7/1 曇り。昨日の晴れのお陰で、排水口の水の音も、チョロチョロに成っている。
薫は今日は「頭痛がする。」と元気がない。「脳味噌が冷える気がする。スッゴク変な感じの頭痛だよ。」と額に手を当て温めている。「頭を冷やせ」と言うのはあるが「頭を温めろ」と言うのは・・・。その方が良いの?と聞くと「冷たくなって気持ち悪いの。気持ち悪いって言っても、気分が悪いって言うのじゃなくて・・・ムカデに抱きしめられるようなとでも言えば分る?」とのこと。直接的には理解できないが、言いたい事は分らんでもない。まっ ゆっくりする事だね。
梅雨の中休みだから、出来るだけ山内の掃除をする。植物には雨と太陽に勝るもの無しである。草木ともによく育っている。雑草と呼ばれるものは特に良く成長している。
お昼前にレオーネを受け取りに行く。先般のスピードメーターのワイヤー切れの修理が出来上がったからだ。
午後、薫を連れて横村先生をお尋ねした。帰山すると留守番電話に、香寺民族資料館の島津館長よりのメッセージ。タイミングが悪く失礼してしまった。
当方の留守番電話のメッセージには、個人名は出てこない上に 2カ国語で繰り返される。最大限の努力なのだが、大概の人にとって 戸惑い易い状況になっている。それでも、「浅田さんのお宅でしょうか?」から始まる ご丁寧なメッセージを入れてくださっていた。二人で留守番電話のスピーカーから流れるお声に耳を澄ませた。
今夜半から又、雨との情報である。土はしっかり弛んでいる。お手柔らかに願いたいものだ。

7/2 曇り時々雨一時雷あり。
昨夜でカウンターが700に成りました。週 50のペースで安定して来た模様です。序文も少し内容が濃くなって来ました。
朝7時に成るのを待って 薫が澤田さんにお電話し、新宿行きの日程を尋ねる。7月28日に上京され、29日から8月4日までサザンテラスの『夢プラザ』で出店されるとのこと。お尋ね下さった方にメールでお返事する。
土砂崩れ・白滝山への道お昼前に方丈よりの電話にて 「桐島先生をお連れして白滝山へ上がるので、合流すべし」 との事で出向く。途中で通行止の看板、その手前を見ても車が無いので もっと奥まで入っている筈と 進行。路肩の広くなった所で、方向転換して駐車された車を発見。「ここまでだね。」と路肩に寄せて、徒歩に切りかえる。間もなく崩れた場所に行き当たった。舗装の下の土砂が崩れて流れていた。
白滝山山頂・八畳岩にて山頂が見える所まで登ると「オ〜イ。」と手を振る人影が1、2、3、・・・。山頂の八畳岩では桐島先生、ご一緒された阪東さん、方丈、道育さん、観硯さん、成美さんが迎えて下さった。雲って煙った景色は墨絵のようで又、良い味わいがあった。
桐島先生・薫の高下駄に挑戦三景園にてその後、昼食を取り 三景園へ。途中小雨に降られつつも、しっとりと落ち着いた園内を十分に見て回る。回廊まで戻った所で、お茶席へ上がり水面に落ちる雨の波紋を鑑賞する。薫の下駄をご覧になり試し履き、入手したいとおっしゃったので澤田さんの工場まで脚を伸ばす。残念ながら、お留守であった。別行動にて、先生方はエデンラインへ。我々は澤田さんにメッセージを書き置きし帰山。
薫は畑へ走り キュウリ、ナス、トマト、しし唐、人参を収穫。先般 頂いた あのジャガイモも詰め込む。薫のブルーベリー・アイスクリームも 車に積んで少林窟道場へ。既にお調理は始まっていた。少林窟風の湯豆腐、小海老のかき揚げ、お刺身、太刀魚の塩焼きであった。木製のバスケットそこへ 薫が乱入し ふかし新ジャガイモ、葉付き人参のサラダ、キュウリとトマトのサラダ、しし唐の塩焼き、ナスの塩もみを製作。テーブルが狭くなるほどに並んだ。湯豆腐の後は、素麺を茹でる。「もう入らない。」と言いながら、皆さん又、箸を運ぶ。「もう何も入らない。」と言いながら、ブルーベリー・アイスクリームの声に「一口だけ。」「3分の1で・・・。」と召し上がる。
会食も終わる頃、桐島先生より結婚記念にとカナダ産のバスケットを頂いた。木をハート型に切り込んであり、それをずらしてバスケットとして利用できるように成った置物だ。木の良い香りがする。その愛らしいデザインと素材の暖かさ、そして何よりアイディアがとても気に入っている。薫も実に嬉しそうに抱えて帰山した。薫はしきりに次女のノエルさんに会いたがっていた。「良いお母さんしてるよ。」と言うお話だけで、詳しく伺えなかったのをとても残念がっている。

7/3 曇り一時雨 のち 曇り時々晴れ。
桐島先生、阪東さんがお昼前のフェリーで出発された。昨日デジタルカメラで撮影した写真をCDに収めて、お土産がわりにお持ち頂いた。薫は 先生に 竹製のトンボの置物とお手紙を ノエルさんとお子さんに お渡し頂きたいとお願いしていた。
方丈が今朝 大分へ出発されたので観硯さん我々の3人でお見送りする。小雨の降る中をフェリーが岬に隠れて見えなくなるまで、薫はずっと手を振り続けていた。
午後、少林窟道場へ方丈のPCに ViaVoice と VoiceATOK をインストールしに行く。桐島先生は ViaVoice を仕事に使っておられるとのお話を伺い、方丈も使ってみる気になられたのだ。以前、ちょっと使ってみた感触では、手で入力する方が速く確実だから、方丈が使われるには、まだ時機尚早と感じ、あまり勧めなかった。しかし、今回、大乗り気になっておられるので、どこまで活用されるか、楽しみである。
ひまわりの花薫我流の華・ねこじゃらし&山ぶどう「昨日喜んで下さったので、成美さんに!」と 薫からことづかったキュウリを お渡しすると 「早速、今夜 サラダにしましょう。」と田舎の野菜に、成美さん 大いに張りきっておられた。
帰山する時には良く晴れていた。これは好都合と、墓地所の参道脇の雑木と草を刈る。たっぷり汗をかいたので、ついでにお湯を浴びることにする。
この後の小倉アイスは最高の味わいであった!オ〜イ 薫 空っぽだよ。
例によって、薫我流で華を入れていた 薫が 「ねぇ、カメラ持って来て。ひまわりが咲いたの。」と呼びに来た。ポツン、ポツンと立っているひまわりが2本咲いている。他所様の大きなひまわりは 先般の雨風で ひっくり返ってしまったのに、薫の雑草だらけの畑のひまわりは 小ぶりながら花を咲かせた。ひまわりを見る薫も、そしてひまわりも 嬉しそうにチョッピリ上向きである。

7/4 曇り時々晴れ。時折とても湿っぽい。
天が明るいので、薫は張り切って洗濯をしている。湿度は相当高いようで、空気がヌタ〜と顔に貼り付く感じだ。
畑に生ゴミを埋めに行った薫が帰って来て「ひまわりの花が3つに成ったよ。他のもつぼみが付いてる。でも、小さいのは未だこれ位 (40cm) 。あそこの土はひまわりに合わない状況なのかな?」とやっている。「今日の収穫は?」と覗くと「大根でしょ、人参、モロッコ豆と、インゲン、コンフリだよ。」と、大盛のバケツを 突き出して見せる。人にとっては唯の雑草地帯なんだろうけど、薫にはれっきとした畑なのだ。
水に浮く沙羅の花午後、方丈が帰山される故 少林窟道場へ届け物等に行く。一昨日の写真等のプリントアウトも 済ませて帰った。沙羅祭りで撮影した、水に浮く沙羅の花の葉書は 薫もとても気に入ってくれた。スキャンした田崎さんの展覧会の葉書は、薫がスキャナーの欠点をカバーするのに努めてくれた。大成功して田崎さんの展覧会案内ページに 載せる事が出来た。
4時過ぎ、お隣さんがお尋ね下さる。薫と暫し世間話をして帰られた。これが薫の 唯一で最大の 『ニューストッピクス及び地域の情報源』である。
夕食の準備をしていた薫が「おかずの配達に行って来るね。」と出て行った。「ハンバーグなんてあんまり高齢者向きじゃ無いかなって思ったけど、久しぶりだって喜んでくれた。」と嬉しそうに帰って来た。かくして、お隣さんはハンバーグ (特製ソース付き) 我家はハンバーグ・カレーライスと相成った。

7/5 晴れ時々薄曇り。
朝7時 方丈から電話、ViaVoice の調整に入っておられるようで 「フリーズした。強制終了も出来ない。」とのこと。
午前中に2度、同じ事が起きたようだ。午後一番で 少林窟道場へ伺う。
「プログラム内部エラー」と来た。こういう時は、一度削除して入れ直す!成功しました。現在、方丈はコンピュうーター相手に会話の練習 では無く 音声認識のデーターベース作りで 提示された文を ViaVoiceに 読み聞かせています。
薫は今朝 久しぶりに市が回収してくれる可燃ゴミを 出しに ゴミステーションへ行き、「外野シンフォニー」にソソクサと逃げ帰って来た。「そんなんじゃ生きていけないよ。」と言ってみた。緑茶を一杯飲んで 気合を入れ直して 再度 門の外へ。今度は、参道を無事に掃き終えて帰って来た。
その後の薫は 水の下がった華を入れ替えたり、洗濯をしたりと何時ものペースを取り戻したように見えた。夕方になって「今日は何だかとっても・・・。」と言うと いきなり爆睡。実に毒気に弱い生き者だ。未だ陽も高いので、薫は寝かせといて草取りの続き。2、30分で目を覚まし「ふぅぁ〜、寝ちゃったよ。」と言っている。緊急充電は完了かな。
澤田さんの工場で作られている下駄の製造工程のページに手を入れる。本日もこうして、さしたる事も無く終わった。

7/6 晴れ。
明州閣お披露目の夕食会本日、明州閣のお披露目を兼ねた夕食会と言う事になったようだ。残念な事に一番お見え頂きたかった方にはお出かけ頂けなかったようだが、兎に角 夕食は明州閣でと言う事である。
香寺の上田さんより小包が届く。山へ行かれたと「うわばみ草の佃煮」を作ってお送り下さった。昼食に早速よばれたら・・・何とご飯が足りないと言う事態が発生。薫は「美味しくて止まらない。」と更にお茶を飲みながら、箸を動かしていた。
草取り等の山内作務。薫は作務と併せて、夕食会のための調理にも駆け回っていた。観硯さんと分担し、薫の担当は赤飯、切干大根の煮物、玉葱サラダ、キュウリとトマトの青紫蘇あえ等など。
5時20分、ギリギリまで調理している薫を急がせて 少林窟道場へ向う。6時、会食開始。
丁度、映画「学び座」の件もあり教育問題の話題で延々と続いた。帰山したのは深夜であった。

7/7 七夕。晴れ。
昨日の影響で少々睡眠不足気味である。ペースが遅いのか はかどらないが2人して、山内の掃除。
薫が屋内で「又、藤蔓が出てきてる!」と余り当たり前でない状況に遭遇している頃、こちらは外で、思わぬ所に生えた 朝顔の苗を発見。かれらは実にタフである。感心している場合ではない。
午後1時半ごろの事 和歌山から来られた参禅者の方が 「少林窟道場へ」とお願いして タクシーに乗ったら 海蔵寺の下で下されてしまった。 その方を お乗せして少林窟道場へ。帰参して 掃除の続き。
薫が「今日は茶飯だよ!」と言う。薄茶色のご飯が出て来た、ほうじ茶の良い香りがする。特別な事は無いが、悪くはない。違和感が無く、コクがあると言う所だろうか。
夜、十楽教子さんから薫に電話が入っていた。上田さんが、教子さんにも佃煮を作ってお送り下さったようである。24日、25日にリジューバンドの清水さんがお見え下さるので、集まろうという事になっているようだ。賀茂川荘のお庭で 即興の演奏もしようとの計画らしい。清水さんがお手持ちの民族楽器を、お車で運び込んで下さるようだ。沙羅祭りのご縁がドンドン広がって深まって行くようである。楽しみだ。
夜空は晴れているが、最近取りつけられた 明るい街灯のために 星はハッキリしない。
読者からの情報で、澤田さんが出店する 新宿の『広島ゆめてらす』のホームページに リンクを張る事が出来ました。感謝!

7/8 晴れ。気温が上がった。
某住まいコンサルタント社三原支店より、床下に潜って点検をさせて欲しいと営業マンがお越しになる。薫が「昨年も、一昨年もそうおっしゃって点検されましたけど・・・。」と応対していたが「お寺の床下などにはそうそう入れないので、点検させて欲しい。」と営業マンが粘った。「それなら、どうぞ。」と許可し、「去年もその前も、こちらから入られましたよ。」と裏庭に面した床下を案内していた。
1時間ほどして、真っ黒にツナギを汚した営業マンが床下から這い出してくる。「お絞り代わりに」と冷やしたタオルをお出ししたと言うのだが、営業に結びつける為か礼儀正しく手もつけない。冷たいグリーンティにも手をつけない。シロアリの喰痕等を、しっかり薫にしているが「ヘェ〜、それなら至るところにありますよ。」「根太が傷んでいるので、その内に床が落ちたりとかするので・・・。」「床ですか?何時だったかなぁ、えぇーと・・・一寸前も皆さんが座ってらっしゃった時、ドサッて抜けて 畳みを剥ぐって直したりしたんですよ。」「建物を長持ちさせる為にはですねぇ、湿気を取る為に風通しを良くして・・・」「お盆が近付いたら、住職も 檀家さんも 集まるでしょうから伝言しておきますよ。」と昨年、一昨年同様に診断結果表を置いて行って下さった。
薫我流・七夕飾り風の生け花今日は、薬師講の皆さんがお見えになる日である。庭も参道も 気持ち良く 通って頂きたい。外を掃いていると、ジリジリと暑い。薫は「朝、切ろうと思っていたのに。」とこぼしながら、華を切って入れている。昼間切ると水が下がり易いのだそうな。
「ガスの点検です。」とおしゃっしゃる作業員の方もお見えに成られた。「決まりが変わったので、屋外にゴム管が使えなくなったから メーター周りの取り替え工事をします。」と言われる。今日は千客万来だ。
薬師講のおばあちゃん達もお見えになられ、5時まで滞在して帰られた。薫が床の間に入れていた、七夕風の生け花が大人気であった。「8日に七夕飾りを喜んで頂けるとは、夢にも思わなかった。」と本人は言っている。
夕刻、澤田さんをお尋ねする。「先般の大雨は数cmで工場内の浸水は免れた」とお話し下さった。「あの日 水に流されて、未だに 行方の分らない方がある」とのお気の毒なお話もお聞きした。
薫経由の情報で 澤田さんをお尋ねになられる方があるようだ。澤田さんが「ご紹介頂き、ありがたい。」とおしゃると、薫は「私じゃありません。澤田さんの下駄が皆さんをお呼びするんです。直ぐに皆さん履いて見られるんです。私より足が大きいから ダメとは言えないじゃないですか・・・。」と言いつけている。早速、澤田さん「緒をつめましょう」と鼻緒を直して下さった。7時半、工場を後にする時には「新品みたい。履き易い。」と大喜びの薫である。訪問する度に手を掛けて下さる。恐縮しつつ感謝である。合掌。

7/9 晴れ。島が霞んでいる。
ゴミステーションの掃除当番。不燃ゴミの日に当たっている。薫が掃除に行き簡単に片付けてきた。帰りに畑で採ったとキュウリ、トマト、プチトマト、なす等々の夏野菜を抱えて帰って来る。
薫はここ数日で溜まった郵便物の返信書きに追われて、残りの午前中をデスクで過ごしていた。
梅雨ですっかり濡れてしまった枝木も乾燥してきたので、ゴミ焼き。
午後、十楽教子さんが「一寸お寄りしても良いでしょうか?」とお電話を下さり、お友達と一緒にお見えになった。6時半過ぎまで話して帰られる。薫は予定が狂ったようであったが「無縁塔さんに入れる折り鶴とお写経を 手伝って貰う事にしたの。」と夏に向けての仕事を着実に進めているようだ。夏、冬 小さな折り鶴が200羽からいるのだから 大変だ。『観硯さんにもずーとお手伝い頂いているのだけど、今年はお忙しいし何とかしなくちゃって思っていた』のだそうな。今日の半日でかなりの労力を提供して頂ける話に成った と本人は喜んでいる。教子さん そしてお友達の方、お世話に成ります。どうぞ、宜しくお願い致します。多いに徳を積んで下さい。
少林窟に上がると、方丈が ViaVoice の練習中だった。最初のエンロールは既に終了し、適当な文章を読み上げて入力しておられた。かなりのスピードで、しかも正確に日本語変換しており、驚いた。これなら手で入力するよりも断然速い。どこまで実用になるか楽しみである。
夕食後、薫は古い破れうちわを持ってウロウロしていたが・・・暫くすると見覚えのあるうちわの骨と竹紙が、テーブルの上に張り付けにされていた。「乾かしてる所だから 触らないでね。」との事。先程、通りがけに覗いたら・・・上に黒っぽい粉が振り掛けられていた。予定より遅れて始めたので、未だ作業は続いているようだ。

7/10 晴れ。
田崎さんの展覧会に出掛ける為に薫は、朝から仕度をしている。洗濯をしながら、スマートメディアに番号をふったり 着て行くものを引っ張り出したりだ。お昼頃、三原駅まで送って行った。
帰山して見ると厨子の方がお見えに成られた事がメモ書きされていた。やはり・・・。薫だけ行かせたのだが、マンが悪いと丁度こんな事になってしまう。お気の毒であった。
その後は、来客なし 静かに坐る時間を得た。手紙も2通ほど書いた。夕食後も坐る。
11時過ぎに三原着の薫を迎えに行く。

7/11 曇り一時小雨。
特大の竹筆と通常の竹の大筆昨日、薫は感激して帰山。田崎さん、岩下さんは もちろんの事 百子さんや伯山さんにもお会いできたと喜んでいた。また、田崎さんが特大サイズの竹筆をプレゼントして下さったと抱きしめて帰って来た。余程、嬉しかったらしい。
薫の作った首飾りは好評で、今回も自分がかけて出掛けた物まで差し上げてしまったそうだ。作ってお送りするお約束も して来ていた。今度は伯山さん用なので、竹を入れたいのだと言っている。
暫くぶりで盛口さんがお見えに成られた。広島の水害地区にお手伝いに行ってらしたのだ。災害のニュースを見た時には、その様な状況には見えなかったけれど と思うお話ばかりで目を丸くすると「状況が余りにもひどくて、カメラマンが入れないので撮影されなかったのだ。」とおっしゃる。とても、納得の行くお話であった。300世帯ほどの住宅街の70世帯が大きな被害に遭ったそうで、道路も何もブルドーザーで土を退けながら少しづつ現場に近付いた状況だったそうです。ガードレールさえ 流されてしまっていたと言うのですから、撮影の為に人や車が近付ける訳がありません。今も基本的な生活(トイレ、お風呂)すら ままならない状況だそうです。
広島県無形文化財・忠海の祇園神輿祇園祭で町外からも、忠海育ちの方達が家族連れで帰っていらっしゃっている。平田さんの奥様・留美さんとお嬢様・桃子ちゃん、そして三好さんのお嬢様・麻友ちゃんがお尋ね下さる。桃子ちゃん随分大きく成って、足取りもしっかりしている。半年の成長の早さに驚いた。
突然の2歳児のお客様に薫は鈴とレース糸を持ち出し、目の前で首飾りを作ってプレゼント。音がするのが、気に入って下さったようで・・・人見知りもしなくなった。妙な玩具よりも、薫の工作の方がニーズに合っている。感心した。
お誘い頂いたので、薫は祇園祭の見せ場の所だけチラッと観に行かせて頂いた。デジタルカメラを持参し 暴れ神輿の様子を 三好さんのお宅の2階から写させて頂いて来た。麻友ちゃんが撮影を申し出て、祭りの日の皆を写して回ったそうだ。その映像は 帰山して直ぐにフロッピーに落してお渡しした。
廣州さんが帰山されたので、方丈、祖玄さん、観硯さんとご一緒に夕食を頂いた。皆が揃ったのは久しぶりの事であった。

7/12 曇り時々雨。
廣州さんは腰を痛めたので、取りあえず治療するため暫暇の形で帰山されたそうだ。そこで、今日は彼と共に整体を受けに出かけることにした。ちょうど大哲さんも上山されており、彼も同行することになった。
廣州さんは「更に何度か来てほしい」と先生が言われていた。腰を痛めてからかなり時間が経っているようなので、治すにも時間がかかるのだろう。大哲さんも身体の歪みは年季が入っているらしく 「一回ではどうにもならないね」 というようなお話だった。大哲さんは方々の整体等を受けて来ているようだが 「最初からこれほど的確に診断されたことはない!」 と感心していた。しばらく三人で通うかな。
薫は留守中何を考えていたのか知らないが、夕食の仕度をしながら「ねぇ、相対性理論の説明をして?」と言い出した。軽い調子で、お茶を飲みながら説明を始めた。それが、量子力学に傾き、秩序だとか、エネルギーの定義だとか、言い出して・・・。これが詰まる所 「人の知識で無い部分の無意識を 理論化して理解するのに ある種関係が ありそうに思えるから 知りたいの。」と次々言及してくる。次第に説明しているこちらの方が分らなく成って来て、「詳しい事は知らないんだ。」と言うしか無くなった。「計測されていないし」とか「実験による」と言った科学性の基本的な部分は、薫には通用しない。お得意に視線の話の前では、全て玉砕である。薫は「視線を感じた事がない人が居るかしら?幾ら理論が無いとか、計測できないって言ったて視線には何かあるよ。絶対エネルギーが存在する筈。」と言うのだ。確かにそうかもしれんが・・・。アインシュタインか、ニュートンにでも相談してくれー。

7/13 晴れ一時霧雨。太陽光線が煌煌と照っているのに雨が落ちてくる不思議な天候。
気温が上がり夏らしい感じである。一寸外に出ただけで汗がにじんでくる。薫は張り切って洗濯している。
昨夜、ホームページの更新をしてメールチェックをすると見慣れない名前を受信。開くと、歌姫よりとある・・・良く登場していたのだが、ご覧頂いていなかった十楽教子さんよりであった。お友達のお宅で見てくださったようです。
道育さんがお尋ね下さった。7月2日にお邪魔した際、雨が降り出し一同傘を拝借したのだ。何時でも良いとおっしゃっていただいていたので、未だにお返しに上がっていなかった。取りに寄って下さったのだ、申し訳ない。
廣州さん、本日は相当痛い思いをしておられるようだ。その話に薫はさも当たり前のように 「整体の反応でしょ。」とケロッとしている。高熱が出たり、寒気と吐き気がしたりする事もあるのだそうだ。身体が動くすなわち治る為の行為が急激なだけだと言う。「急変できるのは運が良い、早く治るね。」と言う事なのだが、大抵の人は驚いて 慌てて止めてしまうか 或いは 他の機関に駆け込むだろう・・・。これで疑わずに居られるには、余程の信頼と自信が無いと無理だろう。

夏日の大久野島・海蔵寺からの景色7/14 晴れ。夏日である。
いよいよ、夏が本番に成るようだ。お寺の夏は単なる夏ではなく、忙しさ本番と言う事にもなる。外回りの仕事量は、植物の成長のスピードと比例して急増する。人の出入りも増える。明日からは、毎年 お塔婆を書きに来て下さる方が詰める事に成っている。
薫も毎年の如くに 忙しくなる上に、新しい知人への連絡等で 輪をかけた忙しさで 駆け回っている。それでも、訪ねてくるセールスマンの話を聞き丁寧にお断りしていた。薫の事が 食い下がれば 妥協しそうなタイプに写るのか、非常に諦めが悪い。やっとお帰りに成ると 「まさか『貴方のお話は矛盾点が余りにも多く 非常に無意味な上に 不愉快で、時間と労力の 大変な無駄遣いだから 帰って下さい!』とは言えないものね。トホホ・・・」と疲れていた。それでも、ご近所のお一人暮しの方に 「布類のゴミを下取りしますから と言って 法外な値段の寝具を販売するセールスマンが ここへ来ましたから、もしかしたらお宅の方へも行くかも知れませんよ。もしそれで困るようなら、お電話して下さいね。」と電話をかけている。身体障害をお持ちの お一人暮しの高齢者では、強引なセールスマンに悩まされないとも限らないと心配したのだろう。その後、お電話は無かった。

7/15 晴れ。
暑さで華は煮えてしまっている。屋外のものは仕方が無いとしても、屋内だけはと薫が華を入れていた。
剃髪をしているところへ方丈より電話。薫が中継していたが、伺う事にする。1時間くらいのつもりで少林窟道場へ。映画「学び座」自主上映のための資料を仕上げた。予定通りには行かないもので、帰ると既に 薫が昼食の仕度をして 待っていた。
早々に食事を済ませ、仕度をして再び少林窟道場へ。今日は、廣州さん 大哲さんともう一度 整体に行くお約束をしている。廣州さんは 少し緩んできたようで、元々の原因が 足であることがハッキリして来た。原因が分って処置して行くのは、対処療法的な対応とは違う。幸いな事に、芯から治って行けるのだ。大哲さんも 腰椎の2番の影響で 5番に来たと言う事であった。2番は 内臓と関係していると聞いて、大哲さんは とても納得していらした。「腰が急に痛み出し 坐れなく成ったのは、食生活が乱暴に成って 1年ほどした時だった」と 回想していらした。兎に角、お二人とも 回復の糸口が見えて 明るい帰山と成った。
「今日から」とお話していた大瀬さんは、明日から と言う事に変更に成ったとの事で 今日は殆ど1日 薫は一人だった。一人だと手を抜くと言うのが良くある話だが、薫の場合 一人だと誰も止めないのでついついやり過ぎてしまう。今日も、帰山すると見るからに休憩が必要そうな 干乾びかけの状況だった。日頃は 自分で 「水冷式だ!」って言っているのに・・・。
カウンターが800に乗りました。

7/16 曇りのち晴れ。気温が上がり本格的な暑さが到来した感じだ。
未明(3時直前)、地震で目が覚めた。揺れは大き目、短い間隔で素早く振動した。次の振動が来たら 次の体制を考えた方が良いと思ったが来なかった。再び眠りに着く。
薫は4時過ぎには起きてしまったようである。朝、顔を会わすなり 「震源はここから少し東、地下 僅か 20km、マグニチュードは4,4。本郷で震度4、竹原・三原は震度3。これをどう見る?」 と聞いて来た。薫は 地下水の汲み上げによるものか 或いは 太平洋プレートによるものかまでは絞っているようだ。「太平洋プレートの潜りこみによるものなら、これだけでは終わらないと思うの。」と言う。では、地下水の話は何処から来たの?「丁度 震源と重なりそうな位置の地下水って考えてよ。大量の湯量を誇る天然温泉が掘られてどれくらい経つ?」なるほどね。広範囲で無いところを見ると 地下水説の方が当たってそうだな。
今日から、大瀬さんがお塔婆を書きに来て下さった。「もう歳だから、手が震えたような字で上手く書けないからダメですよ。」とおっしゃってはいるが・・・。毎年、一手に引き受けて下さっている。
終日、庭の草取り。陽射しが強く、麦藁帽子の影に汗が落ちる。
お昼から薫は郵便物を出して、少林窟道場へ。方丈のお伴で出掛けて行った。澤田さんより 桐島先生の下駄が出来あがった旨 お電話頂いたので、出先へ連絡した。方丈と薫、帰途でお尋ねして 受け取って帰る。
澤田さんは東京行きの準備に加え、大阪で行われる河内町の物産展用にも品物を揃えるべくお忙しくしていらしたとの事だ。大阪へは品物だけで、澤田さんはいらっしゃらないそうだ。鈴虫、しいたけ等と並んで 河内町役場の手で運び込まれて販売されるのだと言う。お任せすると成ると 鼻緒が傷まない包装の仕方だとか、見易く 美しく展示する方法だとか 澤田さんご夫妻 「下駄の心配は尽きない。」 と笑ってらしたと 薫も笑う。

7/17 曇り。風が無く湿度が高くて、蒸し暑い1日。
墓地所の草取り。
出入りなさる方も多くなった。車も日に何台も上がる。午後から 「墓地所での作業で軽トラックを駐車させて下さい。」とおっしゃった石彫刻業者さんがあった。4時頃作業を終えて、エンジン付きの道具類をトラックに積み込まれた。何か探し物をしていっらしゃるようだと思ったら、熊手を探していらしたのだ。車を出した庭には数台わだちが着いていた。「ご心配なく。」と申し上げたが 「いいえ、置かせて頂いたのだから当然です。」と目を立ててお帰りになられた。
「井戸水の濁りを沈める為に明礬を入れる。」と薫が井戸のふたを開けた。初めて海蔵寺の井戸を覗いたが、深い!真っ暗な低い所に僅かに光が返ってくるのが、水だろう。明礬を入れると、水に落ちるまで一寸間がある。
現実的に井戸を覗いてみて、薫が墓地所で除草剤が使われる事に恐怖感さえ持っている事が分る気がした。とは言え、墓地を管理している地元の方の高齢化を見ると何も言えない。炎天下、70歳に成ろう方達が手すりにすがりながら墓地へ通われる。何度も、何度も草取りに通う事が辛くなりつい除草剤をまく。お勤めのある方が 休日に帰郷されてお参りされると、ゆっくり草を取ったり何度も通ってくる事が出来ないと言う理由で除草剤をまく。恐ろしい事だが、現実的に起こっている。井戸水が使われている事を知っている方の中にも 「どうしても年に2、3回は除草剤をまくのです。」と公言される方もある。文明社会の人は何時から薬剤に対する認識がこれほどまでに変わってしまったのだろうか。

7/18 雨のち曇り。
雨が降っている間はデスクワークを少々。雨が上がってからは庭の草取り。
午後、薫は干していたドクダミを届けに少林窟道場へ。高田さんと暫し活元をし、小森さんが「先般の量子力学の参考に」とお持ち下さった本を頂いて帰山。
夕食時、その本をきっかけに量子力学における 物質の粒子性と波動性の話を始めたら、どんどん基礎的な事を言及するので、とうとうマックスウェルの電磁気学理論を講義しなくてはならない羽目に成ってしまった。何しろ20年前にお勉強しただけの知識なので、薫を納得させるのはかなり難しい。クーロンの法則、ガウスの法則等で、電場の概念くらいは分ったのだろうか?専門用語をことごとく外して 薫に聞き返されると、まるで違う話に聞こえて来る。その上 それをとんでもない事と並べられて 「これと同じような考え方?」とか、不可思議な図形で 「こういう風?」と言われると こちらが聞き返す事になってしまう。道のりは長い・・・。
夜、リジューバンドの清水さんからお電話を頂く。十楽教子さんへと薫は連絡網を張っていた。
母からの初・電子メールが届く。

7/19 曇りのち晴れ時々曇り。
午前中、祖玄師を尋ねて来られた方があった。瑞応寺へ参拝された帰途とのことだった。昨年、瑞応寺に参禅された時に祖玄師にお世話して頂いたそうで、是非、祖玄師にお目にかかりたいとのことだった。祖玄師に連絡を取ると、すぐに来て下さった。しばし歓談・法談をしている内に昼が近くなる。薫は急いで蕎麦を茹でてくれ、皆で頂いた。昼食後、お二人は東方寺へ帰られた。
午後、少林窟道場へデスクワークをしに行く。プリンターの調子が悪く、メーカーに問い合わせた結果、サービスマンを呼ぶ事になった。通常には発生しない場所での 紙詰まりであった。そのことを帰山後 薫に話すと「実はパウリと同類で、機械を壊しちゃう波動を出してるんじゃないの?」と大笑いされた。昨日の講義を逆手にとって、さももっともらしい事を のたまわっている。あれは湿気のせいだ!きっと湿気に決まってる。一寸珍しい所に 紙が引っ掛かっただけじゃないか。

7/20 曇りのち晴れ。蝉が一斉に鳴き出した。
本堂後ろの山裾の崖にて低草木を切り落す。余談だが、広島弁では「ゲシを刈る。」と言うそうだ。
午前中は曇っており湿度が高く蒸し暑かった。お昼近くになると、太陽が出て更に暑さが増した。
高宮さん・海蔵寺の庭にて 記念撮影1時半頃、薫が「ちょっと郵便局へ行って来る。」と エプロンを掛けたまま飛び出して行った。 帰るなり「お客さまなの、早く早く」と呼びに来る。作業着のままで、玄関へ。高宮氏が袋豆腐と麦藁帽子を手に、薫と会話中であった。「あのね 郵便局へ行ったら、今日は休日で閉まっていたの。折角出て来たのだから と思って スーパーに立ち寄ったら、お声を掛けて下さったんだ。今日お帰りに成られるので お土産に、The袋ドーフを 目指して いらしてたんですって。」「とにかく、どうぞ上がって下さい。」 線香を供えて頂き、本堂の一角へ。麦茶と西瓜で暫し歓談し、庭で本日の記念撮影!いわく因縁のある庭石もご覧頂いて、少林窟道場へお送りした。
日の高い夕刻、裏庭の松も剪定。薫が畑に収穫に行っている間に、蚊取り線香が切れて蚊の一斉猛攻撃に遭う。数も日増しに多くなっているので、たまらず退散。汗と汚れを落しに、お風呂場へ直行。薫が帰って来た時には既に、プルーベリー・アイスクリームにありついていた。お先に!
「お腹空いた?この収穫見て!」とバケツとポケット一杯の野菜を披露。トマト、キュウリ、しし唐、ピーマン、プチトマト、キャベツ、ささげ、モロッコ豆、大根、ニラに、ジャワ原産のほうれん草。大根の葉っぱで「菜飯」 キャベツ、大根、豆等々の「温野菜」に加え 「ほうれん草の炒め物」 が食卓を飾る。やはり旬の物がもっとも美味しい、ジャワ原産のほうれん草は最高であった。

7/21 晴れ時々曇り。暑い!
朝は草刈をする。郵便物を出しに行き、帰ってからは 墓地所の草を バーナーで焼く。
墓地所の草は つきっきりで取っても 追いつかない状況に成る。かと言って、薬剤等を使うのは 非常に納得が行かない。そこで、生えているままバーナーで焼く事にしたのだ。今の所は、最良策と思っている。だが、灯油の入ったタンクを抱え 加圧しながらの作業は 重労働である。しかも、夏場は暑いこと極まりない。良く乾燥した時期には、他への飛び火が心配される。雨の後は、殆ど効力はない。だが、他の方法よりずっと納得が行く。
昼食を挟んで、続き。途中数回の 給油する際、欠かさず水分補給をした。そんな、健康的な活動ぶりを 羨ましがりながら 薫は 襲い来る事務処理に追われていた。デスクワークに 「不当人事だ!健康に悪い。」と言いながら、掛け持ちで 洗濯や接客に走る薫。小さなお寺は人手が無いので 一人で何役もこなさなければ 実際には回って行かない。逆に 大きなお寺は 法要だけでも 大変な数で、何時も分刻みで追いまわされるそうだ。どちらも遠慮したいところだが、世の中そんなに甘くない!やるしかない、やるだけである。

7/22 晴れ。
暑さで華が煮えてしまい、水揚げしなくなってしまう。「切る時間帯で華の持ちが違うから」と 朝の仕事は華にする。薫が野菜と花を採りに行く。その間に、御本尊の華立を下してくる。水揚げしなくなっているのだから、水は重いほど入っている。井戸水は幸い水温が低い。生き返ってくれよ!
昼前後は、先日刈った草木の焼却。夕方、浄居寺様と勝運寺様に夏のご挨拶に出向く。
昨日、薫宛に 音信不通だった大学時代の友人から 「結婚した事を大学の同窓紙で見付けた」との手紙が来ていた。本日は、ひょんな事から 縁が出来た全米竹クラブの会長さんらしき人物からの ある竹の種を譲ってくれる人を探して欲しいとの依頼メール。展示会が盛大に終了した御礼状、その他、還暦を迎えた!結婚した!との電話。切りが無い!

7/23 曇り。湿度と気温が高く、不快指数が90を越える。
庭掃除、無縁塔の華入れ、植木の剪定をした。
先般の低草木刈りで 漆も切った。その日と昨日の作業で かぶれてしまった。汗疹らしきものもあり、重なってかぶれているところもある。蚊にも食われるので、全体的に何かしらある。薫は「皮膚呼吸が出来ない・・・壊れる。」と 煮えかけた顔をしている。
高い不快指数につき 夕食後 「坐る!」と宣言。薫は 「どうぞ。」と タオルを鉢巻きにして、活動の続きをしていた。

7/24 土用の丑。晴れ。
昨夜も暑かったので、睡眠が浅く寝不足気味。
午前中、三好さん御一家がお寄り下さる。お嬢さん達も、手足がすらっとして成長期らしく成っていらした。先般 ピアノの演奏会に参加なさったと言うお話から、民族楽器・ディジュリドゥ や 清水さんがお見え下さる話も出た。薫が ディジュリドゥを実際におみせして「やって見ない?」と誘っている。お二人とも大笑いし、やっとの思いで息を整えて ブォ、ブォ 又、大笑い。交代で ブーブォ、ブォー と 暫く楽しんでいらした。大人より子供の方がやはり好奇心も旺盛で、音も直ぐに出るようになるようだ。
お昼に「今日は、土用の丑だから」とお隣の大瀬さんが鰻を ご供養下さる。勿体無い 『感謝』。合掌。清水さんご夫妻・白滝山頂にて
お昼過ぎ「高速を降りて、もう細い道を走っています。もう直ぐ行きます。」と清水さんよりのお電話で、間無しにお見えに成られた。「思っていたより近かった。」と、姫路よりのお疲れも無いご様子で嬉しい再会である。暫く 色々な民族楽器を拝見し、お話を伺った。母からの梅ジャムを利用した梅アイスの試作品を 自信無さそうに薫が披露した。本人も未だ味見もしていない。「酸っぱい!でも、美味しい。」と梅ジャムの量を現在の半分にするとの結論にいたる。口直しに、何時もの「小倉アイス」。
道育師の許可で 竹を収穫する清水さん薫が御伴して、白滝山へ。草刈機をお使いだった道育師は、一行の為に暫し中断して下さったそうだ。山頂の八畳岩の上で、3人 「良く澄んだ島なみを眺めながら ディジュリドゥ を 吹くと飽きる事が無かった」と言う。道育師が 「お茶にしませんか?」とお声を掛けて下さり、切りを付けたそうだ。お茶を頂きながら、竜泉寺で道育師にも演奏に参加して頂いたようだ。お土産に、ディジュリドゥに打って付けの竹を切って頂いたと清水さんが担いでおられた。ディジュリドゥを吹く稔枝山・賀茂川荘のお庭にて即興演奏・賀茂川荘のお庭にて
夕方は賀茂川荘の、お庭で演奏をさせて頂いたと聞く。十楽教子さんも合流されて、飛び入り参加の方 幾人かと多いに盛り上がったようだ。「どなたかがウーロン茶の差し入れまでして下さった。」と すっかり 賀茂川荘の 生演奏バンドと化していたようだ。
夕食には何とか間に合うように伺えた。清水さんご夫妻の心温まる生活ぶりを伺いつつ、テーブルを囲む。

7/25 晴れ。
東京よりの来客・法要予定があり、今日も薫1人が御伴させて頂く。
10時前、方丈が帰山された。お客様は10時頃の飛行機で広島空港に着かれるとの事。午後2時過ぎ、東京に向けてお帰りに成られた。
太鼓に挑戦する十楽先生・ディジュリドゥを吹く清水さん十楽教子さん・民族楽器に挑戦中「十楽先生もお見え下さっっている。」「賀茂川荘さんを予定していたのだが ご都合により場所を 変更することに成り 澤田さんの桐下駄工場へ向う。」と薫が連絡してくる。澤田さんも突然でさぞ驚かれる事だろうと思っていたら 「今日は日曜日だった!いらっしゃらないけど、広場をお借りする。」との事だ。「十楽先生は、太鼓の心得がおありだった。」「お時間ギリギリまで、何枚も写真を写してくださった。」と後で薫が感心と感謝をしていた。太鼓の調律をしている所・清水和仁さんラ・マーレにて・ディジュリドゥを披露
先生とお別れしたのち 西条の民族楽器も置いていっらしゃるお店に、十楽教子さんがご案内下さったそうだ。1軒目では ディジュリドゥの演奏を披露する事になり、2軒目では 清水さんが タブラ等の太鼓の調律をし 演奏指導もなさったそうである。「予約も曖昧で 準備も不充分で おもてなしとしては、失礼であった。」 と反省しながらも 「楽しい時間だった!」と薫は語っている。
清水さんとの歓談お帰りに成られる前に 「もう一度、お寺に・・・。」とおっしゃって下さったと 皆様を薫がお連れして帰山。ご予定を3時間以上遅らせて、多いに交流を深めてお帰り下さった。清水さんご夫妻のお言葉をお借りすると、稔枝さん(清水さんの奥さま)と薫は 姉妹猫のように離れるのを淋しがっていた。教子さんやお友達の方も、駐車場まで追いかけてお見送りをした。道育師宛に「竹の御礼に。」と 清水さんよりディジュリドゥを1本お預かりする。
10時前、「無事着きました!」と清水さんよりのお電話がある。本当にお疲れ様でした。遠路 はるばる 沢山の民族楽器を抱えお出かけ下さり 誠に有難うございました。貴重なものを拝見させて頂け、又 体験させて下さり感謝致します。今後とも 素晴らしいご活躍をなさって下さいませ。
清水さんが無事に到着なさった事を薫は教子さんにご連絡していた。教子さんとお友達の方は、お帰りに成る前に白滝山へ上がられたそうだ。

7/26 曇り一時雨。風が少々ある。
少林窟道場にて、お施餓鬼の案内状を印刷する。
薫は洗濯ものが若干湿気ている位の所で雨に 大慌てでハンガーごと担ぎ込んできた。その後も、第2弾を洗い上げていたようだ。
小菊をご供養下さった方があり、ありがたく御本尊、薬師堂、無縁塔に生けさせていただいた。床の間と玄関にもお裾分け、こちらは薫我流である。
夕食後、案内状を折って封筒に入れる作業。

7/27 雨時々小雨。
夜半から降り出した雨は 風を伴って終日降った。庭には水溜りが出来ている。
時折の小雨を見計らって、薫が2、3回外へ出ていたが屋外での作業にはなりそうにない。再び、洗濯物の万国旗だ。結局、1日デスクワークをする。
午前中、秀蓮尼がお尋ね下さった。丁度、大瀬さんも作業の間で お茶にしておられたので合流。大瀬さんとも久しぶりの再会と、暫し世間話をして行かれた。
夕刻にはお施餓鬼の案内状を発送する。清水さんがお貸し下さった 沙羅の日のニュース番組を収録したビデオも返送した。
薫の所には今日もエアーメール。今日のは、解読不能なほどのハンドライティングである。数字が無ければ配達も不可能だろう。そもそも 「誰から?」と聞かれても・・・「読めない!アメリカの切手だよ。」「あぁ〜、ロジャーね。」だそうだ。カードの中も草書?・・・やっぱり暗号文だね、こりゃ。

7/28 雨時々曇り。
今日は、日が良くない。薫は忙しい、忙しいとブツブツ言いながら色々していた。午前中、薫が郵便局等へ行ったので暑中見舞いを何通か書いた。午後、道育師がお立ちより下さる。清水さんにお預かりしたディジュリドゥをお持ち頂く。
清水さんご夫妻より小包が届いた。奥さま手作りのパイナップル酒、やまもも酒、コーヒー酒やクッキーを写真と一緒に 「先般は有難うございました。」 とお送り下さった。
午後7時過ぎ、生命保険の勧誘に ご近所の方が同伴されてお見えになる。お付き合いと言う話もあるが 30年間毎月16000円からの掛け金を納めることは、ご近所のよしみで行える話ではない。薫が「そんな余裕はないですよ。」と何度も申し上げていたが 「明日の同じ時間位にもう一度出直してきます。」とお帰りに成られた。ホトホト思案しあぐねたのか 方丈に電話で相談する薫であった。結局、無理なものは無理 「皆様のご供養で生活させて頂いています。私達の徳が無いので お付き合いさせて頂けて月に2、3千円が精一杯です。」とはっきり申し上げてお引取り頂くしかなかろうとの事であった。「人間関係が一番大変」と薫はこぼしている。

7/29 雨時々曇りのち曇り。
早朝、信徒さんが山へ華を取りに行って供養して下さった。雨間を見て無縁塔、六地蔵さんに入れる。有り難い、感謝。合掌。
午前中 お隣さんがいらしている所へ、昨日の方が生命保険の勧誘にお見えになる。どうしてもノルマがあるのでと粘るご近所さんに 薫も とうとう 協力する事に成った。月 8600円の掛け金で30年掛け 満期時に100万円に成ると言う いかにも負担の大きいこの生命保険に どうしても入会せざる得ないようである。とは言え、無いものは無い!現在、この生命保険と同じ所の婦人部の協力と言う お付き合いで月々2000円づつ入金をしている通帳から引き落とすなら、1年くらいはどうにか成るだろうと言う 究極の自転車操業的な方法で 仕方なく入会。お隣さんは既に別の方に お付き合いして、同じ所のもっと掛け金のかかる保険に 入会している事を 強調していた。契約後、帰り際に「保険は解約しても殆ど返って来ないので・・・。」と今度は継続するように 念を押して行かれたので、薫は呆れ果てていた。やっと1人に成った薫がぼやく、通帳が空になったら 「余りに貧乏だから、ご近所付き合いしてやらない!」って言ってくれないかなぁ〜?
人間は社会性の動物、頑張れ、頑張れ!
慌ただしく 走りまわっていた薫は、午後雨上がると 畑の草刈と収穫に行く。夜、「忙しい!」と言いながらも薫は メールの返信書き等でコンピュターにへばり付いているので、充分に坐る時間を得た。

7/30 曇り時々晴れのち1時雨。
石垣のツタを撤去。昨日 薫が石垣の上から逆さまに成りながら 引き剥がしかけていたツタを 下からはしごを掛けて剥ぎ取る。石垣にしっかりとへばり付いており、所々 石垣の中に根を張っている。ヨーロッパの古いお城などにびっしりと覆っているのが撮影されたりしているが、育てていると言うよりは「処置無し」と言う状況で覆われてしまうのだろう。たくましいものである。石垣の間に根を張っているのだが、次第に石垣自体を歪めて行く。倒壊するまでには随分かかるかも知れないが、その恐れが出てからでは修理するには積み直す外無くなるだろう。ツタも頑張っているが、こちらも頑張らざる得ない。
薫は 町内在住の檀信徒の皆さんへ お配りする御施餓鬼 案内状の宛名書き。遠方の方々よりも記録等が曖昧に成り易く、難儀をしていた。先代が無くなられても 次の頭首の方がお寺へ わざわざ名乗って来られる事は少ない。小さな町では 「○○さんのご長男 ○□さん、何年生まれで □□をしていらっしゃる」と言うのは 誰もが知ってる事に成っているようである。実際には、信徒さんの家族構成や事情などは 調べる事も記録する事もされていない。高齢化が進み 気が付くと都会に出ているお子さんの所へ引き取られて行ってしまわれているケースもある。この場合、ご当人のお名前だけではご案内も出来ない。とは言え ご健在でいらっしゃる内に 根掘り葉掘り お聞きすると言うのは 失礼極まりないので 無理な相談だ。昔ながらの部分と現代風が混在する田舎は 両者の隔たりの挟間で 不備だらけに成らざる得ないのかもしれない。
一応、8月2日に檀家総代さん達に お集まり頂いてお願いする手はずには成ったようだ。 

7/31 晴れのち曇り。
昨日の石垣の続きの所で草取り。石垣から顔を出した草と その下にある 溝の中に生えた草を取る。アップル・ミントも道のほうへ倒れて来ていたので少々刈った。このアップル・ミントは勢力が強く他の草も寄せつけない。生育が良過ぎて 誰も 園芸観葉ハーブとは結びつかないようである。植木市でミントの苗を買っていらした方が 薫に「ミントなのよ。」とおしゃったので「そこに生えているのもそうですよ。良かったらどうぞ。」と答えたら、仰天していらしたそうだ。その上 「繁殖力が雑草なみに強いので、直植えにしないほうが良いですよ。」と教えて差し上げたら 大変怪訝な顔をなさっていたそうだ。
道側に倒れかけた 草丈1mくらいのアップル・ミントを 1輪車一杯だけ 刈り取った。現在 軒下に、引っくくって 逆さまにし吊るしている。そこを抜けて吹きこんでくる風は ほんのりと清涼感のある香りだ。
薫は年末ならぬ、盆前の大掃除中。毎年ながらこれがかなりの労働を必要とする。昨年までは昼間に 少林窟道場の古参の方々と共に助っ人に来ていただけだったが・・・。常駐すると 本当に1日中続いているので、改めて労力が必要なのだと実感した。
どの程度までにしなければならないのか については 未だに納得行かない所ではあるが・・・良く続くよ。これから、もう一働き 一緒に頑張りますか。11時に成ったら、止めにしよう。