9/1 ニ百十日。曇り時々雨。
地湧社・『びんぼう神様さま』昨夜半より雷を伴った一時的な豪雨があった。薫の体調式天気予報により、床に着く前に一応の雨対策を施しておいたので雷に目を覚ましただけで済んだ。薫はコンピューター等の電源を抜いたり、雨漏り対策のバケツの位置を確認に起きたようだ。雨漏りの位置を漏る前に判断するのは難しいので手を着けなかったのが、どうやらばれていたらしい。3時過ぎには雷も遠ざかった。
地湧社からの謹呈本を方丈が見せて下さったが、薫の感性と合いそうだったので薫に渡す。一気に読み切ってしまったようだ。もっと喜ぶかと思っていたが・・・「大事な事が書かれてるけど、これが今の社会からチョッピリ離れた昔話っぽいから受け入れられるんだろうね。もっと身近に目の前の事として書いたらきっと目を背けられちゃうんだろうな。分る事と出来る事は全然違うし、素晴らしい事も 良い事も皆ちゃんと知ってるのにね。この話で得た事を、実践できる人が何人いるんだろう?」と妙に深刻な答えだ。薫にとっては新鮮な話ではなかったようだ。お話は、A5判50ページ程で分り易く 簡潔で 読み物としても良く出来ている。チャンスがあれば一読して見られると良い。絵も中々のものだ。地湧社の月刊誌『湧』の増刊号で、高草洋子さん著・『びんぼう神様さま』・定価400円也である。増刊号が終了後はハードカバーで刊行を予定しているそうだ。
薫は不調から抜けきれていないようで物静かである。お陰で今日はとある事情の執筆の構想をゆっくりと練る事が出来た。

9/2 曇り。
ご近所の信徒さんがお華を一抱えもご供養して下さった。無縁塔さん、お地蔵さんのお華が枯れて来たので、山へ採りに行って下さったのだ。慧照禅尼のお墓へのお華をご用意下さり、ご一緒にお墓参りをする。有り難いことである。合掌。
薫は今日も不調。

9/3 晴れ。
薫は体調をやや戻したようだ。横村先生に診て頂く。柔らかく温かい物を食べなさいとのご指示。
銀行の英文の残高証明と言うのを取った事がある方がどれ位おられるか知らないが・・・銀行の住所や連絡先と言った物は記入されていないのが普通なのだろうか?現在、とある銀行の英文の残高証明書をめぐって 通用する、しない と一波ありそうだ。銀行側は今までこれで通用してきたと言う主張だが、提出先では こんな馬鹿げた証明書はないと言っている。証明書に住所や電話番号があるのは実に当たり前だと思うが、今まで無くて何も問題無かったと言うのだから驚く。幾度かのやり取りを経て、結局こちらで証明書のフォームを作成し 銀行に持ちこむ事で合意。そのフォームに記入して下さる運びと成った。最初に作成された物は証明用の書式自体がコピーされたもので、提出先では偽造でもこれほど間抜けた物は無いと呆れてつき返したと言う。それが今まで当たり前に通用して来たと言うのは、実に興味深い話である。この週末にフォームを作成する予定だ。

9/4 曇りのち晴れ。
庭の草取りと例の残高証明書の用紙の作成。薫は物静かに活動。テンポがどうも薫らしくないので、つい笑ってしまう。それに対するリアクションが妙なので、続けて笑ってしまう。本人、ますますテンポを崩している。ックックッハハッハッハ
永岡氏のお声を久しぶりにお聞きした。皆の様子を気にして、お電話を下さったのだ。永岡氏も お元気なご様子、何よりであった。

9/5 曇りのち夜になって雨。昨夜から春霞のように水蒸気が充満していた。宵の雨は、春雨のように静かにしっとりと降り出した。
残高証明書を少林窟のレーザープリンターでプリントアウト。終了と思われたが、帰山して1ヵ所の間違いを発見!それに端を発して 全体構成を考え直すことになり、薫が海外でもらった証明書・ビジネス文書の山を引っ張り出して来た。結局、レイアウトを大幅に変更して見栄えは良くなった が、やはりトレードマーク等が印刷された専用の用紙でないと、偽造文書と思われても仕方がないような気がする・・・。もう1つ、とある事情の原稿の草稿もプリントした。
お薬師さん、開山堂等のお華の生け替え。庭の草取り。
神石の大田さんから頂いたお米で薫が若布ご飯を作った。感動ものの美味さであった。大田さんの田んぼは法光寺のすぐ下にあり、県の品評会で金賞を受賞される程の美味しいお米が取れるのだそうだ。土、水、太陽等の恵み、そして、作る人の心が見事に調和して、こんなにも美味しいお米になるのだ。
夜、写真の整理。薫は母に送る一組に丹念にコメントを入れる。途中で気が付くと・・・「シマッタ!」静かに雨が降り始めていた。2人で一時 走り回った。

9/5 曇り時々雨一時晴れ。
時々急に雨が降るので、山内の掃除だけにする。
方丈が上山され、僅かな時間であったが3人でお茶を頂く。薫が最近 脳の発達と古代人や古代文明に見出した驚き等の話を始めると、方丈も「なかなか 生意気な事を言うように成りおったな。」と更に 精神文化が構成される過程の話を 披露。概念と言語の密接な関係を表す 幾つかの事例を双方が取り出し盛り上がる。方丈と薫は その先の関心事の方向性が異なるので話はそこまでだが、薫は自分の構築中の何かに確信を持ったようだ。
製作した残高証明書の用紙で、銀行が証明書を発行。薫は発送準備を整える。母への写真等も包まれ、本日 発送。

倉庫の土台の下にできた穴9/6 曇り時々雨のち薄日が差す。
庭掃除、薬師堂の掃除。
庭の片隅にある倉庫の土台部分から下に穴が空いていた。以前は無かったように思うが・・・「薫、この下に穴が在ったっけ?」と聞いてみた。???不思議そうに薫が覗きに行く。「水が流れ込んで出来たみたいね。いったい、あそこの土は何処へ行っちゃったんだろう?」と撮影して来た。
薫宛にチルド小包が届いた。山県郡芸北町の農場からである。品名がトウモロコシとなっていたが本当に丸々とはちきれそうな大きなものが箱から出て来た。毎年、芸北から届く愛情便なのだ との薫の説明。農場主と雪の芸北でご縁があり、その後 もぎ取り農園 を始められたのだそうだ。贈答品としての宅配も行い、トウモロコシと完熟トマトのもぎ取り農場もやっておられる。今年のもぎ取り農園を 9月5日で終了されたとの事だ。開園から4年 農場に出かける方も、宅配で購入される方も 皆、口コミで集まっているとの事なのだが なかなかの人気らしい。それもその筈、モットーは 「美味しい野菜を食べていただきたい!尋ねて良かったと思って帰って頂きたい!」 との事なのだ。トマトも木で熟してから 収穫し 低温で宅配、トウモロコシも農園では生で丸かじり出来ると言うのだ。ふるさとと言える田舎を持たない人にとって、ふるさとを味わえる場なのかもしれない。

9/8 曇りのち晴れ夕方一時雨。
薬師講のおばあちゃん達が何時ものように集合。薫、昨日のトウモロコシを 茹でて皆さんに振舞う。「大変美味しい!」と大いに喜ばれ 小川農場の住所、電話番号等を控えて帰られる。お昼の一寸前まで団らんして行かれた。
午後、映画 『学び座』 の資料作成のお手伝いをしに行く。廣州さんと 少林窟道場のホームページや、法語CDの話をした。元々、彼が 少林窟道場のホームページを 訪問者に建築的な区分けで解説して行く形を採用して 立ち上げたのだから ホームページ歴は 彼の方が先輩である。少林窟道場のホームページも ますます充実して行く事だろう。
帰山してみると、薫は床で眠ってしまっている。未だ本調子では無いようだ。暫くして目を覚まして活動を再開していた。
見慣れないアドレスのメールが入って来た。大徹師であった。お元気なようだ、来週にはお顔を拝見できそうである。

9/9 晴れ。
閑山さんから電話があった。丁度、コードレス子機を1階に置いたままで 2階にいる時の事だった。電話を取って話し始めてから、薫に 人差し指を出しながら『おいで、おいで』と指示をすると・・・何故か薫は、1階へ降りて行ってしまった。保留にして呼びに行こうかとも思ったが国際電話だし 1人で話をして切った。テキサスは日中34、5℃ 朝方は24、5℃で気持ちが良いそうだ。
電話を終えてから1階に下りると 薫が『何よ?』と言った怪訝な顔だ。こちらの方が聞きたいくらいだ。一体 何が気に入らなくて、プイッと下りて行くんだ 人が呼んでるのに??「閑山さんだったんだよ。」と言うと ますます不服そうに「どうして替わってくれなかったの?」と聞いてくる。「トットと下りて行ったのは誰だよ?」と言うと 薫のご機嫌は急降下、「だって、下に行けって言ったじゃない!」と言い出した。??誰が?・・・何と言う事か 薫には『おいで、おいで』が 『下に行け!』と受け取れたのだ。本人 さっぱり分らぬまま 1階で待っていた。子機が無いのでファックスにでも 切換える必要があるのかと 思ったと言うのだ。ボディーランゲージも これほど通じないと 呆れて笑うしかない。
薫は以前 、スペイン語圏の友人にからかわれて 『私は怒ってるの!もう知らない。』と言うボディーランゲージを 行ったら 大笑いされたと言うのがあった。 それは、自分を指差し 次に両人差し指を頭の上で角のようにしてから 腕組みをすると言う動作だったそうだ。友人にとっては『怒ってる』を 表したつもりの部分は 『おバカさん』と言う意で、腕組みは『手を貸さない』を表現すると言うのだ。結果 「私はバカだから手を貸さないのよ。」と言う事になったのだ。これらは 大違いと言う例だが、我々の通常使っている言葉も 実際の所は 話している人の言っている事と同意を 聞いている人が分っているかどうかは怪しいものである。

9/10 曇り時々雨。
薫宛には 毎日のように、何処かから 郵便物が届く。今日も 山陽自動車道の小谷サービスエリアから届いた。先月26日に 小谷サービスエリアに立ち寄った事に端を発している。サービスエリアで休憩をしたのは、9時半過ぎだった。エリアを後にする前に、ベーカリーでバゲットを購入しようとした時には10時少々前であったが・・・「もうレジを閉めてしまったので」と言う理由で購入は出来なかった。薫は 即、反転してサービスエリアのご意見箱へメッセージを書いて入れてしまった。本人は閉店時間を知らなかったのだが、『レジを閉めた』と言うのは レジを扱わない人にとって余りにも 横柄に受け取れたのだと言う。ところが事は 薫が考えていたより 遥かに重大な事を引き起こしたようだ。JHのアンケート用紙には時間を書きこむ欄があるのだ。その上、そのベーカリーの閉店が10時と成っていたのだ。それが、今日の小包に繋がったと言う訳だ。
しかし、このサービスエリアの店長さんからのお便りに 薫は 「凄いよ!ここまで出来る店長さんがいるんだ!」と感心している。敬意を示して 直ぐに返信を書き始めた。なるほど、1通のご意見文に 対してこれだけの対応の出来る人は 多く無いかも知れない。

9/11 晴れ時々曇り、風あり。
午前中、萩市の亨徳寺様からお電話あり。先般、方丈が書いて下さった手紙に対する返答である。「副住職が東雲寺の住職をしておりますので、ご期待にそえません」とあっけなく断られた。薫の落胆ぶりは大変なもの。方丈の手紙は先様には、かなり威圧的だったようである。誤解もあるかも知れないし、先様の対応の様子も少しは分ったので、もう少し状況説明した柔らかい手紙を書いてみたいと思う。お目にかかったことのない方にお願い事をするのは、なかなか難しいものだ。
友人の誕生日プレゼントの為に薫が作った 巾着。「今日が玄路さんの誕生日なの。」とプレゼントの包装準備をする薫。「今日じゃ間に合わないじゃない?」「そうなんだけど・・・、当日じゃ 迷惑かも知れないから。」と言う。昨日 仕上げていたのは巾着か、便利そうじゃん。
午後、薫は畑の草刈。先月 蒔いた種から 「芽が出てたのに、草の下で虫が悠々と食べ尽くしてるの。だから直射日光が当たるようにしてやる!鳥やカマキリにも見えやすいようにネ。」と厳重に身支度をして、出かけて行った。干乾びながら 終了したようで、帰ってから連続で3、4杯のお茶(緑茶である)を飲んでいた。同時に、汗が噴出して来たようだ。そこから風呂場へ直行してしまったので、畑の成果は聞き損ねた。
夜になって、ありがたくない存在が続出した。「どうして、そんな所に入るの?」と言う相手は、ゴキブリ。洗い上げたお椀の中へ飛び込んで隠れている。続いてのお出ましは、今年 最大級の みずみずしい 見事な百足。不運にも丁度、お湯が沸きあがり 流しでお湯浴びして頂く。薫 「まったく、今日は何なのよ?」と言いながら、注意深くトイレのスリッパを覗きこんでいた。賢明な行動だと思うよ。

9/12 晴れ。暑い。室温30℃。
倉庫の土台の下に出来た穴の処理をした。スコップを穴の中に突っ込んで様子を探ってみると、水平方向に空洞が広がっていた。倉庫の床はコンクリートで舗装されており、その下が空洞になっていた訳だ。重いものが乗っていると陥没するところだった。土を取って来て、空洞を埋めた。原因である雨樋も修理した。
午後、少林窟に上がると、方丈は汗だくになりながら書庫の整理をされていた。明日、広島へご一緒する予定なので、その打ち合わせ等。トウ隠老大師の全集を出版したいなあ、とも言われた。まだまだやりたいことが沢山あって時間が足りないようだ。
薫は昨日の草刈がたたってか、昼過ぎまであまり元気がなかった。
夜、大徹師が少林窟参禅の前に立ち寄って下さった。上座部仏教、唯識、脳神経科学、認識論等で大いに盛り上がる。薫は大喜び。彼の明晰な思考、体験に裏打ちされた着実な論考には全く敬服する。その明晰さ故に、彼の中にある平和への希求と絶望は悲痛である。巨大な星が誕生する直前の暗黒星雲のごとく・・・。

清水さんご一家の到着9/13 曇り一時雨。
方丈のお伴で広島へ。整体とパソコンショップへ。 最初にデオデオCOM CITY へ行った。対応してくれた店員さんは、とても親切な切れ者だった。無茶苦茶忙しそうだったが、丁寧に応対して下さり、方丈が望んでおられたキータッチの軽いキーボードが見つかった。ロジテックのものだった。
夕方、帰山してみると清水さんからの留守電が入っていた。熊本からの帰りで福岡から電話して来られたようだった。幸い連絡が取れ、立ち寄って下さることになる。夜、9時頃お見えになった。カイラス(犬・♂)、リムカ(猫・♀)も一緒である。阿蘇でジャンべというアフリカの太鼓を中心とした民族楽器愛好家の集会があったのだそうだ。リーダー不在の集会になってしまっているので、統制が取れず、本来の目的であるお互いの交流とか基本的なマナーを守るということが希薄になっていることをとても残念がっておられた。
我々が 食卓を囲むと 何時もは室内で 飼われているカイラスが 淋しさに耐え切れず、サッシを破壊せんばかりの勢いで 「入れてくれ~」とやり始めた。戸を壊してしまうのではと話している間に、自力で進入して来た。全員、カイラスに負けて 足を拭いてやり 廊下に寝かせる事にする。

白滝山の竹で作ったディジュリドゥ澤田さんから刃物の説明を受け、興味深々の清水さん澤田桐下駄工場にて9/14 曇り一時雨。
午前中は、清水さんご夫妻と歓談。前回こちらへ来られた時、白滝山でちょっと変形した竹をもらって帰られたが、それがディジュリドゥとして完成していた。阿蘇で仕上げをされたそうだ。
午後、澤田桐下駄工場へご一緒するために清水さんが車を回しておられたら、ボンネットの中でカランカランと妙な音。おかしい、ということでボンネットを開けて見ていると、ベルトがピョンと飛び出して来た。パワステに動力を伝えているベルトらしい。プーリを固定しているナットが外れたようだ。いつもお世話になっている整備工場へ連絡するとあいにく1時間ほどお出かけとのこと。仕方がないので、車を整備工場へ預けて、レオーネで桐下駄工場へ向う。薫は連絡役で留守番。
お二人共、1本歯の高下駄をお求めになる。澤田さんに刃物のお手入れを伝授していただいた清水さん 澤田さんの技と知識に惚れたようだ。澤田さんも 「職人になると言う事でなくても、一度下駄の作り方を習ってみませんか?」と清水さんに声をかけておられた。帰山後の清水さんご夫妻 曰く 「澤田さんの技を教えて頂くならやはり、本腰を入れなければ失礼だろう。でも・・・。しかし勿体無い。」
清水さんのハイラックス・サーフは 薫の一寸無理やりなお願いで 応急処置が施されていた。「姫路まで帰り着くまで」と言う事で、パワステが機能するようにして下さった。こちらの整備士は 車を良く知り、地道な愛情を注ぐタイプの方である。「パワステが効かなくなっても 走れないと言う訳じゃないので・・・、一応 応急処置をしてあります。」と言う事だったが、パワステは復活していた。
薫と一緒に留守番をしていた カイラスとリムカを 車に乗せて当地を後にされた。夜 「無事に到着しました。」と電話が入り、我々もホッとした。

9/15 雨のち曇り時々晴れ。敬老の日。
勝運寺の大奥様こと薫の祖母(明治生まれ)を 喜ばそうと思案したが「何にも不自由しとらんよ!」とおっしゃっておられたので・・・。結局、ドライブと食事にと言う事になった。敬老と言えば、お盆のお塔婆書きを一手に引き受けて下さった大瀬さんも 敬って良い年である。ご一緒にとお誘いすると、大変喜んで下さりながら もう一方ご近所でお一人暮しの方があるので 出来ることならご一緒させてもらえないか とおっしゃる。5人なら無理では無いので、賑やかに出かける事にする。と言っても、車で25分ほどの所にある 手打ちうどんのお店で ゆっくり昼食。もう少し足を伸ばして、空港のロビーを散策して帰ったのだ。空港では、薫が例の如く「初めてで、想い出になる事が 良いよ!」とプリクラに皆を引きずり込んだ。テラスで紅茶を頂きながら、プリクラを切り分けたり 紙ナプキンで花を作って見せたりと日常を離れた時間を演出。皆さん、すっかり1日 旅をして来た気分で楽しまれたようだ。
海蔵寺へ一度上がって、お茶(煎茶)を召し上がっている所へ 犬に引っ張られながら女性が上がってこられた。方丈が少林窟道場だと知り 「犬の散歩をさせながら 行きますので」と行ってしまわれた。
2時間ほどして、慧照禅尼にとお花を持って再びお見え下さった。少林窟道場の古参であられた 山本修司さんのお嬢様であられた。この1月にお父様、春にお母様、そして先般 おばあ様を相次いで亡くされたのだとの事。だが、お父様が常々「命あるものは何時かは滅する。これは自然の法理である。」とおしゃっておられ、潔いとまでにうつるあっ気ない最後に 心静かに送られたそうだ。亡くなられる方が 命を持って示してくれた教えを大切にしたいと思われて 実行なさった気丈な方だ。
子供時代にお父様に連れられて、何度も少林窟道場へお見えになられた事があり 小さかった薫の遊び相手もして下さったのだそうだ。久しぶりの再会に お夕飯をと 薫がお誘いすると 「信じられない!あの薫ちゃんの 食卓へお招きに預かろうなんて・・・」と昔話に花を咲かせながら、2時間ほど滞在くださった。現在は家屋の内装業をなさっていらっしゃり、将来はグループホームの経営もしたいのだと抱負を語って下さった。「格好良い!」と言うのが相応しい 気丈で、潔く、 凛とした女性なのだ。8ヶ月間に 3人の肉親を送られ、お一人になってしまわれた今 感謝の念を持ち、悠然自若としておられる。

9/16 雨時々曇り。
来客続きで、更新できなかった部分を入力。
薫が「ノミが出た!」と大騒ぎ。騒いだだけあって、遂に猫ノミ 1匹を捕獲。「きっとキャンプ場でリムカが拾ったのね・・・」と言いながら、ボリボリと掻いている。「噛まれたの?猫の・・・ノミに?」「そう、蚊の何倍もかゆいんだよ。」だそうだ。人を噛むとは知らなかったが、心配そうな薫の姿を見れば・・・一匹だけであって欲しいと思います。

9/17 曇り。
朝、5時過ぎ野犬の群れが参道から庭を走り回る。犬の唸り声や、キャンキャン言う声が聞こえたので 猪を犬が追っているのかと 期待した。墓地と隣り合わせた畑に猪が出没したと聞き、別の所では猪が墓石を倒してしまったと聞いている。だから、野犬でも何でも猪除けに成ってくれてるならありがたいと思っていたのである。それが実は、秋の発情期に群れ内の統制が乱れての騒ぎだった・・・。

9/18 薄曇り。どんよりした1日。
午前中、三好さんがお嬢さん二人を連れてお見えになる。薫がティッシュで花の作り方を教えてあげると、二人は興味津々で一生懸命作っていた。薫は元来、工作が好きなんだろうなぁ・・・。
午後、バーナーでお墓の草焼き。
来客用の布団をやっと乾かせたと言う事で、洗いあがったカバーを掛け直して収めた。薫が 布団ダンスが窮屈そうだと感じる膨らみ方をした布団を片付けながら 「時々、使う方が物も長持ちするかもね。時間も手間もかかっちゃうけどネ。」と言う。そう思うよ。物が溢れかえる現在、全ての物に長持ちしてもらう為に その手間と時間を掛けることがとても難しく成っていることも確かだね。

9/19 晴れのち一時曇り。暑い日になった。昼間の室温31℃。
墓地所の掃除。
北海道の中村さんが秋の恵をお送り下さった。かぼちゃ、ジャガイモ、トウモロコシなどである。早速、美味しく頂いた。
薫は洗濯日和の活動。夕方は畑へ行っていたようだ。モロヘイヤが収穫されていた。
夜、母から電話がある。おばからの「メール送ったからね。」の電話でメールチェックをしたら、薫からも複数入っていたと電話をくれたのだ。メールを送っては、電話でそれを知らせているのだから・・・。しかし、おばさんもやるもんだなぁ。

バッタを食べているカマキリ9/20 トウ隠老大師のご命日。晴れ、夕立あり。
昨日に続く夏日。屋外の作業は、大量の汗を流させてくれた。お墓の華を入れる。
薫は昨日同様の活動。本日の収穫は紫蘇の実。いりこ の粉と合わせて、旬の特製ふりかけ が 食卓に鎮座する。
盛口さんが 「山へ行って来たよ。」と 一抱えの華を担いで来て下さった。先月は南向きの斜面へ行ったので 虫食いだらけだったから、もう一山越えて北向きの斜面の谷近くへ行って来たとおっしゃる。毎回ながら、ありがたい事である。合掌。
水屋で作業中に丁度 カマキリがバッタを捕まえた。カマキリの食卓を覗いたのは初めての事だったので、その後の様子をつぶさに観察した。几帳面に端から端までキレイに食べていた。
夜、東雲寺の件で亨徳寺様にお手紙を書く。薫は長いメールを書いている。

色濃くなった紫式部の実9/21 曇り時々雨、一時強雨。
山内各所、無縁塔さん、お地蔵さんのお華の入れ替え。盛口さんのお陰で立派なお華が充分にあり、各所共に盛大に入れることができた。感謝。
玄関の華。ススキと小菊。『薫我流』昼前、大徹師が、少林窟参禅の帰りに立ち寄って下さった。法友とは有り難きかな。一回の接心毎に確実に変化して行く様子が分るとのことだ。何とも着実な歩みだ。湧水の如く間断無くんば、必ずや世の涼陰樹となるだろう。他人事ではないが、楽しみである。3時過ぎの電車に乗られるとのことだったので、駅まで送って行ったが、大雨の為、ダイヤが乱れていた。呉線はちょっと激しい雨が降るとすぐに乱れてしまう。今日は、少しの遅れで済んだ。
夕刻、回覧板を届けに行った薫が「紫式部の色が良くなってるよ。」と帰って来る。薫は天性で自然の気配を感じるらしい。そう言えば、薫が今日 生けた玄関の華も裏山のススキだ。

9/22 曇り時々薄曇のち、曇り時々雨。
薫が買い込んでいた脳科学の本にはまって、読書。そこへ 一足早い 閑山さんからの Birthday present の小包が届いた。そんなこんなで正午を知らせる 消防署の音楽が鳴ってしまった。
編物の芋虫?盛口さんが 「お彼岸のおはぎを作ったので、少林窟さんにも届けて上げて下さい。」と2包み届けて下さる。早速、届けると、方丈も「菩薩行じゃのう。」とおっしゃる。海蔵寺もご本尊等にお供えして、我々も功徳にあずかった。今年、ご自分で育てられた小豆を収穫して 餡から手作りして下さったのだ。本当に菩薩行以外の何物でも無い。感謝、合掌。
薫は 編み上げた作品と一緒に 知人のお子さんの「バースデー・プレゼントにするのだ。」と 編物のインストラクションを描いていた。その仕上がりが、充分かどうかを確かめる為に協力しろと捕まって編物をさせられた。ど素人が理解できれば、多分子供でも出来ると言う主張だ。母も編物をするが、こんな風に指に巻き付けて無かったように記憶するのだが・・・?数分間で、何となく理解できて 連続的に行えるようになったので、薫は満足そうにプレゼントの包装に取りかかった。後には、巨大な芋虫のような わが作品が 残された。

9/23 曇り一時雨のち晴れ。夜になって一時雨。
お彼岸のお中日。午前中、勝運寺さんの棚経のお手伝い。その間に 「高田さんがお尋ね下さったのよ。」との事であった。日曜日までいらっしゃるとの事、お会いする機会はあるであろう。
午後、連絡が取れなくなっていた 墓檀家さんの縁続きの方がお尋ね下さった。ご連絡先もお聞きできて、ホッとした。
3時過ぎ、十楽教子さんがお見え下さった。1週間ほど前に、お友達と完成させて とあるオーディションに応募した曲をお持ち下さった。自分達で作詞・作曲などと言われると、遠い世界のような気がしていたが ごく近い所にその様な人物がいたんだなぁ。お話をしている所へ 嵩さんご夫妻が、お墓参りに見えられ ご本尊にお参りされてご一緒なさる。映画 『学び座』 の自主上映に向けてのお話をお伺いしたり、教育論をお伺いしたりしている内に日が暮れて7時になってしまった。更に3、40分教子さんは薫と、社会情勢と歴史の記載等について思考プロセスや 集団心理、マインドコントロール等の話をしてお帰りになられた。
「遅くなっちゃった!」と言いながら、三好さんのお宅をお尋ねした。今日はお嬢さんの9歳のお誕生日なのだ。薫が、インストラクションを描いていった作品よりも、作品の飾りとして幾つも着けていたポンポンの方がお気に召したらしく。薫はポンポンの作り方を、インストラクションしていた。夜分にお邪魔したのに 歓待して下さって、お祝いしに行ってかえってご迷惑をおかけしたような事になってしまった。その上、ポンポンを作る過程で切った毛糸のくずが一杯散らかっている(ゴミ箱の上で切る事にしていたようだが)・・・お母様のお仕事を増やす プレゼントを差し上げてしまったようだ。9時半過ぎ、しっかり散らかして失礼した。

9/24 暴風雨のち時々晴れ。
目が覚めてみると、手に何かを持たされている。薫からの誕生日プレゼントだった。万年筆だった。添えられたカードには、「・・・人生の新しい頁が新しい言葉で綴られて行くことを希望します。おめでとう。」とあった。ありがとう。
39歳の誕生日は今年最大の台風18号も祝いに来てくれた。先ず、飛びそうなトタンやバケツ等を 移動させたり 紐で留めたりする。8時半ころから雨・風共に強くなって来る。普段は主電源から切られているテレビを起こして、情報提供をしてもらう事にする。今朝早く九州を横切ってこちらへ向っているようである。風は東から吹き始め次第に強さを増しながら雨も強くなって来る。台風の速度が50kmを越えているので、同じ場所が長く被害に遭わずには済みそうだ。しかし、既に死亡なさった方があると報道されいよいよ目が離せない。雨はゴウゴウと音を立て、庭を水溜まりに変えた。
風向きが南に代わり始めるにつけて、窓ガラスは軒の直ぐ下まで濡れてきた。水屋からバケツが飛ぶことを心配していたが、水屋自体が這うように移動しているので 薫と二人ががりで ロープで参道の手すり等に括りつけた。
台風18号で荒れる海薫が 「凄いよ。潮が舞い上がって飛んでくるのが見える。」と言い出した。沖を見ると、海面が煙って見える。所々、白い霧のように風であおられた海水が舞い上がっている。雨が上がり、強烈な突風がヒューヒューと音を立てる。台風が日本海側に抜けたと言う情報が入って来た。風は向きを変えて次第に西よりに成って、更に高い音を立て始めた。ガラスには、粉が吹いた様に模様が出来ている。雨が無い方が風の影響がキツイのか、それとも吹かれつづけた結果と言うべきか?毎度のように、被害の出る物干し場の屋根以外に 外にある流しの屋根の一部が吹き飛んだ。ぽっかりと空が見えている。
天候にもめげず バイクの音と共に郵便配達員の方が お届け下さる。幾つかの郵便物の中に 「お聞きしたから」とお送り下さった Birthday Card があり、そのカードの印刷文が 『心おだやかな お誕生日をお迎え下さい』とある。天候までも予測したような 思いがけないメッセージに 微笑んだ我々である。
台風で壊れた外の流しの屋根時間と共に突風と突風の間が開き始めた。飛んで来た物がぶつかる危険を感じなく成って来たので、外を一回りして見ると色々な事が起きてはいたが大事はなかった。台風一過の夕焼け夕方が近づいて、ご近所の方が海蔵寺の参道より下のゴミを履き集めて片付けている。完全に通過してから掃除しようと思っていたのだが 「これで風が吹けば、海蔵寺の参道のゴミはお掃除したばかりの所へ飛んで行くのは目に見えてるよね。」と 薫とほうきを担いで出陣。途中から薫は 雑草地帯と思われている畑に面した道に 飛び降りた植物類を撤去しに廻る。雨も無く、風も嘘のように穏やかになった。
日が落ちると夕焼けが広がった。「これなら、お月見が出来るかも知れないから。」と薫はススキと萩を取りに裏山へ登って行った。夕日は僅かな時間で、簡単に日は暮れた。夕食を済ませた頃には再びの雨。月どころか 厚い雨雲が覆い 雨がゆったりと今日の終わりを刻んでいる。

台風に運ばれた海水の塩を洗い流す。9/25 晴れのち曇り。
昨日の夕焼けの予告通りに好天と成った。ありがたい、塩害が出ない内に水洗いする事にする。ホースを持ち出して、窓やトタンなどに水をかけて回った。庭木も一寸心配になり、所々かけておいた。薫は 「青じそが立ったまま塩もみに成っていた。」とぼやいていた。成るほど、塩風に吹きまわされて難無く塩もみが出来たわけか。それでも、薫は雑草地帯ならぬ愛菜園場を人工的に水洗いする気は全く無いようで、成り行きを見守るようだ。
墓地所にあった枯れ木が風に押し倒されていたが、倒木による墓石等の損壊は見受けられず幸いであった。外れて飛び降りていた 物干し場の波板2枚を拾い上げて 補修する。しかし、強風が吹けば又簡単に飛ぶだろう。とは言え、しっかり固定すれば 波板が壊れながら剥がれ落ちて行くと断言できる。
16夜の月見&団子。夜になって 薫が何やら作りだした。「1日遅れで16夜だけど、お月見する。」と月見団子を作っていた。おぼろ月夜であったが 「折角だから、お母さんの所へ上がろうか?」と慧照禅尼の所へお邪魔する事にする。小さな器には慧照禅尼へのお供えを、お皿には我々の分を入れて上がった。海蔵寺の屋根ごしに忠海の街の灯りを見ながらの月見だ。「お月さま、お団子作って来たの。しっかり顔を出してよ。」と皿を掲げる薫。雲は北東の空に流れ去って月も薫を覗き込む。暫くすると もや~ っと煙ったように霞みだし、月は大きな傘を被った。線香が燃え尽きると薫は 「ありがとうね、おやすみ。」と雲間に霞む月と小さな虫の楽隊にお礼を言って参道を ピョンピョン 降りていった。

9/26 曇り。
暑さ寒さも彼岸までと言うが、台風が過ぎて急に秋めいた感じだ。朝の気温も下がっていたようだ。
草取り、山内の掃除。
昨日、母からメールが届いた。電話すると 「今度は、送信も大丈夫。出来るわよ。」と自信充分である。昨日は、兄貴の所へもメールを送ったと言う。自信と共に経験を重ねて自在に活用してくれるようになると良いが 「薫にもメール送ってやってよ。」と言うと 「薫のメール住所が住所録に入って無いのよ。」と言う。受け取ったメールから住所録にメールアドレスを登録する項目や、返信と言う方法は、説明書のもっと後の方に出てくる事になっているのだろう・・・。思えば、かなりの進歩と努力が見えるのだから 賞賛のメールでも入れるべきかな?

9/27 さわやかな秋晴れ。
薫がカレンダーに黒丸をつけて「放射能を浴びる日」と称した日が来た。市が補助して募集している人間ドックに申し込んでいたが、今日が受診日だった。午前中、町内の内科医院へ出向く。超音波エコー、バリウムを飲んで胃のレントゲン撮影、心電図、血液検査等を受けた。診断結果が出るまでには一周間ほどかかるらしいが、超音波エコーを見た時、肝腎コントラストに異常があり、脂肪肝の可能性がある、と言われた。脂肪肝は糖質の取り過ぎが原因とのことだ。しかし、最近は酒を飲む機会もほとんど無いし、甘いものもあまり食べることはないんだがなぁ・・・。昨年は、心電図で不完全右脚ブロック、血液検査で若干の貧血と診断された。特に治療を要することではなかった。
薫は庭の草取りと掃除、洗濯等々に走り回っていたようだ。
昼過ぎ、方丈から電話があり、「今、山口県の寺に住職されている老師が、義光老師のことを調べるために来られているのだが、君達が探しているような寺をご存知らしいから、一緒にお話を伺ったらどうか」とのこと。早速、会食されている所へ参上した。ご紹介頂いたお寺は、住職されている老僧がそろそろ引退したいとおっしゃっておられるのだそうだ。先般、山口県を訪れた時、その近くを通っていた。とにかく、そのご住職と会ってみないと縁があるかどうか分らない、ということで、何時か訪問することをお約束した。しかし、山の中に入りたい、という意向に対して、「それは私も若い頃やってみたが、結局、そういう所では修行が進むことは無かった。やはりある程度、人の中でもまれることが必要だ。それが不離叢林ということだ。」と厳しい指摘を受けた。
一般の価値観を覆す 新たな試みをやってみたいんだ、ということは、なかなか説明しづらく困ったが、このご老師のように一途な修行者としてご自分の体験を踏まえて意見を述べて下さる方には初めて出会ったので、有り難い出会いだった。
このご老師が調べておられるのは、昭和初期に曹洞宗を揺るがした「正信問題」だそうだ。色々なお話を伺い、お近くのお寺を拝見させていただく為にお邪魔する約束をさせて頂き 次なる地へお立ちに成られるご老師をお見送りしたのは 5時半であった。今後のご活躍を方丈も 大いに期待し 「大いにやって下さい。そういう時機ですよ。」と激励を繰り返していた。
これを書いている途中、台所で読書をしていた薫が 物音と共に椅子の上に駆け上がった。「出た!大きいよ。」とこちらに向いて言いながら、冷静さを 取り戻して 百足の捕獲体勢に入った。手慣れた薫は 難無く捕まえたが 確かに大きく 協力する必要があった。「足を掛けられたの。まさしく身の毛がよだって、椅子に飛び上がった。」と説明してくれた。

9/28 晴れ。
ロドニー・バーカー著 『川が死で満ちるとき』 (草思社)薫は昨夜の読書の残りが気に成ったようで、早起きして読んでいた。朝食後、兎に角聞けと言い張り、音読を始めた。拾い読みした1章は、神経性の毒を出す渦鞭毛藻類の話ではあったが 笑い話のようであった。釣られて 聞いてしまったのだが、本当はここからが聞かせたかったようだ。別の所から読み始めた内容を聞いていると嫌~な気分に成って来た。この生物は、水中に潜み魚やその他の生物を狙った殺し屋的存在で、しかも透明で小さい。要するに、見えない殺し屋なのである。しかも人体にも影響を与え、その感染経路が4つある。直接 触れると皮膚から進入化膿し腫瘍ができる、傷口等に入ると血液中で血球を襲う、この生物の毒(80℃で2時間曝しても安定)にやられた魚等を口にする、この他にエアーゾール化した毒を吸い込んでしまって起こる脳神経の損傷である。その上、この生物は 淡水でも海水でも 平気な上に極端に気温が下がらなければ元気に活動すると言うのだから怖い。15以上の変体をするので発見が難しく、栄養の多い水(汚染の進んだ水)があれば 魚と言わず甲殻類と言わず襲って行く。しかも、人の赤血球も白血球も好んで食べると言うのだから 免疫不全の原因にもなる。赤潮にも成らないのだから、生物の死骸があるだけと言う怖い話だ。思うところを拾い読みすると、ちらっとこちらを見て 薫は洗濯をしに行ってしまった。
ホラーでもSFでは無い、イギリスの科学雑誌 『ネイチャー』 が掲載する科学論文が書かれた現場だ。しかも、未解決・現在進行形の現実だと・・・!別に他人を恐怖に落し入れようと思っているのではないが、環境汚染の怖さを感じる1つではあると思う。ロドニー・バーカー著 『川が死で満ちるとき』 草思社刊 (¥2500)
台風にかき混ぜられた、裏の片付け。壊れた流しの屋根の修理。
夕暮れに、薫が畑に行くのに付き合った。「そこ、気を付けてね」と言われて草の中を良く見ると、大根の葉が15cm以上に伸びている。はぶ草は先般の台風で、倒されてしまっているが実りは例年通りにあるようだ。

9/29 晴れ。
本堂の掃除、外の流し周りの片付け。
夕方に成って薫は 別行動、季節の味を求めに籠を持って収穫にむかう。雪ノ下、コンフリ、みつば、紅葉、紫蘇の実、タデの実、萩の花 etc. を抱えて帰って来た。夕食のおかずを天ぷらにするようだ。
「私、天ぷら大~好き!」と言う薫ですが、本人は魚介類や精肉が天ぷらに成っている図は全く想像していないようだ。秋の味が、食卓を飾った。紫蘇の実の天ぷらは正に旬の味です。お試し下さい、最高ですよ!

9/30 晴れ。
リサイクルに出す 紙類、衣類等の整理 と 個人リサイクルする以外はゴミになってしまう物の整理。薫はゴミに成る運命の物を出来る限り個人的にリサイクルしようと 保管しているのだが、本人がリサイクルするペースに合わない集まり方をするので 時折処分するしか無くなる。ところが、リサイクル出来ないわけではないと 分っている物を 消費スピードに合わず保管し切れないと言う理由で 通常のルートに乗せてゴミにしてしまう事に 踏み切るのに多大な精神的エネルギーを消耗するようだ。
作業を進めると 薫は次第に元気が無くなって 熱でもあるのじゃないかと思う様子なったので、捕まえて額に手を当てると逆に冷たく 気持ち悪かった。途中だったが切り上げて、入浴し 即 太陽の恵み1杯の布団に入るように勧めた。給水と睡眠を 3回ほど繰り返し、今は落ち着いて 味噌汁と麦飯を食べている。そんなんじゃ生きて行けないよ。薫の返事は力無く 「分ってるよ・・・」。
カウンターが1300を越えた。