6/1 晴れ。千客万来。
暫しお会いしていなかった方がお立ちより下さる。「(慧照禅尼の)3回忌も過ぎて、お参りしたいしたいと思っていたのです。今日、寄らせていただける所まで来たので・・・」とのことだ。お連れの方を待たせているからとおっしゃるので、お連れの方にもお声をおかけし上がっていただいた。しかし、お茶を一杯と申し上げたら、本当にお茶を一杯召し上がって引き上げてしまわれた。薫は「折角だから、お昼をご一緒して頂こうと思ったのに・・・。」と沸騰した大鍋の湯をポットに移しながらぼやいていた。
午後3時過ぎ、薫のメガネを受け取りに行こうと郵便局経由で出掛ける。と・・・郵便局に滞在中に「今、海蔵寺なんですけど。何処にいらしゃるんですか?」と連絡が入る。「今、郵便局です。直ぐ戻ります。」と言う事に成った。
十楽教子さんが香寺民俗資料館の『サラを観る会』の件でお立ちより下さったのだ。島津氏や上田さん、田崎さんのお話で盛り上がり「6/20はサラを観る会に参加者を募って行きます。」と大乗り気である。「詳しくは又、ホームページでチェックして。写真も載せてあるから」と勧める薫。「コンピューターとかも
少しは出来るようにならないといけないと 思ってる所なんです。」と教子さん。2人のタイプは随分違うようにも思えるのだが・・・聞いていると実に話が良く通じているのである。センスが似ているのだろうか?お互いに相手の方がもっと変わっている(良い意味でである)と主張しているが・・・。コメントは控える。
ホームページの話から澤田さんの下駄の話も出て来た。すると教子さんも「私、澤田さんの下駄
2足持ってるんです。」と言い出す。「関係ないはずと思ってるのに必ず何処かで繋がって行っちゃうね。」と成る。感心するのは彼女達だけではない、こちらの方がもっと感心してるよ!
お話をしていると不意に祇園太鼓。そうか、今日から練習開始か。「かなり下手で、微笑ましですね。」と教子さんも笑う。余談ではあるが、この祇園祭の太鼓の練習は参禅記(西谷氏の頁)で有名である。
教子さんがお帰りに成られてから出掛けた帰りに、少し遠回りをした。月が出る前なので、忠海の夜景を1つ。帰宅後、蚊の時期を前に戸口全開で月が上がるのを待つ。雲が棚引き、待った甲斐のある月が出てくれた。これは撮影しないでおこう。
6/2 曇りのち雨。朝から湿気の多い、暑苦しい日。夕刻から雨。
雨が降り出さない内にと、外回りでの活動。薫も
湿度を気にしながら洗濯物を干している。
先般から陰干しにしているドクダミは乾燥し始め軸がほっそりとして来た。束ねてあるのが落ちるからと薫は1つづつ締め直している。
夕刻から雨。蒸し暑さは気温が少し下がったので減った。作業は終了と言う事にして、薫のメガネを受け取りに行こう。車のフロントガラスの撥水コーティングの効果も確かめたい。
「45km/hでビュンビュンはじく!」と言うのがキャッチフレーズだが・・・60q/hは必要なようだ。薫は「これは雨天での高速走行を助長する商品だ!」と、笑っている。もう少し、クリアな視界を期待していたのだが・・・。まだ液が残っているし、もう1度塗っておいた方が良さそうだ。
眼鏡屋のご主人は、メガネのフレームを調節して本人の耳元にフィットさせてくれる。現在使用中のものは薫に紹介されてここで作って頂いたのだが、メガネ暦25年余りの中でこれほど安定した掛け心地を提供してくれた所は他に無い。その後、2年位には成るが顔を出せばメガネの洗浄だのフレームの歪みの修正だのと親切にしてくださる。もっとも薫は
細かい注文も付けるが 自分が感心すると直ぐ「凄いんだから・・・」と紹介するので、特別なお客様の紹介と言う事に成っているのかもしれなが・・・。
その並びに本屋、古本屋があるので寄る。薫は「怪獣タマゴと
とても良く似た料理が 出ていた!」と昭和30年代の中華料理の本(300円也)を購入。中国語の勉強をする
と言い出しはしないかと思っていたら・・・「1匁ってどれくらいだったかなぁ?」と言っている。本格中華が食卓を飾るのは
とうぶん先の話だろう。
6/3 雨のち曇り。
方丈より葉書。「経済かなり落ち込んでいるのがシドニーの印象。」と書かれていた、どうやら経済問題は日本に限らないようである。「思っていたより暖かくて、好時節。」との事である。中塚先生が喜んで下さった事も書かれていたので薫は甲斐があったと喜んでいる。
雨なので中の掃除をする。結局、1日中やる事があるものだ。
途中、降りしきる雨の中「お墓務めを」とおみえになられた方があり、2時過ぎ雨が上がった間に墓地所へ。
薫はエアーメールが、小包がと返信を数通仕上げていた。6/20の「サラを観る会」に参加希望とある。聞くと「6/20に何か素敵な集まりがあるようなので、行って見て下さいって葉書を出したの。」と言う、薫の葉書の威力は凄い物だ。「仕事なのだが補習で埋め合わせる事にして参加をしようと思う」と言うのだから・・・。サラが例年より早く咲きそうだと先般
資料館で伺ったが、こうなるとそれが少々心配になる。4時間近くかけて、仕事を休んで行こうと言う方もいるのだから・・・良い日であって欲しいものである。
6/4 晴れ。蒸し暑い。
日が昇ると昨日、一昨日降った水分が大気中に充満し始めた。瀬戸内海もすっかり雲海になる。やがて雲の中なら島がボーっと浮かび出ていた。
庭の草取り。驚くほど草の成長が早い。雨の前に取っていた筈なのにと思う所でも、既にたっぷり生えている。草の勢いに負けそうではなく負けつつある。
午後、観硯さんが「町内の方が今朝取りに行かれたとお魚を下さったので」と魚を届けて下さる。下さった方も、まさか1人とは思っておられなかったのだろう。有り難く頂戴する。
夕刻、魚の入った袋を覗いて薫が「妙な魚だよ。本当に食用なの?」と不安げである。どんな風に?「まるで頭から踏み潰されたような感じで・・・シッポも無くて、まるでペーズリーって感じの形。」何だそりゃ?覗くと、平べったい土色の物体がある。一旦膨らんだらそのまま細くなって尾らしき広がりは無い。確かにごくごく思い浮かべ易い魚を水中で上部から押しつぶしたような形状だ。「ゲンチョウとか呼ばれてる魚じゃないの」と言ってみたが、薫は全く思い当たらないようである。小さな目が中ほどに寄りついて2つ見える。薫はつまみ出して、なお不信そうに「口が無いよ。」とひっくり返えす。裏も色が白いだけである。「あった。横に・・・こんなに曲がってる。」取りあえず、口側に内臓等の存在が確認できた。「カレイや平目の仲間だろ?!」と言ったのだが「でも、シッポが無い!」と、
乗り気でない薫である。とは言え調理せぬ事にはどうにもならない訳で、エプロンを掛け包丁を取るが・・・「本当に食べても大丈夫なの?」と振り返っている。暫くして「三枚に下ろしたらボロボロになった。」と骨の部分を摘み上げて見せる。上手いもんじゃん、あの薄っぺらい魚を三枚に下ろしたなんて。確かにそれは『透けるほど薄く』を通りすぎて、『穴』が空いている。何とも情けない姿の料理人だ。唐揚げが出来上がっても・・・「不安だから」とキュウリに梅干のみじん切りを盛って添えている。食した感じは「やはり
カレイや平目の仲間だよ!」しかし、薫はボソッと「・・・・野菜が好き。」
薫が「ムカデの足音がした!」と言ってから30分後。ディスプレーの向こうで視界に動く物がある。「薫、出たぞ!ムカデだ。」慣れたもので、ムカデ専用にしているハサミで捕獲。即、成仏してもらう。今夏ももう10匹くらいは薫が昇天させた筈だ。「薫、又出た!」・・・・・・「ねっもう一匹いるでしょ。」この辺りの人は『ムカデは夫婦でいる』と言う。
6/5 晴れ。うす曇り、午後から青空が出始め夕刻には晴れ渡りました。
蒸し暑い不快な午前中の作業は疲れ果ててしまった。薫は工作をしている。先般、田崎さんに頂いたニッキを何かにしようとしている。「出来た!バレッタにしたの。」と髪を束ねて見せに来た。ヘェー、考えたもんだ。
午後からは外の掃除も順調に行える。だが、草の勢いが物凄い。1日で大きくなる・・・。作業は順調でも進行状況は思わしくない。羽化したてのバッタが飛びまわる中で、蚊の襲来を受けながらの作業でした。
薫が夕食の仕度を始めたのは7時前になった。「今日はゆかた祭だね」と言いながら仕度をしている。食事を始めてから薫が「かぐや姫美術館も開けてないかな?」と聞いてくる。「8時まで開いてるよ。」「そうなの。ねぇ、見に行って見ない?」それも悪くないか。「薫、時間が余りないぞ!」15分後、うちわを掴みながら浴衣姿の薫が駆け出してくる。
道すがら取り付けられているかぐや姫と招き猫の看板を眺めながら、本立寺を目指す。間に合った!本堂の前で振り返った我々の前の方はなんと浄居寺の奥様と浴衣姿のお嬢様でした。そこへ来られた
たのは方丈様。「美術館を拝見しに・・・」「行きましょう。」とお嬢様達にご一緒させていただきます。蔵を改造して造られた美術館だと聞いています。美術館内は撮影禁止。ご無理をお願いして蔵の入口部分だけ写させていただきました。
中には木目込み人形のかぐや姫、古い絵冊子のかぐや姫、沢山の招き猫の置物、招き猫の絵もかなりの数であった。テーマは分り易い美術館ですが・・・余り何処にでもある美術館では無いですね。建物自体も今では遭遇できる事も少ないでしょうね。
6/6 晴れのち雨。
午前中、草取りの続き。ご近所さんが採りたてのキュウリを10本位差し入れて下さった。「暑いですね。」良く晴れた夏日だ。薫は2杯目の洗濯物も干している。
カナダから電話が入って「ホームページに旭川で滞在なさった事が書いてあったでしょ。その時の宿を教えて下さい。」と言われたと言う。「ごめんなさい。宿は旭川ではとらなかったのです。」・・・インターネットで旭川の宿を探したのだが、和風旅館を見つける事が出来なくてお困りに成っていらした。(でなければ、わざわざ国際電話など掛けはすまいが・・・)そして、我々のホームページにて旭川で過ごした1日が在る事から、もしかしたらとお電話下さったのだ。結局、旭川にいらっしゃる中村さんに救援の要請。留守番電話とEメールにて「どうぞよろしくお願い致します。」と入れたそうだ。
お昼少し前に郵便局へ、小包等々を出しに行く。「お昼は麺類にでもする?」と聞かれていたのだが・・・急に強烈な睡魔に襲われて畳の上にダウン。薫もそこでうだうだ言っていたのだが・・・気が付いた時には薫の枕にされていた。2時間ほど爆睡していた。「薫・・・薫。」「ふみゃ〜、お茶?」お茶?お茶ねぇ。「お茶でも良いから、どいてくれ!」
結局、午前中に頂いた取りたてキュウリを食べる。早目の夕食を取れば良い!
遅れ馳せの午後の活動を始める頃、薫が急に「耳が湿気る!」と綿棒を取りに行ってしまった。「耳が湿気るから、雨に成るよ。外からの方が良いよ。」と言うのである。そんな天気予報の法則があるのか?「まっ何処からやっても良いけど。」と華用にソテツを切る。薫も回廊の拭き掃除等に回る。
西からの風がとても臭い。プラスチック系の物を燃やしたような気持ちの悪くなる臭さだ。庭先から覗くと並びの一軒で菜園場に設置された焼却用のドラム缶から黒い煙が立ち昇っている。耐えがたい悪臭に退却。薫も建物の中へ逃げ込んでいた。その後、煙は白くなったものの
時折強烈なあの匂いが風に乗ってやってくる。環境問題以前の話なのだが・・・近所で険悪なムードと成ればこれまた一種の生活環境悪化とも言える。取りあえず、退却。
そんな事を繰り返しながらソテツの採取は完了。1段落した所で、薫の作った小豆アイスを目当てに一寸休憩。お茶を注ぎかけた薫が「アッ雨!」、それぞれにダッシュ。濡らしたくない物がある。やれやれ本当に雨が降ったよ。耳が湿気ると雨かぁ・・・。
ニュースが1つ。このサーバーに引っ越してカウンターをスタートさせたのが3/12の夜。3ヶ月弱、ホームページのカウンターが500に乗りました。ご愛読、感謝致します。出来ましたら、ご意見ご感想の方もよろしくお願い致します。
6/7 雨のち曇り。
昨日の依頼の件で「北海道からの連絡を待っていたがまだ来ない。」と薫が自分で検索ページで探し始めた。コンピューターから薫が離れているのを発見。「もう飽きた?」と聞く
と「そうじゃなくて、和風旅館の情報の所だけコピーしてEメールして上げたの。」と言う。「そんな事が出来た?」「え、普通にコピーして貼りつけたんだよ。」「それで送れたの?」「多分ね、でも送信が終わったらコンピューターが勝手に終了するって出して来たけど。」何ぃ〜。「勝手にって?」「え、だからこのプログラムは不正行為を行ったので強制終了します。終了しない時はメーカーに連絡して下さいとか書いてあった。でも、終了したから・・・。」そう言う問題じゃないんだなぁ・・・。
ソテツを生け、掃除をし、雨でも曇りでもやることはいくらでもあるものです。
郵便局の方が「一寸、薫さんに伺いたい事がありましてね。」とおみえに成られた。「先般、郵送して依頼し、ご協力頂いたアンケートで誤配達の書留があった事をご記入頂きました。その調査なんです。」との事。結局、薫が把握していた以上に怪しい事があったのだと言うことが発覚。薫は単に誤配だと思っていたようなのだが、どうも配達自体がされていなかったのではないかと思われる。「受け取ったし、その後の調査等の姿勢も良いと思うのでもう良いですよ。」と薫。結局「厳重に注意させていただきます。」とおっしゃってお帰りに成られた。「何が起きたか
と言う事より、それに対して どうであったか
の方が私にとっては問題視したい所。自分達で調査して、お客さんに正直に対応してくれたなら・・・何が起きたか
よりも大切な 何故起きたか に行きつけるものね。きっと、もっとしっかりした局になるよ。」と喜んでいる。成るほどねぇ、薫の事が少し分った気がするよ。しかし、本当に面白いやつだよ。
香寺民俗資料館の上田さんよりお電話があり、沙羅を観る会の話も出て「定員はありませんので、素敵な方々にご参加頂けるのは大歓迎です。パンフレットも近日中に幾らか同封して発送致します。」「ありがとうございます。皆さんにお渡し致します。」と言う事に成りました。ご希望があればお分け致します。こちらまで!
6/8 晴れ。薬師講の日。
毎月の如く、ローカルニュースで盛りあがりお昼近くまで楽しんでお帰りになる。先日のかぐや姫美術館の報告をと思っていたのだが、おばあちゃまパワーの中
切り出すチャンスが無いまま終わる。丁度、別件のお参りの方があり相席となった。相席された40才前後の旦那さん、質問攻めに会って四苦八苦でした。お疲れ様でした。
カナダからは「ホームページのコピー読めました」とのメール。返信には、表組みの枠が消え去ってしまった
難解な箇条書きが付いて返って来た。誤解の生じ易い状況だが、この箇条書きから多大な情報を得ようとは先方も思っていないだろう。北海道からもメールが届き、薫は早速
両者にメールの返信をしている。満足の行く日本の宿が見つかると良いですね。
「テフロン製のスポンジが欲しい。」と薫が言うので「そう言うのはインターネットで探せば直ぐだよ。」と言ったのだが・・・。無いものですね。やっと検索に引っ掛かったのは怪しい商社が一件。しかも、製品の案内を見ても
どんな製品 だか全く分らない。取りあえず、資料請求する事にした。本当にあの商社しか扱っていないのだろうか?
今日はテフロンのスポンジ探しに時間をかけたので本日はこれまで。何かご存知の方は教えて下さい。
6/9 スッキリした晴天。
昨日の事から続きを書こう。お風呂上りの夕涼み(夜涼み)がてら天を見上げる。夏の星座の中で特徴的なさそり座がクッキリ出ている。銀河も良く見えていた。星空を楽しみながら、素敵な話をしていたと思えるかもしれないのですが・・・実のところ、塔や橋桁に取り付けられた点滅照明がいかに邪魔かって話でした。
梅雨の晴れ間に剪定をと思い、庭木を刈り込んだ。それで、1日が終わる。
薫は多数のメールの返信に追われていた。「送信がどうしても、上手く行かない」とこぼしているので覗いて見た。送信をかけると送信途中で固まってしまっている。送受信を行うと強制終了、再起動と言う事になる。「原因がどれだか分らないのなら、1種類づづ分けて送って見たら?」とアドバイスした。「じゃ、怪しい方から」とスペイン語のメールだけに絞った。「あれ?送れてる・・・じゃ、英語かな?」これも送れたようだ。「何よ、日本語?又、固まった!」とやっていた。その後「文章を一部変更して送信したら送れた。全く、私の書いたことが気に入らないとでも言うのかしら?」と言って来た。コンピューター相手に『文句あるのか〜!』ってやってたのかなぁ?
6/10 晴れのち曇り。湿度が上がりつつある気がする。
本日は庭の松を剪定。要領が分ってやっている訳では無いので、なかなか上手く行かない。
昨夜、方丈が関空へ到着の旨 観硯さんよりお電話頂いていた。朝
薫が立て続けに3回「Faxが上手く入らない」と言っていたのだが・・・。11時過ぎ「道場へ帰山したぞ。」と方丈より、加えて「新幹線から連絡を入れたのだがどうしても通じなかった。」と言う。薫は「機械音が続くのに声が聞こえなから、ファクスだと思って切り替えちゃったの。どうりで何にも届かない訳よね。」と言っていた。回線が繋がるまで、奇妙な機械音が
していたのを 『機械音ならFaxだ』と判断したのだろう。反省の仕方が「あれぇー、何だか変よ。どうしよう?もしもし、もしもしって言うくらいで無いとダメなのね。」と言っているので、思わず笑ってしまった。そう言えば、薫は相手の留守番電話がかなり奇怪な応答メッセージでも平然と「薫です。○○の件でお電話しました・・・。」と入れ、電話を切ってから「あんな変な音だけを応答メッセージで入れられたら、電話が壊れちゃったかって思うよ。」と言っていた。「どうしよう、どうしよう?」と暇をかけて思考する方では無いと自覚しているのだろう。
午後、方丈を訪ねる。「忙しかったよ。」とはおしゃっているが疲労困憊っと言うほどでは無い様子で安心。
方丈の名代で平田さんをお尋ねした。久しぶりにお会いしたが、屈託の無いハツラツとした笑顔で迎えて下さった。
夕食は嵩さん、我々もご一緒した。会話をしながらのゆっくりした食事で、方丈は久しぶりの日本の味に終始「あぁ〜、うまいなぁ〜。」と召し上がる。我々も格別美味ものを頂いたと言う気がする。長旅、本当にお疲れ様でした。
6/11 晴れ。
畑へ収穫に行った薫は、朝から外野シンフォニーにあきれ果てて帰って来る。それを聞かされたこちらもあきれ返る。
本日も剪定の続き。ちょっと伸びていると思って始めるのだが、やってみると実に大仕事になる。白藤と1日格闘した。
香寺民俗資料館の上田女史より沙羅祭りのプログラムが届いた。薫はそれをコチコチ入力していた。(ホームページ・カーペンターだったっけ・・・後で熱出すなよ!)
夕刻、少林窟道場へ。最近、実に日が長い。大工さんも道具を少しづつ引き上げつつあるようで、完成が近づくのが分る。オーストラリアからの資料をコピーするのに預かって帰り、夕食後もう一度お届けする。方丈、明日は鶴見の総持寺で参禅会である。休む間も無い状況で、次の原稿にかかっておられるようだ。心配しても始まらないが、心配にはなる。
6/12 晴れのち曇りのち晴れ。明るいが厚みのある雲が天を覆った。
雨でないのを良い事に、庭木の剪定の続き。雲が重っ苦しくなったので、乾きかけた所を少し燃やす。
少林窟へ出かけてる間に薫が、不思議なご縁を引きこんでいた。帰山すると、参道で見慣れぬ男女と薫が立ち話をしている。65歳くらいの白髪混じりの男性と疲れたと言う様子の女性の方が坂道の途中で薫と話し込んでいるのだ。車を上げて、近づいて行くと
3人も近づいてくる。「真言宗のお寺をお探しなんですって」と薫、「真言宗はこの町には無いですよ。」と話し掛ける。「実は私、極道していまして・・・親の家が真言やったんですわ。」とのっけから深刻そうである。「宗派が違うと拝んでは、いけんもんですか?」とおっしゃるので「いいえ、構いませんよ。」「親も死んでしもうて・・・丁度、刑務所に入ったりしよった頃で、何もしとらんのです。拝みたい思うて・・・。」「それは良い事です。報恩感謝の気持ちが湧いて来たと言うのは
自分の気持ちが澄んで来た証なのだから、法事をなさったら良いですよ。もし、宗派に拘らないとおっしゃるなら、ここでやりますよ。」と申し上げた。少々酒気帯びでいらしたからか「なぁ、おまえ。仏さんこっちに貰うて来て、ここでして貰おう。」と、話が一速飛びに進む。さすがに薫も
落ち着いて話をした方が良いと思ったのか「ここで立ち話も何ですし、どうぞ上がって下さい。蚊も寄りますから。」と勧める。女性の方は「私は無宗教でして、この人がそう言うんで・・・。」と言いながら、重たそうな足取りでゆっくり歩まれた。
本堂の前から上がっていただく。そのおぼつかない足元は、いかにも人生の長い道のりを経て
やっとたどり着いたと言う感じであった。女性の方は狭い石段で靴を上手く脱ぐ事が出来ず、片方落としてしまわれた。その靴を拾いながら、彼の靴に目をやると綺麗に揃えられている。なんとか這い上がったら速、深々とひれ伏すようにご本尊を拝んでいる。(なかなか、出来る事ではない。)極道をして来たとおっしゃった彼は、涙ぐんでさえいらした。「まぁ、こちらへどうぞ。お茶でも飲んで下さい。」と声を掛けた。お菓子を差し出す薫に「もう何にもせんとって下さい。金は無いんですけー。」と言われる。「お金は関係無いです。それに、これは仏さんのお下がりですから・・・」と答えて勧める。「私はつまらん男でしてなぁ〜。酒は飲むし、・・・飲むんですわ、朝・昼・晩飲むんです。こいつには・・・もう、本当に苦労かけます。」と涙ぐむ。
かなり脈絡の無い部分もあり、あやふやなのだが・・・ご両親共に彼が25歳位の時には亡くなられ、現在
手元で分るのは故人の生前のお名前と亡くなられた時の歳、それに真言宗だと言う事だ。出身地で
家を見ておられた弟さんも 亡くなられたとおっしゃる。お嫁に行かれたお姉様のお名前(苗字)も、どうにか思い出されたと言う現状だ。兎に角、15日(火曜日)の午後からご両親のご供養をすると言う事を決めた。
お帰りになる時も、須弥壇に向かいひれ伏す。靴を履かれる時も、ヨロヨロといかにも危なげである。薫が「暮れて来ましたから、足元お気を付けてお帰り下さいね。」と申し上げると、目を潤ませながら合掌して「有難う。」とお答えになる。寄り添うように、坂道に近づく頃「坂が急なので気を付けて下さいね。」と薫。彼は振り返りながら、涙を拭っておられた。
6/13 曇り。湿っぽい。
「女性会の遊休品のバザーに協力して下さい。」と町内の方に頼まれて、薫は朝から騒々しい。「探しときますって言っちゃたから・・・。」と不便な棚から箱を引っ張り出してブツブツ言っている。手伝えるかと覗いたら、幾つもあるので「それとか、良いじゃん。」と言ったのだが・・・。何でも良いと言う訳には行かないようだ。「これは、ご近所の○○さんの結婚式の引き物。こっちは、○X家の茶の子。あっちは、X○さんの内祝いでしょ。それは、XXさんが浮城釜で注文して焼いてプレゼントして下さったみたいよ。もう何年もここにこうして在るの。」と言う訳だ。本当はそういう品物を、活かす為のバザーなのでは??
大哲師が明日下山されると伺っていたので、3時ごろ少林窟道場へ。夕方帰山すると「盛口さんがお華を持って来て下さったの。山に採りに行って下さったんですって。」と薫がバケツ一杯の華を見せる。何時もながら、有り難いことである。合掌。
「これも差し入れて頂いたの。」と柏餅。そこへ、お隣さんからの電話で「野菜の天ぷらを作るから、お夕飯のおかずは減らしなさい。」との事。本当に、有り難い話である。
6/14 晴天。青空が広がり、真夏日の陽気だ。
昨日頂いた華を整理して無縁塔(4組)と六地蔵(6組)を作る。慧照禅尼のお墓用とお持ち下さった分を外しても、まだ充分にご本尊の分がある。山から採って来て下さるので、葉の数も多く活きも良い。言葉がない、合掌。
薫は白い物ばかりを風呂場で手洗いしていた。覗いた折に「洗濯機に入れたら?」と言うと、「洗濯機がちゃんとキレイに洗濯してくれるなら、入れてるよ。」とこぼす。「?」「ほらネ、ここ。暫く洗濯機に任せとくとこれだもん。」と1つを引っ張って見せた。はぁ、そう言われれば・・・。ま、気の済むように頑張ってくれ。
午後、横村先生を訪ね 帰りにレオーネに給油。「小倉アイスの材料を買って帰ろう。」と言う事で、スーパーにも立ち寄る。
帰り道で 何故か我々の車に向かって カメラを向ける人がいた。はて?・・・綺麗な夕日と夕焼けが、被写体でした。又しても
カメラを持参しておらず、残念。水源池を通る道を東に向かって、走行中の出来事。
夕食後、台所でカシャカシャ音がしているので、『アイスクリームの制作をしているのだろう』と思っていたら・・・。カメラマンの出動要請。「夏向きのレシピだよ!」だそうだ。気長に 楽しみに 待ってて下さい。ホームページ・カーペンターも、少しは要領を得て来たようです。
6/15 義光老師老師のご命日。曇りのち晴れ。
午前中は雲も厚く、湿気も多いのでいよいよ降り出すと思われた。降り出さない内にと思い午前中は、乾いてきた藤の枝等を回収する。
お昼を過ぎると風が急に止まる。その後 雲が去り、見事な青空と成った。
午後から12日にお見えに成られた方々が、法要にお越しになる筈です。須弥壇には義光老師老師のお位牌の脇に、紙位牌が並ぶ。お霊膳も、お供えしている。
お越しになる筈なのだが・・・。もうお越しに成って良い筈だが・・・。まだ、お見えに成らないなんて・・・。結局4時半に成ったので、薫と2人で法要を始める事にした。先ず、義光老師老師の32年。続いて、不思議なご縁で生前のお名前だけが知らされた
ご夫妻のご供養だ。薫は、座布団を2枚お見えに成られる筈の席を用意していた。『終わるまでに・・・』
2人共が黙ってそれを祈っていた。5時20分、静かに焼香をして終える。
法要円成の旨を書置きし、少林窟道場へ。お参りをさせて頂き、明州閣にて供養の座。
書庫の床の整備が、本日 出来たと見せて下さる。今度は書物を傷めずに、所蔵できそうである。方丈の間は、未だ照明器具も無いが
畳が入り部屋らしく成っていた。
帰宅後、最初に確認したのはやはり書き置きであった。2人、言葉なく着替える。
6/16 曇り一時雨のち晴れ。
本日の来客は、何か救いを求めているのかと思うような訪問振り。飛び出して話を伺うと、塔婆を扱う会社の営業マンであった。不景気を反映したからか、熱意は凄まじい物でした。熱意は分りますが・・・。ご苦労様、しっかり頑張りたまえ。
明州閣の完成が近付いて来て、荷物の移動も出来るようになった。1日、荷物の移動等を手伝いに行く。
薫は昨日の法要がつつがなく円成した旨の葉書を、お見えにならなかった依頼主に書いていた。最後に、身体をいとうように書いてある。ここが薫なのかぁ。
昼食を取りに帰山した折、薫がどうしても勝運寺さんの紫陽花を撮影して来て欲しいと言う。午後から行った時、写した。持ちかえって見せると「ホームページに載せてよ!ねッ。」と言う。皆さんにお見せしたかったようです。
薫の小倉アイスクリームのレシピも完成したようです。これ暑い時に食べると、最高に美味しいですよ。
6/17 曇りのち晴れのち雨。
オーストラリアの中塚先生より小包とカードが届く。大きさの割に軽い箱を開けると、花柄の包装紙で包まれた柔らかい物が・・・。中から出て来たのは紺と深緑の防寒着である。登山用品の専門店でお求め下さったと言うポリエステル製の上着だ。薫が「ポーラテックはペットボトルのリサイクル繊維で、軽くて
暖かくて 毛玉が出来にくくて 乾燥が早い。その上、汗を吸い上げて外に出してくれる優れものなの!」だと説明する。先生のメッセージに『相手を自分の中に深く受入れつつ
それぞれの持ち味をフルに生かして 生きて欲しい』という願いを込めて、襟に色違いにお互いの色が入った2枚を選んで下さったのだとある。「パートナー・シップの象徴のようだよ。」と薫が感激している。
薫は包装紙の上に2枚を並べて、嬉しそうにカードを眺めていた。
午後、方丈のお手伝いのため少林窟道場へ。思いの他
遅くなって帰山すると、薫はお腹を空かせて力無く待っていた。
6/18 雨。やっと梅雨らしくなった。植物は生き生きしている。
慧照禅尼のお墓へ、お華と線香を持って薫とお参りに上がる。
午前中、外回りの作務。昨夜、雨がゴーゴーと音を立てて雨どいを溢れて来た。屋根の上にあった落ち葉が
雨どいに引っ掛かったのも原因の1つだろうと思い、雨どいの掃除。勢い余って雨どいを飛び越えて来る所にある物には、ビニール風呂敷をかける。
午後は父の日にと思い、2人で買い物に出る。当てにしていた所に思うものが無く、3、4件を回ったら脚が棒になった。店内を見て歩くと言うのは、結構な歩行距離のようだ。もう一つの原因は、床が固いからだろう。土の上で半日作業をしても、気になったことは無い。
余談ですが、TOTOのハイドロテクトフィルムは効果あります。薫が貼っていましたが、全然信頼してなかったのです。でも、今日その効果をはっきり見ました。
夜、薫が工作をしている。『明後日の沙羅祭りに出かける為に、香りを研ぐ道具を飾りにしている。』のだ
そうな。先般、田崎さんに頂いたニッキで作った髪飾りとお揃いで使うと言う。完成品は、首に掛けられるように加工されたニッキの欠片だった。要するに首飾りね。「違うのこれは、香りを研ぐ道具!」と言い張っている。しかし、上手いこと作るねぇ。感心!
6/19 雨時々曇り。
午前中、2人とも山内にいたのに・・・『不在メモ』が残されており、連絡を入れたら受け取れるのは夕方に成るとの事。薫が「今日はついてないよ。」と呟いていた。
午後から方丈を訪問して、澤田さんの所に寄ってから姫路へ向おうと計画していた。そろそろ出発と言う頃になって、「ごめん下さい。今日2時に○○さんがこちらへいらしゃるのでとお会いするお約束をしたようです。」とおしゃる。何も知らないぞ。
方丈にも尋ねたが「22日だったか、20日だったか、2時だったか・・・2の付く時にお見えになるとは聞いたが・・・。○○さんだったかなぁ?」とかなり要領を得ない返答であった。お見えに成れた方も、お約束をされた方の代理で日時に不安があるようだ。「上がってお待ち下さい。」と申し上げたのだが「一度帰ってきます」との事。お見えに成られたら、連絡を入れる事になった。
定かではないまま、出発できないのは困る。○○家にお電話を入れる事にするが、一体何方に連絡をお入れしてよいのやら・・・。恐る恐る「今日、2時にお見えになる筈と○×さんがこちらにお越しに成られたのですが?」と申し上げると、「息子達が行くと申しておりましたが、時間は・・・さて?」とのお返事だ。少し、ホッとしながら・・・「分りました。雨ですから、ご予定より遅くなられてるのでしょう。」一先ず、今日である事は分った。4時近くなって、お着きに成られた。「高速道路が上下線とも事故で止まってしまった。」のだそうだ。「PHSの電波も入らない所で連絡が遅れてしまったのだ。」とおっしゃる。
そうこうして、少林窟道場へ上がったのは6時前。方丈は所用で出ておられた。お戻りになられ、1日早い父の日のご挨拶をさせて頂く。結局、忠海を出たのは6時半になった。
雨と霧の走行。母には悪いが、到着は夜も更けてからに成る。こまめに休憩を入れながら、安全運転で行こう。
2度目の休憩地点で「こんばんは、お出かけですか?」と聞き覚えのある声が後ろからする。すると、本日お見えになられた○○さんご夫妻。疲れた顔をぶら下げて、思わぬところで見掛けられると嬉しくない事もある。トホホ。
兎に角、明日の沙羅祭りの為に姫路に向って移動中。
追伸、カウンターが600に乗りました。ちょっと、元気が出てきました。
6/20 晴れ。
昨夜11時過ぎ到着。バタリッと休んだ。
母を連れて3人で、香寺民俗資料館へ。思っていたより大掛かりなようで、手前の大通りの角からボーイスカウトのメンバーに誘導される。資料館前の駐車場は既に一杯で、次の所へ。いかにもアーティストといった感じの一団と前後しながら、資料館まで歩く。入口で上田さんが迎えてくださり、田崎さんも待っていて下さった。島津館長とご挨拶をして、お抹茶を頂く。
お菓子に添えられているのは、楊枝ではなく葉付きの青竹の枝である。「感激!」と言っていた薫は、お茶を頂くと早速その青竹をかんざしに早変わりさせた。島津館長始め多くの人が、それを見逃してはいなかった。目敏い方が、揃っている。
哲学の森と名付けられた前庭の舞台で、次々に演奏が行われている。だが、本当にそれぞれが思い思いの行動をとっている。演奏に噛り付いている人、お茶席で耳を傾ける人、興味ある出会いで話を盛り上げている人、買い物、取材、写真撮影・・・ありとあらゆる事が展開していた。昨夜、上田さんの所でお世話になった十楽教子さんも
急遽の出演が決まっていた。薫は多少予測していたようだが、当の教子さんは引き受けたものの「何を歌おう?どこで発声練習できるの?」と焦っていた。
館内を移動中に島津館長が、薫を呼び止める。そこでは新聞社の方が取材中であった。「この人でっしゃがなぁ。」?薫の目が皿になっている。何と館長は薫が先月出したお礼の葉書を、写真立てに飾っていらした。記者の方が「島津先生を感動させる詩を、お書きに成られるなんて・・・。」と言い出した。薫の発言などもう届いていない。作家扱いの質問をする記者に、目が助けを求めるが・・・。相手が思い込んでいるので、否定しても謙遜していると思われているらしい。本人は必死でカメラマンを避ける努力をしているのが、実に良く分る。
飛び入りの教子さんは結局、沙羅の森で行われる午後の部の前座と言う形で
3曲のアカペラを披露。何時もながら素晴らしい!ご本人は「自分の出した音が時間差で帰って来るので、とても歌い難かった。」そうだが・・・。
午後の部が終わる頃、気が付くと薫は民俗楽器のバンドメンバーに和気藹々と融けこんでいた。ミュージシャンが次々引き上げて行かれる中、バンドリーダー達とムックリの演奏法等々で独自の空間を得てしまっている。結局「メンバーを送ってから帰って来るので・・・。」と、居残ってお待ちする事と成った。その間に打ち上げとなり、例によって上田さんが「もうえぇやん、一緒に。さぁ早よう。」と同席させて頂く。薫が途中から移民した先は、偶然にもバンドリーダーの清水さんの奥様の横。何時の間にか、すっかり友人である。
資料館を後にする時、演奏者でもあり楽器の製作者でもある清水さんが
ご自分の作られた 『リジュリドゥ』を 薫にプレゼントして下さった。驚きを隠せない薫だが、嬉しそうでたまらない顔だ。
母の家まで帰りつくと早速「吹いてみても良い?」と聞く。ブォーン、フォーン、ブッブッ。「簡単に音が出るよ。」と言う。10回そこそこでヴォ〜ン、ヴォ〜ン、ヴォ〜ンと低い和音のような音が出始めた。「簡単だよ。」と言うのでやって見た、確かに音は出る(プォー)でもそんな音は出ないぞ!全く驚くよ、薫には・・・。本人は「ネ、簡単に音が出るでしょ。」と言って楽しんでいる。
6/21 晴れ。
薫は朝から嬉しそうにヴィォ〜ン、ヴョォ〜ンとやっている。昨夜より更に深みのある音になった。
田崎さんが十楽教子さんにと毎日新聞に出ていた沙羅祭りの記事を竹紙にコピーしてお持ち下さった。アザミで作られたと言う紙もお持ち下さる。昨日、沙羅の花の繊維で漉いた紙を拝見しながら伺った通り
繊維があれば何でも紙に成るようです。
昼食後、薫がチャトランを洗い。生乾きにした所で、母の家を後にする。
田崎さんの所にご挨拶に寄ると、奥様も丁度ご帰宅された所だった。昨日の話や、7月の田崎さんの展覧会、そして
リジュリドゥの話で盛り上がる。田崎さんが『良い時期になったら
リジュリドゥ を作るから、一緒に演奏すれば。」と奥様と薫に勧めて下さる。奥様もその気で「踊りながら吹きましょうよ!」と薫を誘う。薫は「脚を動かしたら、音が止まりますよ。」とポーズを取った。奥様は「今の良いじゃないですか?それでやりましょう。」と明るい。面白い事になるかも知れません。田崎さんの11月の展覧会で・・・と言う話も出た。さてさて、どうなります事やら。
夕方、帰山。10件ものメッセージが留守番電話に入っていた。「ファックスに切り替えて行くのを忘れた。」と薫が嘆いている。あの方かも、この方かもと電話をしていたが・・・。留守中にファックス下さった方、本当にごめんなさい。
夜「月が出ているよ。」と言う声の後、ヴィォ〜ョォ〜ョォ〜ン、ヴィォ〜ョォ〜ョォ〜ンと聞こえてくる。外にいました!月夜です。
6/22 夏至。曇り時々晴れ。
外出中に届いていた連絡の返信書き。薫も葉書等々を書いていた。
午後一番で勝運寺さんへお邪魔する。北海道よりお見えになられた光禅寺さんにご挨拶に上がったのだ。
その後、少林窟道場へ。半年ぶりでお会いした萩原さん、我々の顔を見るなり「嬉しい!」と言って下さった。暫しお話しして帰る。その際、薫が先般作り沙羅祭りに身に付けて行った首飾り(本人曰く、香りを研ぐ道具)を事訳を述べてプレゼントした。20日に多くの人に誉められて、大喜びしていたから薫自身に思い入れがある事だろうと思っていた。薫が後で「あっさりプレゼントしてしまったのは、思い入れが無いからではなく
思い入れがあるから差し上げたのよ。」と言う。「萩原さんの事が大好きだし、それに良い作品だと思える物に執着すると作品が似たようなパターンに固まってしまうの。ほら、誉められたら又、誉められたいって思っちゃうでしょ。で、同じような事ばっかりやっちゃうじゃない。必要なのは、一つ一つの物を本当に生かせるようにする事だもんね。」と言っている。へぇ〜、そんなものですかね。ガラクタは山のように置いてあるのに・・・。
夕刻、買い物に出掛けた。薫の郵便物を発送するのに預かった。香寺民俗資料館宛の葉書?は竹の皮であった。それに、切手が貼られて葉書代わりに・・・。20日に多くの芸術家に会って又、新しい発想が生まれたようだ。
6/23 トウ文老師のご命日。曇りのち時々雨。
甥の古墳に関する質問の回答探しをした。子供が疑問に思うことと言うのは、なかなか興味深い視点である。しかし、そうした事に答えられる資料となると意外と揃ってないのである。インターネットでも素朴な疑問や入門編は、子供だまし程度のQ&Aが大半であった。言い訳っぽい話しも付け足して、一応の回答を返信する。
薫は華を生け換えたり、挿し木をしたりしている。午後からの雨で、洗濯物の万国旗
再来である。
少林窟道場へお参りに上がると、田岡さんが上山されていた。久しぶりに、あのくったくのない笑顔を拝見した。暫くすると高村先生がお見えになられた。方丈間にて茶坊主を務めながら、お話を拝聴。お元気そうなご活躍ぶり、なによりであった。
昨日、レオーネのスピードメーターが急にゼロから動かなくなった。それっきりなので、行き付けの修理工場へ寄ってみる。「ワイヤーが切れたんでしょう。」と言う事であった。単にワイヤーで繋がってるだけなのか。知らなかったが、意外と原始的なんだなぁ。因みに近年の物は電気的に動かしてるそうです。
帰山すると薫は数枚の葉書を仕上げていた。「メキシコで大きな地震があったでしょ。皆の事がちょっと気になって・・・。訳わかんない葉書が届いたら、皆もっと迷惑だったりしてネ」と笑っている。スペイン語には、やはり
まだまだ自信がないようだ。
6/24 雨。梅雨らしい1日。
薫は洗濯場へ上がったようだが、あまりの雨に退却。本日は諦めたようだ。
雨どいを見まわった後は、デスクワーク。お昼前に郵便物を投函に行く、帰って
又 デスクワーク。
雨の日はデスクワークをする人が多いのか、E-メールが何時もより多い。
夕刻、少林窟道場へ届け物。帰って 又々 デスクワーク。
薫は工作をしていたが、天候のせいか ひらめきが湿気ているようで
ため息を幾つも落としていた。戸のサンに何やら乗せて「切りくずの方が良い出来だわ。」と、メガネの中で目を回しながら
口を『へ』の字にしている。その顔は充分 芸術的だし、作品も良い味でてるよ!本人がどう思っていようと・・・。
6/25 雨時々霧雨のち曇り。昨日ほどではないが、島の頭が雨で煙っている。
薫は雨にもめげず、水々しく活動。洗濯、お風呂場の掃除などなど。
雨の日は、やっぱりこれが最適・・・デスクワークです。
十楽教子さんからお電話で「お昼から お伺いします。」とのこと。2時くらいに、先般の沙羅祭りの写真を持って来て下さる。フィルム1本分を全部焼増しして下さった。「さすがJuly」と薫は感激。当方のも本日で出来あがるゆえ、2人が話をしている内に受け取って帰る。教子さんの歌っている所は、デジタルカメラで撮影してので差し上げられず残念。田崎さんが教子さんにと竹紙にコピーして下さった新聞記事をお渡した。とても喜ばれて、田崎さんにお礼状を差し上げたいと住所を控えてお持ちになる。田崎さん、もう直ぐ十楽教子さんからのお便りが届きますよ〜。
清水さんに頂いたディジュリドゥを教子さんにお見せすると、早速挑戦されたようだ。ブーブォー、ブォーブォーと音がしてくる。暫く続いて、今度はヴィォ〜ォ〜ゥォ〜、ヴィォ〜ゥォ〜ォ〜と薫だろう。笑い声もしているので、しっかり楽しんでいるようだ。
8時半頃、「お腹空かないの?」と話に夢中の2人に声を掛ける。交代して
お話している内に、薫は夕食をしたくした。何とも表現しがたい、多国籍料理が出て来て3人で会食。教子さんは10時半過ぎ海蔵寺を後にされた。雨の夜道のドライブ、気を付けてお帰り下さいね。
6/26 曇りのち雨。
本日もデスクワーク。お昼前に少林窟道場へ。高田さん、午後お尋ね下さる事になる。
薫は屋根のゴミを取ったり、洗濯をしたりと駆け回っている。雨漏り対策のバケツの位置決めにも、苦心しているようだ。2、3cmの違いでキャッチできる水滴の数が違うようだ。
午後、高田さんがお見え下さった。気の合うと言う感覚は良く分らないが、見ていると非常に不思議である。それはさて置き、夕刻までいらして下さいました。調子がだいぶ良くなったとの事、何よりである。
カウンターが1週間で50増え 650に載りました。
6/27 霧雨のち曇り。
霧雨になり 天が明るいので 上がるだろうとは予想ができる。それにしても
排水口から、絶え間なく かなりの水が流れる音が
聞こえている。「水が出てるのは、何処だろう?」と
薫に尋ねると「アァ、裏よ。山から染み出して来るの。これなら
きっと、ミズ道が見えるわよ。」と言う。様子を
覗こうとすると「少し崩れてるでしょ。この後に
長雨が来ると怖いわね。」と 声が背中を押す。確かに、新しいマサ土が出ていた。水も土手の
いたる所から流れ出している。暫く、雨が上がっててくれると良いのだが・・・。
雨上がりの畑に 収穫と草刈にでかける。モロッコ豆と
ささげが バケツに半分は取れた。草はもっと凄い!貧乏草(ヒメジオン)が
1m位に成長している。薫の方針で 出来るだけ共存させる為に、大きく成り過ぎた草達を
刈ってやる。ところが、この草むらの中が 蚊の集落だったから
大変だ。その後、2人共 蚊の猛攻撃を受ける事に成った。耐え難いかゆさに
追われるように 鎌を振ったのが 功を奏したようで、思ったより早く
目標を達成した。逃げ帰って見ると、やはりボコボコにされていた。大群は甘く見てはいけない!薫は「かゆい!」と言い残して、水浴びに行ってしまった。
出て来た薫 「私、痛いより かゆい方が 早く発狂すると思う。」と言いながら、ボリボリと
掻きむしっている。
本日は 少林窟道場へ、2度 訪問。母からの宅配便で
手作りの梅ジャムが届いた。ヘェ〜 梅ジャムねぇ、母がこんな物を作るとは
知らなかった。「トマトで ジャムを作る人もいるのよ。」となれば、梅で作ったって良いのかもナ。
6/28 うす曇り時々晴れ、夜から雨。
排水口からの水の音は依然として続いている。音はチョロチョロに変わり、水量が減ったようだが地中の水分が飽和している事には変わりはない。この時点で大雨に逢えば間違いなく、土砂崩れである。くわばら、くわばら。
雨の威力は大きく、植物は急成長する。床から藤蔓がニョキーと頭をもたげている。これだから数年間
人が住まっていないとお化け屋敷のように成るのだろう。呆れている場合ではなさそうである。
雨で土が柔らかい今とばかりに、草取りに精を出した。成長ぶりに感心しながら、すんなり抜けてくれる事に感謝する。
午後、少林窟道場のホームページの修正作業。
薫は、午前中は 洗濯等々。午後は 希望に反してプレゼントされた花の苗を
ガレキだらけの空き地に植えていたらしい。空き地も草が大きく成っているので、連日の蚊の襲来に随分閉口したようだ。帰参したら悲壮な顔をして、ボリボリ掻いていた。
夕食に昨日収穫したモロッコ豆が天ぷらで登場。成長し過ぎだろうと思っていたのだが、大きくても柔らかくて美味かった。
夜に雨が降り出した。次第に本降りの気配だ。土砂崩れは単発の集中豪雨よりも、土が水を充分に含んだ後の雨の方が怖い。長雨に成らねば良いのだが・・・。
6/29 曇りのち雨一時豪雨。
昨夜の雨の影響を懸念して、先ず 境内の見回り。その後の大きな変化は無かった。ホッ!
排水溝に流れ込みそうな土砂を取り除く作務を少々。何もかもたっぷり水を含んでいるので、さしたる作業は出来ない。そうこうする内に
又、雨が降り出した。
薫の方も何をするにも湿気っぽいようで、活動的ではない。故に、語らう余裕が生まれた。思考の法則性、環境と発想の方向性、行動と判断基準等の色々な精神活動、について
多いに語った。
結果から言うと、本当に大切なのは小さな一つである。1つ1つの事、それしかないと言う事だ。今やっている事、それしかないと言う事だ。何事も何物もその1つが問題であり、その1つをやるしかない。そして、又
出来るのは1つ。出来るのも1つ、やるのも1つ、問題もその1つなのだ。営みの全てが小さな1つの集まりでしかない。1つをしなければ出来る事はない。問題を追いまわす事なら幾らでも出来るが、実際にやれることは1つだ。全ての事が
1つをやりつづける事、1つを積み上げて行く事に他ならない。今
自分がやっている その1つが本当に大切なのだ!分る事でも
求める事でも 無い、1つをやる事である。畢竟、今である。
雨音がある。音がある。耳がある。耳である。音である。雫である。これも余計である。合掌。
6/30 曇り時々晴れ。雲の切れ間から太陽が出ると、日差しの強烈さに戸惑うくらいだ。
昨日来の豪雨で全国的に被害が出た模様で、海蔵寺と墓地所を心配下さった遠方の檀家さんや知人親戚等から次々お電話を頂いた。
薫は朝から「洗濯物が乾く!」と大喜びである。僅かに湿っぽいままになっていた物まで担ぎ出して、物干場で雲に「退いておくれ。」とやっている。
草取り、雨に叩かれた濡れ落ち葉の回収など、梅雨の中休みを最大限に活用する。芝生の中に茸が生えていた。良く見ると、あちらにも
こちらにも とかなりの量だ。「美味しそうな姿!これって食べれないかなぁ?」と薫。「止めた方が良いと思うよ。」とるのは、カメラでだけにしようよ。麦藁帽子が必需品になった。
夕刻、「学び座」の自主上映のお手伝いで急遽
文章作成をする事になった。少林窟へ出向いている余裕がなかったので、手元で作成し
メールに添付して送信。
この教育現場がテーマの映画に関わる事で 薫が一説ぶっている間に、ご近所の方がジャガイモを
お持ち下さったようだ。気が付くと置いてあった。どうやら熱を入れて
のたまわっていたので、 声をかけなかったのだろう。
しかし、薫の見解は違い 「その後だと 思うよ。アィ〜アィ〜ヤァィ〜って時・・・」と言う。実は文章を入力している所へ、「アボリジニーの歌とディジュリドゥ」のCD
が届き 入力しながら それをかけていた。薫我流のディジュリドゥを吹いているので、本物の音とリズムを聞かせたいと思い
インターネットで探したのだ。演奏と共に男性の声で「アィ〜ヤァィ〜ヤァ〜、ウバァィ〜アィ〜ア〜・・・」と流れていた。しかも
途中から薫が音楽に乱入して ドタドタと足音を立て、振りを付けて踊っていた。さぞ
ただならぬ異国情緒が漂っていた事だろう。
ジャガイモを発見して、薫と2人「ちょっとマズかったかな?」「だいぶネ。」と大笑いした。