3/3 少林窟道場 本日 方丈お独りとの事、薫と2人揃って手伝いに上がる。昼食も道場にて方丈と3人で頂く。相見の間までの壁を抜いた。全員見事にホコリだらけ。午後には参禅者が上山、観硯大姉も夕刻に帰山された。

3/4 薫は久しぶりに畑へ行ったら大収穫だったと喜んで帰ってきた。蓮根と菜の花のカレーライス、ほうれん草の炒め物が食卓を飾る。午後から方丈のPCにLANカードを入れに行く。

3/5 雨のち曇り。旅の間にたまった洗濯物を洗ったのだが、乾かないとストーブを点けて一部屋を乾燥室にしている。天候不順を理由にホームページ更新の為の作業をする。

3/6 少林窟道場・相見の間の床の張り替え。道育師も助っ人に来ておられた。久しぶりに少林窟道場の昼食を頂く。

3/7 雨。天候が悪いとデスクワークが良く進む。太仙師に現在休息中のワープロを活用していただく事に成り、発送の準備をした。インターネットのサーバーを変えようと検討するが、なかなか都合の良い所が見つからない。しかし、ホームページの更新をする度に現在のサーバーの不便さを思い知らされる。更新の手間が余りにもかかり、ほとほとくたびれた。又、サーバー自身がこの体制を変えるつもりが一切無いと断言している事にもガッカリさせられる。「拝見した。リンクをさせて頂きたい。」と言ってくださる所がある。それに支えられて、本日もかなりの手間をかけて更新した。薫の作ったページを本人に更新させたら「早くサーバーを変えてくれ」と言われた。薮蛇・・・

3/8 海蔵寺の一大行事・お薬師講。先月に引き続き盛大(10人)であった。かぐや姫美術館の話で盛り上がる。
本日の郵便物で北海道紋別の流氷科学研究所より薫宛の小包が届いた。かの地を訪れた際に薫がプロムナードに取り付けられていたポールと糸に疑問を持って、アンケートの回答箱に質問状を放り込んで来た。それに対して おまけまで付けて回答状を送って下さったのだ。おまけと言うのが、昨年の2月から9月にかけて撮影された観察記録の一部をビデオテープに落としたものだ。「夜のオホーツクの海中も見に来て下さい」と割引券まで同封して下さっている。薫はこの予想以上に機敏で前向きな対応に感激している。北の凍った海で温かいものを拾ったようだ・・・
午後から十楽教子さんが遅れ馳せの薫の誕生祝にとケーキを持って上山される。夕刻まで薫と話をして帰られた。その間に最新のプロバイダーの資料を入手しに書店へ。
ここからのアクセスと移動中のアクセスの両立を考えると、どれも一長一短で決まらない。しかし現在のサーバー程、更新が不便なサーバーは無さそうだ。

3/9 本日も雨。薫の生けた沈丁花が春雨で閉ざされた空間で良く香る。しっとりと冷える日である。
薫にサイト内のリンクの張り方を教えたら、喜んでリンクを引っ張りまわしている。有り難いのだが PC を占拠されるので、思うようにサーバー探しが出来ない。ご近所の方が訪ねて来られやっと、離れてくれた。
nifty と ASAHI ネット におまけの CD-ROM で仮登録する。何と nifty は即ホームページを公開する事が出来る。ついでなので薫の張ったリンクを更新して早速 載せる。 小次郎 (FTPプログラム) が使えるので10分余りで勝手にサイト丸ごと上げる事が出来た。OCN しか知らなかった薫はそれを見ていてすっかり 小次郎 のファンに成ってしまった。PC を占拠される時間が増えそうな悪い予感が・・・。多分 nifty は今月のお試し期間のみに成るでしょう。ちなみにアドレスは http://member.nifty.ne.jp/tierra/ です。 ASAHI ネット は結構慎重で仮登録では情報発信は一切出来ません。ただし、サイトの要領が 25MB と有り難い。現在 (たった2ヶ月程で) 2MB を超えてしまった当サイト。5MB 上限のサーバーではとても夏までもたない。いずれにしても引越しを余儀なくされるのだから、早い所このとてつもない更新の手間から開放されたい。

3/10 雨上がりの庭掃除。水をもらうと草はあっという間に成長する。薫の方は「ほうれん草も、もう成長していた。」喜んでいる。 (ほうれん草でも水菜でも抜かずに上だけ刈り取ってくるので次の収穫がある。勿論、今回もそのようだ。)
午後は珍しく海蔵寺の墓地所での法要があり方丈が帰山された。
明日が青野敬宗老師のご命日であり、老師の紹介をしたいと思い立つ。敬宗老師が遷化なされたのは、発心寺へ安居している時のことであった。当時 寺報の編集を担当しており、追悼の意で敬宗老師の特集を組んだ事がある。それを載せるべく、入力して行く。薫は夕刻 嵩氏の事務所へ田崎さんの個展の葉書を持って出掛けて行った。
印刷物から拾ってい行く作業は思ったよりも手間と時間を要し、本日が終わる。薫が小次郎の製作者に購入・活用の意思がある旨をメールする。

3/11 青野敬宗老師のご命日
小次郎の製作者からメールの回答が来ていた。思ったよりもずっと早い反応であった。薫はそれで、増す増す 小次郎 とその作者が気に入ったらしい。
午後から薫を連れて竹原警察署経由で (更新交付された薫の運転免許証を受け取り) 横村先生の所へ伺う。帰りに少し回り道には成るのだが、三好家を訪問。何時もながら 薫が子供達とワイワイやっている間、三好氏と一献。奥様とオホーツク流氷科学研究所よりのビデオの話が出たようで、薫が次回はビデオを持参する約束をしたそうだ。「クリオネが写っているとお話したのだが、捕食中姿もあるので幻滅するかも知れない。」と帰山途中で薫は気にしていた。流氷の妖精・流氷の天使 といっても捕食中は獰猛なものである。

3/12 ASAHI ネット から加入案内資料が届いた。誠に都合が悪いことに他のネットワーク経由では、FTPサーバーへ (ホームページ更新のため) の接続ができない!やはり nifty が現在の最良の選択と言う事になるのだろうか?サーバーの要領も 10MB と OCN から思えば2倍になる。ASAHI ネット の慎重さは凄いとは思うが一般人にとってはかえって利用しにくいと言えるかも知れない。兎に角これで一応 移るサーバーが決定した。
決定したと言いながらも「より良い選択肢があり得るのではないか」と、台所の椅子に腰掛けながら思う・・・・。
そこへ薫がバケツ一杯の わけぎ(ねぎの一種) を待ちこみ、夕食のおかずにするべくシゴー(野菜などの整理をする事を表した広島弁)し始めた。広げた紙の上で わけぎ の枯れかけた部分や雨で上がった泥、虫などを取り除いていく。暫くは見ていたのだが、向側に座り込んで手伝った。大半が終わる頃、薫が「幸せだね」とつぶやく。「山奥の静かな所で2人、「雨漏りをどう直すか?」とか「隙間風をどう防ぐか?」なんて話ながら、その日採ってきたものに こんな風に手間を掛けて食料にする。幸せだろうなぁ。」と続けた。最後の一本を手にする薫に「それなら、幸せになれるよ。」と声を掛けた。
シンクへ持って行き わけぎ と手を洗い終えた薫は、「幸せだなぁって思ったら涙出ちゃった」と拭っている。 幸せである。 
その わけぎ は豚肉の細切れと一緒に炒められて出て来た。炊立ての麦飯、青々とした炒め物、「美味い!美味い!実に美味い!」。炒め物をどっさりのせて「葱豚丼」にしてしまえ。3杯お代わりして食べた。

3/13 珍しく電話の良くかかる日である。
昨日の昼頃から水道水の圧が下がっていたのだが、薫が漏水箇所を発見。どうやら暫く前から管自体は破損していたようだが、外層が裂けたのが昨日のことらしい。それまでに漏れた水は凍結防止用の目的で保温材を詰めた外層内に圧をかけ続けたのだろう。とうとう外層が裂けて保温材を吹き飛ばし、漏水が本格化したようだ。方丈と相談し水道工事業者に依頼するつもりだったが、運悪く近くの業者は何処も連絡がつかない。止水すると墓地所に設けてある水屋が使えないので、我々で修理することにした。無事終了。
工事をしている我々を労おうと薫が天ぷらを作っていた。ふきのとうが少々、わけぎ に、蓮根、ジャガイモ等の野菜類だ。方丈は「嬉しいが時間が無い。頂いて帰ろう。」とおっしゃり、調理していない わけぎ と一緒に持ち帰られた。春は確かに緑が美味い。古来より雪が融け春が来ると、芽吹いてきた物を好んで食して来たのが良く分かる。有り難い、ありがたい。現代ではこれは贅沢な話に成ってしまったようだ。

3/14 春霞。この時期は偏西風に乗って黄砂が大量に飛んでくる。したがって到る所ホコリ(砂)だらけと言う事になる。その上にこの時節 独特の湿っぽさが充満して・・・実に春である。午後から増すます湿気が多くなりポツリポツリと始まった、春雨だ。静かにしとしと・・・。また薫は万国旗 (洗濯物) を室内に広げている。
小次郎の製作者に又メールを書くのだと薫、パスワードは先日来たし問題も無いはずだが・・・?入金前に確認のメールが入っていたのだが其処に大小の丸が連なったものが描かれていた、それに対して薫が入金の際に振替用紙の通信欄に「あれはなんの意味か?」と書いたもよう。その返事がパスワードと共に送られてきたからお礼状を書くのだと言う。どうやら薫にとってはプログラム一つでもでも単なるプログラム(もの)では無いらしい。あくまで人間を相手にしているようだ。「ちゃんと教えてくれたんだからお礼を言うべきだ」といたって普通の行動だとおもっている。

3/15 春雨。本日は旅の途中で縁あった方々から幾つもの郵便物が届く。北海道稚内の池田氏(版画家の先生)、若狭の與世田太仙師、太仙師と訪れたスパゲティ−の店 (La il mare) の店長さん、等々である。薫が書くから来るのだが、来るから薫はせっせと返事を書いている。天候も手伝ってか薫の書いた便りは一抱えに成っていた。
午後・少林窟道場へ、ちょうど小森氏が下山の仕度をなさっていた。暫く雑談、ホームページの話題になる。「北海道旅行、フェリーに乗る前までは読みました。リアルタイムで分かるって言うのは面白いですねぇ。」とおしゃって下さった。「その後、更新してるんですか?」とも聞いてくださる。「はい、毎日のように。」更新しておりま〜す。

3/16 快晴、昨夜までの雨に洗われてホコリが流されている。雨上がりは草が抜き易い、墓地所の草取りをする。
薫は洗濯 (殆ど洗濯魔である)、布団干し、畑、野草摘みと春を待ちかねた虫達のように飛び回っている。
夕刻、北海道旅行の写真を受け取りに出掛けた。1ヶ月以上前から、澤田さん (薫が懇意にしている下駄屋さん) に連絡がつかないと気にしており訪ねて見る。工場は閉まっており、お客様へと言うメモがあった。メモの連絡先へは後日電話する事にして、帰宅。お元気ならば良いが・・・。
北海道旅行の写真は思っていたより良い出来だ。薫は自慢顔である。稚内の泉氏・池田氏、紋別ガリンコ号の乗務員・柳本さん等にお送りする写真を選び出す。焼き増しが上がったらお送りします。もう暫くお待ち下さい。

白木蓮の大きな花春天を仰ぐ白木蓮3/17 春霞、庭の白木蓮が真っ盛り。白い空に向って大きな花を沢山 咲かせた。
本日も墓地所の掃除の続き。ぽかぽか陽気なので今日は夏物の作務衣で充分である。
芸北の向台さんが食料をどっさり抱えてお訪ね下さった。「雪が急に無くなってスキーシーズンが終わってしまい、ロッジ用の食料が残った!」と届けてくださった。玉葱、キャベツ、ジャガイモ、たまご、それにサンドイッチの差し入れ付きだ。薫が早速、タマゴサラダを作ってご近所に振舞っている。そう言えば、「玉葱を分けて差し上げたら、美味しいシチューになって帰ってきたの」と喜んでいた。所で「野菜の煮物とシチューってどう違うのだろう?」、疑問だ?
夜に、大きな鍋一杯に入った茹でたまごを見つけて「こんなにどうするの?」と聞いたら。「怪獣タマゴを作るの」と言われた。怪獣タマゴ??・・・・料理用語は良く分からん!

3/18 4月下旬の陽気との事。心配していた 澤田さんに連絡が取れた。出張していたそうで、お元気であった。
怪獣タマゴの謎が解けた。大きさこそ見なれた卵だが、確かに不可解なモノが孵化しそうだ。薫 曰く「怪獣の匂いがするでしょ!」。説明するのは実に難しい、要は味付け茹でたまごである。葱と一緒に籠に盛られた姿は何とも言えない。恐竜達が闊歩した 太古を夢見る頃の子供達なら・・・。
オホーツク流氷科学研究所の菅原氏より、薫にメールが届いた。リンクの許可と感謝、それから旅行記の感想も書いて下さった。薫は大いに喜んでいる。

3/19 昨夜から降り始めた雨がシトシトと続いている。気温が低いわけではないが何となく肌寒いのは 薄暗いせいであろうか?
昨日満開であった木蓮は雨に叩かれて散り始めた。万事無常也。
薫は午後から 道育師 の運転で 観硯さんと一緒に、澤田さんの下駄工房へ出掛けて行った。「写真を取らせてもらって来る」と出て行ったのだが、「澤田さんと話し込んで居る内にすっかり忘れた」と帰ってきてから嘆いている。道育師と観硯さんは下駄を注文して来たそうだ。澤田さんの職人ぶりと誠実な商いぶりは、道育師も気に入られたようで「良かったですよ」と喜んでおられる。「澤田さんが高田さんの「高下駄の具合はいかがですか?」と気にしておられたとの事。御自分の製品を、誰よりも愛しておられる。

3/20 本格的な雨。気温も10度まで落ちている。再び、乾燥室 出現。
お彼岸の棚経回りに歩く。
薫は旅の写真に、半日がかりでコメントを入れていた。とは言え、最後のフィルムがまだカメラに残っているので出来上がらない。
夕刻、少林窟道場へ。高田氏と総持寺の参禅会、方丈の新しい本 (禅僧、地球を歩く)、CD法語、HP等について暫く語る。
夕食のご飯は炊立ての為か美味い気がする。薫が「今日のご飯どう?」と聞いてきた。お米を変えたのかな?「石を新しいのにしたの!」との事。薫は「太古の石が ご飯を美味しくする」と言って、いつもお米と一緒に石を入れてご飯を炊いている。使っているのは、温井ダム建設で岩盤調査の為にボーリングされた白亜紀のコアだ。そんなものにも寿命があるのかね?もっとも 美味しくする成分なるものが水に溶け出すのは、ほんの表面だけだろから・・・。美味ければそれで良いのだ!

「禅僧、地球を歩く」3/21 午前中、勝運寺さんのお手伝い。歩き始めて暫くすると 雨、仕方なくそこで傘をお借りする。
雨だと言うのに 薫は、風呂場で洗濯物と格闘。午後からは、アイロンを持ち出して 半乾きの座布団カバーを乾かしている。
いよいよ方丈の最新作 『禅僧、地球を歩く』 が上梓された。1992年ブラジルで開かれた 地球サミット に出向いて行く所から始まり、ベトナム、マルタ、ハーバード、オーストラリア・・・・・1996年のケンブリッジまで世界各地での話がぎっしり詰まっている。英語も出来ない禅僧が、問いかけ、語りかけ、時には怒り、吼えて歩いた記録なのだ。国境でも、言語の壁でも、遮れなかった人々の 心の奥底からの 叫びを受け止め、語りかけた 導きの書である。この1冊に出会った人々の反応が 実に楽しみだ。
道場へ参上した時、まさに本の封が切られるところであった。早速 拝見。ダビンチの人体のデッサンの上に大きくタイトルが書かれている。まさしく、人間と地球が重なって見えてくる。暫し 拝読。
「方丈、これはベストセラーになりますよ!」 間髪を入れず 「こんな本が沢山売れとるなら、こんな世の中にはなっとらん!」。やはり方丈であった。
( 井上希道 著 『禅僧、地球を歩く』 致知出版 刊 定価 2300円 税別 )

3/22 昨日の荒天とは打って変った青空が広がっていると思いきや、いきなりの霰。それも直ぐに上がって、雲がぽっかりと1つ2つ。時折、冷たい強風が音を立てている。全く妙な天気である。気温は低い。
レオーネが今日から車検入院し、代車のドミンゴにて棚経回りの続き。
薫は「雨上がりだから」と言う理由で慌ただしく動き回っている。他人には草むらであろう畑で大量の収穫、洗濯物との格闘の続き、荒天で様子の変わった外回りでの活動 等だ。
午後に、お墓へお参りに来られた方が上がられて 2時間余り話しをして帰られた。他宗教間での婚姻の難しさについて、色々と考えておられた。「最終的には本人の問題」とおっしゃりながらも、手放しで見てはいられないご様子である。宗教が単なる信仰と言うだけでない実態などを踏まえて、対応に幾分困っておられる。宗教の違いが 生活の仕方の違いにまで成って行く事を示唆しては見るものの、一概には言えない事をご自分がよくご存知だからである。「やはり、本人の問題だから、もう暫く様子を見てみる」とお帰りに成られた。
その実 「日本人は無宗教だ」などと言われているが 本当にそうだろうか?むしろ 改めて宗教として切り離されたものではなく、もっと身近で 生活と密接に結びついてしまっているのではないだろうか?1つの宗教に束縛された状態では無く、生活習慣的に宗教行事とも結びついているように思える。例えば、お宮参りや七五三に出掛けたと思えば、ご先祖の供養にお寺に参り、クリスマスにはプレゼントとケーキを用意して家を飾ったりもする。これは確かに宗教的行事なのだが、生活習慣的に受け入れていくことを多くの日本人は長く続けてきたのでは無いだろうか。白か黒かと背を向け合う事では無く、どちらとも言えてどちらとも言えない所で向かい合ってきたように思える。これはこれで少しでも心が安らかであろうと望んだことが導き出した、共通の信仰と言えるかも知れない。こうなると、他人と向かい合う事に安らかさを見出した者と、1つの宗教原理を貫く事で安らかさを見出した者が異なった生活様式を持つ事が 当然と言える。では何が必要なんだ?本当に心が安らかで在れば良いわけだ!

鼻緒をすげている澤田氏3/23 晴れ、気温は相変わらず低い。
午後から薫を連れて外出した。澤田さんの桐下駄工房へもお寄りする。話を伺えば 伺うほど、桐匠澤田氏の魅力に引き込まれてしまう。70歳が近いと言うのに、ご自分で 丸太を切り出す所からやる とおっしゃる。次々 話を伺っている内に、日が暮れていた。なんと3時間近くも滞在していた事になる。
偉大な職人 澤田氏 とそしてそれを支え続けた 奥様 の笑顔に見送られて、工房を後にする。帰路では、2人とも 空腹と本物を見てきた満足を抱えていた。

3/24 本日は方丈誕生日である。夕方、還暦と出版を祝う会を催す事にしている。
朝から薫は畑で収穫をし、料理をしている。「観硯さんと分担したの」と言っている所を見ると、薫の担当は野菜系なのかな。午後には嵩氏からのお電話で、「私も揚げ物を持参します」とおしゃって下さったとの事。
5時半、出来た料理を積み込んで いざ少林窟へ。メニューはと聞いてみた「赤飯、野菜とコンニャクの煮物、水菜のおひたし、ツナ・オニオンとブロッコリー、玉子・ポテサラの人参畑、もやしのピリカラ盛り、絹さやの肉巻きワイン煮」だそうだ。「嵩さんもお持ち下さるから」と2、3品予定より減らしたようである。少林窟でも 道場風湯豆腐、焼き魚、デザートなどの仕度が整っている。刺身も届く、嵩氏のオードブルも・・・テーブルが狭い!
「10年取って、50歳。肉体の衰えと精神活動は別」と 大いに張り切っておられる。頼もしい限りであるが、ご無理だけは なさらないで頂きたい。合掌。

3/25 曇り時々雨。ひんやりとした1日。
届け物等で少林窟道場へ行く。午後は市役所と写真屋を回り、薬局で甘茶を求めて再び少林窟道場へ。方丈の『禅僧、地球を歩く』の件で少林窟のホームページの更新をして帰る。観硯さんも道場宛の電子メールの返事を書いて送信出来るまで、機器を扱えるように成っていた。やはり、自分がやるしかないと成ると、誰しも結構やるものである。
出掛けている間に、薫も澤田さんのページに入れる為の写真を 大半1人で拾い出しては調整してフォルダーに整理していた。

3/26 気温は若干暖かいが、天候は昨日同様ぐずついている。
薫はどうやら不慣れなことをやったのがたたったようで、少々熱を出して半煮え状態である。昨日は「ホームページ・カーペンター」と自称していたが、本日は看板を下したようだ。大体が何かを始めると没頭するタイプで、傍から見てると まるで3歳の子供 である。だから面白いのだが・・・
午前中は 町内の満80歳に成る 1人暮しの檀家さんが、お越しに成られ話して帰られた。先日 棚経の約束の時間をすっかり忘れていたらしい事を お詫びに来られたのだが・・・。実際のところ「その日その時 ご自分が 何処で何をして居たのかも、忘れたってしまった。」と言うのだから仕方がない。同じ思い出話を7、8回は繰り返して居られたが、見るからに確かな足取りで お帰りに成られた。
午後に成っても相変わらず 薫は不調である。朝から お茶を3杯飲んだだけで干乾びているので、力作を食させる事にする。と言っても、料理が得意と言うわけではないので・・・。きしめんに、たっぷり出し汁のある野菜炒めをかけた と言うところだ。薫の料理の残り物等を、引っ張り出して混ぜたのが 功を奏したのか「いいだしが出てるね」と喜んで食べていた。例え、もう1度作ってくれと言われても 無理な相談である。

3/27 終日、曇り空。やや暖かい。
薫はリハビリセンターで得た友人達との会合のため出かけた。
勝運寺さんに留守番を頼まれたので、午後から出向く。先ず少林窟へ上がる。田岡さん、木野さんが来られたところだったので、久しぶりにご挨拶出来た。方丈に『坐禅はこうするのだ』(地湧社)と『禅僧、地球を歩く』を、何冊か分けて下さるようにお願いした。有縁の人に差し上げたいと思ってのこと。
勝運寺さんに上がって、1人残っておられた おばあちゃんと 色々お話をしながら、留守番。確実に身体が 衰えて来ておられる。苦しかった時代のことを 話されながら「夢のまた夢じゃ。」とおしゃる。そして「のんびりしとっちゃ いかんのじゃが、どうしても菩提心が湧かんのじゃ。」と沖を眺め、「今の曹洞宗は学者ばかりで、本当の人がおらん。」と一言。義光老師、大智老尼を陰で支え続けられ、老いて尚、「菩提心」の鈍きを嘆かれる。「悟り」という絶対命題を 課された「法」の世界とは、厳しいものだ。
慣れない居間に置いてある品々に目をやりながら、「結局 これらも全て ガラクタになってしまう日が来る」ことを切実に感じた。形有るものは必ず滅する。物というものは、その持ち主や その人と深い関わりのある人にだけ 意味があり、そういう人がいなくなると その物が持っていた 秩序や意味も崩壊して、ガラクタと化してしまう。そう言えば、通りに面した歩道に 立派な植木鉢の盆栽を 幾つも飾ってある家があった。その人にとっては とても大切で 価値有る物であろう。だが その盆栽を見詰めていると、人の営みの儚さだけが 浮き上がって来た。この世は全て無常である。

3/28 1週間ぶりの青空。少林窟道場方丈の間増築工事の建前が、4月2日と決まった。これが済んだら、日本列島自動車行脚の旅に飛び出せるように、そろそろ本格的な準備を始めなければいけない。
久しぶりの晴天で、庭掃除。伸び過ぎていた植木も剪定した。薫は1、2本のアスパラガスと一緒に 蝋梅の種を、両手で持ち切れないほど沢山集めて来た。「食べるの?」と聞くと「多分、食べれない。」との答え。どうやら薫が集めて来るのは 餌だけではないようだ。
昼間晴れていた分だけ、夜になって気温が低くなった。良く冷えている。
薫は「また、若狭のスパゲティーの店(本当はイタリアンレストラン・ La il mare )から手紙が来た」と返事を書いている。繰り返しに成るが、薫はあくまで「来るから書く」と言うのだが 「書くから来る」のだと思う。

3/29 春霞。丸石(勝運寺さんの参道の入口)の所の桜が 2枝咲いていた。道場との別れの所にある桜は、もう少し日当りが良いからか 全体的に ぽつぽつと花が開いている。花祭りに間に合いそうだ。
方丈の新しい本を持って、薫と一緒に横村先生の所へお邪魔する。相変わらず寡黙な方である。
カナダより、「どうしてもホームページが読み難いので何とかしてくれないか?濃い青の上に黒い文字では非常に辛い」とメールが届く。どうやら、とても複雑な手段を使っているようで、文字を画像として読み込んでくれるサイトにつないでそこから当ホームページを読んでくれていると言うのである。感心するやら、有り難いやらである。そのサイトのサービスでは、文字は一律 黒になるらしいのだ。先般、パラパラっと目を通した雑誌に「英語版のパソコンで日本語のWebページを見たい」と言うQ&A記事が出ていたので、丸ごと書き写して返信のメールとした。どうか、うまく行きますように。

3/30 曇り一時雨。また少し冷え込んでいる。
ひょんなことから薫と「奇跡とは?」と言う話題になった。奇跡というのは、「当たり前」ではないことだ。では「当たり前」とは?「以前の記憶と比較して想定できる範囲のこと」。以前の記憶を元に勝手にここは想定内、これは奇跡とやってるわけである。そもそもこの時点から既に間違いが始まっている。視点を変え 見解を変えると、「当たり前」であった事も奇跡となり、奇跡であった事も当たり前に成ってしまう。奇跡を起こせる人にとってそれはもう奇跡では無く「当たり前」なのだ。結局の所、過去の情報に 拘束されなければ「当たり前」も「奇跡」も存在しない。
それにしてもどうして人は奇跡が好きなんだろう?好きと言うのは多少語弊があるとしても、興味を示し心を躍らせるのはなぜだ?奇跡にしろ、奇跡で無いにしろ、それが「力」と結び付く事によって 最終的には、自らの生存を 優位にすると言う所に あるのではないだろうか。生命体として、本能的に生存を優位にさせる物に興味や関心を持つような仕組みに成っている。例えそれ自体が有益なものでなくても、他人には出来ない事が出来ると言うことが「力」と成りうる。実はこの「力」に本能が反応するのである。

3/31 快晴。太陽が出ると暖かくなる。洗濯日和ゆえ 薫はカーテンを引きずり下し、不意を突かれた冬眠中の大きな蛾と格闘していた。
午後一番で、写真屋等へ出かける。忠海駅から右折、年度末の為かやはり車は多い。暖かいので窓を開けた、忠海高校のグランドを回ると 心地よい海風が入ってくる。空は青、海はエメラルドグリーンで 最高に気持ちの良いドライブだ。我々は 竹原までの間の この海岸線の道 (国道185号線) を、勝手に エデンラインと 名付けている。途中に「エデンの海」の記念碑がある 小さなパーキングスポットがあり、海岸から 瀬戸内海を望む 密かな景勝地に成っている。「エデンの海」は旧制女学校の教諭と 学生の 恋物語で、忠海で 本当にあった話なのだそうだ。後に その教諭が小説として発表し、映画も製作されたと言うことだ。撮影期間中 鶴田浩二なる 当時の大スターが、忠海に滞在し この町の人にとっては大変な余興だったようである。当時 高校生で在った方丈の姉上も エキストラで出演していると 古い話を知る人に伺ったことがある。
映画の話はどうでも良いのだが、この海と空の間を走る海岸線は、松島をしのぐ絶景地の連続なのだ。四国と本州が最も近づいている地域で、大小沢山の 小島が密集している。ここに生まれ育った人達にとっては 何の意味も無い「唯の海」なのだろう、それにしても勿体無い。
帰ってから 薫に「桜はどうだった?」と訪ねられた、そう言えばそう思って見なかった。暖かいので多分 先般より開いて居るはずなのだ。取りあえず、「エデンラインは最高だったよ」と答えておく事にする。