、吠えるなよ』って声かけてやれば良かったのに・・・」と言っていた。その後も
何度か思い出しては「雨なのにね」と気にかけている。
4/13 雲が速い。晴れていたかと思うと
パラパラと来る。お昼頃からは 突風が吹き始めた。
薫は風にもめげず 洗濯をしているが・・・。半乾きで ハンガーごと 飛ばされたりしている。先般の風の後
補修した洗濯干し場の屋根が 又 風にやられた。余り強風なので 今日は補修できそうにない。無理に作業すると、トタンと一緒に
宙を舞う事に成るだろう。
昨日の犬は 今日も午後から 誰かを待っているかの様に 門の下で伏せている。少林窟道場へ届け物をしに
車を出したが 静かに伏せて動こうとはしない。3時過ぎに成って、近づいてみる事にした。犬に話し掛けながら
近づいて行ったが 平然としている。とうとう 薫は犬の目の前に 座り込んで手を出した。大きい!薫と見比べると確かに大きい。薫は平気で、「秋田犬みたいだね。オスだね。」と言いながら
犬の鼻を撫でている。首輪の跡は 見当たらないが 人に良く慣れた飼い犬のようだ。一体この犬に
何があったんだろう。
来客があり
一旦 その場を離れた。薫は どうしても犬が 気に成るようだ。「何もあげちゃ駄目だよね。」と言いながら
覗いている。1時間後、ついに 賞味期限切れの 袋菓子を手に「ダメ?」と聞きに来る。
「門番のご褒美」と言う事で・・・。しゃがんで
手を出す薫の方に、立ちあがって 寄って来た。やはり大きい。匂ってよだれをたらし始めたが
食べない。「ドッグフードしか食べないんじゃない?」と声を掛けたら、薫は「でも、お腹空いてるみたいだよ」と言って
自分が食べ始めた。「ほら、大丈夫だよ。お前にもあげる。」と差し出す。今度は食べた。驚いた、随分賢い。その後も
薫の手からは食べるが、こぼれたのを掻き集めても 警戒して食べない。途中で食べるのを止めて、うろうろし始めた。「どうしたんだろう。お腹良くなったのかな?」と聞くと「のどが乾くのよ」と
まるで犬と 意思疎通が出来るような答えが 返ってくる。試しに バケツに水を汲んでやった。飲んでいる。一頻り飲んだら又、薫の手から
お菓子を食べる。こうなると 感心するしかない。
強風が吹いても、誰かを待ってるかのように 門の下でうずくまっている。この犬の飼い主は
一体どうしたんだろう。
夜になって 又 遠吠え。「吠えちゃダメ!」と 薫に叱られたからか、今は姿が無い。
4/14 晴れ。洗濯日和につき 薫は朝から 慌ただしい。
1輪車の修理をする事にしたのだが ホイルは腐っているし、タイヤは当然 空気が入れられる状況ではない。取り替える事に決めて
買い物に行く。「少林窟道場の1輪車の分も頼む」との事である。
今日もあの犬が 門番をしている。どうして 海蔵寺の門なのだ?いきなり現れて門の下でじっとしているのだから
本当に不思議な話である。それにしても この大きさでは 直ぐに保健所行きに成ってしまう。すぐ下の道は
保育園児の通園道である。もし、誰かがこの犬を見かけたら、即 通報するだろう。その実
私でも細い路地で 向こうから この大きさの首輪も無い犬が 歩いてきたら、横道へそれるか
後戻りをするだろう。2〜5歳児では この犬より はるかに小さい。それにしても
何故ここにいるのだろう?
1輪車の錆び付いたナットに、潤滑材を噴いて ソケットレンチで 回そうとしても
ビクともしない。あちらの1輪車の 修理をして、借りて来た方が良さそうだ。タイヤを
1つ持って 少林窟道場へ。構造が 違うではないか・・・。話にならないので
帰山。
再び、ソケットレンチと潤滑油。全く動かない。仕方が無いので レンチの柄を
ハンマーで叩いてみる。ダメだ!半分諦めて、1輪車自体を なんとかする事を
検討しようと 薫の様子を覗きに行った。
先般の 小包と手紙の お礼状を書いていた。「文法ボロボロ、スペルもメチャメチャ。まとめられなくて長くなる」とこぼしながら、3頁目を
書いている。「ナットが 錆び付いていて ホイルが外れない。少林窟のは、構造が違うので
取り替えられそうに無い。使える1輪車を 1台なんとかする必要が あると思わないか?」と言ってみた。「そうね、丁度これにも
疲れて来てたの。」と言うと、袖を上げながら スタスタと外へ出ていく。道具箱を
引っ張り出して スパナのサイズを見ている、無駄だと思うけどなぁ〜。潤滑材が
ボトボト滴るまでかけては スパナを使っていたが 回らない。「これじゃダメね」と言って玄関へ入って行ったので、諦めたと思ったら・・・。高下駄から
運動靴に 履き替えて来た。スパナを はめ直すと片足を掛けて、一気に踏み込んでしまった。回った!
「あれ〜、これって 両方とも緩めないと 外れないの?」と反対側から 覗いている。薫の体重を
かけても ビクともしない。実は反対側は、もっと状況が悪いのだ。ナットを 金槌で叩きながら、潤滑材を
噴き込んでいる。別にやけくそで 叩いている訳では 無さそうだ。ここで電話がかかった。薫は
中へ駆け込んで行く。
しめしめ、このまま薫に 外されては・・・。要領は分った、道具も揃っている。スパナを
はめて 踏み込む・・・踏み込む。もう一度、勢い良く 踏み込む。ヤッター、動いた!電話が
終わらない間に 修理完了。
早速 着替えて作務を開始。ご近所の方も 1輪車を持って 手伝いに来てくださった。帰る時に成って、犬を
見つけて「ここで飼い始めたの?」と目を丸くしている。「いいえ、一昨日から門番に来ちゃったんです。」
日が落ちてから、薫が 出て行って しきりに 犬に話し掛けている。「いい、吠えちゃダメなのよ。ワンワンも
ウオ〜も ダメだからね。大きな声出すと 直ぐに捕まっちゃうよ。静かに 良い子に
してるんだよ。寒くなったら お家に近い所へおいでね。」とやっていた。今夜は
全く吠えない。やはり薫の言う事が 分るのだろうか?
この犬を なんとか生かしておいてやる事は 出来ないだろうか?こんなに賢い犬なら
飼いたい人が 居ても良いはずだが・・・。
4/15 風はおさまった。天候は良く暖かい。洗濯干し場の屋根の修理と 外回りの作務。
犬は 朝方は姿が無いが、昼間になると門の下に 来ている。方丈に相談して、それなりの動きをした方が
良いと言う事に成った。
全く知識が無いので、町内の獣医さんに 電話で尋ねてみた。「動物愛護センターへ
迷子犬の届出が無いか 連絡を入れてみた方が良い。」と アドバイスを頂く。センターの方には
届出はなかったが「警察署に届出ている事もあるので 一応確認した方が良い。遺失物と同じ扱いになるから」と
アドバイスを下さった。忠海の派出所は 例によって外出中、竹原本署へ連絡。こちらにも犬の届出は
無いそうだ。「遺失物には違いないのですが・・・犬ですので 自分の脚で家に帰ると言う可能性もありますので、もう数日そのまま
様子を見てはもらえませんかねぇ。おとなしいし 人に危害を加える様子も 無いようでしたら、数日はそのままにして頂いて
動かないようなら 動物愛護センターさんの お世話になると言う事で・・・。」、警察署の方も迷惑そうである。「もし、数日して
遺失物として届出を する場合は?」と お聞きすると、「はい、一応 持ってと言うか
連れて来て頂いてですね、確認を取って 書類を作ります。これがですね、警察署の倉庫へ入れて
保管すれば良い と言う物じゃないですから・・・、その拾得物の・・・期限まで
お宅様にお預かり頂く書類を 作成してですね。期限が来たところで もう一度連れて来て頂いて
一旦 警察へ返して頂いた と言う書類を作り、改めて あなたさまの物として 受け取られる形で書類を
書いて頂きます。勿論、飼い主が届出に来られれば 別ですが・・・。」とおしゃる。「では、どうでも連れて行かないと
駄目なんですよね?」「ええ、そうでなければ 愛護センターさんの方で無いとどうにも・・・。兎に角、もう数日
様子を見てからと言う事にしてもらった方が・・・」とのこと。こちらも直ぐ連れて来い
と言われても困るし、愛護センター行きには させたくない。(動物愛護センターでは
一時預かり期間中に 引き取りの希望が無ければ 安楽死をさせる。この期間 わずか1週間ほどしか無く、引き取り手があるのは
殆ど小奇麗で 愛らしい 子犬ばかりである。)
獣医さんは、「何か食べて 体力が回復すると 自力で飼い主を探す可能性があるので、1週間ほどしてからの方が
良いですよ」とおっしゃる。取りあえず、餌を与えて 名前を決めることにした。『バサラ』(解脱真言より)。
「番犬にふさわしい名ではないか」と言った途端に
庭先に一匹の普通サイズの野良犬が 門とは逆の方から 入って来た。全く分っていない様で
匂いを嗅ぎながら 門の方へ近づいて行く。そこには『バサラ』が・・・。その野良犬は
凄まじい勢いで 逃げ去った。バサラも 10mほど走った、凛とした姿で 立ち止まっている。迫力が違う、正に番犬である。薫が
大喜びで「バサラ、やるじゃん。お前はバサラだよ。バ・サ・ラ。」
名前が 気に入らなかったのか、出て行ってしまった。夜になっても 戻ってこない。薫が気にして
外へ出てみる。「ねえ来て来て、早く出て来て」と呼ぶので 出て見た。山がやたらに
騒がしい ガサガサ、ガサガサ音がしている。こんな時バサラが・・・いないのである。薫は
懐中電燈を 持ちに行った。どうやら、様子を見に行く気らしい。仕方が無い、玄関先にあった
棒と木刀を 手に同行。いざと言う時は、剣道の心得のある薫に 木刀を渡すとしよう。薫は
足音を潜めつつ、どんどん 近づいて行く。猪は獣である、危ないだろうに・・・。ゴミ焼用のドラム缶や、手すりを叩いて
こちらから音を立てた。薫は 明かりを照らしながら、遠慮無く 近づいている。危ないなぁ〜。猪の方が
焦ったようで、音が 右往左往している。その内 ガサガサ、カサカサと逃げて行った。薫は更に上がって行きつつある。「お〜い、帰るぞ!」「でも・・・」と不服そうだが「帰るぞ!」と下り始めたら、トボトボと引き返してきた。
4/16 晴れ。バサラ
はやはり居ないと思っていたら、8時前になって 門とは反対方向から 帰ってきた。「バサラ、餌だよ」左前足に
生傷を作って来た。「お前 一体どこまで行って来るの?」と声をかけられても、触られても
必死で食べている。食べる元気だけは 出てきたのかな?良く食べた。早く元気に成れよ。
午前中の作業を終えて 昼食前に、ちょっとだけ バサラ を見に行った。撫でてみよう・・・『わん』。「吠えるなよ」、もう一度
撫でて・・・『ぅう〜わん』。何だよ?もう止めた。
昼食の時、薫に「バサラ に吠えられた」と 説明すると「それ、無礼者!って言われたんだよ。」と返された。何故
バサラ に 無礼者って 言われなきゃいかんのだ?「バサラ に噛まれたら、恐いって思ってるでしょ?だから
バサラ は自分の方が強くて、格が上だと思ってるんだよ。」と言うのである。どうして分るんだ?
午後、十楽教子さんが 立ち寄って下さる。そこへ、道育さんと秀蓮さんも いらして下さった。久しぶりに
秀蓮さんと お会いした。暫く 話して お帰りに成る。教子さんは 夕刻まで 薫と話して行かれた。皆さん、バサラ
の事を「大きい!」と 眺めて帰られた。
4/17 曇り空。方丈は 総持寺での参禅会の為に 今朝の便で上京された。
バサラ は 朝方吠えていたが、勝手に餌を食べて 何時ものように座っている。元気も出始め、慣れても来たようだ。飛行機の音に『うぅ〜、うぅ〜、うぅ〜』とサイレンのような声を出した。『バサラ』と言う音には
意味があると事に 気付き始めたように見える。
薫は少し熱があり、体調の優れない顔をしていた。3ヶ月半ぶりにいらした方に、「顔がふっくらしたみたいね。幸せ太りでしょ。」と言われている。
バサラ
は 接客中も やたらと吠えている、どうしたのだろう?お見送りした足で 様子を見に行く。近づいた事が嫌だったのか、参道を下りだした。「バサラ」と呼ぶと立ち止まるが・・・。今日から宮床祭りである。人も
多く出ているし、ウロウロしていたら 直ぐに通報されてしまう と心配するのはこちらばかり。戻る気は
無いようで 行ってしまった。
午後から、十楽教子さんが いらしゃった。お茶を飲んでから、教子さんと薫は
宮床祭り(お祭りと言うよりは植木と道具の市)に出かけて行った。雨が 降り出さねば良いが・・・。
静かに成ったところで、澤田さんに差し上げるつもりで ホームページの澤田さんの所を
プリントアウトする。北海道旅行のページも プリントした。
5時半頃、背中に竹籠 手には植木を持った教子さんと 何かの苗を持った薫の
ご帰還。ミントブッシュと言う オーストラリア原産の低草木だそうだ。教子さんのご実家の
増改築祝いの記念樹として、1本を教子さん、もう1本を薫が 育てる事にしたそうだ。
薫の様子を 知ってかどうかは定かではないが、ご近所さんが いなり寿司やおこわ、煮豆等を届けて下さる。夕食は簡単に済ませた。バサラ
も帰った、雨も降り出した。「薫、今日は早くお休み!」
4/18 雨。バサラ が吠えるので 餌をやったが 全く興味が 無さそうである。出掛けて行ってしまった。
薫は 昨日より熱が上がって 朝から休んでいる。まるで植物のように 熱があると
クタ〜 としている。
夕刻になっても そのままなので「お茶を飲むか?」と 聞いてみた。「いるぅ〜」と
頼りない返事。2杯飲んだら 暫くして、ヨロヨロと起き出して来た。「どうした?」「お茶を飲もうと思って・・・」
どうやら、中毒患者に 誘い水をした結果に 成ったらしい。お茶が入る度に 元気が出る感じである。まさか、茶切れで
熱が出たのか?
「茶切れだったの?」と聞いてみた「私は 水冷式なの!」と 言えるほどに成った。
8時から 用があるので 外出。帰ってみると、その間に 薫は メールの返信を
書いていた。「無理するな!」って 言うのだが、何時も ながら「だって、書いてくれたのに
返事 出さないと悪い」との 言い分。だから、熱が上がるんだよ・・・。因果の分らんやつだなぁ。
4/19 雨。薫は復活。不思議なほど 元気の有る無しがはっきりしている。限界を超えるまで
頑張ってしまうから、ダウンする時は、極端に 状態が悪くなっているようだ。
新婚旅行に出かけるための準備というか 後始末のことで 薫と話し合う。「出かけた後で、どんな人が
寺に入って見てもピシッときれいに されていなければいけない」と薫は言う。「それが人の信施で
寺に住まわせてもらっている者の 務めだ」という訳だ。結局、宗教家としての在り方を
問われることとなる。それほど徹底的に きれいにしなくても、そこそこ 整理整頓してあれば良かろうと思っていたのだが、そう言われると、全くその通りで、反論の余地は
無い。しかし、お盆と正月が 一緒に来たくらいに きれいにしようと思ったら、なかなか
大変な話である。一体、いつ出発できることか。
とにかく 山内を きれいにするべく、今日は 開山堂を 片付けた。薫の 幼稚園・小学校頃の教材が
大切にしまわれていた。薫はそれらを 一つひとつ取り出して、取っておくもの、リサイクルに回すもの、焼却するものに分けていた。とても手間のかかる作業なのだが、過去を
昇華させて行く 大切なプロセスだと思うから、じっと見守っていた。
先日、父の一周忌のため 姫路の実家に帰った時、母が 兄嫁と薫に「法事を 手伝ってくれて
ありがとう」という意味で御礼を渡そうとした。兄嫁が受け取ったので、薫も仕方なく受け取ってしまったが、薫は悩みに悩んだ末、真心のこもった手紙を添えて
仏壇に置いて帰って来た。戻った後、母に 電話をして 少し説明は したのだが、薫は母に
真意が伝わっているかどうか、とても 気にしていた。今日、母から 薫宛に手紙が来たが、そのことには
触れていなかった。おかしいなと思い、もしかしたら、誤解を生じているのではないか、と不安が生じた。夕食の準備をしながら、薫は
更に気にしていたので、「悪意に取れば、母に借りは作りたくない、というふうにも
取られるかも知れないね」と 言ってしまった。余程ショックだったらしく、薫は
本堂の隅へ行って 大泣きしていた。事態が 深刻な方向に 展開してしまったので、とにかく
母と話して 真相を確かめようと 電話してみたが、今日は もう遅かったので、母は
休んでいたらしく 電話は通じない。明日 もう一度電話してみよう と思うが、薫は
もう一度 母に「手紙を書く」と言って 今、書いている。
真心は必ず通じる と思うし、たとえ 誤解を 生じたとしても、解きほぐすことは
難しくはないと思う。真実ほど 強いものはない!
母を 悲しませたのかも知れない、と言って 泣きじゃくる程、母を 大切に思ってくれることを
本当に有り難いと思う。こんないい嫁さんが来てくれて 母も幸せ者だ。
4/20 晴れ。日向にいるだけで 汗ばんで来る程の 陽気である。
午前中、庭の草取りをした。余りに暑いので 途中から上着を脱ぎ捨て 肌着姿となってしまった。薫は
母に手紙と一緒に ワラビを 送りたいと 朝から炊いている。勿論、洗濯や布団干しにも
励んでいた。
午後一番で 方丈が見えられた。バサラ をご覧になって、「気が小さいんだなぁ、お前は。」どうやら、『お咎め無し』のようだ。
先般の 総持寺での参禅会の報告を ホームページに載せる為に、少林窟道場へ。行きがけに、母宛のクール便の発送。
道場での作業が終わる頃 丁度、大工さん達の お茶の時間となり ご一緒させて頂いた。
夕方、庭にほうき目を付けていると ご近所の方と薫が 野菜を どっさり抱えて
参道を上がって来た。「沢山、もらったの。新玉葱でしょ。絹さや、スナックえんどう、ほうれん草に春菊。」何時もながら、実に
嬉しそうである。「薫ちゃんは、新玉葱の葉っぱも食べるって言うからそのままなのよ」とみずみずしいのを
10玉ほど下さっる。えんどうだけでも 鍋一杯 ありそうだ。薫の場合、主食は米ではなく
野菜と言っても過言ではないだろう。
夜になって母に電話する。やはり母は何も気にしてはいなかった。「薫はすばらしい御両親に育てられて、心の優しい娘だし、頭が良いから、そんなふうに心配してくれるんだね。私はそんなに色々と考えたりする頭はないから、何にも気にしていない、とよく言ってあげて・・・」とのことだった。我が母ながら、その全く邪気のない透明な心は、さすがだと感心する。雨降って地固まるで、これで母と薫がもっと近い関係になれれば幸いだと思う。
薫のカナダの友人から 薫宛に来たメールが ウイルスであった。何のメッセージも無しに
添付ファイルだけが来ていた。実行ファイルだったので『怪しいなぁ』と 思いながら暫く放置していたのだが、「Happy
99」と いうファイル名から見て、年賀状の類だろうと思った。今頃送ってくるのは
変だが、気まぐれで 送って来たのかも知れないと思っていた。ちょっとした暇ができたので、見てみたくなり、実行してしまった。花火がポーン、ポーンと上がるだけのプログラムだった。結構きれいだったので、後からもう一度「添付ファイルの年賀状プログラムきれいだったよ。」と薫にも見せた。ところが
その直後、カナダから「薫、あれはウイルスだから 直ぐ削除して!絶対に、開けないで。」という警告メールが来た。しかし、後の祭。初めてウイルスに感染した。慌てて
Anti Virs をアップデートして、どうにか システムフォルダー中の ウイルスを消去することができた(はずだ)。『ウイルスってものが本当にいるんだなぁ』と
認識を新たにした。皆さんも、ご注意あれ!
4/21 薄曇り、時々青空。
玄関脇で 薫が 何かやっている。先般 手に入れた ブシュミントを植えかえていた。並んでいる植木鉢は、見るからに
薫らしい物ばかりだ。お茶の木、コンフリ、紅たで、三つ葉、ペパーミント、ジャスミン、アロエ、南天、もみじ。もみじの何処が
薫らしいかと言うと、これも 時々 葉をむしられて 天ぷらとなって食卓に上る。地植えに成っているのも、明日葉やアスパラガス。「これは何?」と聞くと「百合だよ。」と言うので、珍しいと思いきや。「でも、百合根で食べれるやつ、花は綺麗じゃないの。」と来た。下手に草取りのつもりで
手を出すと「ダメ−!それは、食べれるの。」と 叱られてしまう。結局、日向ぼっこに成ってしまった。
午後から、押入れと天袋の片付けに入った。なかなか手強いだろうとは思っていたが想像以上だ。のっけから、謄写版、バイオリン、古時計、木箱入りのナショナル第3号アイロン。「どうすんだこんなもん?」「だってー、使おうと思えば
まだ使えるんだもん。」続いて、はがきっこ?、印画紙、定着剤、現像タンク、モノクロ写真も
一山 出てきた。「重い!」と助けを求めるて来たのは、中学時代の教科書。その後、巨大なスーツケース2個が出て来た。その中身が全部
手紙だと知った時は、さすがに「今回は止めて、そのまま取っておきなさい!」と言ってしまった。そろそろ疲れたと思う頃
開けた箱から、縦笛、横笛、小田原ちょうちん、帝釈川の石と共に 羽子板と羽根が出て来た。
片付け中断、庭で羽根突きと成る。ついつい熱が入り、激戦を繰り広げている所へ「何がカチ−ン、カチン言うのかと思ったら・・・」とご近所さん。かなり呆れては居られたが、「昔は
正月は 皆 やったがねぇー、今は これだもんね」と テレビゲームのゼスチャーである。「まっ
しっかり運動しんさい。」とお帰りになられた。
4/22 暖かい。薫は
熱があるのに「仏様のお下がりでフルーツサラダを作るから 少林窟へ届けてね。」と動き回る。少しは
おとなしくしていなさい。
少林窟道場の工事は 屋根ができあがって、実に 建物らしくなった。今日は 電気工事も
行われていた。
稚内の泉氏より りんご箱一杯の カレイが届いた。アカガレイ と クロガシラ
だそうだ。「皆さんで」とのこと 早速、浄居寺さん、少林窟道場、平田さん、三好さん、ご近所さん、その日
海蔵寺に居合わせた 石屋さん等々にお配りする。勿論、我々のも 充分にある。
夕方、三好さんの所から戻ると 薫が畑でガサガサやっている。オイオイ、熱が上がるぞ。「どうした?」と行くと「豆を取ってるの。スナップエンドウ・・・」と言う。相手が夕飯のおかずでは
仕方が無い、手伝う事にした。「電話だ!」
暫くして、戻ってきた薫が ポツリポツリと喋る「閑山のアパートが 全焼したの。夜中の2時過ぎに
起こされて、『建物の一角から火が出たので 外へ避難しろ!』って言われて・・・」「そりゃ大変じゃないか」「まだ
どうって事 無さそうだし『小火だ』って思ったんだって、『それでも』って思って
パスポートだけは 持って外へ出たんだって」「えぇーでも全焼って?」「そう。で・・・消防隊も来てて
直ぐ消火するって思ったのに、5分経っても 10分経っても 始めないから ドンドン火が広がって行ったって・・・」「どうして?」「中に居る人を
避難させるのに 手間取ったみたい。で、コンピューターだけでもって 思ったらしいんだけど、もう戻らせてもらえなくって。20分後に
やっと消火活動を始めて、結局 全焼。何一つ 出せなかったって・・・」「そうかぁ」「で、リサーチのデータ−も
個人的な思い出のものも 全部燃えちゃったみたい。『ファイナルが 直ぐっだって言うのに・・・』って嘆いてた。」「かわいそうになぁ。リサーチのデータ−か・・・。」
飛んだ事に 成ったようだ。方丈も「研究しとる資料を失ったら 力も落とすわなぁ。しかし、何ともしてやりようが
無いものなぁ。まあ 兎に角 こちらからしてやれる事は 最大限してやろうじゃないか。」
泉さんのカレイで 腹ごしらえを終えると 薫の奮闘が始まった。何せ 着のみ着のまま
焼け出された訳だから・・・。引き出し式のボックスを 天袋から 引き摺り下ろし、中身を
ダンボール箱に移しておいて ボックスで 救援物資を 送ろうというのである。勿論、天災などで
広範囲に被害が 及んだような事は無いから 食料等が必要と言う訳では 無いのだが・・・。それにしても
女性と言うのは こうも細かく他人の事情を 記憶するのかと感心する。「作務衣なんて
手に入らないでしょ。下着や靴下などは、本人が帰国した際に 日本で買い求めて行く位だから
送ってやらないと不自由する」と言うのである。「私のは どれもエディションが
古いんだけど、無いよりマシ。」と 辞書を 抱えて来る。「刃物は 日本製でないと
ダメだから」と爪切りを探して、トラベルセットを 掻き回す。お母さんの写真(この辺は納得)、お茶、抹茶セット(これは薫を基準にしてないか?)、そば(「隙間がもったいないから」だそうだ)、etc.etc.ボックスの上から
ダンボールを当てがって 紐を厳重にかけて 完成。夜中の3時まで 頑張っていた。
4/23 曇り時々雨。
8時に郵便局へ。総重量18,3Kg、「こういう重いものの時は 言って下されば、取りに伺いますよ。」と粗品のタオルを下さった。
手紙を書いて居るところへ、方丈が見えられた。随分 時間が経ってしまったが、北海道の写真を
お見せする。久しぶりに ゆっくりされた。
夜になって、方丈より「直ぐ NHKを 見てみなさい!」との電話。五大湖周辺の自然界に
流れ込んだPCBの 影響についての話であった。PCBが 甲状腺ホルモンを かく乱し
脳の成長を阻害する と言うのだ。今までの認識を 遥かに上回った話で、胎児に与える影響が
明らかに成りつつある。脳の成長が 阻害さたと考えられる、五大湖周辺の 乳幼児の知能レベルが
平均より低い事が判明している。PCBの安定性が 重大な落とし穴と成って、人々を悩ませている。こうした内分泌かく乱物質の影響は
管理されていない自然界の中へ 入って行くほど 恐ろしいのかもしれない。例えば、ダイオキシンでも
焼却場の周辺は 神経質にも成るだろう。農業地帯も 安全性と言う事から 調査も配慮もされるはずだ。しかし、原野に広がる
自然の生態系は 降り注ぐダイオキシンの 恐ろしい影響が 猛威を振るうまで 誰にも見向きもされない事に成る。山林に然り、湖に然りである。人の手を離れた所で
徐々に蓄積された化学物質は、何の手立てもされないままに 長期放置されてしまう事に成る。このままでは「自然の物は危ない」と言う時代が
来るかも知れない。実に 末恐ろしい話である。1人ひとりのしっかりした認識と
努力無しに 現状を脱する事は 不可能だ。肝に銘じるべし。
4/24 晴れ。「草刈り機を頼む」との電話があり、少林窟道場へ。
片付けの続きは 薫の高校時代の教科書、ノート、資料等に 差しかかった。60cm角のキューブ状の
ダンボール一杯ある。最初はこれも あれも と未練が あったようだが、次第に「もう良いかなぁ。取って置いても
仕方ないね。」と 言い出した。それでも、昇華させるには 一つ一つ 確認して行く必要が
あるようだ。テストだ、実習資料だ、合宿のしおりだ、技術検定だ、特撮映画の案内状、国際青年年の美術展
作品案内、工高委員会 活動資料、報道部の・・、剣道部の・・、うぐいす嬢の・・、とやっている。それにしても、実に
色んな事に関わった 高校時代のようだ。適性検査の結果表や、大学進学の為の
推薦状なども 出て来た。適性の一番低いのが 事務職だったので、「やっぱり
書類の山を整理する能力は 乏しいみたい。」と笑う。「空間判断力は ズバ抜けてるじゃん」「判断する能力と
整理する能力は別もの!」と 大笑い。
少し 日が傾いたので、庭の掃除。まゆみの木に 大量についた虫は 日増しに大きく成って行く。落としてやっても
直ぐに登って来る。それが 実に感心するのだが、かなりの距離を どれも間違い無く
まゆみに向って進んで行く。食欲も 物凄いもので、近くに行くと パラパラと音が聞こえる。これは、何と
糞が降ってくる音 なのである。1日で 確実に1回り大きくなるので 驚いてしまう。
白藤の花を 切りに来た薫は、平然と「毎年、葉っぱが 全部 無くなるまで 食べられちゃうの」と言う。それで良いのだろうか?
4/25 曇のち晴れ。午前中
法事があったので、片付けは お休み。
お昼に「藤の花を 見せてもらおうと 思って」「下から見てると あんまり見事だもんで」と
海蔵寺の下に 家のある お2人が おみえになった。「どうぞ」と言いながら、薫が
ボソッと「でも 花笠の中は 何にもなくて、綺麗じゃないよ。」
そうなのである。普通 藤棚の下が 綺麗なのだが、ここの藤は薫が「花笠」と言う位
内側には何も無い。蜂が ブンブン 飛びまわっているだけ なのである。わざわざ上がって来られたのに
お気の毒でもあるし、数本の枝を 切って差し上げた。「香りが良い」と喜んで
お持ち下さった。
3時頃から、わらび
を採りに 裏山へ上がる。薫は しきりに 猪の通った所を 気にして 見て回る。まるで
テリトリーに進入された 野生動物だ。結局、猪と同じコースを たどって、藪こぎをさせられた。目的地には
短距離で行けるのだが・・・余り人間向きでは ない。
わらび採りも そろそろ要領が 分って来た。『今回はきっと薫より多いぞ』と思って
薫のバケツを覗いたら 薫の方がもっと多かった。薫の説では、「枯れた わらびの親を
イバラが 囲むように生えている 日当りの良い場所には、柔らかくて 大きいのがある!」確かにありはするが
それは単に 他の人が 断念するからではなかろうか?薫は それが共生関係にあるかのように
この主義を曲げず 執拗にイバラの回りで 頑張っている。収穫も多いが 負傷もするようだ。帰りも
別ルートではあるが 薫の先導で 猪のコースを 探索しながら下る。言われて見ると
僅かながら異変があるようだが、どうして 「ここを通った」と 限定できるのだ?匂いでもするのかなぁ?
「わらびは 今日 食べれないから」と 薫は更に 収穫して回る。まゆみの虫と格闘。まゆを作り始めたものも見つけた。
4/26 曇りのち晴れ。気温が高い。
お昼前に 届け物をしに 伺うと、少林窟道場の工事は 壁塗りが 行われていた。いよいよ、部屋らしくなるぞ。
午後、注文していたバーナーの修理部品を
受け取ってから 澤田さんの桐下駄工場を 訪ねる。
折角だからと、色々と実演して下さった。次々
実演下さるので、必用な物や場所の確保などで 奥様も 付いて回って お世話くださった。それにしても『我々は桐の事も、下駄の事も、何もに知らないんだなぁ〜』と実感する。
奥様からしか お聞きできないお話も お聞かせ頂けた。師匠澤田氏を支えて居るのは
他ならぬ この奥様だと 確信を深めました。
木を扱う職人さん達の 木を生き物として見つめている目は 神業としか呼べない事をさせてしまう。職人には
一朝一夕では 成れないはずだと 改めて思います。工場の様子を 少しだけ写させて頂くつもりだったのだが、例によって
話し込んでしまい 高々と上がった月明かりの下、見送って頂いた。
澤田氏の体調が 万全ではない事を お聞きし、ご無理はなさらないで頂きたいと
思いつつも、多くの方々に この本物の職人技に 触れて頂きたいと 思ってしまいます。
4/27 晴れ。洗濯日和。布団干しにも 忙しい 薫である。
何故か 薫と 歩き方の話になった。姿勢と重心移動、体型への関わりなど 言及すると
実に興味深い事がある。たかが 歩き方、されど 歩き方。方丈から「重心が 横移動し
足首のスナップがなく ペタンペタンした 歩き方をする人は 太り、足首のスナップが利いた
重心の縦移動で 歩く人は 引き締まっている。それは、骨盤との関係で 排泄系の働きに
違いが出るからだ。」と 説明された事がある。薫に言わせると、一番エネルギーを
消費するのは脳で 次は筋肉だから、どれくらい筋肉を 使っているかと 言うのが
影響するとの事。そして、姿勢や体型を 作り出しているのも 骨格と筋肉が 基本だと言う。立ち姿を見れば、どう歩くか
判断が出来るのは 使用される筋肉が どれか、どの程度か と言う判断が出来るから
だそうだ。例えば、立ち姿が 若干であれ 腰が引けているようであれば、その時点で
膝を曲げて歩くと 判断できる。何故なら、腰を引いたまま、 膝を伸ばした 外国人的な歩行は
非常に労力を要するから 余程の事がない限り 身体が避けようとする。逆に、膝を伸ばして
重心を前後にも移動しながら 歩く人は、それを 自然に出来るだけの筋肉が 発達している必要があり、立っている時も
やはりその筋肉を利用しているので 立ち姿から違いが出る。では、重心の横移動と、縦移動が
体型に与える差異は どう説明する?体重の横移動、厳密に言えば 完全な重心の移行を行わない歩行であれば
少ないエネルギー消費で 済む。丁度、我々が 疲れ果てた時に歩くと 足を持ち上げず
ズルズルと引きずるように 前進するのと同じ。消費エネルギーを 最小限に 抑えていると考えられる。それに比べると、踵からつま先
踵からつま先と 重心を移して行けば 全身で常にバランスを取って行く 必要がある。全身でバランスを取る為には
全身の到る所の筋肉を 確実に活用して 目的の位置に持って来なければならない。確かに、脳と筋肉のエネルギー消費は
大きく成るはずである。そして、筋肉は使われると発達する、発達した分だけ
筋肉のエネルギー消費が 多くなる。相乗効果と言うわけだ。そんな、話をしながら、歩き方の研究?いや、練習かな?。
薫が 一昨日の収穫・わらびを 炊いた。緑の色も春らしく、お昼は旬を頂く。
午後は、思わぬことから デスクワーク。薫は 片付けに励んでいた。自主リサイクルの
限界を知り、資源ゴミとして出す事を決意した物を 引きずり出して 括っていた。資源として
リサイクルされない物は ゴミにする気に成れないと見えて、あれこれ 出したり
納めたりしている。労力と空間か 或いは お金がなければ リサイクルもままならないのが
現実だ。薫は これで いつも嘆いている。
4/28 曇り。デスクワークの続き。
郵便物が届く、薫は 例によって 返信書き。
薫は、5月に行われる 田崎氏の二人展に寄せて、午後から 作品の仕上げ。一枝のヤブ椿が
完成。撮影しようと思っていたら、何時の間にか 郵送用の梱包が 始まってしまっていた。途中だったので、「写させろ」と頼んだが
抵抗された。仕方なく、梱包材ごと 撮影。
それにしても、向台さんに頂いたタマゴの梱包材が 台に、京都からの荷物の紐が
フレームに・・・何時もながら 感心。これを、赤倉からの荷物が入っていた 未使用のゴミ袋に入れ、玉葱を吊るしていた紐を
持ち手として取りつけ、定型外郵便物になる。なるほど、捨てればゴミ 使えば資源。
4/29 みどりの日。日本晴。
海蔵寺の庭の 掲揚ポールに 国旗を揚げた。青空に日の丸が映える。風にはためく、見事だ!
ガラス磨き。間違えてはいけない、ガラス拭きではない。薫は、これにはうるさい。クリーナー等が
残るのも嫌うので、最初に水拭きし、その後で磨く。
確かに 安全でキレイになるのだが、かなり 労力が必要な 作務である。
少林窟道場で 方丈と話をしている時、方丈に電話が入った。「・・・嬉しい知らせをありがとう」。
帰山すると 薫が「閑山からメールが入ったの、方丈に聞いた?」と言う。どうやら、やっと
コンピューターが 使用可能に成ったようだ。資料も 教科書も 大半が燃えてしまった中で、衣類の一部が
残っていたと書かれている。寝具や家具は 全て失ったようだが、PC本体内部が
生きていたと喜んで 知らせてきている。
感動したのは 大学が学部内に 呼びかけて、彼と ルームメイト (同じく物理学・数学専攻)
の為に 募金してくれたと言うのだ。友人のカンパと言うのではない。学部が、学部生が
災害を乗り越え 学業が行えるようにと、学部内に 募金を募ったのだ。これが
アメリカン・ウェイ なのかと驚かされる。
4/30 快晴。雲一つ無い。ガラス磨きの続き。
薫に「重たいので手伝って」と頼まれた。行って見ると「コタツ布団!こんなもの
洗って大丈夫なのか?」と言っても、もう洗い終わっている。風呂場から 洗濯機まで
運ぶのを引き受けたが・・・重い!洗濯機の中に 8割がたしか 入らないが・・・「ありがとう!これで
水が切れる」と言われたので、ガラス磨きに戻る。次の要請があったのは、脱水の終わったコタツ布団を
干す時だった。水洗いしたりして、本当に 大丈夫なのだろうか?
夕食後、薫が メールチェックをして「固まったみたい」と 救援を求めた。見に行くと受信中のままである。状況を表示させたら、確かに受信している。「大丈夫だよ、大きいメールが来てるだけだから。」「アッ閑山からだ。」
22日の火事の様子を
撮影した映像を 添付してきている。これでは、どうにも成らない。無事に避難できただけでも
感謝すべきである。火元の方は この火事で 亡くなられたそうだ。
メールの方は 昨日に続き、実に 素晴らしい話であった。学部からの 電子メールでの呼びかけ
(二人の学生が 火事で失ったテキストを 手持ちの中から 幾らかずつ贈与して欲しい。)
が 教授団に回されて、失ったテキストが 揃いそうだと言う。これには 本人も驚きながら、心底
感謝していた。彼も 甘えて泣きごとを 言っていたわけでは無いので、こちらも
多いに心配していた。焼け跡から 必死で紙類を掻き集め 乾かして使える物を探していた彼は、「焼け落ちた建材のグラスファイバーを
大量に吸い込んだようで 咳が四六時中続く」と昨日のメールに 書いて来ていた。そして、今日の知らせだ
「本当にありがたい」と こちらでも 『感謝』である。合掌。