8/1 曇りのち雨時々曇り。
朝もぎ野菜を収穫しに行った薫が、しらさきを持って帰って来る。ご近所の方がお盆のお供えにと華を下さったのだ。有り難い、暦住墓にお供えさせて頂く事にする。
水屋の棚を直す。合板が剥離し、次第に破損が進み近頃は棚自体が壊れ落ちかけて、置いてあったバケツが倒れ落ちる程になっていた。気には成っていたのだが、やっと今日 手を着ける事が出来た。
雲が棚引く瀬戸内の島々作業中の所を通って御墓参りの一行が上がって行かれた。間無しに雨が降り出し、アッと言う間に本降りに成ってしまった。お気の毒であり、傘を掻き集めてお迎えに上がる。雨宿りに降りていらっしゃるかと思ったが傘があるならと思われたか暫く経ってもおりてはいらっしゃらなかった。
午後からもお参りにお見えに成られた方が雨の切れ間に上がられて、上で降られてびしょ濡れで降りてこられていた。薫がお声を掛けて、タオルを持って出たり お茶を持って出たりしていた。歩いて見えられた方には傘をお持ち頂いたりもしていた。天候に皆が翻弄された1日だった。

虹が架かる海蔵寺山門8/2 曇り時々晴れ時々雨。夕方には陽が照りながら雨が降る。虹も出た。
山内外の掃除。奇妙な天候をぬって屋外へ出たり入ったりしながらの作業。薫は 疲れからか頭痛で物凄い不細工な顔をしている。ふてくされている訳ではなさそうだが 「アダマがイダイ(頭が痛い)」と言ったきり 黙々とやっている。「止めとけば」と言いたい所だが、代わりがいる訳では無いので 止めれば仕事が後に増えるだけだ。自分で判断して止めると言うのが、どうやらここの決まりのようなのだ。黙々とやるだけだ。
夜7時半から檀家さん達が、お盆の行事の相談で集まられる予定。薫は依然 仏頂面をしている。ところが 7時前に成って、薫が嘔吐した。しかも、その後 少し口を利くようになって 皆さんがお見えになられた時には にこやかにお出迎えしている。凄い復帰力と言うか、吸運力と言うか。兎に角、今日も忙しく終わった。
カウンターが900に乗りました。

8/3 晴れ。夕方、小雨がパラつき、今日も虹が出た。猛暑。
朝、昨夜来られなかった檀家さんへ 御施餓鬼の案内状を 持参する。近くなので下駄履きで歩いて行く。途中に浄土真宗のお寺がある。これまでも棚経の時など何度もここは歩いたことがあるのだが、中の様子を気に留めたことがなかった。今朝、通りがけに門前で一礼した時、中庭の様子を初めて見る。見事な松の巨木があった。
帰山したところで方丈から連絡が入り、大阪に居られる墓檀家のおばあちゃんが 明日お墓参りに来山されるとのこと。勝運寺のおばあちゃんと同い年らしい。滅多に来られることはないようだから、これが最後になるのかも知れない。墓地の参道に設置されている手すりを頼りに上がられる事に成るだろうから、その付近の草や枝を払う。果して炎天下に自力で墓地所まで行けるのだろうか?それすら不安である。
薫は屋内で御施餓鬼の準備、掃除、洗濯、接客、etc etc。暑いのは中でも同じらしく 顔を会わすと 何時も流れる汗を拭っていた。そう言えば、水冷式だと言っていたっけ。
午後、「学び座」の資料を作るために少林窟へ。夕方から 参道脇の山手の草、雑木を切って、参道の掃除をする。暗くなって見えなくなる頃に、ようやく終了。8時だった。
夕食後、薫は御施餓鬼のお料理の件で檀家さんのお宅へ行った。帰って来たら、既に畳のふちにつまづくほど疲れ果てていた。明日からも まだある事だし 今日はもう終了にしよう。

8/4 晴れ。兎に角 暑い!
お隣の浄居寺さんの御施餓鬼と、相前後して 大阪から87歳に成る墓檀家のおばあちゃんがいらっしゃる事に成っている。
朝食後直ぐに、浄居寺さん方面へ抜ける道の草を刈る。薫は生ゴミを埋めに行ったり洗濯したりしながら、気温の上昇を予期して麦茶の 第2弾を作っていた。又、気温が高く華が煮えてしまうので、華を下して 水を替えたり、水切りしたりと言う作業が加わって朝からてんてこ舞いだ。
出掛ける準備をしていると連続で電話がかかる が薫は接客中だ。2組が重なった様で、電話を取り次ごうとしても 手を振るだけである。こっちで応対して、御施餓鬼に向う。その後、更に3組の来客が立続いたとの事で 帰山した時には未だ華が下されたままだった。2組のお客様もお待ちだった。方丈と2手に分れて応対。お勝手場には 使用済みグラスの乗ったお盆が3、4つ並んでいる。薫は墓檀家のおばあちゃんを心配して、墓地所へ駆け上がって行った。墓経の為に上がって行くと 今度は別の方がお寺の方へいらっしゃるお声がする。薫は慌てて、駆け下りて行った。
一段落した所で、薫に 「朝の電話でお隣さんが体調が思わしくないとの事だった。」 と伝える。「電話を掛けてみたが応答が無いので行って来る。」と薫は、駆け出して行った。「病院へ行かれたそうで、点滴をして帰って見えた。行きにタクシーを利用したのだが、帰りは文句を言われて仕方なく歩いて帰った と 今フラフラしながら帰ってこられた。」と 汗だくで帰って来る。有名ではあるが、某タクシー会社に 一同 呆れながら も何事も無かった事にホッとする。
方丈と薫が 墓檀家のおばあちゃんを 電車までお送りする。その間にも 来客、荷物 etc とあった。薫が帰山したのを見計らって、墓地所の華ガラ処理。今日も夕食は8時に成る。薫は今日法要で汗だくに成った2人分の白衣等の大物と格闘していたようだ。
方丈より 「大阪から見えた 墓檀家のおばあちゃん 無事帰宅 との連絡あり。」で一安心。今日も夕食は8時に成った。

8/5 曇り、夜になって雨。
連日の作務の疲れが少々出て来た。無縁塔さんの草取り、参道の草取り、植木の剪定 etc. 薫は、屋内の雑務、書籍の発送等。昨日依頼のあった お塔婆のことずかり分等を伝達していたが、今日は何度と無く呼び止められて 伝達を繰り返していた。
東京から中村さん ご一家が お見えになり 縁の有る方々が 夕食に集まると言う事で、薫は夕方から出掛けた。
ご近所の信徒さんがお華を供養して下さった。夜、本尊さんとお薬師さんにお供えした。かつて無いほど見事な華で、実に立派なお供えが出来た。誠に有り難いことである。
最近、海蔵寺の近辺をうろうろしていた子猫が、ついに海蔵寺を定住地に決めたらしい。根っからの野良ではないらしく、鳴きながら近寄って来た。餌が欲しいのではなく、関わってもらえるのが嬉しいらしい。あまり模様が美しくない三毛猫である。不細工だから捨てられてしまったのかも知れない。撫でてやると喜んで、無縁塔さんの草取りに付いて来た。日陰で作務の様子を見ていたが、お墓参りの人が来られたら、どこかへ逃げてしまった。夜になると、また軒先に戻って来ていた。餌を与える余裕はないが、軒先くらいは自由に使ってもらって構わない。

8/6 曇り後、雨。夜は強風。
朝、8時15分、サイレンが鳴る。香一柱を献じて、原爆に被災された方々の冥福を祈る。
午前中、本堂周りの山際に溜まった土砂を取り除く。際がきれいになるとスッキリした感じになる。午後からゴミ捨てに行く予定なので、薫はゴミ出しの準備をこまめに続けている。
不燃ゴミ集積場資源ゴミ集積場午後から、勝運寺さんの軽トラをお借りしてゴミ捨てに行く。勝運寺さんの不燃ゴミも持って行って差し上げる事にして、先に積みこんだ。勝運寺さんの分だけで荷台の底はほとんど見えなくなった。海蔵寺に帰って、薫がまとめていたゴミを積みこむ。ロープを掛けて飛ばないようにしたが、さしたる量ではない。
竹原市では、近隣の市町村で組合を作り、廃棄物処理施設を運営している。許可証さえ取れば、個人は無料でゴミを持ち込む事が出来る。不燃ゴミ・資源ゴミ・有害ゴミと可燃ゴミで処理施設が分れている。今日、行ったのは不燃ゴミ等の施設。不燃ゴミはここから更に別の業者が搬出し、加熱圧縮した後、この施設内の埋立地に埋めて行くらしい。毎日毎日、洪水のように、こんなに大量のゴミが集まって来るのだから、大変である。施設の管理者の人も、うんざりしておられるように見受けられる。
夕方、帰山してみると、平田真治さんご一家がお見えになっておられた。季節の節目には、必ずご一家でご挨拶にお見えになる。

8/7 曇りのち時々雨。
風が良く吹く。物干場の屋根が飛んだり、樋が外れたりして一部を修復する。
香炉直しを行っていると雨が降り出した。薫は水屋の周りの草取りをしていたが、雨が降り出してもなかなか止めない。とうとうびしょ濡れになるまでやっていた。「直ぐにお湯を浴びたら」と勧める。脱衣所に行ったと思いきや・・・「大変なの。物干場の飛んじゃってた隣の1枚が外れて雨がダバダバ落ちてる!」と呼びに来た。結果、2人共濡れてしまった。
疲れ果てて、夕食後早々に休み明日 少し早起きする事にする。

8/8 立秋。晴れ。残暑が厳しい。
3時半過ぎに目を覚まし、4時前に起きた。7時半頃、檀家さん達が大掃除を手伝いに来て下さる。それまで、幾分片付けや掃除をする。本堂、薬師堂の畳の乾拭きやガラス磨き・庭と裏庭の草取り等々。10時半過ぎまで、大いに活躍して下さった。合掌。
重なるように、9時半過ぎには薬師講の方々がお見えになった。何時もなら、お昼まで充分に話してお帰りに成られるのだが やはり掃除をして下さっているので 気兼ねをなさって早々に解散された。
残暑の夕空午後から、床磨き。これはハッキリ言って『労多くして効少なし』だが 「足触りが違う」と言う薫の主張で重労働と成った。この労働を知ってか知らずかは定かでは無いが、お近くの方がアイスクリームを持って3時前にお見え下さり ご一緒にお茶をして下さった。暑い上に しっかり疲れていたので、有り難い事この上ない。海からの風に 吹かれながら ご馳走になる。極楽、極楽。合掌。
6時過ぎ、東京よりお戻りに成られた澤田さんにお会いした。東京での忙しい、嬉しい、毎日であった事をお話くださった。広島夢てらすの方々が 澤田さんのページをご覧に成って いたく感心し、より一層の協力をして頂けたのだと おっしゃっる。お役に立てたのなら これまた幸い。自分達が出会えた 素晴らしい方や素敵な事を お伝えしたいと思っていただけだから、今回のは副産物である。それにしてもインターネットには、このような別の効能があるとは・・・。

8/9 晴れ。
墓掃除の仕上げ。床磨き。窓、網戸拭き。荘厳張り。
夜、澤田さん来山。お施餓鬼の案内を差し上げる。

8/10 曇りのち、一時雨。
朝6時半から作務。9時前に少林窟へ向い、方丈・祖玄さんと共に白滝山・竜泉寺のお施餓鬼へ。途中の細い山道で、トラックが転覆していた。午後から何時ものご近所さんに加え 祖玄さん、十楽教子さん、豊幾さんがお手伝いに来て下さる。3時頃から 方丈、観硯さんが 少林窟道場で準備して下さった テーブル、扇風機等を搬入し 作務に合流してくださった。随分、助かった!有り難い、合掌。

8/11 曇りのち晴れ。お施餓鬼の点心を準備する檀信徒の奥様がた
午前1時半から準備開始。7時から檀信徒の奥様方が集まられ、お弁当の準備を始められる。法要の準備は、何とか9時頃には目途がつく。山門大施餓鬼法要11時から山門大施餓鬼法要。待者を務めさせて頂く。薫は裏方でてんてこ舞い。法要後、方丈の法話。その後、会食。点心檀信徒の皆さん以外に、横浜の相子さん、澤田さん、十楽先生父娘、少林窟の参禅者の方々等が参列して下さった。十楽教子さんがカメラマンを買って出て下さり、今回の映像は全て教子さんが撮影して下さったものだ。4時頃には皆さんお帰りになられた。
急を要するものだけ片付けたが、さすがに疲れ果てた。毎年、慧照禅尼はこれをなさっていたとは・・・。薫は 、遂に疲れ果てて台所の床にダウン。

8/12 晴れ。
早朝から お塔婆を取りにお見えに成られる方々が続く。
薫は頭痛を訴えていたが、なかなか床を上げない。お盆の棚経に出なくてはならないので かわいそうだが頑張って貰わねばならない。覗きに行くと悲痛な顔をしていた・・・熱もある・・・。しばらくして何とか這い出してきた。頭痛がひどくなると吐き気もするのだそうで、動いた為に洗面台に暫く貼り付いてた。「これで、少しは軽くなる」と本人は言う。そうこうする間に来客ラッシュが再開。
今回の棚経は、午前中に 近い所から徒歩で始め、午後は 少し離れた所へまわった。
夕方 帰山し、山済みになった墓地所の華がら入れを処理。品切れしていた書籍を、少林窟道場へ受け取りに上がる。
薫は 午前中を 接客、午後は 法衣等の直ぐに必要なものを洗濯するのに費やしていた。口数は一寸少ないが、作務はこなしている。お施餓鬼の案内状ではないが 「頭痛に遭う時節には、頭痛に遭うがよく候。」である。

8/13 曇りのち晴れ。夕立あり。本日の暑さは格別なり。
棚経の続き。檀信徒の皆様の年齢層が、年々高くなるようである。お一人ずつは勿論 若返るはずは無いのであるが、代替わりし次世代の方々がと言う所は少ない。それでも、里帰りされた5、60代の方のご家族連れが町に賑わいを与えていた。
薫は片付けの続き、接客。3時過ぎから7時前まで 携帯電話のセールスマンの訪問とその上司から電話とかで 身動きが取れない状況に 成っていたようだ。まともと思える受け答えをすれば、根負けするまで粘ろうとするセールスマンが多い。余程 薫は 押し切れる相手に見えるようで、何時も長々と捕まっている。結果的には引き分け、営業の方も 薫も疲れ果ててやっとお引取りになる。セールスに限らず何事でも 大概は自分に興味か必要性が無ければ 相手の話にまともな 受け答えをしない。薫は相手の言葉を聞いてそれに対してまともな受け答えをするので、会話が成立してしまうのだ。
途中で立ち寄ると、じっと待つセールスマンを前に 電話を続けていた。途中で薫も怒り出していたが、まともな返答をしているので 話が切れない。とうとう コードレス電話のバッテリーの方が切れた。その後も電話の呼び鈴が成ったいたので続いたのだろう。帰山し影も長くなる頃、やっとお引取りになる。
薫は お帰りになられるセールスマンに「お暑いですから お気を付けて。頑張って下さいね!」とお送りしていた。その後の 独り言は「喫茶去、喫茶去、お茶飲んで去れ!」 暑い中 汗だくで回っておられたら、お墓参りの方々と同じように麦茶を差し上げる事は人としてすべき事であろう。

8/14 晴れ時々曇り。
方丈、祖玄師と共に 勝運寺さんのお手伝いで 棚経。200軒が集中するエリアを 5人で一気に回るのである。世話人さんにご案内いただき次々にお邪魔する。双方が心得ていらっしゃるので お手伝いの我々は本当にお勤めだけである。世話人さんが次は此方とおっしゃるお宅へ、スタスタと上がらせて頂けば良い。とは言え、猛暑の中 50軒近くを回らせて頂くのはなかなか大変である。細い月と夕焼け勝運寺の方丈様は、先般より痛むとおっしゃっていた脚が途中で悪化しリタイアされたらしい。終了後 勝運寺さんで 世話人さん達とご一緒に会食をさせて頂くのだが、今回は疲れ果ててしまったので失礼させて頂いた。
帰山して昼食、その後 暫し休む事にした。昼寝をしてみたが、数日間の芯の疲れが抜けきらないような感じである。
薫は片付けの続き等々。来客は若干 少なくなったとの事だった。今日の法衣も明日必要なので、宜しく頼んだ。
夕刻、庭にほうき目を付け 墓地所の華がらの処理。細い月と綺麗な夕焼けが出たので教えてやろうと思い下りて見たら、薫もカメラを持って本堂の正面にいた。カメラを受け取り墓地所へ駆け上がる。後で知ったのだが、本堂からでは肝心の月は見えず分っていなかったのだそうだ。薫は この映像を見て、とても 残念がっている。

8/15 曇り一時雨。
午後1時、遠方の墓檀家さんの法事。本堂での法要の後、雨の中での墓経となった。3時から薬師寺さんのお施餓鬼。5時から勝運寺さんのお手伝いで二窓地区の新亡供養。7時半から東方寺地区の新亡供養。ほとんど休む暇も無かった。疲れ果てて夜9時半頃、帰山。
薫も片付けのかたわら、洗濯、法事の準備・片付け等々今日も慌ただしかったようだ。帰山すると姫路の母から電話があったそうで 「一寸 遅いけど、かけて差し上げたら。」と勧めるられた。丁度、母は今日からお盆休みと言う事で少し話した。
今日は近隣のあちこちで 新亡供養と盆踊りが行われている。

8/16 曇りのち晴れ。夕方小雨あり。
11時からの法要に方丈が歩いて帰山された。昨日の法事のみに着用した白衣を当てにして、ご持参なさらなかったのだが・・・薫は既に洗濯してしまい 未だ乾いていない。セパレートで間に合わせておられたが 「洗濯魔にやられた!」とおしゃっている。その側から 薫は方丈の着て来られた作務衣を 洗濯に持ち去っていた。
午後、勝運寺さんのお施餓鬼。法要後、勝運寺さんから少林窟道場へ上がり、高宮さんと共に道場のホームページの更新をした。留守中に、川崎さんが海蔵寺にお立ち寄り下さったとの事だったが、少林窟道場でお会いできた。帰山するおりには、深野さんとお二人が 見送って下さった。
4時過ぎから 薫は お施餓鬼の塔婆書きをずっとお手伝い下さっていた 大瀬さんを三原にお連れした。この町内には いわゆる靴屋さんは現在存在していない。足に合わねば都合が悪いが 出かけて行くのには 足が確保できない。たかが 『突っ掛け』を買いに 電車を乗り継いだり、タクシーを飛ばす気には なれないのは当たり前である。
その間に、お盆中にお見えになられなかった方々のお塔婆を代行してお墓にお供えし、昨年のお塔婆を回収して回る。三日月の夕暮れ塔婆立もたたんで収納。行事は終わったが片付けは暫しかかりそうだ。
淡く夕焼けた空に架かる虹西空の夕焼け雲6時半頃から小雨が降り虹が出た。ほんのり夕焼けて、虹が架かった空は一見の価値在りであった。西には見事な夕焼け雲と三日月。
2人は「出掛けたついでに食料品も」と購入して来たとの事で、7時頃になって帰山。薫も 「刻みこんぶ、カッテージチーズ等が買えた」と喜んでいる。薫達が帰山して間もなく 雲は色を失い水墨画のような味わいとなった。

8/17 曇りのち雨時々曇り。
方丈が福山までお見舞いに出かける事になり、薫は運転手でお伴した。午後3時前、帰山。
山門の幕、本堂の荘厳の片付け。
ニャン捨てられたらしい人に良く慣れたブス猫が10日以上前からうろついている。近付いても少し警戒するだけで逃げない。触ってみたら、撫でてくれ撫でてくれと言わんばかりに鳴きながら擦り寄って来る。声も悪いので、多分 子猫と呼ぶには大きくなり過ぎた所で捨てられたのだろう。最近は警戒する必要も無いと思っているのか、顔を見るたびに鳴きながら寄って来る。人に寄りつくと餌が貰えると思っているのかも知れない。
そう言えば 薫はその辺にいるバッタを捕まえて、猫の前に放し狩をさせていた。猫の方はトカゲの方が好きなようだが、一応バッタも押さえ込んで食べている。「野良になっちゃたんだから、頑張って狩するしかないんだよ!」と薫のお説教にも「ウギャ〜」と返事をしていた。その後もここら辺で狩をしながら仮住まいをしているようである。今日は畑(雑草地帯)にいる所をカメラに収めた。種蒔き
夜 「雨も降っているし種蒔きに行く」と薫が言うので 照明係を兼ねて 付いて行った。種蒔きと言っても 何種類もの種を1つの袋に入れ、更にそれに土を足して混ぜ合わせて 雑草畑にパラパラと蒔き散らすだけである。草だらけの中に生えている大切な食料を 薫は良く心得ていて、これは○○、こっちには××と踏まないように示してくれる。が、良くは分らないので 兎に角 薫の足取りを追って歩く事にする。随分と色々生えているようだ。「はぶ草が葉をたたんで寝ているからね。」と言われたが、本当に羽根を閉じた蝶々のようにピタリと葉を閉じていた。雨の中、薫は実に闊達に活動し 作物達に話しかけ 種蒔きと収穫を終えた。

8/18 雨時々曇り。
午前中に、方丈が見えられ猫を発見 「この猫は餌が欲しいようだぞ!」とおっしゃったが、薫は 「地域の人が野良犬、野良猫を増やさない為に気を使ってるので養うわけにはいかないんです。バッタやトカゲを食べてますよ。」と報告。猫は尋常じゃない声で鳴きついていたが、餌には有りつけなかったようだ。
午後、少林窟道場へ所用をしに行った間に 薫はガレージ周りの僅かな場所でバッタを20匹近く捕獲して猫に与えたそうだ。この猫、動きの少ない虫を見分けられないようで 緑の中でのバッタの狩は非常に下手である。見かねた薫が猫の目の前に放して狩をさせている。
バッタ捕り夕暮れ前の雨が弱まった頃、空腹でわめき散らしてしている猫の為に薫は畑にバッタ捕りに行った。アッと言う間に帰って来て 「悪いけど、1匹づづ与えてやってくれない?一度に放すと逃がしちゃうから。」と5、6匹入ったビニール袋を置いて行ってしまった。暫くすると 「雨も上がったし大きいのもいて簡単に捕れるから 一緒に行かない?袋の中にたくさんに成ると捕まえたの入れ難くって・・・」と体長12、3cmもあるバッタを含めた10匹ほどを見せる。バッタ捕りに連れて行った猫カメラを持って猫を呼び呼び畑に向う。薫は次々に捕まえて持って来る。跳ねるのでは無く、飛んで行ってしまうものもいるので薫は透明のビニール袋を上手く活用して捕獲していた。バッタによっては噛みつかれると非常に痛いものがいるが、ビニール袋で賢く捕まえている。猫の方は目の前に持って行ってやっても逃がしてしまう。最大級の1匹を薫が追い込んでくれたので掴んで猫の目の前に放した。さすがに動きが見えたのか跳ねた途端に捕まえて食べていた。結局、日暮れまでの僅かな時間で50匹位は捕まえただろう。畑では直ぐに逃がしてしまうので、玄関先の灯りを点けて1匹づづ与えた。薫が勢い良く飛ぶからと別袋に入れていた1匹は、簡単に逃がしてしまった。根気強く全部を与えたらさすがに満足したのか、今は静かなものである。
ニフティーに引越してから5ヶ月、カウンターが4桁になった。1000と言う数字が輝いて見える。ご愛読本当にありがとうございます。励みにして続けて行きたいと思います。

8/19 晴れ。真夏日再来である。
今朝の猫は昨日の50匹が効いているのか 余裕の体勢でゴロリと横に成っている。薫が呆れ果てて 「自分で狩しなさい!」と声をかけても、伸びと大あくびをして かすれた声しか返ってこない。
雨で止まっていた洗濯魔も晴天に大満足のようである。この洗濯魔は年期が入っており本人はいたって普通だと思っているようだ。慧照禅尼の影響かと思っていたのだが、慧照禅尼に習ったのは洗濯のテクニックだけなのだそうだ。話を聞くと、20年以上前に方丈が娘に「白い物を何時もピシッと白くして置けなきゃ、反って格好悪いから白を着てオシャレをしてはいけないのだ。」とアドバイスしたと言うのが 始まりらしい。方丈がおっしったのは「洗濯魔でいろ」ではなく 「センス良くあれ」だろうが、聞いた方は『白い物は常に洗濯しておかなければ格好悪い!』と思い込んでしまったようだ。子供の頃にそうだと思ったものは、心に良く染み付いているようだ。
庭の草取り、ご本尊等の華の入れ替え、片付けも依然続いている。

8/20 曇り時々晴れ。
お地蔵さん、お薬師さんの華の入れ替え。片付け、掃除。

盆踊り・浴衣姿の母と薫8/21 曇りのち雨時々曇り一時大雨。
曇っていたが お昼近くなってパラパラし始めた。姫路へ向う途中で何度も降られるので、母との約束の盆踊りが心配。夕方到着した際には止んでいた。
早めの夕食、三人揃って浴衣姿で盆踊り会場へ。未だ、前座のカラオケ大会が終わっていなかった。「金魚すくいをしてみよか?」と母が言い出し、挑戦。何だかんだ言っていたが3人で15匹以上すくった。出目金も2匹いる、優秀 優秀。盆踊りに邪魔なので、車に一度戻って置いて来る。見よう見真似の盆踊りは、間違いだらけだが母は楽しんでくれているようである。終了する間際に、ポツリと来た。それからポツポツ・・・ザー・・・ドァーと来て、車にたどり着くまでにずぶ濡れになった。急いで帰宅し、風呂に入る。母が思っていたより寒がっていなかったので安心した。金魚はご近所の少年へのプレゼントになった。

8/22 曇りのち晴れ。気温が上がる。
瀬戸大橋・与島にて朝食を済ませて、荷造りもそこそこに出発。目指すは道後としまなみ海道への親孝行の旅である。と、言う事にしておこう。山陽道を西に向い瀬戸大橋を渡って四国へ上陸するつもりでいる。計画らしい計画は無いので、車中でどこで休憩を入れるかを話し合う。瀬戸大橋を渡った経験を持つ母が 「真中辺の島に下りれるんやよ。」とアドパイスをくれた。予島で休憩、写真撮影等をする。丁度12時になったが込み合う時間にあえて食べる事は無かろうと、四国入りしてからにする。四国・豊浜サービスエリアにて四国横断道路に入って最初のサービスエリアで下りた途端に 「ワー海がキレイ!模様に成ってる!」と大はしゃぎ。昼食に讃岐うどんを食べてまた騒ぐ。「石鎚サービスエリアは絶対寄りたい!」と希望を出したら全員賛成で立ち寄る。オアシス館なる所にも寄った、が・・・子供向けで少々物足りなかった。スキーのゲームマシーンに薫を乗せたが 「面白くない!」と下りてくる。続いて「乗れ!乗れ。」としつこく言われたが、何とか逃げ切った。たくさんの見物客の前で冗談じゃない!
道後へは5時頃入る事が出来た。松山城の掘りを周るようにして、市電の道後駅、坊ちゃんの湯で名のある 道後温泉本館、そして宿だ。車を止めて見ると、やっぱり長旅だった気がする。
伊予柑シャーベット早速、ホテルの内風呂、露店風呂と入り夕食。食後の休憩中 薫はここでも葉書書き。お茶を飲んだ後、散歩がてら温泉街の中心地へ出掛けた。道後温泉本館は一番空いてる時間を狙う事にして、明日朝までお預け。そのかわりと言う訳でも無いが、母の「初めて」を叶えるべく人力車に乗車。10分間の大正ロマンと言うところかな。インスタント写真のおまけ付きで、母には良い記念となった。その後、日頃でない事をと言う薫の発案で、伊予柑シャーベットを食べながら商店街を闊歩した。宿に帰ると間無しに、母は疲れ果てたようでそのまま眠ってしまっている。一寸ハード過ぎたかな、起こして布団をかけるように勧めた。おつかれさま。

8/23 曇り時々雨のち 雨時々曇り。
道後温泉本館ゆっくり休んで、ホテルのお湯で目を覚まし 朝食。その後、道後温泉本館へ。「同じお湯だと聞いていたが、ホテルのお湯とは違う気がする。」と言うのが多数決の結果だ。記念撮影を済ませ、道後のお印が必要と一六タルトを入手。薫は何故か有名無名に関係なく自分の感性で選んでいる。菓子職人がしまなみをイメージしたと言う手作りの干菓子・押し落雁を詰めてもらって来た。
ホテルをチェックアウトして、松山城を見ながら回りを1周。昼食は車中で済ませようと、コンビニエンス・ストアで購入。インスタント・スープにお湯まで入れてくれたり、手巻き寿司を自分で巻いたり、母にとっては面白くて、難しくて、初めてのちょっと妙な体験を堪能してくれたので ホッとした。
しまなみ海道・来島大橋いよいよ しまなみ海道にやって来ました。橋を眺めながら写真を撮って、サービスエリアをウロウロして雨に追われながら 楽しみました。途中の大三島で濃塩分のうきうきプールに入って浮いてみる。母は「私はいいわよ。」と言っていたが、結局 薫の持参した水着に着替え3人で入った。「怖い!」と言っていた母だが、足をそお〜と上げて「本当に浮いた。」と歓声?を上げていた。うきうきプールに入ったままの薫薫の方は トドか シャチと言う感じで何時までも プカプカと出てこない。「オーイ、おいて行くぞ。」と母と先に上がって、素人カラオケステージを暫し見学。又も雨。全行程何とかずぶ濡れに成らずに、大雨のドライブだけで済んだ。しまなみ海道・多々羅大橋
帰途のサービスエリアで薫が「メールチェックをする。」と行った。「へー便利なもんだね。」と言っていた母だが、帰宅して自分のメールチェックしてびっくり。薫はこっそり母にメールを送ったのだった。
そして、母も返信を書き送る。目の前にいてメールのやり取りをしているのは、この2人くらいだろう。母のメールの練習相手は暫く、母の妹・ナルミおばさんと薫だろう。

8/24 晴れ。
朝、薫が 雨上がりの母の家の窓越しの庭に 白い小さな花を見つけて 母に何の花かと尋ねたそうだ。しかし、母にもその突然に開花したが何か分らず、2人して寝巻き姿で庭へ行って見たらしい。その結果は、何と茸!後で撮影しようと思ったのだそうだが、日が上がると消えてしまったと実に残念がっている。なんでも普通傘の内側にあるひだ状のものが 傘の上にあり、小菊の花のような感じだったのだそうな。
田崎さんの所へ 一六タルトをお持ちして奥様とお話している内に、「折角ですから」と おっしゃって下さり何時もの如く上がり込む。結局、田崎さんご本人がお戻りに成らない内に 母が帰宅し、慌てて失礼する。何時もお邪魔して、ついつい長居してしまう。今回根が生えた理由は、田崎さんの新作がたくさんあったからと言うよりは 奥様とお話させて頂いたからだ。奥様も 実に活動的で 努力家で 人間的魅力の溢れている人物なのだ。
昼食を済ませ、母と薫は工作の時間。前回、薫が残したリボンの花束を 母がとても気に入って3日前に作り方を聞いたのが始まりだった。リボンの材料がないので、サッサッサを帯状に切ったり、荷造り紐を広げたり、ティシュペーパーや、クッキングホイルまで登場していたが・・・。作り方の手本を見て習った通りに作っているなら 説明も楽なのだろうが、薫は 思いつくまま気の向くままで 作って行くので説明に困っている。教える方が困るのだから、習う方は もっと困る。でも、母にはコンピューターより 造花の工作の方がずっと楽しそうだ。
そう言えば、本日 大失敗が発覚したのだった。田崎さんの奥様が「一昨日の夜、お兄様がいらしてらしたんですよ。」と教えて下さったのだ。昼間、電話が引っ切り無しに鳴っていたのだそうだ。そして夜の事、留守の筈の浅田家で物音が・・・チャトランでは無い音だ!と言うので田崎さんが見に出て下さったのだ。 そこには、母を心配し 懐中電燈を持った 兄の姿。「お母さん、お出かけなんですよ。」「エェ〜、誰とですか?」「エッ、あの・・・弟さん達と・・・」と言う事になったのだ。そう言えば・・・盆踊りだ、雨だ、と大騒ぎで兄貴に連絡入れるの忘れてた・・・。電話で謝ったのだが・・・それにしても申し訳無い事をしてしまった。きっと、随分心配して神戸から飛んで来たのだろう。近所を探しても見つからなかったら、捜索願を出していたかもしれない。母も「書置きをしたりしてたんだけど、今回は・・・」と無理も無い話で、田崎さんが出て下さらねば もっと大変な事に発展していたに違いない。皆さんも、連絡は怠らないように注意して下さいね。兄上殿、本当に申し訳ありませんでした。
5時頃、母の家を後にする。田崎さんも帰宅しておられ、見送って下さった。今日は、中国道を西へ向う。明日から 寺探し再開である。

ベンガラの里・吹屋の町並み8/25 曇り。
中国山脈の中を狙って、岡山県北で数カ寺の目星は付けてある。移動途中で 弁柄の里・吹屋を通るルートだった。薫の興味を引いてしまったようで、一寸 立ち寄って行こうと言う事に成った。結果、吹屋を出たのは5時前 目星を付けた所を遠くから回る。
西泉寺蓮福寺如意輪寺最初は、整備されたばかりの如意輪寺、次は 近日ご住職が入られたと言う大きな庫裏のある蓮福寺、続いて又立派な庫裏があり 整備された西泉寺である。こちらには 5月に亡くなられた 18世さんの新しい墓地所があった。最後に善生寺さんに寄らせて頂いたのだが、途中で お庭にいらした奥さんに 道をお尋ねした所 ご主人が「説明し難いし、途中で工事をしていたりして複雑なので案内しましょう」と軽トラで先導して下さった。直ぐそこなのだろうと思い お言葉に甘えたら かなりの距離があり 恐縮した。だが、道は確かに 難解で説明を 余程 詳しくお聞きしてもたどり着けなかっただろう。お寺には鍵が掛かっており、管理を直ぐ近くの総代さんがなさっているので お声を掛けると良いと家の前まで先導して下さってお別れした。お名前を伺ったが ご苗字しかおっしゃらなかった。後で お聞きしたらそのご苗字の方が何人もいらっしゃるようである。ただただ感謝するしかない。合掌。
総代さんが鍵を開けて下さり、暫くお話を伺った。「庫裏も整備されておらず、檀家も少ないので養えない!」とおっしゃる。詳しく伺う内に、宗教家らしからぬ宗教家と関わって久しく 我々の考え求める事などとても 信じられないと言ったご様子である。最終的には 「さっき車まで行って、ナンバーは控えさせてもろーとります。」とまでおっしゃる。整備されたお寺と 荒廃した宗教界に、ホトホトがっかりさせられつつ 岡山県を後にする。今夜中に 山口県まで移動する予定だ。

臨川寺8/26 雨。
本日最初に訪れたのは臨川寺。庫裏もあり、庭も単なる土の広場で素朴な感じは悪くない。民家からは程近いが、目の前の道は数軒先で行き止まりである。その道の向こうは川で、川向こうにも家が並んでいる。本堂も鍵が掛かっておらず、参拝者は記帳して下さいと書いてあり その通りに皆さんしていらっしゃる様子である。お盆の行事に方丈様はお見えにならなかったのだろうか?皆さんが袋にそれぞれお名前を書いてお供えされたお米がテーブルに積み上げられたままに成っていた。東雲寺・全景
次は更に山奥へ入る。何故か山口県の山間に入ると、ガードレールが黄色い。不思議に思っていたが、薫が「豪雪ではなく、雪がある」と言う事ではないか推測した。なるほど、雪の壁の中なら色は関係無いが ガードレールが雪から出ているなら見分け易い色の方が良いと言う事か。説得力は充分にある。
細い山道を通り、平蕨台と言う少し開けた所に出た。道をお聞きしたら、通過してしまったらしい事が分り逆戻りする。あった、あった、東雲寺・・・石州瓦葺き本堂の屋根が見えた。車は庭まで上がる事が出来た。本堂の正面の戸が障子張りである。薫は直ぐに気に入ってしまった。中を拝見して 「凄いよ。オンボロ!ほらっこの床 フワフワする。サッシじゃないし、最高!」と薫は大喜び。
東雲寺・庫裏東雲寺・本堂やっと見つけた理想のお寺。お寺の周りをぐるりと回った薫 「ミョウガでしょ、フキ、三つ葉、竹、お茶の木もあるし 言うこと無し。」と満足そうだ。一応、風呂場と納屋らしき別棟もあり 生活出来そうな状況である。
偶然に、元総代長・斎藤氏のお話をうかがう事ができた。この辺りは、本当に静かな山の中なのだと教えて頂く。「山の恵を採って食べる気なら、食べて行くのには困らんよ。」との事で、薫は益々この地に自信を持ったようだ。
円通寺最後にもう1ヵ所回って、帰山する事に決めた。円通寺、こちらはどうやら立て替えたばかりのようだ。新品の本堂だけがポツンと建っている。何と本山の直末であった。いずれにせよ、整備され過ぎており 住まう場所も無く ご縁はなさそうである。
山越えの途中で僅かに開けた所に出た。スーパーマーケットもある。ここで豆腐、出来合いのサラダ等を購入し 車に積みこんである食料と合わせて夕食とする。冷蔵庫代わりに積んできた発泡スチロールのリンゴ箱は本当に良く活躍してくれた。気温の変化の大きい車の中に食料を積みこんで置けるのは、このリンゴ箱のお陰に他ならない。
さすがに疲れはあるが、東雲寺との感触の良い出会いで2人とも明るい気分である。11時前に無事帰山。

8/27 雨のち曇り。
勝運寺、少林窟、浄居寺へ無事帰山のご挨拶。東雲寺の件を報告。デジタルカメラの映像をプリント・アウトしてお見せした。なるほど、なかなかと皆さん賛成してくださる。とは言え、これからが大変だ。夕方、浄居寺方丈様と 東雲寺の事をどなたに どのようにお願いするのが良いか相談に乗って頂く。何の理由も無く、空き寺に成っている訳ではない。今 住まいしている人がいないから 置いて頂けると言うようには行かないのだ。貸しアパートとは、ちと話が違う。先ずは、東雲寺の本寺のご住職様に書面で 事訳をお話する事にする。自薦より、師匠の願い出と言う方が良かろうと言う事になった。後は、やって見るしかない。

8/28 曇りのち晴れ。
留守をしている間も草は休む事無く成長している。雨も程よくあったようで、天敵無しの好条件だったと見え青々としている。ぼちぼち、留守中の分を取り戻して行かねば・・・。
帰山しているのが分ったからと盛口さんが早速に煮物等のおかずを差し入れて下さる。何時もながら有り難い話である。合掌。
閑山さんより電話があり、テキサス州ダラスの昨日の気温43℃との事だ。薫は「お風呂の温度じゃないよねぇ〜?」と確認していた。引っ越し後の片付けもほぼ落ち着き、大学院も順調にスタートしたようだ。結核が多い土地柄だとのこと、健康には充分留意しながらやってもらいたいものである。

8/29 晴れ。一時晴天に降水あり。
昨夜、気が付いたのだが数日の間に秋の虫が活躍を始めていた。昼間は未だ 蝉が鳴いているが、ひんやりとした夜風と共に秋の虫が一斉に鳴き出した。夜空も澄み月の光りが傾いて 本堂に少し入って来る。秋は順調に訪れているようだ。
午前中、少林窟道場へ方丈に東雲寺の件をお願いしに上がる。快く、引き受けて下さった。午後、写真の現像等を出しに行く。
薫、今日は洗濯をしながらホームページ・カーペンターをやっていた。田崎さんのページをプリントアウトして欲しいと言う依頼があり、プリントする前にと 暫く未記入だった展覧会等の情報を更新していた。

8/30 晴れ。気温が上がった。空は高くなったが気温は真夏日だ。
今日は 午後に所用で少林窟道場等へ出かけた以外は、とある所へ とある事情で 提供する為の原稿執筆の構想を練っていた。
薫の方は遠慮なく、ガタガタと活動してくれた。洗濯物も良く乾く 最高の活動日らしい。日が暮れると、秋の虫の大合唱が始まった。風も心地よくしのぎ易くなった。

方丈の手紙8/31 晴れ。残暑厳しい1日。
方丈が東雲寺の本寺様へ手紙を書いて下さった。巻紙に筆書きされた見事なものである。誠に有り難い極みである。地湧社刊の『坐禅はこうするのだ』を同封して発送した。矢は放たれた。どのような反応があるか、楽しみである。
庭の草は伸び放題。中程だけは抜いた。工夫には持って来いである。
今日の薫は絶不調。強烈な頭痛らしい。食欲ゼロ、活力ゼロ、思考力27%・・・
夜、久しぶりに千津子さんから薫に連絡があった。帰国されたとのお電話だったようだ。さすが声の専門家だけあって、薫の声を聞いただけで体調の優れない事を見抜いてしまわれた。薫は絶不調ながら、とても喜んでいた。