5/18 母の誕生日。曇りのち雨。朝から降り出しそうな様子なので慌ただしく動き回る。降り出すまでに済ませたい事と、降るならやっておきたい事がある。薫も洗濯物は中へ、種まきもしたいと久しぶりの雨に大忙しだ。
夕方4時半、やっと海蔵寺を出発。午後から降り出した雨は風を伴って我々の足取りを遅らせた。
8時半に夢前の母の家に到着。チョット遅い気もするが、田崎さんにご挨拶。奥さまにと薫が切って来た庭の白薔薇を1輪。「明日はご一緒しますよ。」と随分お元気そうな奥さまのご様子に驚かされる。(先月の奥さまのご様子)
ささやかに3人で母の誕生日を祝し、ワインで乾杯する。「母上殿、おめでとう。充実した年を召されて下され!」
5/19 曇り。
朝から薫はパジャマ姿のまま、チャトランを風呂場へ引きずり込んで洗っている。昨夜は遅かったので難を逃れたチャトランだったが・・・。冬毛が抜けるからと生乾きで無理やりブラッシングされている。反撃してみるが、相手がブラシでは手も脚も・・・無駄である。
10時に田崎さんご夫妻の車に先導されて、香寺民俗資料館を訪問。田崎さんに付いて誰も居ない受付を勝手に通り抜けて、大量の民具の山を眺めながら奥へ進む。1部屋、又1部屋、何処へ行っても民具の山である。薄暗い民具の間を幾つか抜けて、明るい空間に出た。中庭に沙羅の林、その向こうに白鬚の老人が・・・。館長・島津弥太郎先生とアシスタント上田美沙子女史に様々なお話を伺う。二人展の会場には、なんと薫が作った竹紙のヤブ椿も飾られていた。出会庵こと上田女史のお宅にもお邪魔して、日も暮れた7時頃おいとまする。
5/20 晴れ。
チャトランの「冬毛が抜ける」と、薫がブラシを持って追い掛け回している。暫くはとかされているのだが、じっとしていない。
昼12時、夢前を出発。いよいよ、山寺回りの始まりである。
4時過ぎに丁度休憩を入れたスーパーマーケットの駐車場で、メールチェック。薫の大学時代の友人からのメールで「大学の後輩がペルーで亡くなったかも知れない」と入っている。暫し、駐車場を借りて、「旅の途中なので、詳細が分り次第メールにて連絡して欲しい。」と返信していた。
夜7時、法昌寺にようやくたどり着く。徒歩で狭い急な石段を上がった斜面にへばりつくような小さなお寺だった。直ぐ横に公民館があり、民家も2軒、隣接していた。どうも余り理想的な所ではなさそうだ。
5/21 熊野市内で一泊。先ず、近くの御浜町にあるお寺を訪ねる。最初に訪れたのは岩洞院。平成になって大改修されており、全面サッシが入って、きれいなお寺になっていた。庫裏も大きく造ってあった。本堂にお参りした後、これは直ぐにでも住めるな、と思いながら、庫裏の横に回ってみると、テレビの大きな音が聞こえて来た。
既に人が住んでいるのか、と即退散。しかし、もしかしたら、先住さんの奥さんのような人が住んでいるのかもしれない。少し検討の余地あり。
続いて、更に山の中へ入って万蔵寺を訪ねた。
まるで平家の隠れ里のような集落だった。山裾の集落から隔絶され、30年くらいタイムスリップしたような所だった。このお寺は山の出っ張りの狭い土地に建っており、お寺の直ぐ下を道路が取り巻くように走っている。前面はサッシにはなっておらず昔ながらの雨戸が閉めてあった。庫裏は台所くらいしかなく、裏山を切り崩さなければ増築は不可能だ。ここを住めるようにするのはかなり労力がいりそうだ。東向きで、三方が開けていて良いのだが、ちょっと気が乗らない。
吉野方面へ引き返す途中、紀和町の増福寺様を訪問する。昨年一度訪れた事がある。しかし、今回もお留守だった。佛国寺さんのお弟子さんとお聞きしている。一度お目にかかりたいものだと思う。
その近くには七色渓谷、七色貯水池があった。七色渓谷は平行に亀裂の入ったゴツゴツとした茶色い岩が一面に広がっていた。七色貯水池は深緑の水を豊かに貯えて、山を飲み込むように静まり返っていた。
七色ダムを過ぎて、暫くすると今度は奈良県・下北山村の池原ダムに出会った。このダムの下は温泉や運動公園などのリクリエーション施設が整ったリゾート地になっていた。そう言えば、つい最近の郵便局の広報誌でこの下北山村の露店風呂が紹介されていたのを思い出した。日も暮れかけたので、一風呂浴びて行くことにする。宿も取れるかも知れないと思い、管理事務所に尋ねたら本日は満室とのことだった。宿泊施設は余り無いらしく、民宿など教えて頂いた。
取りあえず「きなりの湯」という温泉に入ることにした。入浴料は一人500円。檜の湯船。檜のタイル。外には檜の屋根がついた露店風呂。自由に利用できる休憩室も大きく取ってあり、とても気持ち良く、くつろぐことが出来た。
おみやげコーナーで買い物をして支払う時、レジの方が、「どちらから来られたのですか?」と聞いて来られた。色々お話している内に、寺探しをしていることを話すと、紀和町の千枚田という名所ににそういうお寺がある、と教えて下さった。なんと、その店員さんは愛知学院大学卒で友人にも何人も出家した方があるとの事。どこで話がつながるか分らないものである。
今夜は、ここの駐車場で野宿させて頂くことにした。
5/22 曇り。少々重苦しい天候であったが徐々に回復。
朝風呂をいただく事にする。昨日とのれんが男女入れ替わった、きなりの湯へ。本日のお風呂場には『打たせ湯』もあった。
昨夜教えていただいた千枚田へ。なるほど千枚ありそうだ。丁度、イベントの週末と言う事でたくさんのカメラマン(アマチュアらしき)が集まっていた。イベントのメイン会場を設営中の地元の方にお寺のことを伺うと・・・「檀家なんです」とおっしゃる方が説明して下さった。円成寺。まさしく眼下に千枚田の谷が広がる山にへばりついたお寺だ。カメラマンに余りひんしゅくを買わないうちに移動するとしよう。七色渓谷を左手に見ながら次を目指す。
谷を挟んだ斜め前になんとも言えない切り立った岩がそびえ最高の眺めなのだが・・・山の上なのになぜか集落がお寺を見下ろすように存在する。見なれない立地条件の宝禅寺。斜め前の岩は兎に角気に入った。中国の水墨画に出てきそうな形状なのである。薫は「紀伊半島は元々の日本の大地と違う大陸から来たから、山の形が違うのだ。」と言う。
先程の宝禅寺から見える遥か下った谷に広がる集落の奥にしっとりとした たたずまいを構える西光寺。裏山が丁度伐採されたところでお寺の下に材木が積み上げられていた。従って、お寺の周りも明るい。ただし、集落の音が全て吸い込まれるようにお寺に入って来る。思ったよりずっと雑音が多い。ここには暫く前まで人が住まっていた形跡がある。
那智黒石の加工所から程近いところにある長楽寺。山門を含め立派な松の植木もあり、良く整備されている。人気が無いのが不思議なくらいである。多分、頻繁に手を入れておられるのだろう。
日も暮れて来たので、熊野へ引き返すことにした。
メールチェックをすると薫の後輩が無くなっている事がはっきりした。親御さんが大使館から連絡を頂いて現地(ペルー)へ駆けつけたときには、遺体は既に火葬された後だったのだそうだ。「臓器移植用に腎臓の強盗事件とかも起きてるから・・・」と薫はかなり犯罪的要素を懸念している。真実は分らない。ただ確かにラスベガス(米国)などでは、浴槽で氷に埋もれて目覚め寒さでしびれた状態で救急の連絡を取ると「背中に手を回してみろ」と言われ「何か違和感は無いか?縫合されていないか?」といった質問の後「あなたは腎臓強盗に遭ったのです。」と言われ、途方に暮れる事件が起きています。本当に恐ろしい世の中である。
5/23 うす曇り。
計画を大きく変更して、熊野路を抜けて関空へ向かう事にした。方丈の出発を見送りたいと薫が言い出したのだ。
走り始めて暫く行くと「169号線 奈良県竹筒地内 崩落の為 全面通行止」と電光掲示板に出るではないか。慌ててルート確認、多少山の細い路に成るが迂回できると判断し前進。
元のルートに戻り安心した所で面白いそうな土産物屋を発見。「どしゃんばら」(龍神村福井1265 電話0739−77−0572)というお店である。木の根っ子や切り株などをゴロゴロ並べて販売していた。建物の中にも地元の人達が作って持ち寄ったらしい土産物が並んでいた。マツボックリが3個袋に入って100円と成っているのを見て薫が目を丸くして驚いていた。
急きょ決めた見送りなので・・・喫茶店で中塚先生宛のプレゼントに添えるメッセージを書く薫であった。薫は何処でも書斎にしてしまう。
関空で方丈の着く時間を時刻表を追っかけて割り出す。もしかすると先程の「はるか」で到着しているかもしれない。出発ゲートへ走った。同時刻に2つの航空会社がシドニー行きを飛ばしている。薫はインフォメーションセンターへ呼び出しの依頼に・・・。航空会社を限定できた。だが、5分前にチェックインしている。薫は用意して来た中塚先生へのプレゼントにメッセージを添えて「何とか方丈に届けては貰えないか?」とカウンターで交渉している。プレゼントを税関を経由して搭乗ゲートまで運び、搭乗前の方丈に渡して下さると航空会社の方が引き受けて下さった。条件はもしも、「渡せない時には持って帰って来るのでそれまで待っていてください。」と言うのである。その方からの連絡が入る前に方丈から電話。すれ違ったけれど、200キロ以上を走った事は無駄には成りませんでした。「お気を付けて行ってらして下さい。」
東へ後帰りするのを止めて・・・更に1時間のドライブ、今夜の宿は須磨である。
5/24 雨。
須磨から北上。神戸淡路鳴門道、山陽道、中国道を経て舞鶴道で春日へ。
2階建ての立派な造りの農家が集まっている。お寺のように見える屋根が幾つもあって判断に困った。尋ねると皆さん雨の中親切に説明して下さる。最初に訪れた観音寺は鐘楼のある山門を持った立派なお寺だ。庫裏らしきものは無いのだが、大きな本堂と観音堂と思われる建物がある。目の前に真新しい運動公園が広がり、沢山のナイター照明があるのもとても気に成った。屋外のお手洗いをお借りして、そそくさと退散。
次は道沿いに厄払いの看板を見つけ・・・まさかと思いきや目指していた西光院。霊園まである。お寺と言うよりは民家のような造りなのだが確かに看板はお寺である。開山堂に当たる部分も見える。だが、お手入れの行き届いた庭木等々を見ても別荘と言う方がふさわしい存在のようだ。それにしても集落自体が豊かなのだろうか?すごすごと退散。
天王坂を越えて目指した浄光寺。この辺りにも大きな民家が立ち並び望みは薄そうだが・・・。行きついた先は数個の建物が本堂を囲むように建っていた。全てお寺の境内地の中のようだ。いかにも誰かが住まって居そうな設備のある新しい庫裏がある。石門もしっかりと威圧的な位である。「大きいね」と言いながら車を旋回させて出ようとしたら前方より黒塗の高級車。会釈してすれ違う「アッ和尚様だ。」多分、兼務しておられる方丈様であろう。お邪魔いたしました。
どうやらこの辺りは、検討違いのようで豊かな集落とお寺ばかりのようだ。大きく移動した方が賢明と判断したが・・・。今日は雨だし、地域を少し西へと移す事にして母の所へ顔を出して見るか。ただいま、舞鶴道を南下中。
5/25 晴れ。雨上がりのさわやかな日。
昨夜、母の所を訪ねて一泊させてもらう事にする。母と薫は最近インターネットを始めたばかりのおばに「メールを送ってみよう」と、大笑いしながらかなりの時間をかけて数行の合作メールを仕上げていた。更に面白かったのは、送信した後からおばに電話をかけて「メールが届いたか?」とやっているのだから・・・。就寝時間を忘れて大いに楽しんでいた。
「昼食を一緒に取ってから出発するよ」と言っていたのだが・・・。近くに山野草の自生地があるので食後の散歩にと出かけ、帰ってから1人暮しの老人を狙った悪徳商法の話などで盛り上がった。「悪徳とは言わないが少々強引な営業に時々迷惑するのだ」と母が打ち明けてくれたので、薫がクーリング・オフのシステムなどを説明していた。「兎に角、そんな事があったら契約書を作っていても印鑑を押していても大丈夫だから直ぐに知らせて下さいな!」
結局、出発は4時過ぎに成った。
雪彦山の麓のお寺を2軒ほど見る予定である。最初に奥から・・・常福寺。谷間の川沿いのお寺で大きい割りに人手が加わっておらず空間的には理想のサイズだ。裏に土塀の蔵があり、少し手を入れれば使えそうだ。目の前には休耕畑、2面は山。片側は川と周囲は充分に余裕がある。川と道を挟んで3、4軒の民家がある。ただし、空は小さい。谷底の水辺である。太陽はごく僅かしか当たらずジメジメしている。少し上流にキャンプ場があるのも気に成りながら出ようとすると、お寺へ渡った橋の袂で有線放送の拡声器が大きな音で音楽とアナウンスを流し始めた。肩を落としつつ出発。
暫く集落を走り、川下へ来た西の山裾に東を向いて次なる目的地が建っていた。まるでお宮のような造りの昌徳寺、つい最近まで人が住まっていたのだろう。新しい瓦の庫裏がある。ただし、集落の中を通る国道の車の音がとても良く響く。周りにも充分な空間があるが、この騒々しさはやはり街中と言う感を拭えない。隣接する墓地所へ回ると先住さんと奥様のものと思われる墓標がある。平成5年まで奥様がいらしたようだ。慎ましやかな生活が伺える場所であった。
山寺と言う望みは難しいのであろうか?夕焼けに見送られつつ山陽道を目指す。日暮れて行く中、2人静かに西へと車を走らせた。